代わりのない幸福


特殊設定




"今日の仕事何時に終わる?"

一通のメッセージは簡素な内容で、向こうも隙間時間だったのかな、なんて考えながら画面の上に指先を滑らせ予定時刻を伝えるとすぐに返信が届く。こういう風に聞いて来るのだから今日会えるかの確認だろう。予想通り今日行ってもいいか、と画面に表示されてOKと書かれたスタンプを一つ。堅はどうやらもう仕事は終えたらしく、一度家に戻って支度をするとのこと。必要な買い物があるか、なんてメッセージについ笑みが零れる。こういう気遣いが上手いというかなんというか、本人は自覚していないんだろうけど。当たり前だろうって顔をして首を傾げる堅が想像に容易い。明日の朝食用の牛乳と食パン、そんなもんか。フレンチトーストでも作ってあげようかなぁ、なんて考えながら二つを頼むとまた簡素な返事。飲むなら好きなお酒買ってきなと打ち込んでから少し悩み、なるべく早めに帰るね、と付け足し送信して端末を鞄に入れる。鞄ごとマネージャーに手渡して私を呼ぶ声の方向へと足を進めた。


20時、無事仕事を終えて着替えを済ませて端末を開くと堅から終わったら電話しろとのメッセージが一つ。すれ違うキャストやスタッフにお疲れ様ですとだけ声を掛けてホールを抜け、外に出てから堅へと電話を掛ける。3コールもすれば繋がって、堅の声。

「終わったよ。」
「おー、そのまま駐輪場来て。」
「え、迎え来てくれたの?」
「おう。」
「急いで行くわ。」

電話を切って足早に駐輪場へと向かう。コンクリートとぶつかってヒールが鳴るのが少しだけ煩い。最近擦れ違うかのように忙しかったから、会うのは久しぶりな気がする。お互いの負担を考えて電話とかもしてなかったから、堅の声聞くのも久しぶりだったかも。切っちゃったの勿体なかったかな、なんて思うけれど今から会えるのだから気にするような事でもないか。ごっついバイクに寄りかかって携帯を弄る長身を見付けて駆け寄るようにすればヒールの音で気が付いた堅が端末をジャケットの内ポケットにしまって片手を上げる。

「お疲れさん。」
「堅もお疲れ、迎えありがとね。」
「暇だったし気にすんな。」
「ていうか合鍵渡してるんだから家で待ってて良かったのに。」
「オレが早く会いたかったからいんだよ。ほら、帰んぞ。」

ぽい、と私用に用意されたヘルメットを渡されてそのまま鞄を回収される。メットインに収納されるのだろう。家に帰るだけだから髪型が崩れても問題ないだろうし、そのまま被って先にバイクに跨った堅の後ろへと乗り込む。腰の辺りに腕を回せば低いエンジン音が響いて、そのまま緩やかに発進する。ここから自宅までバイクで二、三十分くらいかな。エンジン音で会話は掻き消されてしまうだろうからいつもこの時はあんまり話をしない。その分、腹に回した腕を少し強くする。流石に心臓の音とかは聞こえないけど、なんだか安心するんだよね。この時間は案外好き。ヘルメットがなければもっといいんだけど。


そんな取り留めのない事を考えていたらいつの間にか家に着いていた。堅が使うからと契約した駐輪場へとバイクを停めて降りる。そのままヘルメットを鞄ごと持ってオートロックを抜けてエレベーターへと乗り込み、ぽつぽつと会話しながらだとあっという間に私の部屋。鍵を開けて二人で玄関へ入り、堅が後ろ手に鍵を締めた音がしてヘルメットを玄関先に置いてからそのままリビングへ。電気を付けて鞄をソファへ投げるように放って堅の方を見る。

「よし、ご飯作っちゃうわ。」
「なんか手伝うか?」
「平気だって、簡単な物だし。」
「あー…わかった。」
「あ、先にお風呂入ってきちゃえば?」
「そーするわ。」

風呂場に向かう堅の背中を見送ってから時計へと視線を向ければ20:40。時間的にもゆっくりしていられないし、さっさと作っちゃおう。髪を高めの位置で簡単な団子にして冷蔵庫を開いて有り合わせの物で調理を開始。鶏もも肉とアスパラ…あ、ネギ。とりあえずメインはこれでいいか。あと堅は自覚してなさそうだけど味噌汁が好きだから、じゃがいもと玉ねぎの味噌汁。副菜どうしよう、なんて考えながらとりあえずアスパラの下の硬い部分を切り落として軽く皮を剥いて斜めに切る。ネギも同じような切り方でいいか。これなんて切り方だっけな。玉ねぎは少し厚めにスライス、じゃがいもは乱切りでいいや。冷蔵庫で保存していた出汁を鍋に入れてそこにじゃがいもを入れて、と。フライパンに油をひいてアスパラとネギを入れて軽く炒めておく。丁度今朝切らした牛乳パックを開いてまな板の上に置いてその上に鶏肉を乗せる、こうするとまな板洗うの楽。フライパンの中が焦げる前に急いで一口大に切って塩を軽く振って揉みこみフライパンの真ん中にスペースを用意、両面に焼き色が付くまで焼く。沸騰し始める前に半分存在を忘れていた玉ねぎを入れて…あ、冷凍庫に油揚げ切ったやつあるわ。ついでに入れておくか。これで鍋はある程度放っておいて大丈夫かな。隣のフライパンに戻る。火が通っていそうだから醤油と砂糖と、あと生姜か。少し火を弱めて煮詰めている間に鍋へ。ちょっと忙しいけど学生時代の作り置きの時よりは楽かと言い聞かせる。具材の様子が大丈夫そうだから一旦火を止めて味噌を溶く。副菜は…あ、ナムルにするか。野菜室からモヤシとほうれん草を取ってざっと洗う。ほうれん草を適当な大きさに切ってモヤシと纏めてボウルに入れそのままレンジにお任せ。メインも汁物も後は温めるだけだからどっちも火を止めて適当なボウルに砂糖と醤油、鶏ガラスープの素と胡麻油を混ぜたら後はレンジ待ち。

一息、と息を吐けば後ろから急に腕が伸びて来て逞しい体がピッタリと背中に押し付けられた。風呂上がりだから普段よりも熱い、後ろを覗き込むと下ろした髪はまだ水滴を含んでいるのが気になるけれど久々に見たなぁってそっちの方が思考を占める。

「腹減った。」
「もうすぐ出来るよ。」
「晩メシなに?」
「炒め物とナムルと味噌汁。あと昨日作った蕪の漬物?」
「美味そう。」
「ほーら、髪乾かして来なさい。」


んー、なんて生返事が返って来たが堅の手は私のお腹に回ったまま。ちゅ、と軽いリップ音を鳴らして項に唇が押し付けられて背中がゾワゾワして身を震わせると機嫌良さそうに笑って何度も口付けが落とされる。小さく跳ねる体は抱き込まれて動けないし、どうしたものか。首ごと振り向くと双眸を細めた堅と視線が交わって、そのまま唇を重ねる。軽く触れ合わせているだけなのにそんな気分になりそうで口は開かないようにと務めるけどそんなことは関係ないとばかりに肉厚な舌が唇を撫でて、開けと促して来るから困った。堅の手が体のラインを辿るように撫でて、口を開きかけた、瞬間。チーン、と間抜けな音。レンジが仕事を終えたらしい。掌を重ねて唇を離し、見上げると物足りなさを覚えているだろう顔。やめて、その顔は甘やかしたくなる。なんとか堪えるけど。

「ご飯、食べないの?」
「……クソ、タイミング悪ィ。」
「ほーら、もう出来るから。」
「へいへい。」

解放されたのでレンジの中身を取り出す。軽く水気を絞ってから作ってあった調味液入りのボウルに中身を移し、軽く混ぜる。胡麻忘れてた、入れとこ。忘れられていたコンロたちの火を付けてどちらも軽く温めてそれぞれを器に盛って、と。

「堅、ご飯どれくらい…ってなにしてんの?」
「メシ作ってるとこ見てた。手伝う。」
「髪乾かせっての…じゃあご飯よろしく。私少なめで。」
「ん、了解。」

ご飯は堅に任せて大皿やら汁椀やらを机に並べていく。箸置きに箸を置いて、あとはお茶か。お土産と一虎に貰ったペアグラスを手に取り冷蔵庫から水出しのお茶を取ってダイニングテーブルへ。堅の茶碗が相変わらずの大盛りなのに思わず笑ってしまった。多分これ、私の分と合わせて三人前くらいあるわ。二人で向かい合って椅子に腰を下ろして両手を合わせる。

「いただきます。」

揃った声にまた笑いそうになったけどこれは…嬉しいからかな、わからないけど。真っ先にお椀に伸びた手、一番最初に味噌汁飲むの、癖なんだろうな。箸で鶏肉とアスパラを掴んで口に放り込み、汁椀を口元に寄せてバレない程度に食べる堅を盗み見る。あ、うまい。

「はー、味噌汁飲むと落ち着く。」
「うまい。」
「何が好きだった?」
「全部美味ェって。」
「それは良かった、味見してないんだよね。」

こんな風に一緒にゆっくり食べるのがなんだか嬉しくて楽しい。ただの家庭料理なのに、下手な飲食店で食べるより美味しそうに食べるから堅のそういう所好きだな、なんて噛み締める。早々に食べ終わった私がお茶を飲んでいると堅がこちらを見て、また視線が絡む。

「オレ、紗織が作るメシが一番美味いと思うんだよな。」
「そりゃね、どんなに適当ご飯だったとしてもちゃーんと愛情込めて作ってますから?」
「…一生食いてェ。」
「ん?」
「だから、一生オマエの飯が食いたい。」
「それ、オレに毎日味噌汁作ってくれ的なやつ?」
「おう。」
「要約すると、さ。」

余りの予想外過ぎる発言に思わず視線を泳がせると堅が箸を置いて、身を乗り出したと思ったら片手を伸ばして私の頬に触れる。続く言葉を音にしたいのに上手く出てこなくて口篭っていると堅が笑って、私の頬を包む。

「結婚してくれ。」
「…こんなプロポーズ、ある?」
「やり直せっつーんならやるけど。ホテルの最上階の夜景が綺麗なレストランで片膝着いて指輪差し出してやろうか?」

絶対に嫌、と食い気味に答えた私にまた笑って頬から手を離される。変に飾って無理した演出は良い思い出になるかもしれないけれど、私はそれより日常を共有するような言い回しの方が嬉しいし。あれ?もしかしてこの話したからこういう状況に?しかもなんかで一度漏らしただけなのにそんなことまで覚えてるのか。否、そうではなく。赤くなっているであろう顔を隠させろ。視線を散りばめてから堅の表情を覗き見ると、

「というか、何で今なのよ。」
「…あー、なんか飯作ってる後ろ姿見てたらよ、これが日常になったら幸せだろうなって思って。」
「もう、タイミング考えてよ。」
「なんでだよ。」
「これじゃ、抱きつけもしない。」


目の前からガタンと音がして腕を掴まれ思い切り抱き締められる。腕の中で泣きそうな、でも笑っちゃうような気持ちになってそれらが全部伝わればいいのに、と広い背中に両腕を回して抱き着く。胸板に鼻先を擦り付けてから首を反らして自分が今出来るであろう、一番幸せそうな顔を向けた。

「喜んで。私と夫婦になってください。」
「おう、幸せになろうな。」

背中に回した腕を解いて首に回し、また唇を重ねる。でも今度は本当に触れるだけの、優しくて甘ったるい口付けだった。


「弁当に入ってる卵焼きあんじゃん。」
「だし巻き?」
「そう、アレ前に食われてから毎回イヌピーに狙われるんだよな。」
「ふ、ふふ…今度からは少し多めに入れてあげる。」

偶に作って持たせていた弁当、なんの変哲もないものだったけどD&D組には好評らしい。私の手作りだから譲りたくないと奮闘する堅と好みの味だからまた食べたい乾の攻防がちょっと見たいと思ってしまった。今度乾用にタッパに詰めてやろうかとも思うがそれはそれで拗ねそうだからやめておこう。少し冷えたご飯を食べ終えた堅が食器を重ねて持ち上げるのを見て立ち上がると顎で風呂場をさされる。

「やっとくから風呂入って来いよ。」
「え、いいの?」
「おう、ベッドで待ってっから。」
「…スケベ。」

うはは、と笑ってる堅の脇腹に軽く拳をぶつけてから足早に脱衣所へ向かう。いつもはゆっくりマッサージしたりするけど今日ばかりはそうもいかない。本当はボディークリームも塗り込みたいしストレッチもしたいけれど、ベッドで良い子に待ってるワンコの為にもその辺は今日だけサボってしまおう。



「指輪用意してねぇから、明日買いに行こうぜ。」
「本当に行き当たりばったりのプロポーズだな。」
「オレだって色々考えてたっつの。」

少し汗ばんだ体を隙間なく寄せ合い、堅の腕を枕にしながらポツポツと会話を交わす。程良い疲労感に眠気も感じるけれど眠ってしまうのが勿体なく感じる。堅が私の顔に気まぐれに口付けを落とすのも心地好くて眠気を促す。胸の中に潜り込んで鎖骨の辺りに口付けを落とし、足先を絡ませてとろとろ微睡む。

「朝ご飯、フレンチトースト作る。」
「お、楽しみにしてる。」
「指輪、堅に似合うの探す。」
「いやそこは紗織に似合うのだろ。」
「一生付ける物だから、似合うの付けて。」
「分かった、二人とも似合うデザインな。」


くすくす笑い合って、唇を合わせる。おやすみ、と声が重なって、こんな日々が続くといいなぁなんて思いながらゆっくりと瞼を伏せた。



タルト有馬す。