5 暗く狭い、部屋と呼ぶのもはばかられる場所。 足元と頭上に四角く切り取られた空間から見える、わずかな地面と空。 たったそれだけが、彼女のセカイのすべてだったらしい。 あれはもう、150年以上も前の真夜中。 虚が突っ込んで崩落した蔵、瓦や天井の破片が散らばるその中に、ボクを見つめる影があった。 胸元に因果の鎖はない、生きた人間。 恐怖するでもなくただぼんやりと、ボクに視線を注ぎ続けている。 なぜこんな蔵に、こんな少女がいるのか。 何か悪さをした折檻、とかだろうか。 というか、霊力があるのか、この子。 声でも掛けようかと思ったとき、突如その子が動いた。 おぼつかない足取りで近づいてきて、ボクの死覇装を掴む。 「……くろ」 死覇装のことか、夜闇のことか。 それきり何も言わずに、布地をもてあそぶ細い指。 「……楽しいスか?」 動くに動けず、我ながら頓狂な問いかけをしてみた。 すると、彼女の手が止まる。 頭をかしげて、たのしい、と繰り返す声。 「たのしい……って、なに」 「何って言われたら、なんなんスかね……」 「これは、たのしいの?」 「難しいこと聞きますねぇ」 さてどうしたものかと思ったところに、瓦礫の中で、斬り落とした虚の足が動くのが見えた。 少女に当たらないよう角度を調整して、紅姫の斬撃を飛ばす。 今度こそ、虚は完璧に活動を止めた。 「……わ、」 「今の、怖くなかったんスか?」 驚いたような言葉と、無表情と、行動(相変わらず死覇装をいじっている)が一切合っていないのが気になって、質問をつい重ねる。 これも答えはなく、首をかしげるばかり。 任務が終わった以上このまま突っ立っているわけにもいかず、背を向けようとすると、一際強く裾を握りしめられた。 「くろいひと、あの、ね」 安直すぎる呼称に、思わず苦笑が漏れる。 この話だけ聞いてから帰るのでも、悪くはないか。 まあ多分、怒られはしないだろう。 「……こわい」 遅れて恐怖が来たかと思ったが、表情は相変わらずの無。 「なにが怖いんです?」 「わからないこと」 今までになくはっきりとそう言って、彼女はボクを見上げた。 そしてぽつぽつと、話しだす。 「母さまがいなくなってから、だれも、なにも、教えてくれない」 初めて、感情が見えた。 悲しげで、それでいて悔しそうな、そして恐ろし気な。 「……どうして、わからないことが」 怖いんスかと続けようとした途端に、人間が複数人近づいてくる気配。 ボクとしては話をしても構わないが、彼女が奇異の目で見られるのも困る。 握られた裾を振りほどいて、瞬歩でその場を去った。 去り際、短く上がった声が、少しだけ気にかかった。 翌日、あの家を通りがかってみた。 決して私情ではなく、虚が一度狙った場所を見回るのは、まあよくある話。 明るい中で見れば結構な豪邸で、蔵のひとつやふたつの崩落程度では、大した打撃にもなっていなさそうに感じる。 あの子は、この家の令嬢だろうか。あれからどこに行ったのか。 まだ少し虚の霊圧が混ざる、崩れた蔵。 そのすぐそばの、離れらしき建物の縁側に、目当ての人物はいた。 何やら、ぼろぼろの麻紐であやとりに興じている。 昨夜は気づかなかったが、服は屋敷と釣り合わない質素なものを着ていた。 令嬢ではなくて、下働きなのか。 いや、それにしては、くつろぎすぎている気もする。 「どーも、おはようございます」 「おは、よう」 ボクに気づくと、紐はあっさり打ち捨てられて、興味も視線もすべてボクに向けられた。 年頃の子らしく、移り気な面もあるらしい。 「昨日聞こうとしてたこと、今聞いてもいいっスか?」 また人がやって来る前に、気がかりなことをなくしてしまいたかった。 こくり、と頷いたのを確認して、問う。 「どうして、わからないことが怖いんスか?」 「……こわい、のは」 まばたきを、みっつ。 息を、ふたつ。 もう一度、口が開く。 「わからないと、しんじゃうから。 母さまがどうしたらげんきになるか、だれもわからなかった。 だから、母さま、しんじゃった」 この子の母は、何かしらの不治の病で命を落としたらしい。 治し方がわからなかったから死んだ。 責があるのは、天命でも、神でもない。 大人でも珍しいほど、理性的な考え方をする子だ。 なおも途切れ途切れの語りは続いて、次第に熱が入っていく。 ボクを見る目が、ぞっとするような光り方をした。 どす黒く爛々としたそれを、ボクは知っている。 「わからないと、しぬ。 しぬのはこわい、から、わからないことも、こわい。 しなないために、たくさん、ぜんぶわかりたい」 楽しいことが何かはわからない。 知っているのは、死と恐怖。死への恐怖。 そして、すべてを知りたいという傲慢な願い。 少女らしからぬ暗い目の奥底に宿るのは、狂気に近しい、知への渇望。 「……キミは、賢い子ですねぇ」 そして同時に、哀れな子だ。 本当に何も知らないままでいられたなら、こんな望みを持たずに済んだのに。 知ってしまっては、戻れない。 「名前、なんていうんです?」 「……なまえ」 「じゃあ、なまえサン」 ボクと同類の、知りたがりの子。 すべてを知りたいと願うこの子に、ボクが知るすべてを与えよう。 この子が、知らぬ何かに殺されないように。 |