号
会議も終わり、永日にと作った物を手渡そうと立ち上がると横からくんっと千早が引かれた。転ばせるような勢いはなく、ただこの場に留めたいという意志だけを感じる力に目を丸めてその方向へと視線を向ければ当たり前だが瑠璃が居る。え、なに?この子ちょっと苦手なんだけどな…と顔を顰めたところで薄く紅を塗ったであろう、桃色の唇が震えるようにして開く。
「藤姫様、少々お時間、宜しいでしょうか。」
「はい?」
「……内密に、二人きりで。」
千早の裾を掴む手は強く、明確な意思を感じれば無碍にも出来ない。二人きり、と言う言葉の際に薬研たちを一瞥したから刀剣たちとは別の場でということだろう。どうしたものか、少なくとも三振りからはやめておけという圧を感じる。が、私は新参であり、瑠璃は私より長くこの部署に所属している。検非違使の調査で組み合わせは槿とだった筈で、それを思えば眉根が寄るのも仕方ないことと思うが。返事をしない私に焦れたのか、それとも彼女自身が焦っているのかはわからないが千早を握り込み直されれば深く息を吐き出し諦めるしかないことを悟る。
「わかった。但し二人きりならそちらも刀剣たちは置いて来て。それと、私が結界を張った中でという条件なら飲みましょう。」
「構い、ません。」
「……確認ですけど、私が赴いた先に槿様はいない?」
「居ません。槿様にも、聞かれたくない話です。」
「そう。」
とりあえず二人がかりでの何か、ではないらしい。そこは安堵する。三振りに此処で待機するように命じ、政府の人間に許可を得て個室へと移動する。誰の気配もないことを確認して結界を張って、彼女へと向き合うと俯いたまま自分の千早を握り込み震えていた。少しだけ嫌な予感はするけど、彼女の様子を伺いつつ、柱へ背を預ける。
「それで、話したいことって?」
「……その、あの…。」
「内密に二人きりでないと出来ない話とやら、聞かせてくれます?予定があるから早く帰りたいのだけれど。」
「槿様のこと、です。」
「はあ?」
槿のこと、と言われても。私は別にあの男となんの関わりもないしなんなら関わる気もない。下劣な生き物としてカウントしているし、舐め回すような視線に何度薬研を止めたかわからないくらいだ。内密にするような話なんて一つたりともありやしない。思いきり嫌悪感を顔に出すと瑠璃が顔を上げて一度息を詰める。大きな目には涙の膜が張っていて、少し突けば泣き喚きそうな程の、悲痛を含んだ表情にこっちが目を丸める番だった。
「私は、元々藤の位を賜っていました。」
「はあ…。」
「槿様の寵愛を得て、おりました。」
「はあ!?」
「けれど、あなたが来てから、槿様はあなたばかり。本丸へも来てくれないし、閨だって、」
「待って。槿とあなたが思い合っていたとしても構やしないけれど、私は関係ない。ていうか、」
「私は!」
ぼろり、と涙が溢れる。幼い容姿の彼女はその感情を持て余していることが明確で、細い肩が震えているのがなんとも痛々しい。
「彼に愛されるから、頑張ったのに、」
そう言葉にした途端に泣き崩れる彼女。彼女が私に向けていた感情の中には確かに敵意があったけれど、きっとそれ以上にどうしたらいいかわからなくなったのだろう。知ったことではないと切り捨てるのは簡単だけど、余りにも悲痛な叫びにこちらがどうしていいかわからなくなる。とりあえず近寄って彼女の背を撫でれば服越しだと言うのに背骨に触れるのに気が付いた。もしかして、と彼女の手首を捕らえると力を入れたらすぐに折れてしまいそうなくらい細くて、明らかに普通じゃない。きっと千早などで隠れてしまっているがどこもそこも細くなり過ぎている。
「……食事は、摂ってないの?」
「彼が、細い子が好きだって…。」
「馬鹿なの!?」
槿様、と彼女の桃色の唇が動く様を見て頭を抱えることしか出来ない。こうなったら抱え込んでいる感情の全てを吐き出させてしまおうと穏やかな口調を心掛けて彼女に寄り添うように声を掛け続ければ瑠璃は少しずつ話し始めた。最初は猩々緋の位であったこと、槿はその頃から目を掛けてくれて優しく導いてくれたこと、血の滲むような努力の甲斐があり藤へと昇格出来てそれを槿が己のことのように喜んでくれて抱えた想いを吐き出せばそれを受け入れてくれたこと、甘やかな愛を受けていたこと。そして、私が藤へと就任した頃から彼の態度が変わり、今では声を掛けると眉根を寄せるようになったこと。聞いてる限り頭が痛いことこの上ない。詳しく聞けば聞くほどに何も知らない子供に刷り込みをしただけだ。審神者同士でも余り個人情報の開示は良しとされていないがどうせ私の結界内で外に情報が漏れることはないので聞いてみたらまだ彼女は17歳だと言う。槿は私より年上だったはずなので、完全に事案である。
「厳しいことを言うけれど…それ、都合良く扱われてただけよ。」
「…ッ、わかっています。でも、私には彼しかいない、から。」
「洗脳済みじゃないの、もう…困った子だわ。」
亜麻色の髪を撫でてやるが染めているであろうことと栄養不足が相まって酷く痛んでいる。細く息を吐き出して彼女を胸元に抱き寄せてやればそのまましゃくりを上げ泣き出したので細い背を撫でた。骨ばった細い体で、それでも必死に私に縋り付く姿に子供みたいだななんて思いながら彼女の涙が引くのを、気持ちが落ち着くのを待った。
「落ち着いた?」
「はい…申し訳ございません…。」
「いいよ、別に。ていうか、男に依存なんてするなんて馬鹿のやることよ。しかもあんなドクズ、さっさとアンタから捨てな。」
「……でも、」
「あのねぇ、私たちはこの場に男を作りに来たわけじゃない。歴史を守る為に呼ばれた。審神者の精神が揺らげば私たちの霊力で顕現した刀剣たちに支障が出る。わかってるでしょ。」
「わかってます、わかってる、んですけど…。」
「判別のつかない内にこの世界に巻き込まれたことは不憫だと思う。でもその不安に漬け込んで好き勝手する男の何がいいのか私にはわからないし、分かりたくもない。」
「……藤姫様は、槿様をどう思いますか。」
「勿論あの場から引き摺り下ろすことしか考えてないわよ。ただの下心しかない野郎かと思ってたけど瑠璃の話を聞いてその気持ちが強くなっただけ。あんたみたいな子増やすわけにもいかないし。」
上に逆らうなんて余り褒められたことではない。だが、それは上が真っ当な人間ならだ。役目を放棄しているような言動は元々気に入らなかったし、放っておいたら瑠璃みたいな子がまた出て来るかもしれない。というか、既に居るかもしれないな。上位十二人の中で私たちを除いた女性審神者はあと三名…既にお手付きじゃないことを祈るが。
「刈安、卯の花、濡烏は…大丈夫、です。」
「うん?」
「槿様は、その…今は藤姫様にご執心のご様子ですし、他三名はその立場なら用事はないと、言っていました。」
「とことんクズだわ、去勢しましょ。」
「ええ…?」
要するにある程度の立場がある女を自分の所有物にすることに意義を見出すのだろう。クズの極みだな、刀剣同士の私闘は禁止だけど審神者の闇討ちって規約違反になるだろうか。閨に誘って…いや、演技だとしても無理だ。嫌悪感で二人きりになった途端に刺してしまう自信がある。兎も角彼女がこれ以上あのクズに翻弄されるのを止めたいところである、仕方ない。懐に入れていた、普段から身に付けている御守りを彼女の小さな掌に乗せる。
「ほら、これ持って。」
「…これは?」
「握り込んで、槿のことを考えて。いい?一瞬だからね?」
「は、はい!」
御守りを握り込んだ手に掌を重ねて霊力を流す。私が一人でやるより、彼女の方があのクズに関して情報が多い。だから、彼女を介す。パッと手を離すと瑠璃が瞬きを繰り返し私の顔と御守りを交互に見る。
「私の加護。」
「え?えぇ?」
「槿様が貴方に下心満載で近寄ったら発動するわ。」
「どうなるんですか…?」
「四肢が弾けてくれたら嬉しいのだけれどそこまでは無理だから、身に付けてる間は瑠璃に触れられないくらいよ。」
「凄いですね!?」
別に凄くはないと思う。御守りにしたのは彼女の判断に任せる為だ。このまま寵愛とは名ばかりの性欲発散と自己顕示欲の為に消費されることを望むのであればこれを持ち歩かなければいいだけ。
「瑠璃がこのままでいい、槿と共に破滅したいと思うのならコレは捨てればいい。でも今のままが嫌なら、前を向きたいと思うなら身に付けて。」
「……私、は…。」
「私は槿を引き摺り下ろす。それは私の為でもあるし、この世界を守る為でもある。」
俯いていた瑠璃は御守りをぎゅうっと握り込み、そして顔を上げた。その顔はもう大丈夫そうだな。
「身に付けます、いつも。藤姫様、弱い私に力を貸してください。少しだけ、守ってください。」
「藤の名の元、約束しましょう。藤は瑠璃を守るわ。」
「必ずこの恩はお返し致します。…御身の力になります。」
「ええ、貴方は努力をして結果を残せる人間だと信じているわ。」
ふわりと笑った彼女は年相応に、無邪気に笑った。
「さて、そろそろ薬研たちが心配で乗り込んで来そうだから戻ろうか。」
「はい、この度は大変お手数お掛けしました。」
「堅苦しいのはもういいよ。庇護下に入れた相手に踏ん反り返る趣味はないの。」
「…ふふ、本来上に立つべきは藤姫様のような人間なのでしょうね。」
パチン、と指を弾いて結界を解く。結界を張りながら加護もしたが霊力に問題はないことも証明出来たし、悪いことばかりではないようだ。瑠璃の泣き腫らした目はどうにもならないが、こればかりは仕方ない。二人で部屋を出た、否、出ようとした。
「結界?」
「ッ、藤姫様!お下がりください!」
「だめじゃないか、瑠璃。藤姫に勝手に近付くなんて。」
噂をすればと言えば良いのか、槿が姿を見せた。瑠璃を咎めるように言葉を吐き出したその口で、私を呼ぶ。気色悪い男だ、その口を横に割いたら少しは不快感が減るかしら。
「藤姫、瑠璃に何かを言われましたか?彼女は酷く不安定で被害妄想が激しい。」
「あら、槿様のお話を聞いただけですわ。大変有意義な時間でした、また彼女とは二人でゆっくりお話したいと思うくらい。」
瑠璃の肩を抱き寄せると槿は顔を顰めた。自分の所有物が他の人間の手に渡ることが許せないらしい。それでも私も手に入れれば良いとでも思っているのか、その顔は醜く歪んだ。
「私とも是非二人の時間を。」
「お戯れを。……触るな、下賤の者が。私を誰と思っている、弁えよ。」
「ッ、女の分際で…!」
槿の背後から刀剣が現れる。審神者自体が歪んでいるからか、現れた刀剣の目は曇っているように見える。踏み込んだ山姥切国広に瑠璃が悲鳴を上げた。
キィン、と金属同士がかち合う音が響く。懐から出した短刀で受け止めたが成る程、これは腕に響く。目を見開く二名に笑みで返すとどうして、と聞こえた。
「瑠璃と二人きりで話すって言ってたものね。安心して、これは唯の短刀よ。身を守る為に持ち歩いてる唯の刀。でも…依代。」
「なに、を…、」
「……かしこみ、かしこみもうす」
おいで、私の、
「呼ぶのが遅いぜ、大将。」
山姥切の腹部を蹴り飛ばした、黒髪。小柄な体躯からは想像出来ない低い声で私を呼ぶ。瑠璃が口元を掌で覆い隠し目を見開くのが横目に見えた。
「私の結界内だぞ!?刀剣如きが入れるわけがない!」
「破って来るなら難しいでしょうね。でも依代を介して私の懐刀を呼んだだけ。此処に或る物よ、わけないわ。……薬研は私の一番近しい刀ではないけれど、その次に私の影響を受けている。この手に収まってから今まで片時も離れず傍に置いてきた、言わば私の霊力を常に受ける刀。依代になる薬研藤四郎があればいつ何時でもこの身を守ることが出来る。」
「嘘だ!そんな前例一つも…!」
「別の審神者への攻撃…刀剣を悪用し、その価値を落とす行為よ。規約違反として政府へ報告させてもらう。」
審神者としての適正、及び戦歴により位は決まる。つまり、私がこの下衆に及ばなかったのは戦歴の一点のみ。検非違使の報告の際にも思ったが、瑠璃の話を聞いている時点でこの男が与えられた使命を放棄し遊び呆けていたのは分かっている。つまり、初期刀である相手の山姥切国広と私の懐刀では練度が異なるだろう。リーチの差なんてアドバンテージにもならない。刀剣同士での破壊は不可能、戦闘不能まで追い詰めてしまえばいいだけだ。そもそも、この刀剣に罪はない。
山姥切国広が戦闘不能になるまで時間は掛からなかった。絶望したように何かを言う槿を一瞥し、指を鳴らせば簡単に結界は崩壊した。走って来た長谷部と宗三に視線を向けて、槿を顎で指す。
「筑前国所属第壱陸髭壱本丸、号『藤』。規律違反者を確保。拘束の後、政府へと引き渡す。」
「承りました。」
完全に腰の抜けた瑠璃に手を伸ばして引き寄せ、然るべき対処を行うこととしよう。これは永日に御守りを渡せそうにない。まあ、個人的に本丸のお邪魔するなりなんなりで渡せばいいかと結論付け、本日何度目かもわからない溜息を一つ溢した。