赤い糸は固結び 彼は王子様で、私はお針子。 叶う訳がない恋は、明日で15年になる。 叶う訳がないと思っているから、この気持ちは殺すことにした。 だから、彼に見合いの話が舞い込んできても、 その謁見のための服を仕立てろと言われても、 なんの動揺も感じなかった。 この衣装の仕立てが終われば、私はお役御免だと言われても。 動揺は感じなかった、つもりだった。 私は、王家と関わりのある上流貴族の家で新たに雇われることになっているらしい。 もう、あの人にお仕えできない。 一針縫い進めるごとに、その事実が突き刺さる。 それでも、仕事に慣れた手は遅くなるはずもなく、期限よりずっと早く衣装は完成してしまって。 「失礼いたし、ます」 今日は彼に衣装を着てもらい、丈などの細かな調整をしなければならない。 さすがに着替える場に年頃が近い男女がいるのはまずいからか、私はしばらく退室させられていた。 大きな扉を開けて、踏み入った先。 夕焼けの射し込む部屋に、彼の金色の髪と、白い衣装が浮かぶように照らし出されている。 繊細な刺繍の陰影が なかなかに美しく現れていて、我ながらいい仕事ができた。 裾の広がり方も、丈も、頼まれたとおり。 「何か不備はございましたか」 「いや、何もない」 そうか、何もないのか。 酷く安心したのと、同じだけ落胆した、ような。 「しつけ糸を、今切ってしまいますので。 マントをお貸しいただいてよろしいですか」 この作業が終われば、もう私のすることはない。 ああ、嫌、だな。 「……どうした」 「いえ、なんでもございません」 糸切り鋏を握る手が、震える。 いけない、布地まで切ってしまいそう。 目立つように赤を使ったしつけ糸の像が、歪む。 「泣くな、なまえ」 「泣いて、おりません、」 言葉と裏腹に、決壊した滴が頬を伝った。 もう、だめだ。 せめてシミになってしまわないように、マントを涙が転がっていかない位置に遠ざける。 彼が着る綺麗な衣装を、私の不相応な想いなんかで穢すわけにはいかない。 彼が受けたのは見合いなんて名ばかりの、とっくに決まりきった縁談であろうことは、容易に想像がつく。 幼い頃には、遊び相手として仕えた。 それからずっとお針子をしてきた私は、彼のことをきっと誰より知っているのに。 この方は、他の人と結ばれてしまうんだ。 してもどうしようもない嫉妬が沸き上がって、胸が詰まる。 彼は王子様で、私はお針子。 叶う訳がない、叶う訳がない。 この15年で、数えきれないほど言い聞かせてきたのに。 悔しくて、悲しくて、苦しい。 「泣くな、と言っているのに」 綺麗な指が、涙を拭っていく。 そのまま頬に唇を落とされて、一瞬肩が強張った。 けれど、これに特別な意味なんてない。 昔私が泣いたときに、よくしてくださっていたこと。 私の想いは、狂おしいほどの恋情になったのに、 彼の私に対する思いは、昔と何も変わっていない。 「なまえ、せめて泣く理由くらい教えてもいいだろう」 どうせ、これで最後なんだ。 差し出がましいことをしても許される、だろうか。 「お仕え、できなくなるのが、悲しくて。 もう、きっと、お会いも、できないのが、嫌で」 「………待て、誰が会えなくなると言った?」 「だって、私、貴族の家にお仕えすることに」 「………色々と、認識が違っているようだが」 顔を上げてみれば、怪訝そうに首を傾げる彼。 「お前に、貴族の家に仕えることになったと伝えたのは誰だ」 「侍女長の伝言を聞いた、バンビさんです。 どなたのご決定だったかまではうかがっていませんが」 明らかな人選ミスだ、とでも言いたげに、私の涙を拭っていた手を、自分の額に当てている。 なんだろう、不意に形容しがたい空気が流れだしたせいで、涙が引っ込んできた。 「いいか、たしかにお前は貴族の家に行くことになった。 だがそれは、使用人としてではなく養子としてだ」 「………養子ぃ!?」 思わず大声を出してしまい、手からは鋏が滑り落ちた。 がしゃん、とやかましい音を聞きながら、頭は急速に回る。 養子って、どうして。どうして、私が。 疑問だらけの心情が顔に現れていたのか、彼が話を続けていく。 どうも私がその家の亡き娘さんに似ていて、以前舞踏会か何処かで見かけて以来気になっていらしたとか、物語じゃあるまいし、みたいな現実味のない話を。 「つまり、今後も舞踏会などでお会いできるということでしょうか?」 「最後まで聞け。2週間後、私に見合いの席が設けられているのは知ってのとおりだろう」 「……はい」 「その見合い先は、お前が引き取られる家。相手はなまえ、お前だ」 「……はい?」 今、なんと言ったのこの方は。 「お見合い? 私と? ご冗談は大概に、」 「私が冗談でこんなことを言うとでも?」 蒼い目は、真剣そのもの。 そもそも、冗談の類いは不得意な方だというのは知っている。 「何年、どれほどの労力がかかったか。 お前の行く先を探し、 その家と見合いができる程に信頼を築き上げ、 その間私に来るすべての縁談を蹴り続け、 蹴った縁談の相手方ともどうにか良好な関係を保ち。 これでも、冗談だと思うか?」 思わない、思えない。 でも彼は、もっとふさわしい人と結ばれるべきなんだ。 「冗談だとは思いませんが、私は、使用人ですよ」 「隣国に、元使用人と結婚までした先例がある」 「けれど、国王様が、こんなことお許しに」 「許しがあったらこそ、ここまで出来た」 次々と、逃げ道が封じられていく。 「さあ、まだ御託を並べるか?」 「御託なんかじゃなくて、」 「そうだな、私が聞きたいのは、建前ではないお前の言葉だ」 建前、それを取り払ってしまえば、言えることなんてひとつしかない。 「っ、でも、」 「いつまでもそれを続けるつもりか? これだけ傍にいて、お前の想いに気づかないとでも? 言い訳はいい、さっさと俺のものになれ」 荒れた口調でそう告げた後、彼はまた唇を落とした。 今度は頬にじゃない、私の唇に。 「返事はどうした、なまえ」 「っ、はい、お慕いしております、ハッシュヴァルト様っ…!!」 赤い糸は固結び 彼曰く、運命は作るもの、らしい。 |