苺の赤い部分は果実じゃないらしい
いつものお店で一人。美味しいお酒と美味しいつまみに私はうっとり息をつく。やはりこの時間がたまらなく好きだ。店内は喧しくタバコの煙が充満していて、決して身体にいいとは言えない。そんな空間が一番生き返る気がするなんて全くもって変な話だ。
私がお店にきてから半刻ほど経った頃、程よく酔いが回ってきた店内のお客達は話に花を咲かせ、箸が止まる。すると注文が途絶え手が空いたのか、オヤジさんがカウンター越しに私の所まで歩み寄ると困った様子で口を開いた。
「名前ちゃん、最近銀さん見かけたかい?」
唐突且つ意図の分からない問いに私は「え?」と顔を上げた。
銀さんと最後に会ったのは電話で約束を取り付けたあの日。あれから何度かこのお店には通っているが銀さんの姿は見かけていない。そもそも私は銀さんと違って色々なところで飲み歩くタイプではなく、お気に入りの店ができたらそこに通い詰めるタイプなので、この店以外で銀さんと出会す事はほぼ無いに等しい。というか現に今まで一度もない。
週に一、二度しか顔を出さない私より、毎日店に立ってるオヤジさんの方が銀さんを見かける可能性は遥かに高いはず。
「見てないよ」
「そうかい、名前ちゃんも会ってねェか……」
「何かあったの?」
「……いやね、名前ちゃんと一緒に飲んでたのを最後くれェにとんと顔を見せなくなっちまってなァ。どこで何してんのか知らねェがツケも溜まってるってのに。困っちまうよ全く」
口ではそう言いつつも、オヤジさんの表情は困窮というより心配が伺えた。
その日暮らしのような生活を送ってる銀さんの事だ。ついに有り金も食料も尽きてのたれ死んでいる。なんてことがあり得ないと言い切れないのが怖い話だ。そんな懸念が面に出ていたのか、オヤジさんは「何にも知らねェなら良いんだ、不安にさせるような事言って悪かったね」と眉を下げて笑うとお客に呼ばれ、そちらへ向かって行ってしまった。
何もないならそれでいい。けれど何かあったら彼の周りには助けてくれるような人間はいるのだろうか。
彼の周りにいる人間で私が把握しているのは、一緒に万事屋を営んでいる従業員二人と、大家さんくらいだ。まあ身近に三人も居ればのたれ死ぬことはないだろう。と思ったが、そういえば銀さんって給料も家賃も未払いのクズなんだった。
金の切れ目は縁の切れ目とも言うし、銀さんという人間は最悪、見限られても可笑しくない程のクズだ。いっそのたれ死んでる姿がふさわしくすら思えてくる。
なんでそんなクズ野郎が好きなんだろうと思うと同時、心配している自分がいるのも事実で、私は吐きたくなったため息を誤魔化すようにグラスの酒を煽ると「様子でも見に行くか〜……」と一人ごちた。
***
翌日、仕事が休みだった私は万事屋銀ちゃんの看板の目の前にいた。勿論銀さんの生存確認が目的である。以前、酔っ払った銀さんが手渡してきた名刺には彼の名前と住所と電話番号が記載されており、それを頼りにここまで来た。
私は階段を登ると扉横のインターホンを押す。無機質な音の数秒後「はーい、今出まーす!」と明らかに銀さんのものとは違うが、どこか聞き覚えのある声が聞こえた。
ガラリと空いた扉の向こうから顔を覗かせたのは眼鏡をかけた少年だった。銀さんの話によく出てくる新八くんの特徴と一致しており、聞き覚えのあるその声は先日万事屋へ電話したとき、銀さんへ取り次いでくれた声と同じだと気が付いた。
「ご依頼ですか?」
「あ、いえ。私名字名前と申しまして」
「ああ、この間の電話の!」
名乗るだけで思い出してくれた少年は愛想のいい笑顔を浮かべる。こんな好青年が銀さんの元で働いているなんて信じられない。どこか感動にも似た感情を抱きつつ「銀さんいますか?」と尋ねれば、新八くんと思わしき少年は困ったように眉を下げた。
「それが、銀さん今入院してまして……」
「入院?」
予想していなかった返答に思わず口から溢れるようなオウム返ししか出来なかった。
少年は慌てたように「あっ、でもそんな大した怪我じゃないんです!銀さんの入院なんていつものことですから!」と顔の前で手をばたつかせながら取り繕った。「……いつものことなの?」と困惑しつつ聞き返せば少年は乾いた笑いで頬を掻く。彼の腕にもちらほら絆創膏や包帯が袖の間から見え隠れしていた。
「事故とかですか?」
「いえ……、先日の依頼でちょっとテロリストに巻き込まれたと言いますか、テロリストにさせられたと言いますか……」
「……テロリスト?」
「でも本当によくあることなんで、心配しないでください」
「……よくあるの?」
テロに巻き込まれるのがよくあることなんて、万事屋とは私が想像しているより遥かに恐ろしい職業なのかもしれない。
銀さんもあの腰の木刀を振り回したりなどするのだろうか。飲み屋で愚痴をこぼし、酒に溺れて吐き散らかす銀さんとは到底結びつかないその姿を想像してみたが、あの締まりのない顔で木刀を振るってる姿はどうにも格好がつかなかった。
「入院してる病院を教えていただく事とかって出来ますか?」
「病院ですか?」
「お見舞いに行きたいんです」
「ああ!それなら僕、これから着替えとか届けなきゃいけないんですけど一緒にどうですか?」
笑顔で提案してくれた少年の有り難い申し出に頷き、二人で銀さんの入院している病院に向かうことになった。「そういえば僕、名乗ってませんでしたね」と申し訳なさそうに自己紹介してくれた少年はやはり新八くんで間違いなかった。
お見舞いに手ぶらで行くのもどうかと思い、途中買い物をしながら病院へ向かう。お見舞いの品の相場も何もわからない私はお店のおばちゃんの「お見舞いならこれがオススメだよ!」という口車に乗せられ一番高いフルーツ盛り合わせを「じゃあそれ下さい」の一言で購入した。新八くんが目をひん剥いてこちらを見ていたのが少し怖かった。
病院に着くと新八くんは何かを思い出したように「あ」と声を上げた。
「すいません。僕、売店寄ってから行くので先に病室行っててもらえますか?」
「何か忘れ物?一緒に行こうか?」
「いえ、ジャンプ買うだけなんで。銀さんに頼まれてたのすっかり忘れてました。すぐ戻ります!」
そう言うや否や新八くんは逆方面にある売店へ早足で向かってしまった。私はその背中を見送ると、予め聞いていた病室へ一人で向かう。扉横のネームプレートを確認すると少し控えめにノックをし、扉を開いた。
「俺さっき昼飯食ったの!腹一杯なの!もう胃袋に一ミリの隙間もないの!」
「でも銀さん、前に病院食は物足りないって言ってたじゃありませんか」
「しつけーんだよテメェは!いらねーつってんだろ!」
「またそんなこと言って。好き嫌いしたらダメですよ、卵には必要な栄養素が全て入ってるんですからね」
「いやだから栄養素っつーか、毒要素になってんだよ。最早食いもんじゃねェっつってんブバラッッッ!!」
「すいません銀さん、よく聞こえませんでした」
扉を開けると綺麗な女性と銀さんが何か言い合いをしているようだった。会話の内容はよくわからなかったが女性が突然銀さんを殴り飛ばし、その光景に思わずギョッと目を見開いた。殴られた拍子でベッドから仰向けに落ち、逆さまになった銀さんとぱちり、偶然目があった。
「…………名前?!」
「あら?銀さんのお知り合い?」
私と認識するや否や、銀さんは驚いたようにガバリと体を起こした。女性は私の方を見ると綺麗な微笑みを浮かべ、姿勢良く頭を下げた。その姿に釣られるように私も頭を下げる。大分若く見えるが仕草や言葉遣いは私なんかよりとても落ち着いていて、何故か私の背筋まで伸びてしまう。
「おま、なんでここにいんの……?」
「入院してるって聞いたからお見舞いに」
「まあ、銀さんにもお見舞いに来てくださるような人がいたんですね」
「おいお前それどういう意味?」
「言葉のままの意味ですよ。さてと。お客様も来たことですし私はそろそろ帰りますね」
「えっ、そんなお構いなく」
「いいんですいいんです。この腐れ天パの顔も見飽きたところですので」
「誰が腐れ天パだメスゴリラ」
ズドォンとドラ◯ンボールさながらの音と共に銀さんが病院の天井に突き刺さった。あれ……?あの人怪我人だよね……?
銀さんに美しいアッパーを食らわせた女性は「それじゃあ失礼しますね」と綺麗な笑みを浮かべると病室を後にした。すれ違いざまにぺこりと再度お辞儀をしてくれたので私もできる限り笑顔を作り、お辞儀を返したが絶対に引き攣っていた。冷や汗がダラダラと垂れる。絶対上手く笑えてなかった。
女性の退室を確認すると、天井に突き刺さったままの銀さんに歩み寄り、足を引っ張り引っこ抜く。顔には無数の怪我があるがそれが元々の怪我なのか、今出来たものなのかも最早よく分からなかった。
ベッドに腰掛けた銀さんは「やっぱりメスゴリラじゃねーか」と性懲りも無く悪態をついた。
「怪我、大丈夫?」
「それは入院する原因になった怪我のことか?それとも今できた新しいやつ?」
「どっちもかな」
「ったく、入院期間延びたらどうしてくれんだよあの女」
「いててて」と言いながら腰を伸ばして首を鳴らす銀さんは身体中包帯だらけだが、思っていたよりもピンピンしており「元気そうだね」と声をかけると「怪我人にかける言葉じゃねーだろ」と呆れたように息をつかれた。
私はベッドの横にあるパイプ椅子に腰掛けると、手に持っていたフルーツ盛り合わせを銀さんに差し出した。
「はいこれ、お見舞い」
「おー……、悪ィな」
「でも今お腹いっぱいなんだっけ?」
「あ?」
「さっきそう聞こえたから」
「…………あー、まあ。デザートは別腹だろ」
「そう?ならよかった」
フルーツ盛り合わせの入った籠を受け取った銀さんはベッドに備え付けの折りたたみテーブルの上にそれを置いた。その横には病院には似つかわしくない立派な重箱が置いてある。なるほど、先程まで理解できなかった銀さんと女性の会話はこの重箱を巡って起きた言い争いだったのだろう。きっと中には彼女の手作り料理がいっぱい詰まっている。銀さんの周りにはしっかり彼のことを気にかけてくれる人が居ることが、少しだけ寂しくも感じた。
会話が途切れると銀さんは何処か気まずそうに私から目を逸らし、窓の外を見ながら頭を掻いた。まあそれもそうかと、私は座ったばかりのパイプ椅子からよっこらせと腰を上げた。
「んじゃ、帰るね」
「……エッ?……もう帰んの?!エッ?!」
「だって、なんか悪いし」
「いやいやいや怪我人だからってンな気ィ使うこたねェだろ。……ほ、ほら入院生活っつーのも暇でよォ、ただジッとしてると話し相手が欲しかったりなんかしちゃったりするみたいな?」
「や、銀さんじゃなくて」
「……え?」
「彼女さんに悪いし」
「………………は?」
何か勘違いしている銀さんにそう告げれば、銀さんはいつにも増して呆けた顔でこちらを見ていた。私は彼から視線を逸らし、その視線を重箱に向ける。ちょっと馬鹿力みたいだけど、とても綺麗な人だった。甲斐甲斐しく料理まで作ってわざわざお見舞いに来るなんて、銀さんが愛されている証拠なのだろう。
吐きたくなるため息を我慢し、私は口を結んだ。銀さんに好い人が居るなんて知らなかった。居るなら居るって言ってくれればよかったのにと思ったが、言いづらかったのだろう。もしくは私がいつも言い逃げするせいでタイミングが掴めなかっただけかもしれない。
どちらにせよ、もうお見舞いに来るのはよそう。私のせいで二人の仲が拗れるような事があってはならない。けれどまた飲み屋で会う事があれば酒を交わすことくらいは許されるだろうか。
「素敵な人だね、大事にしなよ」
哀愁たっぷりに呟き、銀さんに背を向ける。扉へ足を踏み出そうとしたが、強い力がそれを拒む。銀さんが私の腕を掴んだのだ。
「待て待て待て待てェ!!何勘違いしてんの?!何とんでもない所に着地してんのお前!?」
「別に、隠さなくていいのに」
「何も隠してねーよ!!つーかさっきの光景見てなんでそうなるわけ?!どう見たら素敵な人に見えるわけ?!どう考えても殺しに来てたよね?!見舞いじゃなくて葬りに来てたよねあの女!」
「またそんなこと言って、照れ隠しも大概にしないと嫌われちゃうよ?」
「オイィィイ!!全然通じてねーよ!!全然届いてねーよ俺の声!!頼むから誰か通訳呼んできてェェエ!!」
病院内とは思えない大声で必死に縋り付いてくる銀さんの様子があまりに可笑しい。どうにも会話が噛み合わない。私は「……あれ?」と首を傾げた。
「……もしかして、違った?」
「だから最初からそう言ってんだろーが!!寧ろあの光景目の当たりにしてそんな勘違いすんのお前くらいのもんだからね?!目の前で命狙われてたのにどんな勘違い?!」
「お似合いだったから、つい」
病室に入った時の光景は、手のかかる彼氏に世話焼きの彼女が説教をしている仲睦まじい姿に見えた。喧嘩する程仲が良いとはまさに二人のこと。そう思うくらいに二人はお似合いだった。
素直に思っていたことを口にすれば、先程まで饒舌に喋っていた銀さんが急に口を噤む。私を見るその目はジトッとしており、どこかもの言いたげだ。
「………………お前さァ……」
「なに?」
「…………なんでもねェよ」
何かを言いかけた銀さんは、口を閉ざすと拗ねたように頬杖を突いてそっぽを向いた。私の起こした勘違いが不満な様子は、まるで私にそう思われたくなかったと言っているみたいだった。
私は先ほど立ち上がったばかりのパイプ椅子に再度座り直すと、フルーツ盛りの籠の中を漁る。カラフルなフルーツの中に銀さんが一番好みそうな苺を見つけると、私はそれを手に取った。
「銀さん、私に勘違いされたくなかったの?」
「………………察しがいいのか悪いのかはっきりしてくんない?」
「ってことは今度は当たってるんだ」
ゆっくりこちらを向く視線はやっぱりどこか恨めしそうだ。そんな様子に構うことなく、私は銀さんの口に苺を突っ込んだ。突然のことに「ンア?!」と驚く銀さんを他所に立て続けに苺を詰め込んでいく。銀さんの口がパンパンに膨らみ、何も発せなくなったところでやっと手を止めた。
「でも、勘違いでよかった」
口をモゴモゴさせていたていた銀さんの目が見開かれる。はにかみながらそう告げれば、まるで苺から赤みを吸い上げるかのように銀さんの頬にはみるみる赤くなる。「また真っ赤」と揶揄うように頬を突けば、その顔は勢いよく窓の方へ向いてしまった。