ありふれた願いのひとつ



「これ、書いてください。今すぐ」

怒気を帯びた声で、俺の目の前には封筒を突きつけるスーツ姿の女性。彼女の顳顬にはひとつ、青筋が浮かんでいた。
あらら怒らせちゃったなぁ。そう思いながらも俺は笑顔を貼り付け、彼女の怒りをまるで煽るかのように、とぼけたフリをする。

「なんですか?これ」
「短冊です」
「ああ!そういえばもうそんな季節ですね、すっかり忘れてました」

まるで、今の今まで気付きませんでした、とでも言う様に掌を打った。
彼女が差し出している封筒の中身はおそらく数枚の短冊。それと、ひどく回りくどい言い回しで書かれる、七夕イベントの詳細が入っている。去年も一昨年も見たその書類を想像するのは容易かった。

世間はもうすぐ七夕。ヒーローとは全く関連がなさそうに思えるが、ヒーロー公安委員会は、織姫と彦星、2人の逢瀬を祝う祭りから、いつしか自らの願いを短冊にしたためるよう風変わりしたこの伝統を、世の平和を願うのにうってつけだと目をつけた。

全国各地で行われる七夕祭り。多くの出店が立ち並ぶ祭りの中心には、決まって一際大きな笹が立てられ、そこにはヒーロー自らが書いた、色とりどりの短冊を飾った。
この国を守るヒーローたちの願い。印刷といえど、直筆とあれば一目みたいヒーローファンは多かった。
推しと称するヒーローの短冊と写真を撮る者や、近くに用意された一般向けの短冊に願いを込め、これまた一般向けに用意された笹へ短冊を飾る人等で、祭りは例年以上の盛り上がりを見せ、愛されること十数年。今となってはヒーロー達にとっても恒例行事となっていた。

「わざわざすみません、送ってくれればよかったのに」

東京からわざわざ福岡まで赴き、封筒を届けてくれた彼女からそれを受け取った。中身を確認すれば想定通り、失敗してもいい様にと入れられた数枚の短冊と、長ったらしい文章が目に止まる。イベント内容の書かれた書類に目を通すふりをして適当に上から下まで目で追った。

「……送りましたよ」

ピキ。また彼女の顳顬に青筋が増えた。

「電話も、何度も何度もしました」
「あれーそうでしたっけ」
「……私になんの恨みが」
「やだなぁ、忙しいだけですよ」

嘘だけど。そんな言葉を付け足したら彼女はプリプリ怒りながら東京へ帰ってしまうだろう。そんな後ろ姿を想像してそれはそれで可愛いなと思いつつも、嫌われるのは本意ではないので黙っておく。

本当は、公安から届いた封筒の存在には随分前から気づいていた。実は中身の確認もしっかり済ませていたのだけれど、担当者の欄に目が止まると、俺はその封筒を見なかったことにした。
普段なら舞い上がりそうなほどに嬉しい彼女の名前が表示された電話にも、気付かないふりをした。
彼女からすればたまったもんじゃないだろう。ただでさえ公安は忙しいのに仕事を増やされているのだから。
けれど、そうやって酷いヒーローを演じていれば、あなたがこうやって俺の元に足を運んでくれる事を俺は知っていたから。

短冊を1枚取り出し、ソファに腰掛けると彼女も向かいのソファに腰を下ろした。早くしてと訴えかけてくるその眼差しに、俺はまたしても気付かないふりをして、焦らす様にペンを回し、弄ぶ。

「うーん」
「はやく書いてください。短冊それ回収したら私の今日の仕事は終わるんです」
「じゃあたーっぷり時間かけて考えないと」
「……」
「冗談ですって」

無言で睨みつけてくる彼女にへらへらと笑い返せば、彼女は大きなため息を溢した。深くソファに腰掛け、俺が短冊に書き終えるのを大人しく待つことにしたらしい。

「名前さんはなんて書くんですか?」
「私?私はヒーローじゃないので書きませんよ」
「いやいや例えばの話ですよ」

彼女は「ねがいごと…」と小さく呟くと、顎に手を当て思案し出す。真剣に考えてくれているようで、眉間には僅かに皺がよっていた。ただの世間話だったのに。それでも真面目に考えてくれるその姿に愛しさが込み上げる。
俺は彼女が自分を見てないのをいいことに、緩む口元を隠すこともなく彼女を見つめ、その唇が開くのを待った。

「……美味しいご飯がお腹いっぱい食べられますように」
「ぶはっ、なんですかそれ!」
「……うるさいな、笑わなくてもいいでしょう」

照れた様に頬を染め、睨みつけてくる彼女の誤解を解く様に両手を振った。

「馬鹿にしたわけじゃないですよ!ただ平和的で、素敵なお願いだなーって思っただけです」
「……胡散臭いですよ、ホークス」
「心外だなぁ」

眉を下げて笑顔をこぼす。俺は机に置かれたままの短冊に向き直り、ペンを握ると先程とは打って変わり、スラスラと文字を綴った。

「じゃそのお願い、頂きますね」
「え?ちょっ、ちゃんと考えてくださいよ!」
「いいじゃないですか、どうせ他の人も大したこと書いてないでしょ」
「なんてこと言うんですか。少なくともオールマイトはちゃんと書いてくれましたよ」
「なんてお願いです?」
「世界が笑顔で溢れますように」
「彼らしいですね」

書き終えた短冊を、噛み締める様に心の中で読み返した。それをひっくり返して彼女の方に向ければ、ぺらりと短冊が音を立てる。

「それで言えば俺の願いも、俺らしくないですか?」

きっとこの短冊を見た人達は、俺らしいだとか、またふざけてるだとか、好き勝手感想を抱くのだろう。けれど、俺と彼女だけが知っている。これは俺の願いなどではなく、その願いを紡いだのは彼女だということを。そう考えるだけで腹の底からむくむくと優越感の様な何かが俺の中を支配する。
彼女は諦めた様に息をつくと、俺の手から短冊を受け取った。

「まあいいです。ホークスのファンはこういう変な願いでも喜びそうですし」
「変て、名前さんの願いですよ」
「人の願いを書くこと自体が変だって言ってるんです」

でもそれを見た人がその事実に気づくことはない。だから彼女もそれを承知の上で受け取った。それがどうしようもなく俺の心を擽った。

「じゃあ、私はこれで」

短冊を丁寧に仕舞い込むと、彼女はソファから立ち上がる。踵を返そうとするその姿を呼び止めると、彼女の瞳が再び俺を捉えた。
いつの間にか怒気はすっかりなりを潜めていて、彼女は不思議そうに首を傾げた。

「東京には今日帰るんですか?」
「? いえ、今日は駅前のホテルに泊まります。明日の朝イチに帰る予定ですけど…」
「それなら、今晩一緒にどうですか」

僅かに彼女の目が見開かれる。
きっと食いしん坊の彼女のことだ。せっかく福岡まで来たのであれば美味しいものを食べたいと思っているはず。こっちに着いてからその事ばかり考えていたせいで、先ほどの願いが口をついて出たのだろう。
そしてここは俺の活動地区。地元のことは地元の人間に聞いた方がいいに決まっている。

「美味しいご飯、お腹いーっぱい奢りますよ」

照れくさそうに、そしてどこか不満そうに口をへの字にしながらも、楽しみを押し殺せない様子で彼女はこくりと頷いた。その姿に、俺の胸の中はたった一つの感情で支配されていく。

星に願って、願いが叶うなんて俺は思わない。
だから、俺は星になんて祈るつもりはないけれど、目の前の彼女の願いが、叶えられるものなのであれば。
それは、俺が叶えてあげたいと思うから。