パソコンに向かい合ってどれだけの時間が経ったのか、ふと気が緩みどっと疲れが押し寄せた。長時間画面を見ていた所為か目の疲れと肩凝りを自覚して軽く肩を回してみるが多少の気は紛れど根本的な解決にはなりそうにない。無意識に漏れ出した溜息をそのままに足元に意識を向ければジューリオが少しだけ微睡んでいるように見えた。周りを見れば彼によって幾らか足された机にどっさりと書類が乗っているのをみてまたやってしまった、と先程とは違う頭痛を感じた。



ジューリオが私の補佐に入る時は大抵こうなってしまうのだ。お陰で仕事は随分とやりやすいが、ずっと幻術を使い続けていれば彼にも疲労は押し寄せるのを理解はしている筈なのだがどうしても甘えてしまって良くない。なるべく静かに書類の類を整理して幻術の必要がない程度まで片付けてからそっと跳ねた髪に触れる。ゆっくりとその深い色をした目が此方に向けられて相変わらずの無表情で小さく首を傾げるジューリオに一つ、頷いておく。

「もう大丈夫…?」
「ええ、片付けも終わったわ。ありがとうね。」

怖がらないように、優しい手付きを心掛けて髪を撫でると私の周りにあった机たちか姿を消してジューリオが少しだけ私の手に擦り寄る。会ったばかりの頃とはやはり違い、心を許してくれているのかと安堵するが、それでもこの子の心の傷が完全に癒える日などそう簡単には来ないだろう。ファミリーには幾分か溶け込んだとは思うが…自信のなさと臆病さはうちのファミリーでは珍しい。一線を引いているわけではないのだろうけれど。もみくちゃにされる内に少しでも生きやすくなれば良いものだ、と何処か母親のような気持ちになった。未だ子供を作るわけにはいかないけど。


「ボス、お仕事終わり?」
「そうねえ…終わりにしようかな。」

生気のないようにも感じるが彼の目は意外と雄弁だと私は思う。決して意思がない子ではないのだ。意見を口にする事を躊躇する事はあれど、諭してやればおずおずとその口が開かれるのは知っている。意思があり、目的の為に何をするべきかを考える事もきちんと出来る良い子…私からはそんな印象。

「疲れちゃったから癒してくれる?」
「……わたしにもできる?」
「ええ、出来るわよ。」

一度髪から手を離して両手を広げてやれば僅かにその目を瞬かせて戸惑ったようにだが私と同じように両手を広げた。膝を抱えたままなのが少し残念だけれど仕方ない。こうして不器用なところも可愛くて仕方ない。漏れた笑みをそのままに椅子から降りて膝をつき、ジューリオの腕の中に潜り込む。驚いたのか薄い肩が跳ねたけれど恐怖や嫌悪からではないようでそろそろと長い腕が背に回る。ジューリオの脚が居心地の悪そうに動いたので、動かせる程度に距離を取れば密着していた膝が離れて私が入れる隙間を開けてくれた。そこに入り込んで思い切り抱き着くと衝撃で体が揺れたけれどなんとか堪えたみたいだった。


「…いやされる、の?」
「疲れた時はハグすると良いんですって。体温だとか心音だとか、その辺が良いんじゃないかしら?」
「そうなんだ…不思議だね。」

感慨深い、とでも言うみたいに私の言葉を復唱するジューリオに疲れが薄れていく。大きな体には不釣り合いだと言われそうなくらい、彼の中身はまだまだ幼い。知らない事が沢山あって、それらを知るたびに復唱して覚えようとする姿は子供のようで愛おしくすら思った。女が全員母性本能を兼ね備えているとすれば皆同じように思うだろう。知らない事は決して悪い事ではない。知らない事を知らないままで終わる事が何よりも怠慢、それが私の持論だ。取り入れる事を拒絶する事は酷く馬鹿らしい。覚える事すら出来ないのではそれは家畜以下だ。家畜ですら餌の場所や時間を覚えるのだから考える事を許された人間に出来ないはずがないのに。閑話休題。つまりジューリオはまっさらな子供のようだと、そう言う話である。


とくとく、一定のリズムを刻む心音に疲れも相まって眠気すら感じ始めるも流石にこの状態で寝たら良くない事くらいは理解している。部下とされる立場の人間の前で床に膝をつく時点であまり褒められたものではない。その上、このまま寝ようものなら十中八九怒られる。もしくはジューリオが怒られてしまう可能性、これもなくはない。流石にそうなれば間に入って私が勝手にやった事だと言えば良いだけではあるが。レオネ辺りは問答無用で文句を言ってきそうだけど。だが、それはレオネなりのケジメの付け方で私に対する敬意なのは分かっているから咎めることは出来ない。する気もない。何にせよ私が寝なければ良いだけの話だ。そこまで三大欲求に忠実ではないし、疲労が少しでも和らげば上々である。

「あ…。」
「ん?どうしたの?」

ジューリオの小さな、聞き漏らしそうなくらい本当に小さな声が聞こえて顔を上げる。密着していた所為か声を出したことによる振動があっていつもより少しだけ分かりやすかったのもある。ジューリオは私が反応した事に驚いたのか口籠ったがゆっくりとその手を伸ばして、窓の外を指差した。指先を追うようにしてそちらの方を見ると真っ赤な夕焼けが見えた。だが、もう少しでその姿は見えなくなってしまうだろう。何せもう冬なのである。陽は短い。

「夕暮れねぇ…。」
「…ボスの色、だから…沈むの、少しさみしい。」


途切れ途切れに紡がれた言葉に思わず目を丸くしてしまう。それから込み上げる儘に笑うと何故私が笑っているのかわからないジューリオが困ったように視線をあっちそっちに向ける。私は大空属性だから、空を見て私を思い出すなんて事は想像に容易い。だが真逆、夕暮れを見て私を思い出すとは。記憶の中で炎の色と比べてみると確かに、その色と酷似していたが。

実際、こうして予想外の事を言われるのが楽しくて仕方がない。予想が出来ない程柔らかな頭なんだろうけれど。私の炎なんて滅多に見ることもないのに良く覚えていたなあ、なんて少し的違いな事も思ったがそれは口に出さずに留めておく。


「ジューリオは、怖くない?」
「……こわく、ない。寂しいとは、思うけど…でも窓の外を見るとみんなが居るのがわかるから、怖くない。」

何ともいじらしい事だ。至極真面目な顔をして言うから笑うのは可哀想だし、その背を撫でてやった。夕暮れを惜しんでくれるのは有難いが今日限りのものではないのだ。天気さえ崩れなければいつでも見ることが出来るから寂しがる必要はないのだ、と意味を込めて。ジューリオは伝わったのか少しだけ、その目に映す色が変わった気がした。


「夜になればきっと月が綺麗に光るわ。これだけ綺麗な夕暮れなんだから、星が霞むくらいにね。」
「…うん。」


すっかり意識は窓の外に向かったらしい。ただ、それを此方に向かせる気にもならず結局私はゆっくりと目を閉じる事にした。眠ってしまったとしてもきっとこの男の事だ。存外慌てる事もなく、私をソファに寝かして毛布を掛けてそっと部屋から居なくなる。それはなんだか寂しいように感じて、せめて離れないようにと体を寄せて胸元のシャツを握り込んでおく。起きた時にジューリオは傍に居るだろう。それから、夕飯をと呼びに来た愛しい恋人には少し怒られてしまうかもしれない。ごめんなさいね、貴方以外をそんな目で見るつもりないのよ?これは家族愛なの。小さな息子に縋りたい、そんな気分。何かを求めるつもりは更々ない。

僅かな微睡みから意識を取り戻したその時に一人で居ることが今だけは酷く寂しいものに感じてしまう。ジュゼッペを呼べば良いのかもしれないけれど…今は違うのだ。みんな家族なのだから少しくらいは大目に見てくれと願いながら意識を手放す準備を始めたのだった。


きなこ