俺は酒木玲央という男が分からない。
「…なぁなぁ江夏、このスマホケースの銀と青、どっちがいいと思う?」
「別にどっちでもいいんじゃない」
「そんな心の底から興味ありませんみたいな顔すんなって!結構真剣なんだからさ」
「じゃあ銀」
「んだよじゃあって〜…」
口をとがらせつつも、「まぁ江夏がそういうならそーしよー」なんて口笛を吹きながらスマホをいじる。こいつは本当に自由で、呑気だな…なんてもう何回思ったことか分からない。
「てかここ一応自習室なんだから静かにしろよ」
「別に俺とお前しかまだいないんだからよくない?」
「そーゆー問題じゃないから。オレは受験勉強で忙しいの、お前にかまってらんないの」
「江夏ってさあ、どこで息抜きしてんの。学校でもいっつもテスト順位1位、模試も1位で塾だって寝てるとこ一瞬も見たことねえし…お前人間なのか?」
ものすごくまじめな顔で聞いてくるもんだから、ちょっと笑いそうになったのを堪えた。
「至って人間だよ。酒木だってそんなチャラチャラしてるくせに何気いっつもテスト上位じゃん、謎」
「オイ一言二言くらい多くない?」
酒木はぶつくさと文句を言いながら窓枠に寄り掛かって、外の方を眺めていた。さっきまでたくさん話しかけてきてたくせに、いきなり押し黙って背を向けるもんだから分からない。まるで気まぐれな猫みたいだ。
酒木玲央は俺と同じ高校で、唯一同じ予備校に通っている。しかも同じクラス。
俺は高1の後半あたりから予備校に通い始めて、酒木は高3の春頃からここにきた。学校のクラスが一緒になったことは一度もないのだけど、彼は予備校初日から何の躊躇もなく俺に話しかけてきた。
『江夏快人だよね?俺、酒木玲央っていっておんなじ高校だけど。知ってる?』
知ってるも何も。酒木のことを知らないやつなんて早々いないと思う。
軽音部現部長で、ギターとボーカルを担当していて、去年の文化祭のセレモニーで軽音部代表として歌っていた。人前で歌うなんて俺には絶対無理だけど。酒木は恥ずかしがることもなく、ただまっすぐな歌声をまっすぐな歌詞と共に響かせていて、今でもあの時の衝撃は忘れられない。たぶん、俺と同じような思いを抱いている人は多からず少なからずいると思う。
文化祭以降、酒木はよくモテていた。酒木が女子に告白された、という噂は何度か聞いたことがあった。でも、噂によると酒木は全部の告白を断ったらしい。「勿体ねぇよな、」と誰かが吐き捨てるように言ったのをよく覚えている。人気者もいろいろ大変なんだな、と他人事のように感じていたことも。
酒木は太陽みたいな存在だ。そんな酒木と比べて、俺は日陰の地味な雑草みたいだ。
思いがけず高校入試で失敗して、滑り止めでやってきた私立で。悔しいという気持ちだけでただひたすらこれまでの高校生活を勉強に注いできた。そして、いつの間にか勉強することにしか能のない人間になってしまった。
うちの高校では高三は文化祭に参加することができず、高二のあの時の文化祭がある意味学生時代最後の文化祭だった。
酒木のまっすぐな伸びのある声と、彼のかき鳴らす耳を劈くような、それでいてなんだか心地良さを感じる少し高めのギターの音と、ドラムの音と一緒に早くなる心拍数とがひとつになって、感動と同時に「自分は今まで何をやってたんだ」と心に問いかけた。そして、ちょっとだけ泣きたくなった。
高校生にしかできない、今しかできないことを酒木はやってるんだ。なんか、そーゆうの、かっこいいな、いいなって。
酒木は俺にないものをたくさん持っている。
* *
「…なー、江夏」
「ん…」
「江夏起きろっておい、えなつ…」
フッ
「うっわ、あっ」
びっくりして思わず椅子をひっくり返しそうになったのを、誰かが後ろから支えてくれた。自主勉強をしているうちに気づいたら寝てしまっていたらしい。そして、誰かに耳に息をふきかけられて、今は目が覚めているわけだけど、こんなことするやつは…一人しかいない。
「おい酒木」
「お、ポンピン」
顔を見ずとも分かった。こんな悪戯するやつは酒木しかいないってことくらいわかってる。耳を抑えつつ、後ろを振り返って睨みつける。
「寿命一年縮んだ」
「そんな江夏くんに朗報があります」
酒木は突然俺の背後から腕をずいっとこちらに寄せてきた。密着すんなキモイ、と暴言をはきそうになったがその前に彼の手に持ったスマホ画面を見て驚愕した。八時をとっくに過ぎてる。うそだろ、1時間以上も寝てたのかよ。幸い今日は一つもコマをとっていない日だけど。時間が勿体ない…。
「なにが朗報だよおい、知ってたんなら力づくでも起こせよ」
「いやあまりに江夏がスヤスヤ寝るもんだからさ…」
あわててペンケースやらテキストやらをスクールバックに詰め込んでさっさと自習室を出ようとしたとき、ちょっとまったと酒木に腕をつかまれた。
「…なんだよ」
「ねえ、なんか音聞こえない?」
そんなの気にしてる余裕ないんだけど、と思いつつ耳をすませば、おはやしの音がかすかに聞こえてきた。
「祭り?」
「近所でねやってるらしいよ、しかも花火も上がるって」
「俺は行かない」
「いやいやまだ誘ってもなくないっすか」
「受験期に祭り行くなんて呑気なのも大概だろ」
「お前さ、目の下のクマすげーよちゃんと寝てる?誰だって頑張るから仕方ねーことなのかもしんないけどさ、お前って人よりもすごい頑張り過ぎてるじゃん。寿命1年どころか5年は縮んでるぞ」
「んな縮んでねーよ…」
酒木が珍しく真剣な目でまじめな話をしてくるもんだから、少しドキッとした。
確かに最近、いつもより煮詰めすぎだったかもしれない。
「だから俺がさ、そんなお前のために一緒に息抜きしにいこーって話だよ」
「よけーなお世話だよまったく…」
ため息をつきながら、予備校を出た。後ろから酒木がついてくるのが分かる。もう一回行かねえから、と言おうとしたところでどこか懐かしいにおいが漂っていた。
祭り特有のじゃがバターの味だろうか。なんで屋台の食べ物って、祭りにあるとこんなに美味そうなんだ。途端に食欲が湧き上がってきて、思わず予備校の階段の上でぴたりと止まってしまう。
「食べたい?」
「別に、」
と同時に鳴った腹の音に恥ずかしさしかこみあげてこない。酒木といると、どうしてか自分の情けないところばかり見せてしまっている気がして、なんだか悔しい。
「腹は正直じゃん、行こう」
ははっと目じりを下げておかしそうに笑う酒木に、顔に熱が集まるのを感じた。ほんとこいつは…。
酒木は俺の腕をくいっと引っ張ってなぜか彼が先陣を切っていた。自分より少し背の高い、広い背中に「…これで受験だめだったらお前と祭りのせいにするから」と強がって投げかけた。
「江夏って嘘つきだよな」
酒木の声が真夏の夜の空気とおはやしの音と一緒に溶けて、消えた。やっぱり俺は、こいつが分からない。
* *
「うまい…」
祭りなんてもう何年ぶりだろう。じゃがバターが600円もするなんて詐欺かよ、と思ったけれどお腹がすいていたのと、祭りの雰囲気のせいかものすごく美味しく感じられた。
「俺にも一個ちょーだい」
小学生みたいに口を大きく開ける酒木に「冗談じゃねーよ」と皿ごとつきつけてやる。酒木はちぇーとか言ってかわいこぶって、いっきに二個食べやがった。ふざけんなよ…。
伝統的な祭りのおはやしの音。あちこちから飛び交ういろんな人の声。浴衣を着飾る人たち。密度で自然と火照る頬。夏の夜の独特な空気。
あらためて。俺はほんとに、何してるんだろうなぁ…という気になってくる。
「花火の音近いな、」
独り言のようにつぶやく酒木の横顔をちらりと盗み見る。どこか遠くを見るような瞳と、提灯に照らされて赤く陰る顔に、なんだか大人っぽい色気みたいなものを感じて、少しだけドキッとした。…いやドキってなんだよ意味わかんねえ。
いつもは子供っぽくて、お調子者のくせに、たまに真面目なことを言ったり、物憂げな顔をしてみせたり。
一体どれが本物の酒木なんだろう。
そんなことをボーっと考えながら「なあ酒木、」と隣に声をかけようとしたら彼の姿は見当たらなかった。
「…ハ、おい酒木」
少し焦り気味に周りをキョロキョロしていたら、後ろから誰かに肩をたたかれた。
振り返れば、酒木がいた。手には、変な形をした淡い水色の瓶が二本あった。
「お前何勝手にはぐれてんだよ」
「いや目の前の売店で飲み物買ってきただけだよはぐれてねえ」
「…それってラムネ?」
「そーだよ酒木くんの奢りだよ、心して飲めよ」
財布を出す前に半ば強制的にん、と押しつけられた。またなんかあとで俺が奢ればいいのか、と思いつつラムネを受け取った。
「俺さあ、ラムネって今まで1度も飲んだことない…」
「え、炭酸無理な人?」
「いや、全然」
キュポン、と蓋を開けて瓶を少し傾けさせて口に流し込む。炭酸がシュワッと舌の上ではじけた。
「どう?初めてのラムネ」
「夏って感じがする」
小学生並みの感想だけど、ほんとうにそんな感じがする。お祭りで飲む、この舌の上で溶ける炭酸の味を知らないままこれからも生きていくのは、ちょっぴり勿体ないかもしれない。酒木がいなかったら、もしかしたら一生知ることだってなかったのかもしれない。
お互い足が疲れて、河原の地面に座り込んだ。土と草が少し湿っていた。ズボンが汚れてしまうけど、そんなことどうでもよくなってしまうくらい、ひとまず休憩したかった。
「花火見える」
「建物で半分くらい隠れちゃってるけどな」
パン、パンと繰り返し打ち上げられる花火は、夜空で光輝いてすぐに消えてしまう。儚くてなんだか悲しい気さえしてしまうのに、美しくて、どうしても目がはなせなくなる。
花火を見ている間、俺と酒木はずっと無言だった。ラムネの最後の一口を飲み干す。瓶の底を上に向けて、ビー玉を取ろうと少し振ってみる。カラン、コロンと涼しい音がしてビー玉がぽとりと手のひらに滑りおちた。
ビー玉からかすかにラムネのかおりが漂う。
季節の中で夏が一番好きだ、っていう人の気持ちがなんとなく分かる気がした。
「なぁー酒木」
「なんだよ」
お互い頭上を見たまんまぽつりぽつりと会話をする。なんで酒木が俺なんかと今ここに一緒にいるのか不思議で、実はこれは夢なんじゃないかって、何度も思うけど。
「俺、今までの夏で今日が一番楽しかった…かも」
パァン。
花火の音はまだ鳴りやまない。
「なーにいってんだよ、俺らの夏はまだまだこれからだっ!」
「ふはっ」
少年漫画の何かのキャラみたいにおどける酒木に思わず吹き出す。酒木とそんなくだらないダラダラとした会話をしていると、こんな時間が永遠に続けばいいのにと思えてしまう。
「俺さ、実は酒木がメチャクチャ羨ましかったんだ」
「えっ、なにいきなり」
声色から多少動揺が伺える。なんだか恥ずかしかったから、酒木の顔は見なかった。
「自分のやりたいこととかハッキリとそこにあってさ。文化祭のときとか、好きなことを一生懸命やるのってこんなにかっこいいんだな、って思った。…俺、ずっと酒木に憧れた」
「それ言うなら、お前だってかっこいーよ」
酒木が突然しれっとわけわかんないことを言ってきたので、さっきの羞恥心はどこへいったのか、「はぁっ?!」と素っ頓狂な声が出てしまった。思わず隣の方を見る。
「おいそーいうのやめろよ…」
「や、だってさ、好きなことに一生懸命になれるのは当たり前だろ。一生懸命になれなかったら、それは好きじゃないのと一緒だと俺は思う。でも江夏は、やなことずっと頑張ってきてるじゃん。そっちのほうがかっこいいに決まってる」
「俺はお前に憧れてるよ、ずっと」
当たり前のようにそう言ってのける酒木に、俺はなんだか泣きたくなってしまった。
俺は、ずっと、その言葉を待ち望んでいたのかもしれない。このまま勉強を頑張り続けいても、いつか途中でぽっきりと心が簡単に折れてしまう気がしていたから。人は脆くて壊れやすいから何かの拍子に目的を見失ってしまうことだってある。そんな何かにビクビクと怯えてたんだ。
『江夏はいいよなー元から頭よくって。俺と頭交換してくんない?』
『これからもその調子で頑張れよ』
ずっとそんな言葉ばっか言われ続けてきたけれど、でも俺を見てくれている人はちゃんと、いたんだ。その事実だけで涙が出るほどうれしくて幸せだと思えた。
花火は段々と大きくなって、フィナーレに近づいていた。膝の上で手を組んで顔を突っ伏していると、「どーしたんだよ具合悪い?」と上から声が降ってきた。
「ちっげぇよばぁか」
「お前さっきの気持ち悪いくらいの素直さはどこいったんだよ」
「うっさい」
お前なんて大好きだばか酒木。俺よりも体調のこと気づいて心配したり、お祭り誘ったり、ずっと言ってほしかった言葉を言ってみたり、お前は女だけじゃなくて男も惚れさせれる気かよ。
「あ、花火、最後」
「うそっ」
反射的に顔をあげると、涙で濡れた自分の瞳に、酒木の少しカサカサとした唇が押し当てられていた。
酒木の背後の夜空で、大輪の花が一瞬咲き誇って、消えた。
「…は?」
動揺でしばらく言葉が出なくて、吐息交じりの声と一緒に彼の顔を見た。酒木は「花火、終わっちゃったな帰りますかー」なんてあっけらかんとしているけど。なんでそんなに普通にできるんだよこいつ数秒前までの記憶飛んだか…?!
しばらく口をパクパクさせてれば、「金魚みたい」と笑われた。
「……おっまえ、ほんとに意味わかんねえ何だよ今の!」
「何だよってラムネ奢ってあげたんだしいーじゃん」
「はあああああぁ??意味わかんねー意味わかんねー意味わかんね」
やっぱり俺は酒木玲央という男が分からない。
それでも、酒木と過ごしたこの夏の日のことは、一生忘れることはないんだろうなって。それだけは分かるんだ。
ベイビー・ブルー
title 凍土
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