この先300m直進、目的地周辺です
本当に、本当に大好きだったの。面倒くさがる癖に優しくって、面倒見が良くて。大きな手のひらで乱暴に髪を掻き混ぜられるのがドキドキして嬉しくって、何度も何度も強請って。好きですって言い続けたのをやっと受け入れてくれた時は嬉しくて泣いて彼に抱きついた。それから昼寝をしている彼の元へ通ってまだ敬語の混じる私のどうでもいい話を聞いて偶に笑ったりしてくれていた。私の膝枕で眠る彼の癖のある髪を撫でるのは私に与えられた特権だったと思う。ライオンの鬣に触れていいなんて、きっと特別だもの。穏やかな時間が、好きだった。
「おじたーん!」
「……ハァ。」
「チェカくん元気だねぇ。」
とある日、部屋にお邪魔して勉強を教えてもらっていた時に扉が勢いよく開いて彼の甥っ子が転がるようにレオナさんに飛びついた。鬱陶しそうな、迷惑そうな…そんな顔はしていたけど払い除けることも突き放すこともしない。なんだかんだで可愛がってるというか、放っておけないんだろうなぁなんて笑って。こっちで遊ぼうと声を掛けたら嬉しそうに駆け寄ってきてくれたチェカくんと遊び始める。メモ帳を引っ張り出してお絵描きしたり、簡単な折り紙をしてみたり。子供は苦手だけど、彼の家族だから苦じゃなかった。寧ろレオナさんのことが大好きな仲間みたいな気持ちがあったので仲良くしたいなって思ってたの。そう、私はレオナさんが好きだからこそ、だった。
「お姉ちゃん、僕と結婚して!」
子供の言うことだ。明日も遊ぼうとか、そんな意味合いでしかない。子供と関わりのない私にだってそれくらいはわかる。
「はっ、いいじゃねぇか。嫌われ者の第二王子の妻なんかより王位継承権第一位の正妻のがお前もいいだろうしな。」
「………は?」
「そっちのが幸せだろうなァ。国民にも祝福され兄貴も大喜びだろうよ。」
なんとか平静を保とうと思考を巡らせるが、頭の中は真っ白だ。ただ嫌な気持ちだけが胸を締めて苦しい。ちょうどオヤツを持って来てくれたラギー先輩がそんな私の顔を見て大慌てでチェカくんの手を引いて部屋の外へと連れ出してくれたのに言葉が出てこない。喉に張り付いたみたいに、舌が乾いたみたいに。それでもなんとか、掠れた声を絞り出す。
「こ、ども…の、結婚しようなんて…明日も遊ぼうくらいの意味でしょう?」
「気に入られて良かったじゃねぇか。俺なんかと一緒に居たら後ろ指差されて王宮内でも随分と肩身の狭い思いをするだけだぜ?なんせ俺は第二王子、嫌われ者のな。」
「私はレオナさんだけが好きよ。それに、どのみち私なんてこの世界の人間でもなければいいとこのお嬢様でもないんだから王宮に嫁いだ時の対応なんて…、」
「アイツの庇護下に入ってそれはねぇだろ、兄貴だって大喜びで助けるだろうよ。ま、歳の差は突かれるだろうけど。」
「…………ああ、そうですね。」
スコンと、腑に落ちたような。なにかを理解した。膝枕で寝てくれた、隣に座ることを許してくれた、頭を撫でてくれた。それでも、彼が私に恋人としての触れ合いをしてくれたことはなかったじゃないか。抱きついても抱き返してはくれなかったし、キスの一つだって…頬にすらしてもらったことはなかった。そうだ、そうじゃないか。それに……私は、彼に好きだと言ってもらえたことなんて一度もなかった。目を背け続けたそれらを自覚した途端に一気に頭の芯が冷えて、そこからはもう、言葉は止まらない。
「そうですよね。レオナさんは私のことが好きじゃなくてリンちゃんが好きだもんね。つのたろへの嫌がらせで私と付き合ってみただけ。そう考えたらよくここまで付き合ってくれましたよね。これまでありがとうございました、今後はもう近寄らないので安心してください。」
「は?おい、待て。なにを言って、」
「さようなら、レオナ先輩。」
荷物をかき集めて鞄に捩じ込み、そのまま部屋を去った。溢れそうな涙を必死に抑えてサバナクロー寮から飛び出した私に誰かが声を掛けてくれていたけれど振り切ってオンボロ寮へと走り続けた。リンちゃんもグリムも居なくて、ゴーストのおじちゃんたちが声を掛けてくれたのに返事も出来ずに自分の部屋へ入って頭から布団を被って泣いた。きっとびっくりさせてしまった。でも、もう堪えきれなくて。口元を覆って呼吸すら抑え込むみたいにして泣くことしか出来ない自分が情けなくてまた泣けた。好きだったのになあ、本当に大好きだったのに。
それから何時間か経ったのか、リンちゃんが部屋に来てくれた。真っ赤になった私の目元に気が付いた姉は物凄く低い声で誰に泣かされたのか聞いてきたけどなんて言えばいいのかわかんなくてモゴモゴしてしまう。それからリンちゃんは悩むような仕草をした後にぐしゃぐしゃと私の頭を撫でてからちょっと待っててーとのんびりした声をかけた後ココアを淹れてくれて、落ち着くまで傍にいてくれた。本当はすぐに聞き出して相手を怒りに行きたかったと思うけど、私が話せるようになるまで待ってくれた。
「レオナさんに、振られてしまって。」
「ハァ!?」
「まあ、元々私のこと好きだったわけじゃないんだろうなぁとは思ってたんだけどね…仕方ないね。」
「………ねーちゃんにして欲しいことあるかい?」
「…もう会いたくない。」
「おけ、つのたろにもバカたちにも伝えといてやるから。」
「……ママのとこ、行ったら、迷惑かなぁ。」
「冷静になって考えろ?その泣きじゃくった顔を放置したヴィルさんのお怒り具合とか。」
「ゔぇえ……、」
「ダーメだ、こりゃ。ヴィルさん呼んだるからココア飲んでなさいな。」
私の頭を撫でながらスマホを弄っている姉の存在に心の底から助けられているなぁなんて思いながらココアを飲む。ヴィルさんだけじゃなくていつメンたちにも連絡してくれてるんだろうな。
「ヴィルさん野暮用済ましたら来るって〜。」
「……ん゛…」
「ツノタロサァンと相談してからちゃんと対策するから安心しろな。ねえちゃんが絶対守ってやるから。」
「………私のお姉ちゃんは優しくてかっこいいなぁ。」
「褒めても何も出ないぞ、ココアしか出ない。」
「出てるじゃん。」
その後、ヴィルさんに回収された私は何故かポムフィオーレに拉致された。オンボロ寮に居るとレオナさんが突撃してくる可能性があるから、らしい。めちゃくちゃ至れり尽くせりみたいなマッサージを受けながら聞いた。後のことはリンちゃんとつのたろが何とかするとのこと。振られただけなのだが、こんなにも手厚くて良いのだろうか?いやでもこの世界は女性に対して紳士的な人が多いからな…チンピラもいるけど。そしてこのスペシャルケアが終わったらセベクとシルバー先輩が迎えに来るらしい。いやほんとなんで?
「うちにいてもいいけど、レオナが来たら嫌でしょ?勿論アタシが居るのにアンタに会わせるわけがないけどここに来そうって分かりやすいからね。」
「ママ好き……。」
「ええ、アタシはアンタのママですもの。娘を泣かしたクズには二度と会わせないわ。」
「ママ…お声がちょっと怖いかもぉ…。」
「アンタに怒ってないわ、安心なさい。」
リンちゃん然り、ママ然り私の保護者たちは頼り甲斐のあるおっかねぇ人たちなのかもしれない。
「アズール先輩の契約書でレオナ先輩から私を認識出来ないようにならないかなぁ。」
「アズールに頼むのはやめなさい。どんな対価を払わされるかわかったもんじゃない。」
「ママのユニーク魔法でも出来る?」
「……どうかしらね。でも認識しにくくはさせてあげられるわよ。」
「本当?」
「ええ。」
獣人族は匂いに敏感だから、隠れていても匂いでバレてしまうかもしれない。ということで魔法が付与されているらしい香水を貰った。あと何故か新しい制服一式と大量の私服も。私服の方はヴィルさんの趣味な気がしないでもない。ああ、あと…と続いた言葉にこれ以上何があるのかと震えていたら首にネックレスが掛かる。イグニハイド生のマジカルペンにこんな石付いてたような?
「イデアから預かったネックレスよ、認識阻害魔法が付与されてるみたいね。まだ突貫工事の不完全試作品らしいからまた今度ちゃんとしたものを渡すらしいわ。早くしなさいと蹴り上げておいたから安心なさいね。」
「天才お兄ちゃん!?」
「あとこれはジャミルから、詳しくは聞けていないけれどカリムが身に付けている物と同等レベルの身を護る物らしいからどっちも付けときなさい。」
「お高そうなヘアアクセにも震えが止まらないよ、ママ。」
「貰っときなさい。レディにアクセサリーを突っ返されて男たちのくだらないプライドが砕けるのはアンタも本意じゃないでしょう?あとジャミルはともかくイデアは突っ返されたら首吊って死ぬわ。」
「あ、あい…。」
涙でぐちゃぐちゃの顔も何とかなったらしく、綺麗なワンピースに着替えてジャミル先輩から貰ったヘアアクセを髪に飾られる。もう一度言うが、私は振られただけである。めちゃくちゃしんどいし今でも全然泣けるけど振られただけである。大事にしてもらっているなぁ、と再認識したがところでこの髪型はどうしたんだ?不器用なので再現できる気はしない。というかどうなってるかすらわからない。うん、エースかデュースかジャミル先輩に頼もう…。ヴィルさんがスマホを操作しているのを鏡越しに確認したのでおそらくお迎えが来るのだろう。セベクはまだしもシルバー先輩にまで来てもらうの申し訳ないなぁと口から溢れた言葉にヴィルさんはこの世のものとは思えないほどの美しい笑みを浮かべる。
「足止めとタクシーよ。」
「ママ!?」
「アンタを泣かした時点でリンドウの地雷よ、そしてリンドウの地雷はマレウスの逆鱗。マレウスはリンドウの願いを叶える為に全力でアンタを護るでしょうね。だからこそ、あの二人が迎えに来るの。」
「な、なるほど…?」
「あとアタシはアンタの代わりにあの朴念仁を引っ叩いた後よ。」
「ひっぱ!?……ママ、手痛くない?大丈夫?私のせいでママの手が痛くなったら嫌だよ。」
「バカね、痛いわけないわ。アンタが自分でやりたかったでしょうけどアタシがレディの手を痛めさせるわけないから諦めなさいね。」
また泣きそうになる私の頬を優しく撫でてくれて、そのまま騎士二人の元までエスコートを受けた。全世界がヴィル・シェーンハイトに惚れてしまうな…なんて現実逃避をしていたがシルバー先輩と一緒にいるセベクの顔を見て現実へと無事戻った。よろしくお願いしますと深々と頭を下げた私にセベクは何も言わない。軟弱者とか、若様に迷惑をかけるなとか言われるなと思ったけどそんなことはなくて、またちょっと目頭が熱くなる。叱責してもよかったのに、なんて言葉は意地で飲み込んだ。
それから、ディアソムニアに行って私の部屋として用意されていたのがまさかの茨の谷にあるつのたろのお城の一室だった。困惑する私を他所にシルバー先輩に連れられて鏡を通り部屋へと通される。なんだこのエレガントな部屋は、と挙動不審になりかけていたが用意したのがつのたろと知り若干納得した。シルバー先輩はリリア先輩に報告してくるとのことでひと足先にディアソムニア寮に戻り、セベクは私をじっと見つめたのち、両腕を組んで壁に背を預けた。
「……僕は初めてお前が恐ろしいと思ったぞ。」
「な、なぜ?」
「学園長を含めた教員、特にトレイン先生だな。それと一部を除いた寮長たちが随分と怒りを露わにしている。お前の涙でここまで学園内有力者たちが協力し、一人の生徒から徹底的に遠ざける処理をしているそうだ。」
「周りの人には恵まれたんだ。振られただけなのにね、みんな、優しくて……好きだったの、私だけってわかってたのにねぇ。間抜けだねぇ。」
笑って言ったつもりだったんだけどセベクは私を見てぎゅうと顔を顰めた。迷惑かけてごめんね、と付け足したけどもうセベクは何も言わない。セベクはつのたろに頼まれたからここに居てくれるだけなのだと分かっている。だからもう大丈夫だと笑うくらいしかできないのだ。一人になりたい、みっともない姿を見せたくない。弱音を吐く姿を、見られたくない。叱責されて友人に八つ当たりをしたくなんかないんだ。そんな私に多分彼は気が付いていて、一度唇を噛み締めた後に口を開いた。
「本は、好きか。」
「好きだよ?」
「僕の好きな本を持ってくる、読んでみるといい。」
「…ありがとう、セベクの選ぶ本って素敵な話が多いって聞いてたから楽しみ。」
「腹は減っていないのか。」
「うーん、あんまり食欲ないや。」
「……僕は食べる、付き合え。」
「乱暴だなぁ。」
放っておいて欲しいけど、彼なりに友人だからと気を遣ってくれているのかもしれない。下手くそだけど。
「たくさんは食べられないから、食べ切れないかも。」
「僕が食べるからいい。」
「ありがとう。」
好きにして良いと許可が降りたので二週間ほど、学園にも行かず引き篭もらせてもらった。セベクから借りた本を読みたいのだが集中して読むことが出来なくて毎日少しずつ読み進めている。用意してもらった食事は殆ど喉を通らず、残してばかりで申し訳ない。ふとしたタイミングで涙が滲んで、胸の奥が苦しくなる。レオナさんとの最後のやりとりを思い出してしまうともうどうにも制御が出来なくなって、シーツに包まるばかりの日々だ。リンちゃんともあんまり会えていない。やるべきことがあるからとのことで、私の様子見はリリア先輩とセベクが多かった。それも私が会えないと言えば控えてくれていたから本当に面倒くさい女だ。詰めた息を意識して吐き出した瞬間、シーツに包まる私の背中から声がかけられた。
「…おい、なぎ。」
「……ごめん、ちょっと体調悪くってさ。風邪かも。移ったら困るから、帰って大丈夫だよ。」
「そうか。」
短く返ってきた言葉に安堵で細く息を吐き出す。が、いつもは引いてくれるのに、思い切りシーツを引っぺがされた。慌てて起き上がり手を伸ばすけど間に合わない。最悪、最悪だ。なんで、と掠れた声を搾り出す私にセベクは顔を顰めて私の目を見た。シーツを取り戻すために伸ばした手を逆に掴まれる。そうして一度息を吸い込んだセベクが口を開いた。
「そんな風に、泣くんじゃない!」
「…っ、なに、」
「苦しいなら苦しいと言えばいいだろう!泣きたいなら泣けばいい!僕から隠れる必要なんてない!!」
「…っ、て、だって…、」
「僕はお前がずっとそうして泣いていたのを知っている!そんな、苦しい泣き方をせずとも…!他の人間に見せたくないのなら僕が隠してやる!だから僕には隠すな!!」
「なにそれ、…そん、バカじゃないの、ほんと、」
ああダメだ、堪え切れない。ボロボロと溢れてくる涙を隠したいのにセベクは私の両腕を掴んで離してくれない。みっともないのに、やっと友達になれた君に失望されたくないのに。でもやっぱり、
「……、いたい、よ、」
「ッ、すまん!思い切り掴んだ!怪我になって、な……」
「…私ね、レオナさんに、好きだって言ってもらえたこと、なくて。知らないふりしてたけど、でもやっぱ、そうだったんだって…胸がね、奥の方が、ずうっと痛くて、泣きたくないのにね、」
慌てて私の腕を離してくれたセベク、その大きな体に抱きついたら大きく肩を弾ませ硬直したが私の言葉に耳を傾けてくれた。お腹あたりに顔を埋めてぐずぐずと泣く私を彼はどんな顔で見ているのだろうか。肩に置かれた手は優しいから困った顔をさせてしまっているのかもしれない。
「…わたし、あの人に抱き締めてもらえたことも、なくってね、バカだね、本当に……ばかだなぁ、」
そう言った途端、セベクの手が小さく跳ねた。それと同時に、少し揺れると低い声がしたかと思えばぐわんと視界が揺れて反射的に強く目を瞑る。次に目を開いた時にはベッドに座ったセベクの膝の上に向かい合う形で座り込んでいる自分がいて、本当に何が起きたのかわからない。目を瞬かせている間に私の背中と頭にセベクの手が回り強く、抱き寄せられた。
「顔を見られたくないなら肩にでも埋めておくといい。そこなら、お前の言葉を聞き漏らすこともない。」
「んとに、君は、乱暴だなぁ…っ、」
「こうでもせんと言わない方が悪いだろうが。」
「嘘だよ、優しくしてくれて…大事にしてくれてありがとう。」
そのまま暫くは彼の肩で泣きじゃくり、泣きすぎて頭が痛くなる頃にはもう外は真っ暗だ。セベクが戻らないからとみんな心配してるだろう、やってしまった。
「ごめん、制服…肩んとこぐしゃぐしゃになってる。」
「僕がしたくてしたんだ。謝ることじゃない。」
「でも……つのたろとか、心配してるかもだし。」
「若様もリリア様も寛大な心をお持ちだ。」
呆れたような顔をしていたのにつのたろやリリア先輩のことは誇らしいという顔に変わる。それがどうにも面白くって笑みが溢れた。そんな私を見たセベクの目が丸くなって、数秒の後にふいと顔を逸らした。
「ありがとね。」
「泣きたくなったらすぐに僕を呼べ。僕の体は大きいからな、お前一人くらい隠してやれる。」
「……ごめん、セベク。」
「だから謝るなと、」
ぎゅう、と。もう一度、強く彼に抱き着いた。何も言わずに背中に回した腕に力を込めてくれるこの優しさに縋ることが酷く自分勝手で最低だとわかっている。きっとそんな私のことを察してくれていて、何も言わずにいてくれるのだろう。夕飯は共にしてくれるらしい。私一人だと食べないからリンちゃんとつのたろが心配していると教えてくれた。結局半分も食べられなかったけれど、セベクは文句を言いながら残した分を食べてくれたから、やっぱり優しいなぁと思う。
私が彼に縋るようにして泣いてからセベクは毎朝私の部屋を訪れて朝食を共に取って絵本を渡すと学園に行く。授業や部活が終わったらまた私のところへ来て授業の話をしてくれたり、みんなの話をしてくれたり。両手いっぱいの荷物を持って来た時はとても驚いたけれどそれらは全て友人たちからのお菓子やメッセージ。嬉しくてまた泣けた私に、誰も見てない二人の空間だったけれど彼は宣言通りその大きな体で私を隠してくれた。そしてセベクは私の手を引いて庭先まで連れ出してくれたりもするようになり、シルバー先輩との鍛錬をぼんやり眺めたりもして。そんな生活がなんだか隠居生活みたいだなぁとちょっと笑えた。
学園を休んでどれくらいの日が経ったのか分からなくなってきたその日、ふとくだらない話が書きたくなった。すっかり仕舞い込んでいたノート取り出して文字を連ねていく。小説だとか大層な物ではないし、日記と呼ぶような物でもない。ただ思い付く限り、書きたいようにペンを走らせた。王子様もお姫様もいらない、ただ幸福に寄り添い合う二人の物語。うーん、ブランクあるから難しいなと背を伸ばす。読み返してみたけど結末は何ともない、陳腐な話だ。だってこれは大きな障害を乗り越えて大恋愛をする話でも、身分に苦しむ悲しい恋の話でもない。穏やかな恋人たちの日常を切り取っただけのささやかな恋の話なのだから。彼はハッピーエンドが好きだものね、と自然と笑みが漏れる。そうしてゆっくりとその心を仕舞い込もうと決めたのだ。まだ芽吹く前だ、これは摘み取るべき感情。優しい彼に依存しているだけ。一つ息を吐いてノートのページを破り、バラバラに破いて捨てた。さて、そろそろ彼が部屋に様子見をしに来てくれる頃だろう。心配させる前に部屋に戻ろうと立ち上がった瞬間、片腕が掴まれた。驚く私にセベクは唇を震わせた後、口を開いた。
「なにを、捨てたんだ。」
「へ?あー、なんか小説、もどき…?プロットにもならないようなやつ……だけど、どうしたの?」
「……書いたら、僕に一番に見せてくれると言っていたじゃないか。」
「ごめんごめん、書いたはいいけど気に食わなくてさ。リハビリしてもう少しまともなの書けるようになったら見せるよ。それに、アレは母国語で書いたからセベクは読めないよ。」
小さくなった紙のかけらを一つ持ち上げたセベクにへらりと笑って見せる。
「彼は、彼女を、深く愛して、」
「は!?」
「夢と共に、彼女を……生きる?違う、…クソ、ここは破れていて読めん。次だ。」
「待って待って!なんで!?」
「リンドウから習った!お前を見落とさんようにな!」
「いやだから、なんで、って…」
「僕に隠し事はするなと言ったはずだが?…ええい、もう少し大雑把に破いていればもう少し読み易かったというのに!」
乱雑に散らばった紙を集めパズルのように組み合わせる姿に胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。なんでよ、私の言葉なんか、君がいくつ取りこぼしたって構いやしないだろう。つのたろやリリア先輩にだってそんなことは頼まれてないだろう。精々、気にしてやってくれとか、そんなもんなんじゃないのか。急に黙った私を疑問に思ったのか振り向き、そうして握り込んだ拳に気が付いたセベクが私の手をゆっくりと解いていく。
「馬鹿者、そんなに強く握るな。爪が刺さったらどうする。」
「……私なんかの言葉、拾ったって、なんもないよ。」
「僕が読みたいと思った。お前の紡ぐ言葉は、きっと美しいと思ったんだ。愛に満ちた言葉がどれだけ美しいか、僕は知っている。」
「何言ってんの、言葉なんて届けたい人に届かなければ何の意味も持たないんだよ。」
「フン、お前が何と言おうと僕はお前の紡ぐ言葉を知りたいんだ。意味なんてそれ以外に必要がない。」
ぎゅうと唇を噛み締めて、鞄に乱雑に放り込んでいたノートを引っ張り出す。驚いたような顔をしていたけれど私が今するべきことは、したいことは。なにを紡ぐかなんて、何を伝えたいかなんて、考えるまでもない。殴り書きにならないよう、震える手で出来るだけ綺麗にペンを走らせる。そうしてノートから切り離してセベクの胸元へと強く押し付けた。
「読んで。」
「なんだ?随分と短いようだったが…、」
「良いから、読むの。」
リンちゃんがどこまで教えたのか、私にはわからない。だからこの言葉が伝わるかどうかなんてわからない。それでも伝えるのならこの言葉だと、そう思った。セベクの目が文字を追うのを見ているのが怖いけれど、足は震えていたけれどそれでも逃げたくはなかった。伝わらないでと、伝わってが、半々くらい。嘘、伝わらないでが八割くらいかも。そうして数秒の間の後、大きな体に強く強く抱きしめられた。痛いくらい、強く。ああ、私が泣きじゃくっていた時は手加減してくれてたんだなって、場違いなことが頭をよぎった。
「……セベク?」
「コレは、意味が複数あったと記憶している。」
「うん、そうだね。」
「僕のこの行動が誤っているなら、すぐに突き放せ。」
「合ってるよ。……でも、わたし、」
「いい。コレが全てだ。」
少しだけ体が離れて、彼の大きな掌が私の頬を包む。
「やはりお前の紡ぐ言葉は美しいじゃないか。」
「……うん、セベクに届いたから、ちょっとだけ綺麗になれたかも。」
「な、泣くな!こんな時にそんな顔をされたら僕はどうしたらいいかわからない!」
私の泣き顔なんて見慣れてるはずなのに、ポケットから取り出された綺麗に畳まれた繊細な刺繍されているハンカチでぐしぐしとやや乱暴に顔を拭くから、過去に姉が王子様みたいにハンカチで拭ってやるよ!…ハンカチあったっけ?なんて言っていたことを思い出してしまって自然と笑みが溢れた。繊細なハンカチで全く繊細じゃない行動してるのも、なんだか等身大のセベクに触れられたみたいで嬉しい。
時は経ち、学園を卒業した私とリンちゃんは二人で茨の谷へと暮らすことになりこちらでの生活も随分と慣れてきた。驚くことにセベクと私は学生の間に籍を入れていたりする。まだ私たちが一年制だった頃につのたろとリンちゃんが結婚する前に異世界人と妖精属の婚姻届の前例を作りたかったとリリア先輩に頼まれ、セベクと二つ返事で返したのがもう数年前の話だ。結婚が許される年齢になってすぐ籍を入れたので色々大変だった。というか戸籍とかね、本当に大変だったけれども。特にセベクとリリア先輩が特に忙しそうだった。そうしてつのたろが頑張りに頑張って漸く明日、私の姉は結婚する。長かったと嘆く姉と義兄に笑う私の隣でセベクは感極まって涙ぐんでいたなぁ。
私が過去に恋した王子様とは、結局あの日を最後に会うことはなかった。セベクと交際を始めてすぐ、学園に戻ったのだが周りのガードが固かったのは勿論、あの人が私を、私もあの人のことを認識出来ていなかったのだから凄い。天才お兄ちゃん恐るべし。ただ、そんな彼も外交の一環として明日の姉たちの式には来るとのことだ。最後のあの日から傷付かずに済んだのは私の優しい友人や保護者たちのお陰である。壁に飾られた沢山の写真たち。その写真立ての一つにある並んだ友人たちに会いたいなぁなんて考えて指先で撫でていたら扉が勢い良く開き、困り果てた顔の夫が視界に入る。そして、彼の腕の中では、
「先ほどからエレナが泣き止まん!なぜ僕が抱くと火が付いたように泣くんだ!?」
「パパの声がおっきいから怖いんだもんねぇ。よーしよし、ママのとこおいで。」
「ぐぬぅ……アンドリューはこんなことがなかったのだが…。」
「あの子はセベク似だもの、アンドリューは強くて勇敢な男の子だけどエレナは女の子なんだからちょっぴり怖がりで泣き虫なくらいが可愛いじゃない。」
「母似すぎるな…。」
「どうせビビリの泣き虫ですよーだ。エレナ、パパがいじめるよぅ。」
「やめろ!また嫌われる!」
「ふふ、バカねぇ。ほら、パパはお仕事のお時間ですよ。エレナ、いってらっしゃいしてあげて?」
ぐずぐずと泣く娘に困った顔をしながらも優しく指で涙を拭うセベクにあの頃を思い出して、ちょっとだけ泣きそうになったけど悲しさや苦しさからではないこの気持ちは、愛おしいってやつだ。…というかまだ首が坐り始めたくらいの子供ならこんなものだったような気もする。すぐ泣くが、泣くのが赤ちゃんの仕事だし。なんて考えていたらバン!と閉じていたはずの扉が再度勢い良く開き駆け込んでくる息子、父の真似はやめなさいと叱るべきだろうか。
「とうさま、おしごとですか!?」
「ああ、もう行かねばならん。明日は忙しいから帰りは少し遅くなりそうだ。アンドリュー、父が居ない間はお前が母様と妹をしっかり守ってやるんだ。できるな?」
「できるよ!ぼくがかあさまと、エレナをまもるからね!」
……叱らなくてもいいかも、なんて思うのは単純過ぎるかな。息子を抱き上げたセベクが私を呼ぶから娘を抱いたまま腕の中におさまった。娘、息子、私へと順に優しく頬に触れた唇に目いっぱいの幸福に包まれる。息子が娘を抱き上げて自分が娘を守るのだとはしゃぐ姿にセベクも笑っていた。息子が娘を愛おしそうな顔をしてリビングから出ようとするから追いかけようとするが肩腕を掴まれる。驚いて振り向けば身を屈めたセベクがいて、反射的に目を閉じて短く口付けを交わす。
「…お慕いしております、旦那様。」
「僕も愛している。続きはまた夜に語らせてくれ。」
「…お義母様が3人目を楽しみにしてるみたいよ?」
「……若様と奥方が落ち着いたらな。」
二人で笑い合って、先に彼を見送った。さあ、明日は姉の結婚式。気合いを入れようと心に誓う。それより先に子供達を捕まえるのが先かな、なんて。グリムを捕まえ続けたのだから負けないぞと袖を捲って子供たちを追いかけた。ベッドでふくふくと笑う幸せそうな子供たちをまとめて両腕に抱き込めば息子は父によく似た笑みを浮かべた。
「かあさま、だーいすき!」
娘もまた、きゃあと楽しそうな声をあげる。ああ、幸福はここにあったのだと、子供たちの丸い額に口付けた。
私は、私のことを好きでいてくれる人だけ好きでいるんだと、今ならあの人にも言えるかも。なーんてね。