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『特別危険毒物管理実験棟・建設予定地』
大きくそう書かれた看板を見上げる背中に、そっと忍び寄る。

「なまえサーン、何してるんスか」
「急に寄ってくるのはやめろ!!」

不機嫌そうに振り返った彼女をなだめつつ、その肩に手を置いた。
相変わらず骨の感触がするほど細いのは、きっと研究漬けでまともな食生活を送っていないんだろう。
これに関してはボクが言えた口ではないから、敢えて何も言わないとして。

「もうすぐ完成っスねぇ、アナタのお城」
「案外、早いものだな」
「忙しかったっスからね、この2年」

技術開発局の基礎固め、人員確保、その他諸々通常業務、大量にやることがあって、毎日が飛ぶようだった。

「ボクとしては、もう少しアナタと過ごしたかったなーなんて思うんスけど」
「ふざけるのも大概にしろ、口説くなら他の隊士にしたらどうだ」

この対応も、まったく変わらない。
その癖本気で邪険にはしないのだから、ボクをつけ上がらせているだけだということに、いつ気づくのやら。

「で、何の用だ。まさか用事がないとか言うんじゃないだろうな」
「そのまさか……」

一瞬にして眉間に皺が寄ったので、というのは冗談で……と慌てて付け足す。
相変わらず、冗談が通じない人だ。

「彼岸花、アルカロイド系の毒素の試料として欲しいって言ってましたよね? 五番隊の隊舎にたくさん咲いたらしいんで、知ってるかもしれませんがご報告まで」
「知ってる。気にはなるが、勝手に入って持って行って大丈夫なのか?」
「平子サンならそこまで気になさらないと思うんスけどねぇ……」

ちらりと表情を窺うと、ほんのり唇をとがらせて、困っているような様子。
人見知りのこの子には、誰かに聞いて許可を取るということが、凄まじい無理難題なんだろう。

「ちょうど五番隊に用事がありますし、一緒に行きます?」
「良い、のか?」
「ついでっスから」

そうか、と素っ気ない返しの中に、確かな安堵が感じられる。
この子の感情表現はわかりにくいけれど、よく見ていればわかりやすい。

「それじゃ、行きましょっか」

五番隊舎へと続く道を、二人で歩く。
手でも繋ぎます?という提案は、敢え無く却下された。
人混みでもないのに、と言われたから、帰り道は人が増えることを祈りつつ足を進めていけば、十数分で目的地に。
ちょうど庭先に、金色の長髪を発見。

「平子サーン、少し用事があるんスけどー」
「シンジでええ言うてるやろ、喜助ぇー……お?今日はひよ里と一緒ちゃうんか」

ボクの隣に目をやる平子サンの視線に、なまえサンの肩が小さく跳ねる。
ほほう、と平子サンが謎の納得の声を上げた。

「ひょっとして、この子が噂の"毒姫"サマか」
「毒姫って、いつの間にそんな二つ名ついてたんスか」
「し、知らないぞ私は」

よくわからない衝撃のせいで、危うく本来の目的を忘れかける。
隊舎の彼岸花を研究用に貰いたい旨を話すと、勝手にしぃとの返事がきた。

「持ってけるだけ持ってってくれたらええで。そのほうが、こっちも色々と手間省けるしな」
「んじゃお言葉に甘えて」
「……ありがとう、ございます」

人見知りモードのこの子は、本当に大人しい。
まあ、これはこれで可愛いんスけど。
平子サンのほうはと言えば、噂の毒姫サマに興味がありそうな様子。

「平子サン、毒姫って、この子にどうしてそんな呼び名が? ボク知らなかったんスけど」
「十二番隊のべっぴん科学者さんやーって前から有名やで。実験されたいとか言うとるアホも一定数おる」
「なんスかそれ……」

とりあえずは、その希望者たちが、うっかり涅サンあたりの毒牙にかからないよう祈っておこう。

「たしかに、べっぴんさんやなァ。毒姫サマ」
「あ、の、みょうじなまえです、だからその、」
「あァ、お姫サマ扱いは照れるか?」

あ、う、と声にならない声をあげつつ、助けを求めるようにボクを見上げるなまえサン。

「あー、平子サン? この子人見知りなんで、その辺で勘弁してあげてくださいな」
「ひ、人見知りとかわざわざ言うな馬鹿!!」
「事実じゃないスか」
「お前ら親子かい、そのやりとり」
「違う!!」

ついボク相手のときのように反論したなまえサンが、慌てて詫びを入れた。
案の定、気にせんでええ、と笑いながら返される。

「口悪い奴には慣れとるからなァ。それにみょうじチャン、黙っとるよりはこっちのほうがかわええわ」

直球で褒められて、白い顔が耳まで真っ赤に煮上がる。
たしかになまえサンの魅力は、この性格も含めてのものだから、平子サンには100%賛成だ。
少し嫉妬のようなものを感じるのは、なんとか置いておいて。

「……姓で呼ばれるのは好きではない、ので、できればなまえと呼んでほしいのですが」
「なまえチャン」
「そのちゃん付けも、あの、」
「なまえ、でええか?」

……前言撤回、めちゃくちゃ嫉妬します。
なんで出会って数分でここまで親しくなってるんスか!!
ボクなんか、尸魂界に来てからまともに話すのに何年かかったか!!

「なまえサン、立ち話もいいっスけど、早く用事片付けないと」
「あ、そうだ、な」

あからさますぎるかとは思ったが、いっぱいいっぱいのなまえサンには、そんなことを気に留める余裕は残っていなかったらしい。
代わりに平子サンにすれ違いざま、男の嫉妬は見苦しいでーと囁かれる羽目になったけれど。わかってやってたんスね、あの人。

「……用事済ませる前から疲れた」
「ありゃ、いつもより話したからっスかね」
「やっぱりまだ、人と話すのは疲れる」

彼岸花を手折りながら、ふぅ、と悩ましげなため息をひとつ。

「せっかく、あの檻の外に出られたんだ。もっと、私の知らない世界が見たいから、人と話したいのに」
「いきなりは難しいっスから。少しずつでいいんスよ、焦らなくても」
「……うん」

珍しく素直に頷くなまえサン。
やっぱり、可愛い。
彼女に世界を見せると決めたのはボクで、今、望みどおりに彼女は世界を広げようとしている。
それが喜ばしくもあり、手元を離れていくようで寂しくもあり、今日のように嫉妬することも、これから増えるに違いない。
いっそあの時から、ボクの与える世界がすべてだと信じこませて、その中に閉じ込めてしまえたらよかったんだろうか。
仮定したことがないわけじゃない、けれど彼女は、そんな小さな世界じゃ生きてはいけないのだ。
知ることを、知ってしまった彼女は。
この子を生かすためならば、ボクの思いなんて押し殺すのは容易い。


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