午前7時の葛藤と幸福
ぱちりと目を覚ます。日頃の習慣のせいだろう、時計はまだ七時前で二度寝しようかとベッドに寝転べば隣にはアンナが眠っている。健やかな寝息を立てて眠る彼女に戦場での面影はなく、幼子のよう。
此処に来たばかりの頃は余り眠れていなかったようだけれど既に此処がアンナの家になった事になんだか親心の様な、何とも言えない感情が胸を占めた。オレと眠る事に慣れていくのはやっぱり優越感みたいなものがあって、こうして隣で動いても眠り続ける事が出来るのであればその分、心を許して貰えてるということで。そんな話をボスにすれば「レオネもそうだったじゃない。」なんて笑うんだろうけど。
寝顔を眺めていれば長い睫毛が震えてその目が開かれた。その琥珀色はまだ意識がはっきりしていないのか少し彷徨ってオレを認識すればふわり、と柔らかく微笑んだ。
「おきてたの、?」
「さっき起きた。寝てていいぞ。」
まだ七時前、非番なのだからもう少しくらい眠っていてもバチは当たらないだろう。まだ微睡みの中に居る恋人を甘やかしたいという気持ちがないわけじゃないし、偶には…なんて考えていると栗色の髪が揺れてゆっくりとオレの胸の中に潜り込んで来る。硬直して居ると唸り声みたいな、不満があるみたいな声が胸元から聞こえてぎこちない手つきで頭を撫でてやると嬉しそうな声が聞こえた。普段は仕方ないと思ってくれてるのかも知らないけどどうやら眠くて自分の願望に忠実らしい。でも、眠いのなら…何をしても覚えてない、かもしんない。そう思えば何だかいつもより気恥ずかしく無い気がして息を飲み込み、覚悟を決めた。
とは言っても、特に何かを出来る程自分が積極的ではない自覚はある。取り敢えず…と恐る恐るその身を引き寄せてみる。簡単に腕の中に収まり、こんなに小さかったかと思った。いつもはヒールを履いているせいか?抱いた腰は華奢。ていうか、全体的に細い。こんなの、片腕1本でどうにか出来てしまうじゃないか。ふわふわの髪の毛は指通りが良く、きっと丁寧に手入れがされているんだろう。そっと髪に顔を埋めてみたら彼女らしい、優しい匂いがした。シャンプーの匂いだろうか、なんだか落ち着く匂いだ。
とくん、とくんと一定のリズムで動く心臓になんだか愛おしさが込み上げてくる。普段は出来ない、けれど、今なら…。
少しだけ体を離してそっとその丸い額に口付けた。意識が曖昧な彼女に何をしてるんだ、警告音みたいなのが頭に響く。でもこの空間に止める人なんて居ない。頬を撫でて、厚い唇に己のそれを重ねようとした直後。ぱちりとその目が開いた。5センチにも満たない距離、混乱したアンナの表情に頭の中で終わった…と絶望した。寝てる恋人になんて無体を、とか何とか。頭の中は大混乱で言葉の一つも出て来なかった。
アンナは少し視線を彷徨わせた後、その目を閉じた。期待するみたいに、少しだけ顔を上げて。ドキリとして飛び退きそうになったけどここまで来てそれはないだろうと頭の中でジュゼッペが呆れたみたいな顔してる。うるせぇ、お前と一緒にすんな、とか思うけど、今はその声が何となく頼りになる。覚悟を決めて目を閉じて、唇を重ねた。柔らかくて、あったけえ。そんなガキみたいな感想。ゆっくりと唇を離すとアンナとまた目が合った。
「………………はよ。」
結局気の利いた台詞も思い付かなくて謝罪の言葉も出て来なかった。いや、恋人なのだから謝る必要はないのだけれど。アンナは恥ずかしそうに笑っておはよ、と答えた。寝起きの少し舌っ足らずな言葉は贔屓目なしにも可愛いと思う。本人には口が裂けても言えないけれど。
「今何時…?」
「えっ、と…7時半くらい。」
時計を見ればもう1人で30分は葛藤していたらしい。何をしているんだ、本当に。時間が分かるとアンナが考える様な仕草を見せて、また胸に潜り込んで来た。……今お前、オレに何されたかわかってる?ぐるぐると考えていると胸元で小さく、呟かれた。
「また寝たら、レオネはキスしてくれる?」
「っ?!」
何を言ってるのだろうか、この恋人は。寝込みを襲われた自覚というものがないのか?いやでも恋人という関係だからこそ危機感というものがないのか。ぐるぐるぐるぐる、思考は働き続ける。考えても仕方ない、のだろうか。
「寝ても、寝なくても…アンナがしていいっつーんなら、する、けど…。」
最後の方は聞き取れるかすら危ういくらいの小さな声になってしまったけれどきっと聞き取れたのだろう。嬉しそうに笑った恋人は「じゃあ、起きてる。」と答えた。本当は寝ててくれた方が羞恥心の関係上非常に助かるんだけど起きてたいとの事なのでそこは男として頑張ろうと、思う。頑張りきれるかはわかんねぇけど。
「ふふふー、レオネからキスして貰えた。」
「……い、いつも悪ぃ。」
ぜーんぜん、そんな事言いながら擦り寄ってくる恋人が可愛くない筈がない。寧ろ手を出す事を躊躇しているのはオレだけなのだから偶には、少しくらい積極的になれという話なのだけれど。
怖いのかも、しれない。手を出して彼女に愛想つかされないかとか色々。今の状態でももちろん思うけれど。そもそもそんな事で態度が変わるような恋人ではないけれどやっぱり気恥しいし次の日自分がどう接していいかわからなくなる。そこから先暫く目を見れる自信が全くないし。踏み込んで変わらずに居られる保証なんてどこにもない。変わって、アンナが居なくなることが何よりも恐ろしい。
「…なあ、アンナ。」
「なあに?」
甘えるような声を聞きながら細い腰を抱き寄せて、顔を隠す。
「オレ、アンナは手放せる自信ねぇわ。」
ぼそりと漏らした本音。アンナは聞き終わると少し間抜けな声を漏らした。そんなに変なことを言っただろうか?ぼんやりと思い返してみればそれは独占欲にまみれた言葉でさあっと顔が青くなる。しまった、突然何を言っている。慌てて謝罪しようとするとアンナはオレの首に腕を回して楽しげに笑った。
「なあに、突然。嬉しいこと言ってくれるのね。」
愉快そうに、嬉しそうに。そんな声音を聞いてしまうと何だか許されたような気持ちになる。聞こえないくらいの溜息を吐き出して、諦めてその体を抱き締め直した。
まだ八時前、朝食までは時間に余裕がある。1時間くらいなら羞恥心との戦いにも勝てそうだし。何とか腹を括ってまたその唇を奪う為に体を離したのだった。
2時間後、上機嫌で朝食に向かったアンナと真っ赤な顔をしたオレを見て全員に悟ったような顔をされたけれど何もう触れずにいてくれと願うばかりだった。