特別危険毒物管理実験棟――――通称・毒離宮は、十二番隊敷地の端にある。
研究棟、私室棟がつながった構造のそれは、地上部分が１階のみしかなく、一見すれば倉庫。
その実、地下には4階建ての薬品管理庫および薬草園があるため、技術開発局の所有する建物の中でもかなり大きいほうだが。

｢あの人……まぁた伝令神機の電源切ってやがる!!｣

そこへの道中、つい盛大に舌打ちが出た。
あの人、というのは、毒離宮の主だ。
連絡がつくように、電源を入れて携帯しろ、と何度言っても聞きやしねぇ。
相手には現在通話が通じない、と定型文を読み上げる伝令神機を、片手でギリギリと握りしめる。
空しく同じ文を繰り返す機械を閉じて、歩く速度を上げた。

――――――――――――――――――

研究棟は、危険な毒物を扱う性質から、霊圧を登録した者でないと通過できない特殊なセキュリティが幾重にも施されている。
尸魂界でも屈指の堅牢さから、影で要塞呼ばわりされているのはまた別の話だ。
認証を普段通り突破し、最後のセキュリティ設備に手を当てる。
登録霊圧と手の霊圧が一致すれば、研究室内部に通じる音声が開通する仕組みの機械。

｢どーも、阿近ですけど｣

起動音とともに電源の入った備え付けのスピーカーから、答えはない。

｢なまえさん、起きてます？｣

無言。
その直後に、かたり、とわずかな音がした。

｢なんの用だ……｣

寝起きなのか、はたまた水分をとっていないのか、とにかく、掠れた声が言う。
普通の男なら何かしら揺らぐものがあるんだろうが、100年近く接してきた俺にとって、それは特に意味のない日常。

｢とりあえず、開けてください｣
｢………ん｣

本来なら遠隔操作で開くようになっている、これまた霊圧認証式の扉が、わざわざ手作業で開けられる。
ふらり、と中から出てきた姿に、絶句した。

｢……用件は｣

当の本人は、目元をこすりながら涼しい顔。
とりあえず。

｢なんで白衣だけしか着てないんだよあんた!?｣

死覇装どころか襦袢すら着ず、素肌の上に白衣。
さすがに、目を反らさずにはいられなかった。
蒼白気味の肌が、開いた胸元が、目に毒すぎる。

｢死覇装を切らした。今洗濯しているところだ｣
｢切らすまで洗濯サボるな!! いつも言ってるがあんたは……｣

敬語すら忘れていることにも気づかないまま、滔々と説教を浴びせる。
ついでに、伝令神機の件も。
それでも一向に、なまえさんは表情を崩さなかった。

｢……とにかく!! 今後は止めろ!! 今回出たのが俺だったから良かったようなもんの、他の奴だったら｣
｢だったら、なんだ｣

くぁ、と欠伸をひとつして、面倒そうに尋ねるなまえさん。
この人、頭は良いのに、なんでこういうことはてんで駄目なのか。
いっそ一度、どうなるかわからせてやろうか。
真っ黒な考えが脳裏をかすめて、眉間に手を当てた。

｢用件なんですがね……｣

仕事仕様に頭を切り替えて、持ってきた資料を手渡す。
｢阿近三席｣と｢みょうじ四席｣として接していれば、先刻のような感情は抱かずにすんだ。
なまえさんの細い指が資料を繰るのを、阿近は無言で見つめる。
薬品のせいか、常にぼろぼろの指先。
やがて目を通し終えたなまえさんが、ひとつ疑問を口にする。

｢予算のことだが｣
｢えぇ、また削られましたよ｣
｢………涅め｣

うちの隊長である涅マユリの素行のせいか、予算削減はもはや技術開発局の恒例だ。
年々、薬品などの新規購入の申請は通りにくくなっている。
研究に必ず薬品を必要とするこの人からすれば、堪ったものではないだろう。

｢まあ……仕方ないか……｣
｢決まったことなんで、こればっかりは｣

そうだな、と聞きようによっては沈んだ声が応える。
相変わらず目をこするなまえさんの感情は、正直なところ読めない。

｢用件は、終わりか？｣
｢終わりです｣
｢そうか、それじゃあ｣

踵が白衣のはためきと共に返され、華奢な背中が俺のほうを向く。
その背中が、不自然に傾いだ。
間一髪、床に倒れこむ寸前で受け止める。

｢参考までに聞くが……あんた、最後に寝たのと飯食ったのはいつだ｣

体勢を立て直しながら投げた問に返ってきたのは、10日以上前の日付。
離せ、自分で立てる、という弱々しい抵抗を無視して抱え上げ、足を私室棟へと向けることになったのだった。