幸福と後悔


学パロ


開いた窓から風が吹き込む。空気は冷たく、前日まで暑いだなんだと騒いでいたのが嘘かのように季節は冬へと移り変わろうとしている。まだ秋なのに随分と冷え込んでいるように感じるが、大抵は昼間の暖かな日差しを受けているからで、日の暮れた放課後の空気はもうしっかりと秋の気候だ。


部活終わり、明日が提出期限のプリントを教室に忘れた事を思い出して慌てて教室へと踏み入れた。そこには健やかに眠る想い人。どきり、と胸が高鳴る。ゆっくり、音を立てないように自分の席へと向かい机の中で少しよれてしまったプリントを取り出して気持ちばかり紙を伸ばす。ふとデジタルの腕時計を見れば下校時間はすぐそこに迫っていて眠っている彼女を起こさなくてはならない事に気がつく。隣に一つ、前に二つ。そこが彼女の席。授業中はその後ろ姿と横顔につい見惚れてしまうからこの席は俺にとって案外一番良い席だったのかもしれない。隣になれたら良いとは思うけれどきっとろくに話せないし、自分が前の席にでもなったら彼女の視界に入るからきっと無駄に見栄を張って背筋なんか伸ばすんだろうな、なんて。

そっと側面から覗き込むとさらさらとしたミディアムロングの髪の隙間から寝顔が見えた。きめ細やかな白い肌が黒い髪と絶妙に合っていて触れたい衝動に駆られてしまう。このまま目を覚ましたら彼女はどう思うんだろうか。ぼんやりとそんな事を考えていたが下校時刻はすぐそこだ。兎も角、彼女を起こさなくてはならない。一度深く深呼吸してからその華奢な肩をとん、と軽く叩いた。


「時雨、下校時間。」
「んん…とうど、くん?」
「うん、俺。そろそろ帰らないと怒られるよ。」

長い睫毛が震えて薄くその目が開かれる。綺麗な桃色はぼんやりと空虚を見つめていて目の前で軽く手を振るとその動きを追うように彼女の視線が僅かに動く。艶っぽい唇が動いて少しだけ掠れた声で名を呼ばれるとなんだか妙にドキドキしてしまうから困ったもので。内心、心臓が出そうなくらい動揺しているけれどそれを表に出したくはなくて必死に冷静を装っておく。時雨は体を動かして一度腕の中に顔を埋めてしまう。まだ眠気が覚め切っていないのか。もう少し寝かせてあげたいけれど鍵を閉められてしまっては困るし何とか起きて貰わなくてはならない。

「しーぐれ。」
「う…おきる、」

枕にしていた自分の腕にぐりぐりと額を擦り付けて緩慢な動きで起き上がる。まだ遠くにある意識を必死に戻そうと奮闘する彼女の少し癖になった前髪が可愛くてつい触れてしまった。時雨はその瞬間勢い良く目を開いて肩を跳ねさせて前髪を抑えた。

「あ、ご、ごめん!」
「え、あ…こっちこそごめん、びっくり、しちゃって…。」

頬を真っ赤にして前髪に触れる時雨に少しだけ期待してしまう。ただ、男子に対してはいつも少し緊張したような様子だから俺だから、という訳ではなさそうだ。期待と落胆が交互に頭を占めるから左之さんが前に言ってた「恋心ってのは一人じゃ持て余すんだよ。」って言葉が頭にこびりつく。左之さんは雪那さんっていう恋人が出来てから馬鹿みたいに変わった。2人の纏う空気は…なんというか、大人っぽい。色気みたいなのがあるからだと思うけど絵になる2人はお互いしか見えていないって感じでちょっとだけ憧れる。俺も時雨とそんな風になれるかな…いや、まず告白する勇気もない俺には程遠い気もするけど。色んな考えから滲み出た苦笑に時雨は慌てて違うんだと繰り返す。

「ちが、その…前髪、変なとこ…見られちゃって恥ずかしく、て…。」

小さくなる語尾と真っ赤になった顔は惚れてる事を差し引いても絶対に可愛い。きゅん、と胸が高鳴っていつもより可愛く見えてしまう。元々可愛いけど!

「気にしてないからさ。立てる?」
「立てるもん…。」


拗ねたように唇を尖らせて椅子を引き立ち上がる。俺も大きくないけれど時雨と並ぶと案外良い身長差になったりする。肩より少し高いくらいの頭の位置、約15cmの身長差。そんな事にまで意識が向いてしまうのだから案外女々しい、のかもしれない。

「じゃ、帰ろうか。」
「そうだね、帰ろう。」


鞄を肩に掛けたタイミングを見計らって声を掛けて一緒に教室を出る。外はもう暗くなっていて女の子一人で帰すのは流石にまずい時間だ。時雨んちどの辺?なんてさり気なく聞くとどうやら家は徒歩圏内のようだ。駅に行くには少し遠回りだけどそんな事は気にならない。好きな子と少しでも長く居られるのならおつりが来るくらいだし。なんて思って、ふと気が付いた。……帰り、二人きりじゃん。

気が付いてしまうとソワソワしてしまいそうになる。それを必死に堪えながら適当に話題を振り合って、下駄箱で靴を履き替える。盗み見たローファーはやっぱり小さくて彼女らしいと思った。自分のスニーカーをやや適当に履いて二人でまた歩き出す。話題は部活の話だったり、今日返却されたばかりの小テストだったり…本当に当たり障りのない会話ばかりだったけれど時雨と話してるってだけで気持ちが満たされていく気がする。それに、些細な表情の変化も見逃したくなくて時雨の方を見て歩いてしまう。


「そういえば藤堂くんって…、」
「ん?」
「……その、私と帰ってて平気なの?彼女さんに怒られない?」
「は?!彼女?!」
「あ、えと…彼女いるって…噂があって、雪村さんだっけ?」
「違う違う!あいつとはただの同中!俺好きなヤツ居るし!」

何故その名前が出てきたのかわからないけれど流石に好きな相手に勘違いされたままではいたくない。だけど俺の反応が必死だったせいか時雨は逆に噂を信じてしまいそうで思わずぽろり、と本音が漏れた。しまった、と思った時には時すでに遅し。時雨の目が好奇心の色を灯してしまい、慌てて話題を逸らす。

「そ、れより!時雨こそ俺と帰ってて平気なの?彼氏…とか。」
「へ?…えっと、彼氏は、居ないから…。」

口籠る時雨の顔は薄っすらと赤く染まって居て、彼氏は居ないけれど好きなヤツは居るんじゃないかって考えてしまう。時雨と良く話してるヤツって誰だよ…!思考を働かせるけれどコイツかなってヤツは出てこない。もしかしたら、なんて希望を託すには俺達は仲良くもないし実際、そんなに話すことは無い。一緒に帰るのだって今日が初めてなくらいだし。じゃあもう、聞いてみるか。

「……好きなヤツ、はいんの?」
「居る、よ?」
「うちのクラス?」
「っ、藤堂くんこそ!うちのクラスの子なの?」

うわ、これうちのクラスじゃん。なんて確信を得てしまう。確率が上がったような、下がったような。なんて思ってる間に話がすり替えられてしまう。どうしたら良いのかわからずにあー、とか誤魔化してると向こうもうちのクラスだと確信したらしい。知りたいと思うけれど同じくらい突かれたら困る。お互い何となく会話が止まってしまい、ただ歩幅を合わせて歩く。どちらかともなく少し歩く速度がゆっくりになって、もう少しなんて思ってしまう。気不味い筈なのに一緒に居たくて、帰るのが勿体ない。

「藤堂くんは、好きな子に告白とかしないの?」
「…したい、けど困らせたく、ないし。」
「困ったりしないよ。藤堂くんってさ、クラスでムードメーカーみたいな存在で、藤堂くんが居るだけで教室が明るくなるから…そんな人に告白されて嬉しくない人、居ないと思う。」


ぽつりぽつりと呟かれた言葉に顔が一気に熱を持ったのが自分でも分かった。それって、俺が告白しても時雨は困らないのかな。でも同時に背中を押されて居るって事は可能性がないのか、全く分からない。でも時雨の耳が赤くて、恥ずかしいからなのかちょっと潤んだ目が愛おしくて。思わずその細い手首を掴んでしまった。戸惑う時雨に何を言っていいか分からない。けど、きっと言うなら今だ。振られたら…左之さんとぱっつぁんに慰めて貰おう。

「…俺、時雨が好きだよ。」
「えっ…?」
「好きだから…俺と、付き合ってくれませんか?」


時雨は目線を左右に振ってえ、え?と混乱しているようだった。やっぱり困らせた…いやでも、今言わないとずっと言えなかったと思うから後悔はしていない。例え気不味くなったとしても俺と時雨はそんなに接点がないから他から見ても別に違和感も生まれないだろう。あと数ヶ月もすればクラス替えもあるし…。

「…その、私で…良いの?」
「へ?!」

真っ赤になった顔で呟かれた声は泣きそうなくらい震えていて思わず声がひっくり返る。時雨の目はさっきより潤んでいて今にも涙が溢れそう。混乱して時雨の手首を掴む手の力が緩み、そのまま時雨の小さな手が俺の豆だらけの手を包むように両手で握られた。

「私、ずっと…藤堂くんが、好きでした。付き合って、くれますか。」
「っ、付き合ってくれるの?俺で良いの?」
「藤堂くんが、いいよぉ…!」

ついにぽろりと涙が溢れたのを見て考えるより先に体が動いて小さな体を抱き締めた。片手は時雨が握ったままだから凄く不恰好な抱き締め方だったけど、でも俺の腕の中に収まる小さな体が震えて居て、居ても立っても居られなかった。一生懸命伝えてくれた言葉が愛しくて、可愛くて。抱き締めても拒絶されない事が嬉しくて。俺まで涙が出そうになる。恋心は一人じゃ持て余す。俺が持て余していたように時雨も抱え切れずに居たのだろうか。そんな風に考えると胸の奥の方が握り潰されるみたいにぎゅうってした。

「好きだ、好きだよ時雨。」
「私も、好きだよう…!」


いつのまにか手は解けて居てお互い両手で隙間なくぎゅうぎゅうに抱き合っていた。少しして、時雨の泣き声が止まったところでゆっくり離れる。ぎこちなくなったけど時雨の涙を親指で拭う。時雨は子供みたいに笑ってくれた。可愛すぎ…!内心身悶えてたけどそろそろ時雨を家に送らなきゃ。お互い恐る恐る指先を絡めて手を繋いで歩き出した。

「あのさ、藤堂くんって辞めない?…付き合ってん、だし…。」
「え、っと…じゃあ、平ちゃん?」
「ん、それいいな!」

どうしよう。グッときた。彼女にあだ名で呼ばれるってこんなにトキめくものなんだな…!それに、他の人から呼ばれない名前ってなんか特別って感じがしてすげぇ嬉しい。俺達の関係が特別なんだって分かってドキドキした。俺も…呼びたかった名前があるんだよね。中々呼べずに居ると時雨がぐいっと腕を引く。

「平ちゃんも、時雨、やだ。」
「……なっこ、って…呼んでいい?」
「!…うん、なっこがいい。」


ふにゃふにゃと笑う彼女の愛しさと可愛さは多分一発KO出来る。そんくらい可愛くて、他の人には見せたくないなって思ってしまった。独占欲とか嫉妬とかあんま男らしくない感じがして嫌なんだけど、ある程度はきっと仕方ない。そんだけ好きなんだよなあ…。何となく呼びたくなって会話の節々で名前を呼んでしまったのは許して欲しい。そんなこんなをしていたらあっという間に時雨…じゃなくて、なっこの家に着いてしまった。

「送ってくれてありがとう、…平ちゃん。」
「気にすんなって。じゃあ…明日学校で。」
「また、明日。お休みなさい。」
「お休み、なっこ。」


手を振って駅までの道程を歩き出す。冷たい風が火照った体には丁度良い。何度か振り返ってはなっこに手を振って、見えなくなってから携帯を開いて左之さんとぱっつぁんの居るグループLINEに彼女出来た!と連絡を入れておいた。携帯を閉じて思い切り体を伸ばす。息を思い切り吸い込んで、吐ききってから大きくガッツポーズをした。本当は叫びたいくらいだったけどそこは我慢。此処住宅街だし。ピコン、ピコンと通知が止まない携帯を開いてイヤホンを刺した。流れてきた音楽のアップテンポなラブソングにただひたすらに緩む頬を抑えた。



『彼女出来た!』
『は?』
『おー、やっとオトしたのか。おめっとさん。』
『左之知ってたのかよ!!』
『これからは持て余さないからな!』


「……あ、俺なっこの連絡先知らないじゃん…。」

大きな幸福と一つの後悔を残して、そして今日が終わる。



タルト有馬す。