無題

 ずっと泣き声が聞こえている。幼いひなが泣いている。正確には、記憶の残滓のようなものだろう。他人はおろか、ひなにさえ取り残されてしまった感情が、誰にも言えずに蹲っていた。
 ひなはきっとその子に気付かない。気付きたくないからだ。知ってしまえば二度と立てなくなることをひなは分かっている。しかし、もうすぐ気付いてしまうのだろう。
 ひながベランダから飛び降りる光景が見える。逃げ出したいなら逃げてしまえばいいものを、あの子はしない。できない。俺はただそれを見ているだけしかできないのが、歯痒くて仕方ない。
 ひなには、自分を苦しめる現実を恨んで俺を選んでほしい。しかし、ひなが苦しんでいる姿は見たくない。
 あの子はいつも俺に「何もしてあげられない」と嘆くが、俺の方こそ、何もしてやれない。
 どうするのが最善なんだろうなあ。

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