続2

休日のキッチンから、ときたま甘い香りがしてくることがある。
それに釣られて階下に行くと、姉さんがクッキーを作っていて。
焼けるまで、くだらないことを話して待って、焼けたクッキーを食べて。
取り留めもない時間が、甘い味が好きだった。
不意にそんなことを思い出したのは、教室のあちらこちらでチョコだのクッキーだのが交換されている、見慣れない光景のせいだろう。
陽介もなぜか、大量の飲み物を抱えている。本人いわく、全て貰い物。

「今日バレンタインじゃん? で、オレにはチョコよりこっちのがいいだろって、いろんなヤツがくれた」
「……バレンタインか」
「あ、忘れてた?」

まあそのほうが秀次らしいかーと、笑いながら変に納得された。
実際バレンタインに興味はないから、認識に別に不服はない。

「秀次はさぁ、なまえからもらわねえの?」
「さあな、今日本部に来るかも知らない……というか、なんでここでなまえが出てくるんだ」
「……え、付き合ってんじゃなかったっけ?」
「……ない!!」

思わず大声が出て、それに驚いた陽介の持つ飲み物が揺れた。

「びっくりしたー……え、マジで? 付き合ってねぇの?」
「どこからそういう発想になった!!」
「なんとなく?」
「なんとなくで決めるな!!」
「えー、わりと有名なんだけどな」

他にも同じことを思っている奴がいるのかと、色々な面々の顔が浮かんで頭が痛くなる。
ただ、加古さんは絶対面白がっている、それだけは断言できる。

「……間違いだって言っといたほうがいい?」
「当たり前だ!!」
「オッケーオッケー、とりあえず落ち着こうぜ、な」
「ッ……」

俺が息を整える間にも陽介は、マジかーと繰り返す。
何がそんなに意外なのか、まったくわからない。

「なまえのこと、けっこートクベツ扱いしてると思ったんだけどなー」
「それとこれとは別問題だ」
「なるほど、秀次はそういう派か」
「……普通じゃないのか?」
「んー、別に人それぞれで良いんじゃね?」

そういうものなんだろうか、よくわからない。
なまえへの感情は、恋だの愛だのでないのだから、考える必要もないか。
握っていたマフラーを巻いて、冷えた廊下に出る。
こんな寒い時期に大量の飲み物をもらって、処分に困らないのだろうかと、隣を歩く陽介が少し心配になったが、どうせランク戦の後にでも大量消費するんだろう。

「……なあ秀次」
「どうした?」
「あれ、見てみ」

指さされたのは、階段のほう。

「……仁礼、か?」
「いやその後ろ」

注視すれば、仁礼が誰かの手を引いている。
人目を避けているのか、顔を下に向けているせいで、判別ができない。
……気のせいか、俺たちを目指して進んできているような。

「あーホラホラいた!! おーい!!」

俺たちの後ろには誰もいない。
何の用なんだ、と思いながら軽く手を挙げて応えた。
こうでもしておかないと、愛想悪いなーとかなんだとか、仁礼が後からうるさい。
仁礼は、話せる距離までやって来ると、後ろにいた人物を前に放り出した。
というか、その表現が適切になる勢いで、腕を引いた。
放り出された当の本人は、もちろんよろけた。

「……なんでお前がここにいる」
「あ、やっぱなまえじゃん。なんで仁礼と一緒にいんの?」
「門の前にいたから、連れてきたんだよ。見られたら困るし、かるーく変装もしてさ」

言われてみれば、なまえは自分の制服の上から、仁礼のカーディガンを着せられている。
上下がちぐはぐなせいで、正直変装としては違和感しかない。

「ホラなまえ−」
「うん、あの、ありがとう光ちゃん」
「いいっていいって。それより早く用事済まさないと、今度こそ見つかるぞー」

促されてなまえが、鞄から何かを取り出した。
小さな袋に詰められた、クリーム色と茶色の、板のようなそれは。

「……クッキー、か」
「いつもお世話になってるから、そのお礼」
「別に、世話ってほどのことなんかしてないだろう」
「じゃあ、単なるプレゼントってことで、ね?」

言いくるめるように、リボンのついた袋が差し出されて、微妙な重みが掌に乗る。

「なまえが作ったのか?」
「味見はしたから、食べられないってことはないと思うけど……もしかして、手作り苦手だった?」
「……そんなことはない、から、もらっておく」

手の中のものを、潰さない程度に握る。
よかったーと笑うなまえに、自分の口許も少しだけ緩んだ。

「あ、陽介くんのもあるよー」
「おー、ありがと」
「光ちゃんのも、はい」
「え、アタシも貰っていいのか?」
「もちろん、ここまで連れてきてもらったし」

鞄の中から、俺に渡されたのと同じものが次々出てくる。
ちらりと見えた中にも、まだまだ同じものが。
一体いくつ作ったのか。ともかく、俺の分だけではなかったらしい。

「……三輪ー?」
「なんだ、仁礼」
「……いややっぱなんでもない、うん、アタシは何も見てないぞー」
「オレもなんも見てない……」
「陽介までなんなんだ……?」

なまえは鞄を閉めなおしていたようで、こちらに視線は向けていなかった。
俺と同じく、何があったのかわからないと言いたげな顔をしている。

「……さ、見つかる前に帰るかー!! 三輪たちは?今日本部くんの?」
「行く行く、任務あるし」
「おー、じゃあ全員そろって行くぞー!!」

なぜか先導していく仁礼に、仕方なくついていく。
今日は全体的になんなんだ。
ため息が出そうになったが、鞄の中身のことを思うとその気が失せた。
たとえ自分のためだけでなくても、何かを貰うのは幸せなことだ。
昔だってそうだった。
姉さんから貰えるのは、大体誰かに渡す分の余りのクッキーだけだったけれど、幸せだった。
そのはずなのに、今までは感じなかった、妙な燻りが消えない。
胸の奥底から、重たい何かが離れない。
家でひとり、リボンを解いて、袋の中身を口にした。
甘い味が、任務終わりの頭にしみる。
ほんの少しだけ後味が苦かったのは、わずかに焦げた部分のせいだろう。


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