池田屋の話

攻撃というのは、受けたその時は意外になんともなくて、本当の苦しみがやってくるのは、
痛みを1度知覚してしまった後だ。

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
頭の中を、ただひとことだけが埋め尽くす。
この地獄を、幾度味わってきたんだろう。

中でも今日は特に酷い。傷も、それ以外も。
爪は明らかに、爪紅以外の赤色で染まりきって、
髪は束ねていた部分から半端に斬られ、
服はあちこち破れて、襟巻きと上着はとうに何処かへいった。
喉がひゅうひゅう鳴って、手は勝手に震える。


俺は、知ってるんだ。
この場所で"俺"が受けた感覚を。
全部がばらばらになって砕けるような、苦痛を。
一撃、また一撃、敵の刃が斬りつけるたび、
それが身体に甦って、俺を怯ませる。

また俺は、ここで、×××の?
最悪の考えが、脳裏に浮かぶ。
折れるのは、壊れるのは、消えるのは、捨てられるのは、
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!

でももう俺は、捨てられたって仕方がないよね?
だってこんなボロボロじゃ、愛されっこない。

自分で突きつけた事実に、恐ろしく冷えた頭の一角。
その冷たさが、体を凍りつかせたかのように。
まずい、斬らなきゃならない相手が目の前にいるのに、
腕が、刀が、体のどこもかしこも、動かない。


「………ょみつ!おい!清光!」


目の前で翻る青い羽織と、白刃。俺のなまえを呼ぶ、鋭い声。
幻像が、瞼の裏に映った。


「あ……おきた、く」


ちがう、あの人はもういない。いるはずがない。

煤だらけになったシャツの襟を、思い切り掴まれる。
返り血まみれの見慣れた顔は、戦闘中よりもずっと歪んでいた。
上がった息のまま俺を睨む安定に、何か言おうとしても、
やっぱり喉は喘鳴するばかりで、まともな言葉を紡がない。


「お前ッ何やってんだ!!折れるつもりか!?」
「っ、け、ど、もう俺」
「ボロボロになったから、どうしたってんだ!!
主は、そんなことでお前を捨てないってわかってんだろ!!
……いいか、清光。よく聞け」


安定の声が、また一段低くなる。


「たしかに"加州清光"はここ池田屋で、ああなった」


けどな、と掴まれたままの襟が、一層強く握りしめられた。


「主の"加州清光"は、お前は!!
絶対に折れちゃならないんだ!!
どれだけボロボロになったって、帰らなきゃならないんだ!!
出陣するときに、主に誓っただろ!?必ず帰るって!!
それを裏切る気かよッ!?」


大丈夫だから、いつもどおり送り出してよ。
ちゃんと、帰ってきてね。
わかってるって、必ず帰るから。俺を信じてて。


「かえって、………」


そうだよ、俺は、主の"加州清光"は、
折れてはならない、壊れてはならない、消えてはならない。
主が、俺を信じて待っていてくれるかぎり。
なんで忘れてた、こんな単純なこと。

帰らなきゃ、帰るんだ、主のところに。
ボロボロの俺でも愛してくれる、主のところに。

意識した途端、息は整った。震えも止まった。
そっと離された襟を正して、また刀を構える。
向かうは、最後に残された敵将。こいつさえ倒せば、終わりだ。

何度も振り上げられる刀を避けて、背後に回り込む。
首がぐるりと回って、発光する目が俺を睨むけれど、遅い。

ここまでボロボロにしやがって。せっかく可愛くしてたのに。
どうせなら、綺麗な姿で帰りたかったのに。
そういう訳だから、仕留めさせてもらおうか。


「俺の裸を見る奴は……死ぬぜ!!」


ごとり、相手が事切れて倒れる重たい音と同時に、膝が崩れた。
ちょっと血、流しすぎたかも。
ぼやけていく視界に、本丸への転移門が見える。
前のめりになった体が、また安定に支えられた。
ほとんど背負われるような態で、門へと足を進めていく。
なんだか今日は、こいつの背中をよく見る日だ。


「やすさだ、あのさぁ」
「礼とかやめてよ、調子狂うから」


苦笑しあって、また一歩踏み出す。ほんの数歩が、遠い。
とす、とす、じゃり、やっと足音が変わった。
帰ってきたんだ、俺の居場所。

血相を変えた主が、俺を背負った安定のほうに駆けてくる。
ただいま、と言おうとした瞬間、意識が急に朦朧とした。
ああ、次に目が覚めたら、ちゃんと言わないとなぁ。
その時は、お帰りって言ってよ、主。

[戻る] / [Top]