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「なまえさんには、朝、石田さんを起こす仕事をしてもらおうかなぁ……」

雛森さんが私に告げたのは、この城にきて2週間ほどが過ぎたころ。

「雨竜様を、ですか」

各々が自由に寝起きして、食事も何もかも自分自身で用意して生活しているこの屋敷。
一応掃除当番などはあるけれど、あとは自己責任の範疇だと把握していたから、その仕事は妙に思えた。
雛森さんも私の考えを察したらしく、続けて説明を加える。

「最近ずっと、あまり体調が良くないみたいで。もしあの部屋の中で倒れてても、扉が分厚いから分かりにくいし心配だねって話になってたの」

たしかに、屋敷の中でたまにすれ違う雨竜様は、なんとなく顔色が悪く見える。
いつもの貧血だろ、と黒崎さんが言っていたから、てっきりあれで普通だと思っていたのに。

「それで、このお城広いから、誰も石田さんと会わないっていう日も珍しくなくって。だから、誰かが最低一日1回、石田さんの様子を見られたらって」
「なぜ私を? 馴染みのある方のほうが」
「私や井上さんは、お庭の管理で手一杯なの。朽木さん一人じゃ、あの扉を開けられないし。他の皆は、石田さんほど規則正しく生活してなくって……」

そこで、私になったみたいだ。
今のところ任されている仕事もなく、朝も早く起きられる。

「お願い、できる?」
「もちろんです。雨竜様は、私の恩人ですから」

雨竜様には、心配していることを悟られないように。
私の御屋敷務めの習慣が抜けず、主人を起こさないことに違和感がある……と、かなり無理な説得をして、明日から雨竜様を起こしに行くこととなった。

――――――――――――――――

「雨竜様、朝でございます」

重い樫の扉を開き、真っ暗な一室に踏み入る。
窓とカーテンも開け放って、室内に光と風を巡らせる。
吸血鬼は陽の光を浴びると灰になるなんていうのは迷信だと、雨竜様本人が仰ったのだから問題ない。

「起きてくださいませ」

微かな呻きと、寝具の擦れる音が聞こえた。
まだ、起き上がる気配はない。
一番大きな、バルコニーに繋がる窓の施錠を外すのと、少し長い呻きが上がるのが同時だった。

「おきてるよ……大丈夫」

そう言いながらも、未だに体はほとんど寝たまま。
やはり、疲れていらっしゃるのだろうか。

「雨竜様」

枕元に歩み寄って、少し顔を覗き込んでみた。
普段はオールバックでまとめられている髪が、今は目にかかっている。
その目の下には、濃い隈。
起こしにくるのなんて、迷惑でしかなかったのかもしれない。
もう一度窓とカーテンを閉めて、寝かせておいてさしあげよう。
雛森さんには、見たままを報告すれば大丈夫。
窓に歩み寄ろうとして、腕が何かに掴まれたことに気づいた。
見ればその"何か"は、雨竜様の手で。

「……雨竜、さま?」

返事はない。わずかに寝息が聞こえるだけ。
寝ぼけているのかなんなのか、とにかく、振りほどくのも申し訳なくて、掴まれたままでいる。
中途半端に腰を曲げていなければならなくて、だんだん鈍い痛みがしてきた。
少しして、雨竜様が小さく寝返りをうつ。
そのまま腕を引かれて、ふかふかのベッドに飛び込むことになってしまった。
雨竜様の背中が目の前にあって、思わず顔が熱くなる。
華奢なように見えて、実際は違う。
呼吸に合わせて動くそれを見ながら、ふと思った。
そもそも男性と同じ寝具の上に寝ているって、かなり良くない状況じゃないだろうか。
もし今、戻ってこない私を探して、雛森さんが来たら?
それ以前に、雨竜様が起きたら?

「………っ、ん……」

何を言うべきか考え付くより先に、目の前の背中が身じろぎする。
背後の気配に気づいてか、首が後ろに向けられた。
青い目と、私の目が合う。

「…なまえさん……っ!? あ、手、すまない……」

反対にこちらが冷静になるくらいの慌て具合で、雨竜様が手を離した。
手探りで眼鏡を探しているようなので、そばの小さなテーブルにあったのを渡す。
それを掛けてようやく、落ち着きを取り戻したらしい。

「起こしにきてくれたんだったね、ありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでです」
「……それでその、えーと」

雨竜様の顔が、じわりと赤く染まる。

「今回みたいなことは無いようにする、から、明日からも起こしてくれるとありがたいな……」
願ってもない申し出に、もちろん頷いた。

「雨竜様のためでしたら、喜んで!!」
「そうか、ありがとうなまえさん」
「……あの、私のことは呼び捨てで結構ですよ?」

以前から思っていたことを口にしてみる。
これもお屋敷務めのせいか、敬称をつけられるのは馴れない。

「どうも女性を呼び捨てにするのは馴れないんだけど、」
「も、もちろんムリには」
「いや、君はそのほうが落ち着くんだろ? それに、遠慮なんてしなくてもいい」

明日からもよろしくね、なまえ。
言った後に雨竜様が、やっぱり馴れないな、と苦笑した。


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