勝敗の行方は、
爽やかな朝とは程遠い、どんよりした雲と降り注ぐ雨。今日はどうやら一日中天気が悪いと誰かが言って居たっけ。先程締めたネクタイを解いてジャケットを脱ぎ、ボタンを二つほど外す。そのまま二つともソファーの背に掛けてからデスクへと移動した。デスクの隣に設置した棚に置いてあるコーヒーメーカーのスイッチを入れてから引き出しから数枚の書類を取り出してパソコンを起動させる。
今日は書類をまとめなくてはならない。そんなに時間がかかる物ではないしお昼にはきっと終わらせることが出来るだろう。午後はポラリスと一緒に体を動かす事になるんだろうな、なんて考えながらパソコンにUSBを差し込む。マウスを操作してファイルを開く。次の交戦ファミリーの情報が簡潔にまとめられて居て、ざっと目を通す。部屋にコーヒーの香りが漂って来た段階で机に置いておいた書類の1束を取ってからコーヒーメーカーに手を伸ばす。愛用のマグカップにコーヒーを注いでそのまま一口啜ると出来立てだからか酷く熱く一瞬肩を跳ねさせてしまう。気を取り直して書類へと目線を向ける。
「へえ、この人強いんだ…。」
相手ファミリーの幹部の一人に目が止まる。武器は…メリケンサック?今時そんなの使う人居るんだ。属性は…雷か。ポラリスとは相性が悪いかもしれないな。エモノもない近距離戦向きな二人になってしまうと時間が掛かってしまうだろう。僕のポラリスがこんな雑魚ファミリーに負けるはずがないけれど、彼女が不必要な怪我をする必要はないだろう。それに、この書類が僕に回って来たという事はアオイちゃんやヨハンくんがこの男の相手に適して居るのは僕だと判断してのことだろうし。
男は目付きが悪く、下劣そうな顔をして居る。なんだか見るだけで不快感の募るような、そんな顔。うんざりするけれど下情報くらいにはきちんと目を通すべきだろう。紙を捲り文字を目で追って行くとぴたり、と思考が止まった。
″極度の女好き。特に髪の長い、気の強い女を好む″
嗚呼、ポラリスを視界に移す前に処理しなきゃ。一秒でもこの男の視線がポラリスに向こうものなら多分理性とかそんなものはなくなるだろう。一人残らず殺したところで怒りが収まる気配がないもの。赤いペンを取り出して男の顔写真の隣に「preferenziale」とだけ書き込む。その後に数枚の書類に目を通したけれど特に有力そうなものはなかったのでまた机に戻しもう一束を手に取る。少し冷めた、飲み頃のコーヒーを啜りながら書類に目を通していった。
パソコンを操作して当日自分が通るであろうルートを見取り図に纏める。それから敵情報から得た適任と思わしき割り振りと先程の男は自分の手で始末したい旨を打ち込み全てを印刷する。左上をホッチキスで止めて一通りやる事は終わった。時計を見たらお昼まであと15分程度だった。少し考えてジャケットのポケットから煙草を取り出し一本咥えた。ポラリスが興味を持ってしまうから、あまり目の前では吸いたくない。紫煙を吐き出せば空気清浄機が勝手に起動した。
ゆっくりと煙を吸い込み、吐き出す。部屋が白くなって、そうして空気へと溶けて行く。その様子を見ていると扉が勢いよく開いて愛しい恋人が天使みたいな笑顔でそこに立って居た。さっさと煙草を揉み消してニッコリ笑ってそっちを向く。
「コウ!昼飯食べよう!」
「もー、そんなに勢い良く開けちゃダメだよ。壊れたらどうするのさ。」
僕的には注意したつもりだったけれどきっと顔は蕩けたようになっているだろう。アオイちゃんやヨハンくんが見たら多分呆れ返るんだろうな。甘過ぎる、だなんて言いながらも彼女たちは僕たちの否定はしない。だからこそ僕たちは変わらないし居心地が良い。
ポラリスはすまんとは言っていたけれど特に悪びれてはないみたいだ。うん、ポラリスとしてはそんなに強く開けたつもりはないもんね。彼女にその気がないのであればそれは幼子が力加減が分からずに物を投げてしまうようなものだ。悪意はなく、ただ純粋なだけ。だから僕が怒る必要なんてないのだ。
早く早く、と待ちきれないと言わんばかりのポラリスに少し待ってもらってネクタイを締める。幹部だから、というわけではないけれど身形はきちんと整えてなくてはならない。もしかしたらこれから死に行く人間と対面するわけだから正装はしなくてはならない、なんて誰かがそんな事を言っていた気がするから。それに、案外ネクタイって便利だったりする。怪我した時の止血とか、相手を拘束するのとか。利き手を怪我したとしても手と刀さえ固定されていればなんとかなるのだと知ったのはいつだったか。
ジャケットを羽織ってポラリスと部屋を後にした。後で着替えに来るだろう。室内って出来ることが限られているからポラリスが不完全燃焼にならなきゃいいなあ、なんてぼんやり思った。その為に僕が居るんだけどね。
「そういえば、書類に目を通したか?」
「え?うん、さっきまでそれやってたんだ。ポラリスは?」
「私も見たぞ!そんなに大きな戦力ではないらしいな。私とコウと数人の部下で行くなんてアオイたちも無茶を言うよな。」
そんな事は思っていないんだろうなあ、なんて思う。だってポラリスの顔は楽しそうだ。
「ねえ、久しぶりに二人なんだし久々にどっちが多く倒せるか勝負しない?」
「いいな!だが私は負けないぞ!」
「えー、僕だって負けないよ?」
ぐっと拳を見せて来るポラリスの天使みたいな笑顔に癒される。負けず嫌いな彼女の事だ。これで人数を稼ぐことに集中するだろう。彼女は賢いから自分が不得意な相手と分かればそれ以外に手を出すはず。だからさっきの男からは遠ざけられる筈だ。幾ら他に強いと言われていようが僕たちの前では大したことなんかないだろうし。というか正直数人の部下も必要ないんだよね。僕とポラリスだと不安、なんて言うような子達ではないから多分後処理だとかその辺りで必要になってくるんだろう。
二人で昼食を摂って、その後なぜかポラリスは僕の部屋に来た。不思議に思って居るとポラリスは笑っているだけで何も言わない。どうしたんだろう?隠し事をするような子ではないから多分、隠していると言うよりは何か彼女の中で納得できない事があるのだとは思うけど。
僕の部屋に着いて、彼女は何の戸惑いもなく僕のベッドへと腰掛けた。ジャケットも脱がずに隣に腰掛けるとポラリスは小さく唸ってから呟くように僕の名を呼んだ。
「なあ、コウ。」
「どうしたの?ポラリス。」
彼女は少し口籠って、間を置いてその唇を開いた。
「一人、どうしても私が相手をしたい奴がいるんだ。だから、勝負をしても良いんだがソイツだけは私が仕留めたい。」
ぱちり、と目を見開いてしまった。ポラリスがそんな事を言うのは酷く珍しい。僕が言葉に詰まっているとポラリスはバッと顔を上げて勢い良く僕の肩を掴んだ。
「そいつにだけは絶対近付いちゃダメだぞ!いいか?茶髪で髪の短い、背が低くてタレ目のアジア人の女だ。いいか?」
「えっと…どうしたの?何かあるのかな?」
問うてみるとポラリスは黙ってしまった。暫しの沈黙が流れてどうしたものかと苦笑を浮かべた。なるべく穏やかな声で彼女の名を呼んでみれば彼女は観念したらしい。
「そいつ…コウの事を狙ってるんだ。」
「へ?」
「コウとの戦いを望んでるって書いてあって、余り戦い方も褒められたようなものではないらしいんだ。もしかしたらファミリーなんて捨ててコウの事を連れて帰ろうとするかもしれん。だからコウはダメだ。」
もしかしてポラリス…僕が連れて行かれるのが嫌なのかな?相手が卑怯な手を使って僕を連れて帰ろうとしてるからダメって事だから…うん、間違ってない筈だ。なんだか独占欲みたいで嬉しいなあ、なんて思ってたら笑ってしまっていたみたいでポラリスはムッと眉間にしわを寄せた。
「あはは、ごめんごめん。…僕が帰る場所は地球上でただ一つ、此処だけだ。だからそんなヘマはしないよ。それに…大切なポラリスが嫌な事を僕がすると思う?」
「それは…そうなんだが…。」
「卑怯な手、そんなの慣れたものじゃない。そんなのに翻弄される程僕は弱くないよ。それはポラリスもでしょう?」
俯くポラリス。うーん、幼馴染みって枠を超えてからと言うもの、余りポラリスに意識されていた記憶がないからなんだかこんな事を言われてしまうと調子に乗ってしまいそうだ。
「……コウが、何処かに行ってしまうのはダメだ。他の女に、なんて…正直考えたくない。」
ぽつ、と漏れたのはきっとポラリスの本音で、それは確かに独占欲だった。余りの嬉しさに飛び上がりそう。でも不安そうな恋人を目の前にそんな事をするわけにはいかないし押し込めて抱き締めた。驚いてるポラリスの背中を撫でて、でも堪え切れない笑いは漏れてしまった。
「何処にも行かないし、他の女の子に興味なんて一ミクロンもないよ。僕の大切な女の子は君だけだ。知らなかったわけじゃないだろう?」
「でも…。」
「うん、勿論その人はポラリスが処理していいよ。余り褒められたようなものではないんなら本当は僕だってポラリスをそこに送りたくなんてないんだ。でもね、僕はそんな人にポラリスが負けるはずがないの、わかってるからさ。だから良いよ。」
ポラリスの手がゆっくりと、でも確かに背中に回る。二人で隙間がなくなるくらいぎゅうぎゅうに抱き合う。少し体温の高い体が心地よくて少し眠気が襲ってくる。けれど何よりかにより好きな子といつまでも密着してるのは非常によろしくない。狼になるにはまだ、というか早すぎる。無垢な彼女を汚すのは僕だけどその時は今じゃない。なんて言って離れるのが正解かわからなくて頭の中で必死に考えていると腕の中から健やかな寝息が聞こえた。
嘘でしょ、ポラリス。君はもう少し危機感を持ってくれ…!男の前で簡単に寝顔を見せちゃいけないよ!男が如何に危険かなんでわからな…、僕がそう仕向けたからだ…!僕のバカ!昔からポラリスに下心を向ける男は容赦なく接していたせいで些か隙の多い子になってしまったらしい。そういえば僕の体温は落ち着くって前に言っていたっけ…。
仕方ないからそっと起こさないようにベッドに横にならせた。何とかこの生殺しから解放されたかったけどポラリスがしっかりと僕を抱いたまま寝てしまっているせいか脱出は不可能そうだった。ひとつ溜息を吐き出して諦めて僕も眠る事にする。せめてジャケットだけ脱ぎたかったけれど捕まってしまっているから断念してネクタイだけ静かに、ポラリスに当たらないようにしながら解いてゆかに落としておく。ボタンを外してそっと目を瞑った。
今日はなんだか、良い日だったなあ。なんてまだ午後になったばかりなのに思う。ポラリスが見せてくれた独占欲は幼馴染みとしてもあったけれど、少しだけ女の子としての感情も覗かせてくれた。なんて良い日なんだろう。僕の思いにきちんと答えてくれる日は案外近いのかもしれないと思うとついついニヤけてしまう。
それにしても、あの2人は意地の悪い事をするものだ。けれど、あの2人の情報がなければお互いよくわからない雑魚に不快な思いをさせられるところだったみたいだしやっぱり感謝するべきところなのかもしれない。
僕の部屋はまだコーヒーの匂いがした。起きた時に2人分くらいは残っていただろうか。昼寝から目が覚めたら2人でコーヒーでも飲もう。そしてたまには体を動かすのではなく、ゆっくりとした恋人の時間を過ごすのも悪くないんじゃないかな。僕の想像通りになるかはわからないけど、少しだけでもポラリスが僕の事を意識してくれたら良いな、なんて僅かな期待を胸に抱いて慣れた体温を体いっぱいに感じながら目を瞑りそのまま意識を手放した。
結局、二日後に2人で赴いたそのファミリーでお互いの狙いを真っ先に、そしてさっさと処理した僕たちは最初の約束通りに勝負に精を出す結果となった。因みに数は僕の方が少しだけ多くて、拗ねたポラリスが見られたのでなんとなく得した気分になったのはいつものことということで大目に見て欲しい。
取り敢えず、彼女の機嫌を取り戻す為に近くに美味しいビールとおつまみがあるお店を必死に考えながらそっとその体を引き寄せて丸い額に口付けた。驚いて、少し照れたような表情にもう一つの勝負にも近々勝てるという喜びと確信を持って笑顔を向けて彼女をエスコートする事に集中する事にした。
きなこ