23

広い部屋。
隊舎に似た空間に、ひとりで立っている。
少し離れたところに、紙片のようなものが置かれているのが見えた。
あれを、手に入れなくちゃ。
何故だかそう思わされて、腕を伸ばした途端、畳が歪みだす。
蟻地獄のように沈み込むそこに、真白い紙片が呑まれていく。
駄目だ、あれは、無くしたくないのに。
不安定な足元を必死に駆けて、今にも消えそうだった紙を掴み取る。
ぐしゃりと音を立てたそれは、一瞬で、金属片に変わった。

流れる血を眺めているうちに、手首が沈む。
そのまま引きずり込まれて、空中にも水中にも見える、どことも知れない空間に放り出されてしまう。
握り込んだままになっていた金属片も、風に巻かれて、散らばって消えていく。
果てなく思えた落下は、不意に平面へ全身を叩きつけられて終わった。

どこからどこまで、いま触れている平面が存在しているんだろうか。
慎重に体を起こして、周囲を窺う。
背後に何かの気配を感じて振り返ると、そこには、

「……え、」

私とそっくりの人が、居た。
髪も肌も無機質な色で、微動だにしない様子からは、まるで生気が感じられない。
こちらを見る目は、虚のようで。
唐突に、肩口が斬れる。
草履を履いた脚が目の前に降り立って、蹴り飛ばされる。

――従えと言ったのに。

咳き込む音も搔き消して、耳元よりずっと近くから囁く声。
あの夜と同じだ。何もできなかった、あの夜。

今居るのが現実の世界でないことは、とっくに気づいていた。
あの夜、私は自分で鎖結を刺し貫いて、死ぬか、死神としての力を無くすかしたはずだ。
傷一つなく行動できているだなんて、おかしい。
粉々になった自分の斬魄刀が、手元にあるのもおかしい。

現実でもない、斬魄刀との対話で見える世界でもないここが、どこなのかは分からない。
ただひとつ確かなのは、頭の中で響く声を、受け入れてはいけないということ。
そうでなければ、きっと取り返しがつかなくなる。
この世界の主は、声の主と同じだろうから。

次々と飛んで来る斬撃を防ぎながら、相手を捕らえる策を巡らせる。
斬りかかったところで、防がれてしまう。
利き手の逆や死角を狙っても、一向に通じない。
撃ちこんだ鬼道も、相殺されるか、服を焦がすだけにとどまる。
太刀筋も間合いも、自分とまったく同じ相手。
一体どうすれば、倒せるんだろう。

――勝てないのに。

思考を読んだかのような言葉と同時に、脚に何かが絡みつく。
忘れもしない、あの虚が使っていたのと同じ触手。
根元を鬼道で焼き切っても、絞めあげられて痺れの残った足が、もつれてしまう。
一瞬退くのが遅れたところを斬りつけられて、胴を裂かれる。

――アナタに、
「……ぁ、」

声が、変わる。
視界の端に映る、特徴的な斬魄刀。
三角形を連ねたような飾りが、じゃらりと鳴る。

――アナタに、何が出来たんです?
「たい、ちょう、」

指の隙間から、柄が落ちる。
刀身が、音もなく砕け散った。


[戻る] / [Top]