4 『特別危険毒物管理実験棟・建設予定地』 大きくそう書かれた看板を見上げる背中に、そっと忍び寄る。 「なまえサーン、何してるんスか」 「急に寄ってくるのはやめろ!!」 不機嫌そうに振り返った彼女をなだめつつ、その肩に手を置いた。 相変わらず骨の感触がするほど細いのは、きっと研究漬けでまともな食生活を送っていないんだろう。 これに関してはボクが言えた口ではないから、敢えて何も言わないとして。 「もうすぐ完成っスねぇ、アナタのお城」 「案外、早いものだな」 「忙しかったっスからね、この2年」 技術開発局の基礎固め、人員確保、その他諸々通常業務、大量にやることがあって、毎日が飛ぶようだった。 「ボクとしては、もう少しアナタと過ごしたかったなーなんて思うんスけど」 「ふざけるのも大概にしろ、口説くなら他の隊士にしたらどうだ」 この対応も、まったく変わらない。 その癖本気で邪険にはしないのだから、ボクをつけ上がらせているだけだということに、いつ気づくのやら。 「で、何の用だ。まさか用事がないとか言うんじゃないだろうな」 「そのまさか……」 一瞬にして眉間に皺が寄ったので、というのは冗談で……と慌てて付け足す。 相変わらず、冗談が通じない人だ。 「彼岸花、アルカロイド系の毒素の試料として欲しいって言ってましたよね? 五番隊の隊舎にたくさん咲いたらしいんで、知ってるかもしれませんがご報告まで」 「知ってる。気にはなるが、勝手に入って持って行って大丈夫なのか?」 「平子サンならそこまで気になさらないと思うんスけどねぇ……」 ちらりと表情を窺うと、ほんのり唇をとがらせて、困っているような様子。 人見知りのこの子には、誰かに聞いて許可を取るということが、凄まじい無理難題なんだろう。 「ちょうど五番隊に用事がありますし、一緒に行きます?」 「良い、のか?」 「ついでっスから」 そうか、と素っ気ない返しの中に、確かな安堵が感じられる。 この子の感情表現はわかりにくいけれど、よく見ていればわかりやすい。 「それじゃ、行きましょっか」 五番隊舎へと続く道を、二人で歩く。 手でも繋ぎます?という提案は、敢え無く却下された。 人混みでもないのに、と言われたから、帰り道は人が増えることを祈りつつ足を進めていけば、十数分で目的地に。 ちょうど庭先に、金色の長髪を発見。 「平子サーン、少し用事があるんスけどー」 「シンジでええ言うてるやろ、喜助ぇー……お?今日はひよ里と一緒ちゃうんか」 ボクの隣に目をやる平子サンの視線に、なまえサンの肩が小さく跳ねる。 ほほう、と平子サンが謎の納得の声を上げた。 「ひょっとして、この子が噂の"毒姫"サマか」 「毒姫って、いつの間にそんな二つ名ついてたんスか」 「し、知らないぞ私は」 よくわからない衝撃のせいで、危うく本来の目的を忘れかける。 隊舎の彼岸花を研究用に貰いたい旨を話すと、勝手にしぃとの返事がきた。 「持ってけるだけ持ってってくれたらええで。そのほうが、こっちも色々と手間省けるしな」 「んじゃお言葉に甘えて」 「……ありがとう、ございます」 人見知りモードのこの子は、本当に大人しい。 まあ、これはこれで可愛いんスけど。 平子サンのほうはと言えば、噂の毒姫サマに興味がありそうな様子。 「平子サン、毒姫って、この子にどうしてそんな呼び名が? ボク知らなかったんスけど」 「十二番隊のべっぴん科学者さんやーって前から有名やで。実験されたいとか言うとるアホも一定数おる」 「なんスかそれ……」 とりあえずは、その希望者たちが、うっかり涅サンあたりの毒牙にかからないよう祈っておこう。 「たしかに、べっぴんさんやなァ。毒姫サマ」 「あ、の、みょうじなまえです、だからその、」 「あァ、お姫サマ扱いは照れるか?」 あ、う、と声にならない声をあげつつ、助けを求めるようにボクを見上げるなまえサン。 「あー、平子サン? この子人見知りなんで、その辺で勘弁してあげてくださいな」 「ひ、人見知りとかわざわざ言うな馬鹿!!」 「事実じゃないスか」 「お前ら親子かい、そのやりとり」 「違う!!」 ついボク相手のときのように反論したなまえサンが、慌てて詫びを入れた。 案の定、気にせんでええ、と笑いながら返される。 「口悪い奴には慣れとるからなァ。それにみょうじチャン、黙っとるよりはこっちのほうがかわええわ」 直球で褒められて、白い顔が耳まで真っ赤に煮上がる。 たしかになまえサンの魅力は、この性格も含めてのものだから、平子サンには100%賛成だ。 少し嫉妬のようなものを感じるのは、なんとか置いておいて。 「……姓で呼ばれるのは好きではない、ので、できればなまえと呼んでほしいのですが」 「なまえチャン」 「そのちゃん付けも、あの、」 「なまえ、でええか?」 ……前言撤回、めちゃくちゃ嫉妬します。 なんで出会って数分でここまで親しくなってるんスか!! ボクなんか、尸魂界に来てからまともに話すのに何年かかったか!! 「なまえサン、立ち話もいいっスけど、早く用事片付けないと」 「あ、そうだ、な」 あからさますぎるかとは思ったが、いっぱいいっぱいのなまえサンには、そんなことを気に留める余裕は残っていなかったらしい。 代わりに平子サンにすれ違いざま、男の嫉妬は見苦しいでーと囁かれる羽目になったけれど。わかってやってたんスね、あの人。 「……用事済ませる前から疲れた」 「ありゃ、いつもより話したからっスかね」 「やっぱりまだ、人と話すのは疲れる」 彼岸花を手折りながら、ふぅ、と悩ましげなため息をひとつ。 「せっかく、あの檻の外に出られたんだ。もっと、私の知らない世界が見たいから、人と話したいのに」 「いきなりは難しいっスから。少しずつでいいんスよ、焦らなくても」 「……うん」 珍しく素直に頷くなまえサン。 やっぱり、可愛い。 彼女に世界を見せると決めたのはボクで、今、望みどおりに彼女は世界を広げようとしている。 それが喜ばしくもあり、手元を離れていくようで寂しくもあり、今日のように嫉妬することも、これから増えるに違いない。 いっそあの時から、ボクの与える世界がすべてだと信じこませて、その中に閉じ込めてしまえたらよかったんだろうか。 仮定したことがないわけじゃない、けれど彼女は、そんな小さな世界じゃ生きてはいけないのだ。 知ることを、知ってしまった彼女は。 この子を生かすためならば、ボクの思いなんて押し殺すのは容易い。 |