12

隊室は、ドアを開ける音がするまで完全に無音だった。
戻ってきたのは、東さん一人。

「遅くまで悪いな、皆」

その横にあの大嫌いな笑顔があることを、どこかで期待していた。

「本部長から報告だ。保護した一般人の記憶処理は、問題なく終わった」

ほら見ろ、結局そうなった。

「俺からは……」

東さんの言葉が、詰まる。

「二宮、加古、月見、」

名前を呼ばれた三人が、次の言葉を待たずに部屋を出た。

「秀次、会議室で、色々あったそうだな」

わざわざ二人きりにされた空間。
ひどく叱責される覚悟は、元からあった。

「…………すみません」
「いや、わかってるならいいんだ」

そう言った声には、少しも怒りや咎める色はなかった。
予想外の言葉が、さらに続く。

「お前がなまえを大事にしてるのは、よく知ってる」
「俺が、ですか?」

わからない。
初めは、なまえと姉を重ねていた。
それはほとんど第一印象だけで、むしろ、一瞬でも錯覚したのを後悔するほどに、なまえと姉は違った。
よく笑ってよく泣いて、明るく周りに人が絶えなかった姉。
よく笑うはずなのに本当は笑っていない、泣かない、ふらふらとひとりでいることの多いなまえ。
気に食わなかった。
怨みを隠して、へらへらと笑顔を浮かべることが。
仇を前にして、復讐よりも自らの死を望むような態度が。

「自分じゃ気づかないか。けど、見舞いに行った日くらいから、特にそう見えてるぞ」

そうだ、わからなくなったのはあの日からだ。
人の気配のしない部屋の寒さは、今でも俺の何処かにまとわりついている。
聞かせるつもりはなかったという言葉が、頭から消えない。
熱で歪んだ暗い目が、焼きついて離れない。
それでも、気に食わないのは変わらなかった。
笑顔を見れば苛立つし、自殺じみた戦い方をされれば腹が立つ。

「……俺は、別に」

胸を貫かれたなまえに、止まない雨に、どうしようもなくあの光景が甦った。
また、姉となまえが重なって見えた。
姉となまえは、違う。
何もかも違うのだから、俺もあの日とは違うのだから、

「なまえ、は、し、っ、死にません、よね」

ほとんど無意識に出た問いが、驚くほど震えていた。

「あいつと姉さんは少しも似てなくて、俺だって強くなった、だから今度はって、全部違うのに、またこんなことになって、あいつは、姉さんとは違うから、姉さんと同じにはならないはずで、」

口から勝手に言葉がこぼれて、止まらない。
真っ白な床に、水滴が垂れる。

「嫌いなんだ、気に食わないんだ、あいつのことなんて、」
「どうして、気に食わない?」
「笑ってるのも、死のうとするのも、見てると苦しくなる、全部全部抱え込んで、勝手にひとりだと思い込んで、それが、それがずっと、」
「秀次」

震える背中に、東さんの掌が触れた。

「なまえをなんとかできる奴がいるとすれば、お前だ」
「……俺が、なんで、きらいなのに、」

あの日気づいてしまった「無下にはできない」という事実が、いつの間にかこんな訳のわからない感情にまでなってしまって。

「きらい、だ、」

嫌いだ、嫌いだ、嫌いなんだ。
言い聞かせなければ、この状況に耐えられないなんて。
こんな思いをさせるなまえのことは、嫌いだ。
それは本当なのに、死なれたくないだとか、あの笑顔だってかまわないから姿が見たいだとか、矛盾した思考で胸がいっぱいになる。

「っ、きらいだ、きらいだ、」

俺が、すぐそばにいるのに。
たったひとりで、届かない何処かへ沈んでいこうとする、お前のことなんて。


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