その日は雨だった。バケツをひっくり返したみたいに外は沢山の雨粒が降り注ぎ、大地を濡らす。ふと目線を窓に向けて真っ黒な雲行きを見ながらぼんやりと恋人の事を考えた。怖がりの彼は大丈夫だろうか?手に持った書類を抱え直して彼の部屋へと足を運ぶ事にする。

一度キッチンに寄って小さな鍋を用意しそこに牛乳と少量の蜂蜜を加えて火を掛ける。掻き混ぜながら温度を見て湯気の立つと私のマグカップに注いで温度を確かめる。少し熱いくらいだけれど今日は天気のせいか酷く冷えるから多分、これくらいで丁度良い。彼のマグカップにも流し込むと二つを持って彼、ジューリオさんの部屋に向かう。


扉を軽くノックすれば誰かと問う小さな声が聞こえた。ジェスタです、と伝えれば入室の許可が出たからホットミルクを零さないように注意しながら扉を開く。部屋は相変わらず物がなくて、そして真っ暗だった。ベッドで布団に丸まり大きな体を小さくして膝を抱え込むその姿は幼子のようで、やはり怖かったのかと思った。

「寒いのでホットミルクを作ってみたんです。折角なので味見してみてください。」
「…ありがとう。」

長い腕が伸びてマグカップを受け取り、手に収まったのを確認してから手を離した。少し迷って隣に座っても良いかを問えば小さく頷く。少し距離を取って隣に腰を下ろし、まだ湯気の立つマグカップへと唇を寄せた。ジューリオさんも少しずつだけど口にしていてくれてそっと胸を撫で下ろす。良かった、朝食は余り進んでいないようだったから。普段から余り食べる事が得意ではない彼だが、ふとした時にそれが酷くなる。もしかしたら彼の過去のことかもしれない、とは漠然と思っていて、それでも彼の脆いその場所に触れても良いのか分からず何時も何も出来ずにいるのだ。恋人なのだから少しくらい縋って欲しい、その思いがないと言えば嘘になる。けれど彼が恐がらないのであればその役目は私ではなくても良いとも思う。


例えばジュゼッペさん。彼をうちのファミリーに連れてきたからか、それともそこまでの過程に何かがあったのか…彼はジュゼッペさんにとても懐いているように見える。ジューリオさんの死ねる理由…なんだろうな、と私は勝手に考えている。

例えばボス。彼女はとても強くて優しい。きっと何も言わなくてもそれを咎めることも無く、問いただすことも無く、傍に居てその背を見せるだけで周りの人間に安心感を与える。私は貴方が大切だと隠すこともない、笑って言える人。ボスはきっと、ジューリオさんの生きる理由。

二人とも接し方や性格は正反対みたいに見えるけれど、ジューリオさんにとって、とてもとても大切な二人。生きる理由にも死ねる理由にもなる、彼を構築していくのに必要不可欠な存在。それを疎む事は無い。何故なら私も二人に救われた身で、また、私の生きる理由と死ねる理由もきっとこのファミリーの存在だから。ボスとジュゼッペさんを除いてもこのファミリーの為ならばこの命は幾らでも何とでもして欲しいと、心から思う。だからジューリオさんが零したいその気持ちを受け取るのは私でなくても良い。ただ、一欠片でも、私の手に収まる未来を何度だって思い描くくらいには私は彼が大切で愛しいと思っている。


「…ジェスタ?」
「あ、っと、すいません…ぼんやりしてました。」

考え込んで黙った私を心配そうに覗き込むジューリオさんに慌てて返事をして笑みを向ける。ジューリオさんの目が少し泳いで考える素振りを見せたけれどそれは言葉にならず、また幾許かの沈黙が流れる。気まずさ、というのは不思議と無い。

雨が窓を打つ音だけが部屋に響く。その時、部屋が明るく光って近くで大きな音がしてジューリオさんの体が小さく震えた。どうやら雨だけではなく雷まで鳴り始めてしまったようだ。ちらり、と隣を盗み見ればその目は不安を灯している。何を言えば良いのか、なんて、わからない。私はボスみたいに包容力のある人間ではないし、ジュゼッペさんみたいに人の気持ちに聡い訳ではない。それでも、私は私なりにこの人を安堵させたい。その気持ちに偽りなんてないから。マグカップを机に置いてその大きな体を抱き締めて、頭を胸元に抱え込む。ジューリオさんが驚いたのは何となくわかったけれど、腕はそのままにした。

「私、雷属性なんです。」
「…?知ってる、けど。」
「ジューリオさんが、怖くないように。真っ暗な場所じゃなくて、あったかいファミリーが見えるように、明るくしてみました。ちょっと煩いですけど…でも、私がここに居るって、そう言ってるだけなんです。」

ぴく、と胸にある体が肩を揺らす。ぎゅう、と腕の力を込めて距離を更に詰める。

「私は…ジューリオさんが、どんな風に過ごして来たのか知りません。知りたい気持ちが、無いわけじゃないけれど…でも、それより、これから先の未来を…一緒に歩みたいと思って居て。怖いって、思ったキッカケを言わなくても良いから…怖いって、言って欲しいです。そしたら、傍に居る事は出来るから。一人じゃないって言えるから。」

ジューリオさんの腕が恐る恐る私の背へと回る。縋るように背中のスーツを握り締める彼が私にはやっぱり幼い子供のように見えて、安心して欲しくて堪らない気持ちになる。大丈夫だよ、なんて言えないけれど、ここに居るよとは言えるから。怖い物全てから守る事は出来なくても一緒に戦う事は出来るから。


「ジェスタの音は…安心する。」
「音?」
「うん。今は…ちょっと早い。」

私の胸元に耳を寄せるジューリオさん。音、多分心音の事だ。早いのは、その、察して欲しい。恋人に触れているのだからある程度の心音の乱れは許容範囲内って事で…。

「…雷って、怖いけど嫌いじゃなかった。きっとジェスタだからだ。」
「嫌いじゃないのは嬉しいですけれど…音は大きいし急に光るし…怖い、ですよね。」
「もう怖くない。ジェスタが近くに居てくれるって分かった。音を鳴らして、意識をそっちに向けたら明るくなる。みんなが居るって教えてくれてる。だからもう怖くないよ。」

縋る手はいつのまにか優しく私を抱き寄せて居た。もうジューリオさんの体は震えて居ない。そっと腕の力を緩めるけれど彼はそのまま私の胸に顔を埋める。手を滑らせて少し跳ねる髪の毛を撫でるとジューリオさんの瞼が閉じて意識をどこかに集中しているみたい。このまま、眠れたら良いな。横にならないと眠れないだろうけれどこのまま寝付いたらきっと横にさせる事は出来るからなるべく静かに彼の頭を撫で続けた。


ふと窓の外を見れば変わらず沢山の雨粒が降り注いでいる。雷の音はいつのまにか遠く、小さくなっていた。もう少しすればきっと雨は止むだろう。その頃には陽が暮れて明るくなる事はないだろうけど、でもきっと平気だろう。彼は多分、夕食の頃にはファミリーの顔が恋しくなって、夕飯もいつもより少しだけ食べられる。なんの確証もないけれど、きっとそう。少しずつ暖かくなる彼の体温に私も安堵する。体の緊張は解れてきたみたい。


「ありがとう、ジェスタ…。」
「……はい。」