19

「隊、長……?」
なまえサンが、ボクを見た気がした。
――――まだ、振り返るな。
この事態の責任の一端を担う者がすべきことは、それじゃない。
平子サンの様子を確かめて、少し離れた場所に倒れたひよ里サンの様子も見る。
二人も、他に気を失っている面々も、虚の霊圧の中に本人のそれが残っているようだ。
完全に消し去られたわけじゃない。ならばまだ、打てる策はある。
長くなるだろう問答の前に、なまえサンに視線を向けた。
目元をざっくりと横一文字に斬られていて、視覚は恐らくまともに機能していない。
霊圧を隠したボクが、この状況下で呼びかけに答えなかったのは、さぞ不安だったろう。
――――だが謝罪を口にすべきなのは、今じゃない。
こうなるならば、もっと厳重に監視でもつけておくべきだったか。
そうしたところで、振り切ってここへ来てしまうのは目に見えている。
彼女が倒れているのは、彼女に思考を縛るような責務を与えて、余計な悔悟を背負わせたボクのせいなのだ。
――――自責は、もっと後でも出来る。
今はとにかくこの局面の打開だ。
答を得る期待も出来ない問答になるとは思うが、わずかでも何かしらの意図を探るべきだ。
おおよそ予想の範疇を出ない誤魔化しを、一言で切り捨てる。
「これが『負傷』? 嘘言っちゃいけない。これは『虚化』だ」
その言葉を口にしたとき、背後に妙な気配が湧いた。
虚の霊圧のような、重い気配。
平子サンやひよ里サン、他の誰に纏わりついているものとも違うそれ。
「ッ、」
振り返った先。
血を流していた目から、白い塊が流れ出す。
開いた口からも、どろりどろり。
「あ、あ゛」
わずかな呻きの後に、叫び声が上がる。
震える唇が何事かを呟いたように見えた次の瞬間、見慣れた顔が、髑髏のような仮面に覆われた。
と思うと、今横たわっていたはずの場所から彼女が消えて。
「後ろや喜助ェ!!」
一瞬前に立っていた場所に、鬼道が着弾した。
平子サンの声がなければ、まともに食らっていた。
なまえサンはたしかに走法の能力も低い方ではなかったが、いくらなんでもこの速さで回り込まれるなんて有り得ない。
虚化したせいで、身体能力の限界が無視されているのか。
だとすれば、そんな計り知れない負荷の中で、長時間戦わせるのはまずい。
ただでさえ回復したばかりで、実戦に万全とは言えない状態なのだ。
咆哮とともに降り注ぐ鬼道の連打を避けながら、どうにか拘束するか気絶させるかする術を考える。
幸いと言うべきか、藍染たちは手出しするつもりがないらしい。
予想外の出来事を観察したい、というところだろうか。
それに、なまえサンがボク以外を狙う様子もない。
避ける方向に気を遣いさえすれば、他を巻き込まなくてすむのもありがたい。
かといって、相手は実質未知の存在だ。とても、戦局が有利だとは言い切れない。
虚化して力が跳ね上がった死神に、果たして鬼道による拘束は効くかどうか。
土煙を突き抜けて向かってきたなまえサンに、真正面から六条光牢を撃ち込んでみる。
胴体に命中はしたものの、片腕、それもよりによって鬼道刀を握ったほうの腕は、拘束をすり抜けてしまった。
避けられるほど加減したつもりはなかったが、先刻よりもさらに速さが増したせいか。
ただ拘束そのものは効いているらしく、浮いた脚と体を暴れさせ、苛立ったように叫んでいる。
鬼道刀を使えることに気づかれるより先に、追加で撃ち込むか。
テッサイサンがボクの策を察して撃った縛道は、しかし鬼道刀の攻撃で相殺された。
大鬼道長の技を席官が跳ね返すなんて考えられないが、霊圧の変質・増強と、なまえサンの状態を慮って番号が小さい縛道を選択したのが仇になったらしい。
詫びの言葉を聞きつつ、続いて撃ち出された赤火砲をかわす。
それが当たった木の幹に、ただの赤火砲の直撃では到底出来えない大穴が開くのが見えて、思わず冷や汗が流れた。
「ッ、とんでもないっスねぇ……」
さすがに、今のが当たっていたら不味かった。
どうやらなまえサンはテッサイサンも敵として認識したらしく、矛先はそちらへも向かいだした。
鬼道刀は、想定を超えた霊圧の注入、あるいは変質した霊圧に耐えきれなかったのか、わずかに刃こぼれしはじめている。
このまま撃たせ続ければ、刀は完全に壊れるだろう。
そうなれば攻撃手段を減らせるが、鬼道刀の使用はつまりなまえサンにさらなる負荷が掛かることも意味するのだから、止めるほかない。
相殺に追われるテッサイサンに代わって縛道を掛けるために、指先を向けるとほぼ同時に、鬼道刀を持った腕も上がる。
ボクのほうへかざされた鋒が、ほんの一瞬硬直して、真逆を向いた。
ぐるりと回転して、なまえサンのほうへと。
「ま、」
まさか。
待て。
どちらを言おうとしたのかは、一瞬で忘れ去った。
縛道を掛けようとしていたことも頭から消えて、一間もない空間を駆けた。
掴んだ手が握りこんだ刀は、その欠けのない先端を、傷の塞がったばかりの胸へと埋め込んでいた。


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