8

先に、目が覚めた。
少し日が傾いていて、眠りこけてからしばらく経ったことを知らせてくる。
加古さんが、そばに座っていた。

「よく寝てたから、起こしちゃ悪いと思って」

微笑んだ目元は赤くなっていて、そこから頬にかけて何かの跡がついている。
声も妙に掠れていて、まるで、泣いた後のような。

「加古さん、」
「……東さんには、行けばわかるとしか言われてなかったの。食べ物も1から作るんじゃなくレトルトにしとけって、食器まで持たされて、」

やけに音をたてていた紙袋の中身は、食器だったらしい。

「食器はコップひとつだけ、冷蔵庫も、食材すらもないのよ、この家」

親が持っていったのか、残されたものを本人が捨てたのか。
そのどちらにしろ、キッチンは空。
加古さんが白粥を持ってきたときの不思議そうな様子は、調理器具さえないのにどうやってこれを作ったのかということだったのだろう。

「任務で組んだときからずっと思ってたの、放っておくと死んでしまいそうだって」

俺が抱いていたような危機感は、加古さんの胸にもあったらしい。
加古さんの白い手が、俺が握っていない側の生ぬるい手を取る。

「私、嫌よ。あなたがそうなるのは」

ぴく、と握っていた手が動いた。
そのまま、重そうな瞼が開く。

「い、ま、なんじ、」
「……5時前だ」
「あれ、手、加古さん」
「三輪くんだけずるいと思ってつい、ね」

ずるいも何も、ねだってきたのに従っただけだ。
加古さんなりの誤魔化しだとわかっているが、つい内心で反論する。
あのとき隣にいたのが加古さんなら、こいつは最初から加古さんの手を握ったに決まっている。
別に、俺でなくともよかったはずだ。

「あの、ふたりとも、帰らなくて大丈夫なんですか?」

2本目のスポーツドリンクを開けながら、寝起きで舌足らずの声が聞く。
加古さんが、先に口を開いた。

「私はそろそろ帰らなくちゃならないけど、コンロにお粥を入れたお鍋を置いてあるから、あたためて夕御飯にして」
「そんな、」
「お鍋はそのまま持っててくれて構わないわ。隊室にあったのだけど、誰も使わないし」

おそらくこれは、東さんの計らいだ。
思えば合同任務をよく組まされるのも、観察眼に長けた東さんに、危ういこいつを任せる意味があったのかもしれない。
合鍵も預かっていたほどなのだから、まず間違いなくそうだ。

「それじゃあ、先にお暇するわね」
「あ、あの、」

鍋の件への困惑か、見舞いの礼か、とにかく発された言葉は、聞き届けられる前に扉に阻まれた。
鍋を貰う訳にはいかないと食い下がられる前に撤退、といったところか。

「三輪くんは、帰らないの?」

昨日のように立ち去れとせがむものではない、純粋な問いかけに、そうだな、と返す。

「明日も学校でしょ?任務もあるし」
「……そうだな」

こいつのことは、嫌いだ。
今日だって、巻き込まれなければ見舞いになどこなかった。
そうすれば、こいつを無下にはできないと気づかずにすんだんだ。

「……なまえ、明日の任務には来い。体調管理も、ボーダー隊員としての仕事だ」

返事を待たずに、部屋を出る。
初めて呼んだそれの余韻が、喉を震わせた。


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