5 「本当に、平気?」 「はい」 上半身だけをベッドの上に起こして、雨竜様が今日3回目の同じ問いを私にした。 緋色の目が、揺れる蝋燭の光を映して、さらに揺らぐ。 「血を吸われても、吸血鬼になるわけではないんでしょう?」 「そうだけど……多分痛いし、それに」 「私は、雨竜様のために捧げられた生贄ですから。痛みも、すべて耐えてみせます」 そう答えると、雨竜様の眉間に皺が寄った。 「生贄だからとかじゃなくて、本当になまえが平気かどうかを聞きたいんだよ」 今一番辛いのは、雨竜様のはずなのに。 私なんかを、わざわざ気遣ってくださるなんて。 この人のためなら、なんだってできる。 「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから」 蒼白い手が、私のほうにのびる。 その手に促されるままベッドに上がって、雨竜様の真正面に座る。 「少しでも、怖いとか嫌だとか思うなら、すぐに止めるから。こんな負担させてすまない……」 後頭部にまわった手のひらが、私を引き寄せる。 もう片方の腕は、ためらいがちに腰に回された。 まるで、恋人どうしがそういった行為に及ぶ前のような空気が、なんとなく居心地が悪い。 そんな不埒なことを考える、私自身が悪いのだけれど。 首筋に触れる息に、肩が跳ねる。 それを拒絶と取ったのか、離れかけた雨竜様のシャツを掴んだ。 「雨竜様、大丈夫ですから」 「なまえ……」 より近くに抱き寄せられて、もう表情はうかがえない。 ごめん、という言葉とともに、針で刺したような、小さな痛みが走った。 反射的にまた跳ねかけた肩を、必死に強ばらせて、その場に留める。 痛みで喉のあたりが詰まって、うまく呼吸すらできない。 切れ切れに、喘ぐように、酸素を貪る。 「っ、あ、う」 その度に、自分のものでないような声がして、耳を塞ぎたくなる。 痛いから、こんな声が出るの? それとも。 あまりにふしだらな考えで、その先は口にしたくもない。 牙が刺された場所から広がる熱が、痛みが、気持ちいいだなんて。 「……痛い?」 「あっ!!」 咬んだまま尋ねる吐息の熱さに、一際高い悲鳴が零れた。 恥ずかしい、こんな声を出す自分自身も、それを聞かれたことも。もう、聞きたくない、聞かれたくない。 目の前にある雨竜様の肩に口を押しつけて、息を殺す。 すると、雨竜様の手が、私の髪を撫ではじめた。 ゆっくりと、あやすように、掌が動く。 未知の感覚に支配されていた頭の中が、少し現実に戻ってきたみたいだ。 「なまえ……もう少しだけ、頂戴」 「は、い…っん」 醒めてしまった脳の一角は、私をさらなる羞恥に突き落とした。 雨竜様が、血を吸いながらつく息。 時折混じる、掠れた声。 私の血を、飲み下す音。 無駄に鋭敏になった聴覚が、今まで聞こえなかったものを浮き彫りにしていく。 呼応するように、私の声まで大きく上がって、肩に押しつけるだけではこらえきれない。 掴んだままになっていた雨竜様のシャツを、握りしめても足りない。 力の抜け始めた腕で、雨竜様の体にしがみついた。 「雨竜様、うりゅう、さま、っん、あっ」 「肩、噛んでいいから」 言葉に甘えて、肩に歯を立てる。 跡が残らないように加減しても、吸いつかれた瞬間に、強く噛み締めてしまう。 口の中で湿っていく布地の感触が、ますます恥ずかしさを煽る。 もう、痛いのか気持ちいいのかもわからなくなってきて、ただただ上がる声を噛み殺す。 「ん、んんっ……ん、ふ、あぁ、あ」 吸われるたびに、指先から、全身から、力が抜けていく。 いつの間にか肩から口が離れて、喘ぎが漏れ出していることには気づいていたけれど、もうどうでもよかった。 「うりゅうさま、うりゅうさまぁっ……」 首に感じていた感覚が消えて、喪失感に襲われる。 いやだ、さみしい、なんで、 「もっと、うりゅうさま、もっとしてっ……」 見上げた雨竜様の口元で光る、薄紅く染まった牙。 欲しい、欲しい、その牙が、痛みが、快楽が。 体が、疼いて疼いて仕方がない。 「駄目だ、絶対」 「どう、して」 「良いかい? そんな風に思うのは、牙にある毒のせいなんだ。有り体に言えば、催淫毒ってやつになる。君は今、正常に思考できてないんだよ」 そんなの、どうだっていい。 「雨竜さま、」 「っ、よせ」 雨竜様の頭を引き寄せれば、数段強い力で押し返される。 「本当に駄目だ、これ以上」 「私は、雨竜様になら、なんだって、」 「駄目だと言ってるんだ!!」 突如荒らげられた声に、自分の目が見開かれるのがわかった。 両肩に手が置かれて、青に戻った瞳と向き合う形になる。 その表情は、怒りと悲しみの中間のような、不思議なもので。 「ごめん……元はといえば僕のせいなのに…… でも、僕が主人だから何をされてもいいだとか、そんな風な考えはしないでほしい。 君が今までどうやって生きてきたかは知らないし、詮索する気もないけど」 ああ、やっぱり雨竜様は、優しい方だ。 だからこそ私は、すべてを捧げても良い。 自己犠牲なんかじゃなく、義務感でもなく、心の底からそう思える。 「雨竜様、」 伝えたくて口を開いても、言葉が、荒い息にしかならない。 擦れる服の感触にすら、体が苛まれる。 「っ……うりゅ、う、さま」 勝手に声が掠れて、まるで誘惑しているみたいだ。 震えていた体が、とうとう自分の体重すら支えられなくなって、雨竜様の胸に倒れこんだ。 「なまえ、辛いだろうけど、じきに治まるから。それまで、僕がついてる」 「はい……」 「本当にすまない……」 瞼が、だんだんと重くなる。 その気配を察したのか、雨竜様が小さく笑う声がした。 「お休み、なまえ」 また頭を撫でる掌の温度を感じながら、ゆっくり、目を伏せた。 |