もしもの話

「雨竜、もし私が、どこか雨竜の知らないところで傷ついたりしたらどうする?」


あくまで仮定の話として、それを想定する。
きっと僕は、君を二度とどこにも出さないだろう。
もちろんそんなことは言えないから、いつものように笑って答える。


「僕がいつでもなまえを守るから、その仮定は論外だよ」


君が信じる『僕』らしく。
ありがとう、と微笑む君は、手をつないでいる相手の心すら知らない。
君を一番傷つけかねない人間は、この世のほかの誰でもなく、僕なのに。


「どうして、もしもの話が好きなんだい、なまえは」
「ありえないことって楽しいでしょ、想像なら自由だし」


君が用意する『ありえないこと』は、どうも僕の心臓に悪いものばかり。

もし私が、雨竜以外のひとに目移りしたら。
もし私が、雨竜のことを忘れたら。
もし私が、いなくなったら。

想像だけで、気が狂いそうだ。


「次はもう少し、平和なのにしてよ」


でないと、いい加減に自制が効かなくなるから。
本当は今すぐにでも君を、僕だけしか見えないようにしてしまいたい。
その手段を持たない現状、どうしようもないけれど。


「じゃあ、これはどう?」


もし、この世界が壊れるとしたら。

まるっきり平和からかけ離れたその問い。
言葉に詰まって、その日は結局答えを返せなかった。

――――――――――――――――

雨音が満たす、小さな部屋。


「雨竜……?」


ベッドから上半身だけ起こしたなまえが、驚愕に見開かれた目で僕を見る。


「なんで、どこから」


雨が入らないように、閉め切られた窓と扉。
その密室で、しかも影の中から突如現れたんだから当然の反応だ。
そもそも僕のしていることは、不法侵入だし。


「"ありえないこと"は、楽しいんじゃなかったのかい?」


笑みを崩さずに、一歩づつ近寄る。


「学校休んで、何を……その格好も、何」
「それこそ、君の常識じゃ"ありえないこと"を」


要領をえない答えにいらだったのか、なまえがマントを掴んだ。


「ちゃんと言って」


闇に浮かぶ、瞳の光。


「何も知らないと思ってるの? 一年の時からちょくちょくいなくなったり、真面目な雨竜が、一日に何回も授業抜け出したり」
「へえ、僕のこと、そんなに気にしてくれてたんだ」
「話逸らさないでよ!! 黒崎くんたちには秘密言えて、私にはダメなの!?」


叫んだ口に、掌を当てる。
とっさに引き剥がそうとした腕も、両方まとめて空いたほうの手で封じた。


「大声出さないでよ、君以外の人が起きたらまずい。僕がいるってばれて困るのは、君のほうもだと思うけど」


そう言えば、途端に腕が力をなくす。代わりに、視線が鋭くなった。
いくら睨んでも、怖くなんてないのに。


「この前、最後に聞いた"もしもの話"、覚えてる?」


戸惑いつつもなまえが記憶をたどっている様子を見ながら、僕の頭の中でリフレインする、仮定の数々。
僕は、なんと答えたのだったか。本心は、なんだったのか。


―――もし私が、雨竜以外のひとに目移りしたら?
『たとえそれでも、僕はなまえを愛してる』
これはあくまでも、本心の一部にすぎない。
もしかしたら、君の瞳を閉ざしてしまうかも。最後に僕を焼き付けて。


―――もし私が、雨竜のことを忘れたら?
『思い出させてあげる、一生かかってでも』
嘘だよそんなの、僕にとって一番都合のいい偽りの記憶を吹き込んでやりたい。


―――もし私が、いなくなったら?
―――もしこの世界が、壊れるとしたら?
この答えを、いま君にあげるよ。


「なまえがいなくなるような世界なんて、壊れてしまえばいい。
世界が壊れることで君がいなくなるなら、その前に僕がなまえを壊してあげる」


息をのんだ気配が、掌に伝わる。
もう叫びはしないだろうから、手を離した。


「なんで今、」
「この世界が壊れるから、だと言ったら?」
「……信じられるわけない、そんなの」


わずかに青ざめた顔で、なまえがすがりつくように僕を見上げる。


「大丈夫だよ。君は死なせやしないから」


言っただろう? 僕がいつでもなまえを守るって。


「僕の知らないところで傷つかないように、ずっと一緒に居ればいい。
僕しか見えないようにしてあげる」


"手段"を、もう僕は得てしまったんだ。

跪くように片膝だけを床について、なまえを抱きしめる。
細かな震えを鎮めるように華奢な背をさすれば、小さく名を呼ばれた。


「うりゅう、」
「大丈夫だよなまえ、愛してる。絶対に守るから、だから」
「雨竜、泣かないで」
「お願いだよ、僕のそばにいて……なまえ」


細い腕が、背中にまわる。


「いいよ、雨竜の望みなら」


音もなく、黒い影が不自然に伸びだす。
なまえの白い頬も、首筋も包み隠して。
すべてが真黒に染まりきる前に、弧を描いた唇に、自分のそれを重ねた。

もしもの話、
それが実現してしまったならば

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