2 ――化け物が出るから、あの山の森に近づいてはならないよ。 麓の村に生まれた子供は皆、そう言い聞かされる。 一度、母がまだ生きていた頃に、どんな化け物が住んでいるのか尋ねてみたことがあった。 「誰も出会ったことはないけれど……吸血鬼なんですって」 「どんな特徴があるの?」 「そうね、たしか」 ――とても低く、恐ろしい声をしていて。 「き、君、大丈夫かい!?」 驚いたような、心配しているような、優しい声。 ――牙のある口が耳まで裂けていて、目は赤色。 たしかに牙はあるけれど、普通の人間と同じ口。 瞳の色は、この闇の中でははっきりわからないけれど、赤色には見えない。 「吸血鬼……さま?」 噂とのあまりの乖離に、疑わずにはいられなかった。 もし失礼があってはならないから、指をついて頭を下げ、自分が生贄として捧げられたことを告げる。 「悪いけど、僕は人間の血はいらない」 どうして。 血に飢えた吸血鬼に生贄を捧げれば、村の日照りはおさまる。みんな助かるんだ。 そう聞かされて、たくさんのことを覚悟して、ここに来たのに。 村に戻ると良い、待ってる人がいるだろう、なんて言われたって。 「…………いないですよ。誰も、待ってなんかいない。一人ぼっちです」 両親は死んでしまった。親戚もいない。 私が捧げられるという話になったとき、村の誰一人として反対しなかった。 それはつまり、私がいなくなっても誰も困らないということ。 「だから、私を、殺してください」 答えは、ない。 その代わり、下げた頭に、何かが被せられた。 思わず体を起こすと、それがずるりと下がる。 なんとか掴んだのは、黒い布。 「……そのままじゃ、風邪をひく。この辺りの夜は、特に冷えるから」 吸血鬼様が、自分のマントを着せてくださったらしい。 たしかに私の服は、袖のない短いワンピースだけれど。 「あの、私の話」 「聞いてたよ。殺してくれって? 僕にはそんなことをする理由がない。君のほうに、死ぬ理由があったとしてもだ」 「理由……」 「そうだよ。生きる理由は、本当にないのかい? 」 吸血鬼様が、問う。 生きる理由。それを反芻したとたん、胸がつかえた。 死にたくない。まだ、やりたいことだってある。 でも、私が生きていていい理由はどこにもない。 私は生贄として、村のために死ぬべきで。 逃げるわけにはいかない。また他の誰かが、生贄にされてしまう。 「あ、その、泣かせるつもりは、なかったんだけど……すまない」 吸血鬼様が、うろたえる。 夜闇の黒と、吸血鬼様の服の白が、歪んで視界を埋め尽くした。 「私は、生きても、良いんですか」 ぱたぱたと、膝に乗せた拳に落ちる雫。 「そんなの、他人が決めることじゃないだろう? 君が生きていたいと思うなら、それで」 ずっと誰かの顔色をうかがってきた私には、考えもつかない言葉が投げかけられる。 そして吸血鬼様が、ためらいがちに私の手を取った。 「誰かから、生きていていい理由を貰いたいなら、僕らの城においで。僕らが、君の生きる理由を見つけよう」 ――とっても残酷なの。人なんか簡単に殺してしまうのよ、その吸血鬼は。 母の声が、反響する。 「本当、ですか?」 「もちろん、君が良ければだけど……」 こんなに、優しいのに。 こんなに、あたたかい手をしているのに。 残酷だなんて、嘘だ。 「私を、連れて行ってください。お願いいたします、吸血鬼様」 かしずくように、頭を垂れた。 「吸血鬼様、は止めようか……これから一緒に暮らすわけだし。僕のことは、雨竜でいいよ。君の名前は?」 「なまえ、です」 「そうか、なまえさん、よろしくね」 「はい、雨竜様」 ほとんど習い性みたいに、様付けで呼ぶ。 雨竜様が、ほんの一瞬戸惑った顔になったけれど、君がそう呼びたいなら、と小さくうなずいた。 |