傍に居るのが当たり前過ぎて、いつの間にか隣に居るのはお互いだと思い込んでいた。住む世界が違う、なんて言って悲しそうな顔をしていた少女はもう居ない。ずっと一緒に居るなんて啖呵切った少年は、俺は、いつしか距離を測り違えていたのかもしれない。


幼馴染について聞かれるとなんて答えるべきかといつも迷う。家族、それも自分の兄弟のことを聞かれている感覚に近い。近過ぎる距離感の人間のことを説明するのは何となく気恥ずかしく、むず痒い。話す事がないのか、と問われればそうじゃないのだから難しい。クラスメイトが不思議そうな顔をして覗き込んで来るからパックの牛乳を飲みながら、彼女の事を説明するのは両親や弟の事を聞かれるよりも難しいのだけれど思考を纏める。


菊川悠、幼稚園の頃からの幼馴染。決して淑やかとは言えない、勝ち気で負けず嫌いな女。でもこれはヤクザの叔父に育てられたからだろう。容赦のなさはお墨付き、そのくせ懐に入れた人間にはショートケーキにイチゴジャムをかけたくらいに甘い。うちの両親、特に女の子が欲しかった母親とやけに仲が良い。それから、案外面倒見が良くて料理上手。やりもしないバレーボールについて調べては俺のプレイスタイルを確立させていったくらいには頭の回転が早く応用力がある。あと見慣れてる顔だから俺はピンと来ないけれどアイツの幼馴染だと言った時の大抵の男子からの反応を参考にするとどうやら美人、らしい。

そんな幼馴染だが中学の時、体型の事で異性に下劣な視線を向けられたりセクハラじみた発言を投げ掛けられて居た。家庭事情を知らないからとはいえ無謀過ぎるが叔父さんが出て来る必要もなく、俺が口を挟む間もなく、本人は鼻で笑ってたしなんなら全力で健全な思春期の心と夢をぶち壊していた。それでも、静かに落ち込む姿はきっと俺しか知らないんだろう。


忘れたくても忘れられない、中二のバレンタイン。チョコレートにびっしりと入った長い髪の毛と気が狂ったかのような手紙は思い出すだけで鳥肌が止まらないけれど、そこから救ってくれたのも幼馴染だった。母親の手料理すら食えずに居た俺の為に腰まで流れていた髪をバッサリと切って俺のメシを担当すると言った幼馴染。甲斐甲斐しく世話をさせてしまった事もだが、女の髪を切らせてしまった罪悪感は暫く付き纏った。それでも自惚れるなと背中を蹴り飛ばし、支えてくれたのだから頭が上がらない。情けないと思うけれど、悠に頼るのは抵抗がないから不思議だ。

つまり、要約すると俺が過ごす今の居心地の良い生活を作る基礎とでも言えば良いのか。やはり家族だとか、そういうものに近い気がする。面倒見の良い姉みたいな、姉なんか居ないからわかんねえけど。



台風並みの天気の崩れと聞いて急遽休みになった部活に溜息混じりに昇降口まだ行けばまだ小雨で余計にがっかりするけどどうしようもないのは分かっているから大人しく下駄箱からスニーカーを取り出す。この程度なら走って帰れば良いだろうなんて考えてたら背後から声を掛けられた。傘の有無を聞いて、そうして諦めた顔をして居るのを見ればきっと悠も傘はないのだろう。まだ弱いうちに帰ろう、と誘えば幼馴染は複雑そうな顔をした後、一つ頷いた、…ところまでは良かった。土砂降りの中、東屋の中でびしょ濡れになった制服を絞りながら幼馴染を見る。何故か恨みいっぱいと言わんばかりの顔で空を睨みつけているからきっと今日の天気予報は晴れだったんだろうな。ふと、鞄の中を漁れば放課後の部活用に持ってきていたタオルを見つけた。

「悠、タオル使え。」
「………どうも。」
「放課後練用だから使ってねえっつの。」

鞄から適当に引っ張り出して悠に突き出せば目を丸くした後、言葉を詰まらせて何とも言えない顔をしてから小さく礼を言ってタオルを受け取る悠に一応言っておく。乾いた笑いを溢した幼馴染が軽く水気を拭っている間に空を見上げる、強くはなってるけど弱くなる見込みはなし。

「どうすっか。」
「どうしようもなにも帰るしかないでしょ、ここまで濡れたらもう変わんないって。」

諦めたような幼馴染、再度鞄の中を漁り目的の物を取り出す。バレー部指定のジャージは羽織る程度に使用済みだが…ないよりはマシだろう。0か1なら1にしとけ。

「着とけ、女が体冷やすな。」
「いや、あんたが…、」
「ほら。」

聞きやしない…と不服そうに溜息を漏らした幼馴染は諦めたのか大人しくジャージを受け取る。恐らく数日後に控えた練習試合の心配をしているんだろうが、俺は鍛えてるしそもそも男女差があるのだから悠が着るべきだろう。張り付く前髪を掻き上げていれば隣から布ズレの音が聞こえて、白いシャツから透けた黒に一度だけ視線を奪われたがすぐにエナメルバッグのチャックを閉じる事で意識を逸らした。お待たせ、と声が掛かったのを合図に悠を一瞥する。このままだと風邪をひくだろう。

「お前この後の予定は?」
「何もないけど、なんで?」
「うちのが近いから雨弱くなるまでうち来いよ。」
「んー、そうする。」

対して悩む事なく返された言葉にまた大粒の雨の中へと走り出した。そういえば家に誰も居ないことを伝えて居なかったけれど…何度も互いの家に泊まった事はあるし、今更だろう。兎にも角にも薄く紫がかった唇をする幼馴染をすぐに風呂に突っ込む為、足を早めた。


玄関先まで辿り着き、びしょ濡れになった鞄から家の鍵を取り出す。悠が驚いたような声を上げるから俺を抜いた三人で旅行に出ている事を伝えるとそう、と短く返される。冷え切ったんだろう、小さく身震いして腕を摩るのを横目に見てなるべく早くと家の中へと招く。フローリングに鞄を乱雑に置いて脱衣所まで迎いタオルを二つ掴む。ついでに浴室暖房をオンにしてから玄関に戻れば濡れたスカートを不愉快そうに摘む幼馴染が目に入り頭からタオルを被せる。

「とりあえずシャワー浴びて来い。」
「いや、あんたが先入りなさいよ…試合前でしょうが。」
「着替えとけば平気だろ。ほら、行って来い。」

でも、と続ける幼馴染の背中を押して脱衣所へと押し込む。大きな溜息が聞こえて来たから諦めたんだろう。あんな真っ青にしてる女を待たせる男がどこに居るというのか、アイツは偶に察しが悪い。濡れた髪をタオルで拭きながら二人分の鞄を引っ掴み、リビングへと移動し中から未使用の練習着を取り出して手早く着替える。若干湿ってるような気もするけれど絞れる程の制服よりはまだマシだろう。適当なビニールに濡れた衣類を詰めてから窓際の適当な場所に新聞を敷いて、その上にさっき髪を拭いたタオルを重ねてから二人分の鞄を置いた。弁当箱と必要な物を取り出したら後は放置でいいだろう。空になった弁当箱を流しに置かれた水桶に浸してついでに冷蔵庫の扉を開く。母さんは悠が来る事をわかっていたのか、食材は余る程にあったので後で悠に夕食を強請ろうと心に決める。

程なくして血の気を取り戻した幼馴染が出て来たので適当に声を掛けてから濡れた服の入ったビニールを掴んで脱衣所へと急ぐ。これで風邪でも引いたらあいつが必要以上に気を使うだろうしさっさとあったまるに限る。あ、濡れた制服ってどうすんだっけ?なんて疑問が頭を過ったけれど、後で母さんに聞けば良いやと結論つけて着替えたばかりの服へと手を掛けた。



風呂上がり、ドライヤーを悠に手渡してから端末に手を伸ばして天気予報を見る。明日の夜までこの天気は変わらないらしく、恐らく休校になるので各自筋トレするようにという監督からのメッセージが届いていた。試合までそんなに時間がないけれど、自然災害に文句を言っても仕方ない。溜息を吐き出すと同時に幼馴染の手が髪に触れて、ついでとばかりに手櫛で整えながら俺の髪も乾かす。こういう所が面倒見が良いというか、甘いというか。これは頼まずとも飯の用意をしてくれそうだな、なんて考えながら目を閉じて心地好い指先に意識を向けた。

「悠、今日泊まってけば?」
「なに、雨止まないの?」
「明日の夜まで続くってよ。」

ドライヤーの音が止まると同時に瞑っていた目を開いて提案を投げ掛ける。きっと呼べばすぐにでも迎えは来るのだろう。この天気では車とは言え流石に心配だし。そんな俺の考えを知ってか知らずか、幼馴染は大きく溜息を吐き出して俺の後頭部を軽く叩いた。

「夕飯作ってくれって素直に言いなさいよ。」

彼女は呆れたみたいに言うくせに、仕方ないなあって顔をするからこうして俺の我儘に絆されしまうんだろう。コイツこんなにちょろくて大丈夫か?って心配と、他のヤツにはこんな風に甘くないし、なんてどこか自惚れたような思考が混じる。俺にとって悠が他と違うように、悠にとっても俺は他と違うんだろう、なんて。


強請った通りに用意されたチキン南蛮を食い終わり、後片付けをする悠を横目にストレッチと筋トレを済ませて二人で並んでソファに座りこの間の試合を見ながら改善点だとかそういうのを挙げていれば時刻は22時。通りで眠い筈だと欠伸を噛み殺すと悠はそれに気が付いたようで書き留めたノートを閉じる。客間に布団の用意に行くのだろう、と思った矢先、眩しい程の光に次いでけたたましく鳴り響く轟音。雷か?なんて思ったのも一瞬で一気に部屋が暗闇に包まれる。随分と近くに落ちたのかもしれない。

「ブレーカー落ちたか、これ。」
「っぽいね。」
「見てくるから待ってろ。」

携帯のライトで足元を照らしながらブレーカーの様子を見る。足元にあった小さな台に乗ってブレーカーを弄るも依然部屋は暗闇のまま。ネットで検索をかけるとこの地域全体が停電しているようだ。このまま付けておいては事故に繋がる可能性がある、それに後は眠るだけだと思えばいっそのことこのままオフにしておいた方が安全だろう。ライトで照らしブレーカーのスイッチがオフになっている事を確認すれば台をそのままにリビングへと戻った。悠の顔がライトで照らされて表情が窺える。少しだけ不安そうな、でも困ったような顔。

「つかねぇし、どうなるか分からねえから切ってきた。冷蔵庫開けらんなくなったけど。」
「私まだ布団出してないんだけど?」
「俺のベッド使えば?」

漏れる欠伸をそのままに伝えたら悠は困惑したような、悩ましいような声を出した後、はっとしたように俺の手首を掴む。少し冷えた小さな掌とほっそい指が素肌に触れて思わずぎくりとしてしまう。

「じゃあ寝るよ。」
「なんで引っ張んだよ。」
「自由のベッドなんだから自由が使うべきでしょ。ていうかソファで寝たら風邪引くし。この天気だから寒いわよ。」

おい、お前正気か?という言葉はなんとか飲み込んだ。コイツ本当に俺が異性だということを忘れてるんじゃないかと思わず問い詰めたくなる。だがこのまま争っていても時間の無駄だという事はわかっているし、諦めて二人でベッドへと潜り込んだ。一応互いに背を向けて寝転ぶけど狭いベッドじゃどうしたって背中は触れ合う。襲い来る睡魔と触れる体温の狭間で意識がふらふらとどこかへ行きそうになっていたけれどおやすみ、と掛けられた声になんとか返事をして目を瞑る。疲れた体は既にあった睡魔に負け、ゆっくりと意識を手放していった。



夜中に一悶着あったものの無事二度寝から覚めると腕の中の温もりは何故かそのままで、驚いていると胸元から顔を覗かせた悠と視線が合う。どうやら既に起きていたようだ。特に混乱した様子もなく、普段通りの表情に安堵とよく分からない感情を覚えたけれど気のせいだ。

「おはようさん。」
「おはよ。」

ぱっと腕を解いて幼馴染を解放すればそのまま起き上がりぐ、と体を伸ばしている。猫みてぇ、なんて思いながらも倣うように起き上がって放り投げた携帯で時間を確認すれば朝の6時。朝練だったら遅刻してな、と反省しつつ欠伸を零す。二人でくっついて寝ていたせいか、はたまた寝起きだからか随分と肌寒く感じる。クローゼットからジャージとパーカーを取り出してパーカーを悠に手渡し羽織ると悠もパーカーに腕を通してベッドから出た。

「電気ついてると思うか?」
「どうだろ、まだ雨は降ってるみたいだけど。」
「…腹減ったからメシ食いてえ。」


くだらない話をしながらリビングへと足を進める。悠は何かを言いたそうな顔をしていたけれど何となくの予想が付くから俺からは何も触れずにいよう。寒かったからお互いくっついたとか、そんなもんだと考えるだろうし。俺だって昨日の自分の行動はよくわからないから、あまり考えたくない。

触れたくなった理由なんてきっとくだらないものだ。好奇心や悪戯心以外の何者でもない。触れる体温が心地好かった理由も、まだ知らなくて良い。そんな風に言い聞かせて、朝食は卵焼きが良いと強請っておいたのだった。