君が俺に火をつけた
今日はオフ。今のところの緊急要請もなく、平和な午前8時。朝食も片付けも済ませ、私は雑誌片手にソファーで寛いでいた。記事に目を通しつつ「ふーん」なんて独り言をこぼし、ぺらりとページをめくる。
すると、玄関の方からガチャガチャドタドタ音がする。テレビもつけてない無音の部屋にはその慌てたような音がやけに響く。思い当たる節がある私は慌てる事もせず、音のする方向をただじっと眺めていた。
バンッと勢いよく玄関とリビングを繋ぐ廊下の扉が開け放たれ、現れたのはこの国のNo.2ヒーロー、ホークス。以前渡した合鍵を使って入ってきたのだろう。
ホークスは私の手元にある雑誌を確認すると絶望したように目を見開いた。
「な、なんでもう持っとると!?」
「うちの
余計なことを。ホークスの顔にはありありとそう書かれていた。
私の手元にあるのは1冊の週刊誌。表紙にはデカデカと「ホークス白昼堂々路チュー写真」の文字。きっと週刊誌の存在を知って直ぐに私の元へ飛ぼうとしたのだろうが、マスコミの対処やらに追われ、来るのが少し遅れたといったところか。そんな邪魔さえ入らなければ、SKが私に雑誌を受け渡すより速く、私の元へ来れたというのに。
視線をホークスから雑誌に戻すと、パラパラとページを捲り、ホークスのことが書かれている記事のページを開いた。お相手は最近人気の実力派女優。
この女優はここ最近元ファンがアンチへ寝返り、どんな逆恨みを勝ったのか、過激な誹謗中傷や殺害予告を受けており、身の回りの護衛をホークスヒーロー事務所に依頼していた。
初め、ホークスは自身のSKを派遣させるつもりでいたが、本人からの指名があり、断ることも出来ず、ホークス自ら彼女の周りの警備をしていた。
ヒーローってのは根本が奉仕活動、例に漏れず、ホークスも頼られたら断れないお人好しなのだ。
なぜそこまで知ってるって、聞いてもないのにホークスのSK達が教えてくれるのだ。
週刊誌に写真は2枚掲載されていた。1枚は2人がにこやかに会話をしている様子。もう1枚は見出しにもあるように路チュー写真。女はカメラに背を向けていて、ホークスが少し屈み、キスをしている。ようにみえる。
路チュー写真の一枚のみだったなら、女が人気女優であると断言できないが、2人が会話を楽しむ写真も撮られているため、言い逃れはできない。
…なんともまぁ、強かな。
雑誌の中の女を睨むように目を細めるとホークスが息を呑むのを感じた。その直後、ダンっと音を立ててフローリングに蹲る。突然のことにビクりと微かに肩が震えた。
「嫌ばい…!別れとうなか…!」
「…飛躍しすぎ、私まだ何も言ってないよ」
出来るだけ優しい口調でそう紡いだが、蹲ったホークスはまるで殻に籠る貝みたいに個性の剛翼で自身を包み込んだ。その背はプルプルと微かに震えていて、この国のNo.2ヒーローとは思えない情けない姿に思わずため息と一緒に笑みが溢れた。
私が怒って別れ話を持ち出してくると思い込み、羽根に篭ってしまったホークスにはため息しか伝わらないだろうけど。
私とホークス…もとい啓悟は、2人共ヒーロー活動をしており、1年程前から交際している。
交際の事実を知っているのはお互いのSKと一部の関係者、そして友人数名。世間には公表していない。しないでおこうと言い出したのは私だ。
ヒーローは人気商売みたいな所があるし、何よりホークスの支持者は10代20代の若い女性が多い。結婚するならともかく、わざわざ公表して世を騒がせるのも、その後のマスコミの取材も、世間の冷やかしも、ホークスファンから受ける冷たい視線も、公表した場合におこる得る色々を考えた結果、“めんどくさい“が勝ってしまっただけの話だ。
私はソファーから立ち上がるとうずくまる啓悟の元に腰を下ろし、優しくその羽根に触れた。
「啓悟、私別に怒ってないよ。気にしてない」
「それはそれで嫌なんスけど!」
「めんどくさいな」
バッと顔を上げた啓悟は複雑そうな顔をしている。濡れ衣の週刊誌が原因で別れ話に発展するのは勿論嫌だけど、私がそれに無関心なのも交際相手としては素直によかったと胸を撫で下ろすこともできないのだろう。
「じゃあ1ついい?」
「なんなりと」
「不注意でこんな写真撮られるなんて、ヒーローとして注意力足りてないんじゃない?」
「それについては返す言葉も……ってそうなんだけどそうじゃなくてですね!」
「もっと気を引き締めてNo.2としての自覚を」
「あああもう!ヒーローとしての説教は後で聞きますから彼女として俺に言っときたいこと、ほら、こう、色々、あるでしょう!?」
「ないよ」
「ないの!?」
驚き一色に染まった啓悟の顔がゆるゆると悲しみの表情へと変化していく。「ないんだ……」と改めて呟くとズーンなんて効果音がつきそうなほどわかりやすく落ち込んだ。
写真を突きつけられた側の私じゃなく、なんで撮られた側の啓悟の方が不安そうなのか、全くもって不可解な話だ。
そういうことをする人ではないと信じてることの何が不満なのか。
私は一度ソファに戻ると置きっぱなしにされたスマホを手に取り、啓悟の元へ戻った。
「この女優、少し前に映画で共演してた俳優とも撮られてるの。知ってた?」
「…へ?」
啓悟が項垂れていた頭を上げ、私をみる。
「それに、見てここ」
慣れた手つきでスマホを操作し、その女優と俳優が撮られたネットニュースの記事を開く。数枚の写真が並べられている中の一枚をタップすると、自分の持っている雑誌とその記事を比較するように二つ並べた。
「カメラマンの名前も記者の名前も一緒」
啓悟は相変わらずポカンと呆けた顔で私の話を聞いている。私の言わんとすることを図り兼ねているのか、それとも分かった上で大人しく聞いているのか。口を開く様子がないのをいいことに、私はさらに言葉を続けた。
「疑ったわけじゃない、けど本当は少しムカついたんだよ」
啓悟の目が僅かに瞠った。つい先程までなんでもないように振る舞っていた私の口から紡がれた私の本心は、彼にとって想定外だったのだろう。
「でも啓悟だってこの記事は不本意だろうし、八つ当たりするのはなんか違うと思って、飲み込んだ。…でも消化しきれなくて、この女がどういう女なのか少し調べた」
調べたと言ってもスマホで彼女の名前を入力し、彼女のSNSや出てくる過去のスキャンダル記事を読み漁り、その傾向を考察した程度。それだけでも女の人となりは十分読み取れた。
確かに美人だし女優としての実力も本当にあるのだろう。けれどそれ以上に承認欲求の塊のような女だと思った。世間が自分に注目さえしてくれれば、それが良い噂であろうと悪い噂であろうと構わない。そんな人に見えた。
以前すっぱ抜かれた俳優も、彼女との交際関係も撮られた写真についても全否定しているのに、この女は曖昧な表情でのらりくらりと報道を交わし、ノーコメントを貫いていた。それを見た時全てを察した。この女は啓悟に興味があるわけではなく、No.2ヒーローとのスキャンダルが欲しかっただけなのだと。
それに気付いた時点で私の怒りはすっかり引いていた。寧ろこんな女に巻き込まれた啓悟を哀れだとすら思った。だからこそ、全く気にしてません。あなたを信じていますよ、ってスタンスを貫いて、いい女でいたかったけれど。
「その結果、啓悟がそんなことするひとじゃないって、再認識しただけだった」
「……無理」
「え」
啓悟から紡がれた言葉の意味がわからず、今度は私が呆けた顔をすれば、啓悟は両手で自分の顔を覆って後ろへ倒れていった。
「……いい女すぎて俺には勿体なか〜」
手の隙間から覗く顔が赤いことから、ただ照れているだけなのだろう。感情表現豊かだなぁと笑みをこぼすとガバリと起き上がった啓悟が、その勢いのまま私へ抱きついた。突然のことで支えきれなかった私は啓悟ごと後ろに倒れるけど、剛翼で支えてくれたため痛みはない。
「び、っくりしたー…」
「俺もう貴女が嫌だって泣き喚いても手放せる自信ないです」
「え、こわ…」
「だから、絶対、後悔させません」
しれっと怖いことを言われたが、真剣な声と共に抱きしめられる腕に力が入れられると何も言えなくなる。緩む口元を隠すように彼の肩口に顔を埋めた。
「…期待しとく」
その後、啓悟は私にちゅ、と軽いキスを送ると上機嫌にベランダから去っていった。目立つから玄関から出入りしてと言っているのに、全く仕方のない男だ。そう思いつつも注意しなかった私も大概彼に甘い。
暫くして、私はなんとはなしにテレビをつけた。
映し出されたのはつい先程まで我が家にいたNo.2ヒーロー、ホークス。いつものヒーローインタビューかなと思い、画面の右上に表示されている字を目にし、ピシと体が硬直した。
表示されているのは私のヒーロー名とホークスの名前、そして『結婚秒読み』の文字。
「いやー、本当は彼女にまだ公表は控えておきたいって言われてたんスけどね、今回みたいな根も葉もない噂が出回っちゃうくらいなら事実で上塗りしといたほうがいいでしょ?ほら、不安にさせたくないじゃないですか。…え?結婚?そりゃ視野に入れてない相手との交際宣言なんかわざわざしませんよ!つことで視聴者の皆さーん、拡散よろしくー」
ホークスがひらひらとカメラに向かって手を振った。
…あぁ頭痛い。