ふかふかなベッドの上に横になり天蓋の隙間から見える月明かりを眺め、シーツから微かに漂う残り香に昔の事を思い出す。

私がまだ幼くて、弱っちで、エドにも会う前の夜の事。
エドにも言ってない思い出の一欠片。

お母さんが目の前で殺されて孤児となり、全ての財産を奪われて一人路頭に迷って私よりも小さい子達と身を寄せてお互いがお互いの身を守りながらなりふり構わず論理も倫理観も全て投げ捨て生きる為だけに走っていた日々。
痛いことも苦しい事も沢山あったけど、可愛いチビちゃん達の「ありがとう」だけが生きる喜びだった。

そんな日々の中、なんで私は夜一人で街を歩いていたんだっけ…?

ーそうだ、確か…
“霧の深い夜は悪魔が子供を攫う”
“今日も誰々さん家の子供が拐われて死体で見つかった”
“今夜は確か霧だったか?”
なんて噂が流れてついに13人もの子供が行方が分からなくなって冷たくなって見つかり。私の所に居る子達が新しい犠牲にならないように食い止めるために夜寝床を抜け出したんだ。

思い出せてスッキリし、ふふっと自分でも笑ってしまう。
今考えたら凄く危ない事をした、あの頃の私は無謀な事すら危険と気づかずにこなしてたんだったなぁ。

枕元のスペースに置かれたアロマディフューザーのスイッチを入れてからもぞりとブランケットを口元まで被る。

アロマディフューザーから水蒸気と共に吐き出されるアロマは彼に内緒で彼に香水を調香師に少しだけ分けて同じ香りになるように作ってもらったトクベツなアロマ。

それでも彼の匂いと全部一緒にならなくて、やっぱり彼から貰った香水の入ったアロマペンダントは手放せない。

そっとペンダントトップを顔の側に近づける、そうすれば私の天蓋に囲まれたベッドは彼の匂いに似た香りと霧に包まれて安心できる。

とろとろと溶けて行く思考に目を閉じる。
きっと、今日は彼の夢を見れる…

そんな気がした。





はっはっはっ、と吐き出される荒い息、刺すように冷たい風が身体を撫でて去って行く。
眠りに就き電気の消えた街の路地を走り抜ける、目的地は一つ。
今いる場所よりもずっと霧の深い場所へ!

履き古しボロボロの靴に無理をさせ走る、走る。
息が切れても足を止めず走り続ける、今夜中に霧の悪魔を見つけて、やめさせなければいけない。
そうしなきゃ、幸福とは言えない境遇に生まれても必死に幸せになろうと生きてるあの子達が犠牲になるかもしれない、私の事を姉のように母のように頼ってくれる優しいあの子達が失われるかもしれないなんて私は許せない。

だから、私が悪魔を止めなければいけない!!

「うぁ…っ!!」

走る足元でブツりと音がし足が取られ勢いよく地面に倒れこむ。
咄嗟に前に出た掌がじんじんと痛み、見ると痛々しい擦り傷ができ血が滲む。
頬も膝も痛い、暗くてよく見えないけれどきっと明るい場所で見たら傷だらけなんだろうなと苦い気持ちでいっぱいになり俯く。

こんな事で怪我してる場合じゃないのに…

「やぁーーっ!!」

すぐそば、隣の路地から小さな子供の叫び声が聞こえ弾かれるように走り出す。

足が掌が、頬が痛いなんて言っていられない。
新しい犠牲者が出る前に助けなきゃ!
服の中に布で包まれ体にくくりつけられたナイフを掌で確認しつつ路地を曲がる。

ここが、叫び声が聞こえた場所!
路地から飛び出した私の視界に移ったのは少ない街頭に照らされた広場に倒れ込む貴族みたいなコートを着た男と壁際にへたり込んで泣きじゃくる小さな女の子、
深い藍色に光る霧のようなものを漂わせる見慣れない服を纏う髪の跳ねた男。コイツが霧の悪魔だ!!

「やめて!!」

咄嗟に懐に忍ばせていたナイフを布を切り裂くように取り出して女の子を庇うように霧を纏う男に向けて構える。

「んんー…?キミはダレ?」


少しクセのあるイタリア語で問われた言葉に答えずじり、と男から間合いを取りながら片手で女の子を立たせる。

「早く逃げて、此処に居ちゃダメ」

声をかけると女の子は泣きじゃくりながらも一つ頷き私に背を向けて走り出す。
よかった、逃げてくれて。

「お前が霧の悪魔なんでしょ?、何で子供を攫うの」
「霧の悪魔?」

キョトンとした声で答える声にぎり、と歯を噛みしめる。
霧の悪魔の犠牲になった子供はもう13人になる、全員が私よりもずっと年下の小さな女の子ばかり。
そんな事をする人が許せなくて、とぼける男に怒りでカッと腹が熱くなる。

「霧の夜に出る子供を攫って殺す悪魔!それがお前なんだろ!?」

男を守るように漂う霧みたいな藍色の光が何よりの証拠だって言うのに!

「ボクを悪魔だなんて言うのキミが初めてだよ」
「もう、お前に子供は攫わせない!」

ハハッなんて声を出して笑う男余裕がなおの事許せなくてナイフを構えたまま走り出す、
そのまま男の腹に刺そうと振りかぶる。

「おっと、危ないよ?」

避ける様子もなかったのにナイフで切り裂こうと触れた場所が煙が風に消えてくように音も無く霧散する、全力で振りかぶったナイフが避けられバランスを崩し、倒れこんだまま動かない男の側に倒れる。

すぐさま顔を上げると少し離れた場所に何事も無いように立つ男に愕然とする。

ー悪魔は本当の事だったんだ、こんな事…人間じゃできるわけない…


「もう、女の子がこんなの持ってたら危ないよ?」

「うそ…」

そう言う男の手にはさっきまで私が持ってたはずのナイフがありうっすらと開かれた目から覗く月よりも明るく冷たい黄色に背筋に冷たい物が伝う。

勝てるわけがない…こんなの…

「うっ…」

諦めかけた私の後ろでもぞりと動く音がした、コートを着た男が目を覚ましたんだろう、でも。このままじゃ私も、この男の人も悪魔に殺されちゃう。

自覚するには遅すぎる無茶と、力になるかもわからない目を覚ましたばかりの男、死ねない理由がぐるぐると頭の中を巡る。

やるしかない…

「もしあなたが戦える人なら力を貸して、戦えない人なら…私が時間を稼ぐから、あなたは逃げて誰か人を呼んできて…」

声が震えないように必死になって小声で伝える。お願い、いるかもわからない神様…もしいるならこれが悪魔に聞こえないように…男の人に伝えて…

願いが届いたのかくぐもった声で返答が来た。

「私は戦える人間ではない、けれど君のような子を置いては逃げられない」

そう聞こえた途端腕を掴まれ溢れそうになる悲鳴を必死に噛み殺し引っ張られるまま男と走り出す。

「あっ」

後ろで短い驚いた声が聞こえても気にしていられず引き摺られるように掴まれたまま必死に走る。

どれほど走ったのかわからない、現在地もわからなくなるほどに右に左に曲がり何処かのゴミ捨て場のような場所で男と共に足を止める。

振り返った男の人は貴族のようなコートを着、ぴっちりと髪を整えられた黒髪で鷲鼻を持った男だった。

「此処まで来たら大丈夫だろう、すまないね。君のような子供に助けられてしまった」

「…別にそんな事ない。それに…アイツがこのまま何処かに消えたら助かったとしてきっと見たヤツは逃さない、もし逃したとしてまた子供が狙われる…」
「それは…」
「次は誰が狙われる?どこかの家の子供か?、違う、ほとんどの犠牲者は孤児で身寄りのない弱い立場の子供。誰にも守ってもらえない子供だ、誰かが、止めなきゃいけない…悪魔を殺さなきゃ…」

「君は…孤児なのか…?」

必死に言い募る私に鷲鼻の男が驚いたように私の両肩を大きな手で掴み向き合うように体を動かされる、その事に驚いて頷くと男は納得したように頷き私から離れる。

「そうか…ならば尚の事心配だろう…けど、君に出来ることは無いだろう…」

「そうかもしれないけれど、ほっとくなんてできない」
「君が死ぬのが早まるだけだ、君に何が出来る」

「私だって出来ることがある!!」

男の冷静すぎる言葉にカッとなり声を荒げてしまう、それにギョッとした男にすぐ声を抑え口を開く。

「朝になったらヤードに行く、そこで悪魔の正体を見たって言えば力を貸してもらえるはず」
「子供の言葉を信じるものはヤードにはいないよ」
「貴方がいる、それにさっき逃した女の子を探して証言をしてもらえば…孤児だって信じられなくても、犠牲者の殆どは孤児だ、だから…信じてもらえるはずだ!」


私の言葉に男は暫く考え、シブシブといったように頷く、その事にホッとして肩をなで下ろす。

「朝まで此処にいるわけにはいかないな、しかしどうしたものか…現在位置がよくわからない」

男の言葉に回りを見渡し、見慣れたものを見つける。あれは、隠れ家の目印にしている変な形にひしゃげたドラム缶…

「此処なら…わかる、こっちに安全な隠れ家がある」
「本当かい?それは助かる」

「付いて来て、案内する…朝までだから」
「あぁ」


神妙に頷く男の顔を見てから背を向けて歩き出す。
変な形にひしゃげたドラム缶の通りを右に曲がり左右右左右左、そこから4つ目のマンホールをこじ開ける。
そのマンホールは昔使われてた地下倉庫からの抜け道になっていて、今は誰も使われずそこに繋がってるって知ってる人も少なく孤児の数人が寒い夜を越えるために使っているだけ。

大人を連れて行くのは嫌だったけれど、あそこくらいしか安全な場所が思いつかなかった。
今日はそこを知ってる子達も他の場所を寝床にするっていってたからもし、見つかったとしてもきっと他の子達は無事でいてくれるはず…

二つ目のマンホールを過ぎた頃に後ろから男が声をかけてくる。

「こんな所があったなんて…」
「この辺りは廃墟が多いから普通の子供も大人も近寄らないから、安全なんだ。」

「そうか、他の孤児たちは使うのかい?」
「知らない」
「そうか…」

聞かれた意味がわからず男の方を振り返ろうとした瞬間、頭を想像もつかない衝撃が襲ってきて吹っ飛ぶ。

「それは好都合だ」

ニヤリと笑う男にも、今まで体験したことのないほどの痛みが襲う頭にも訳がわからず身悶えることしか出来ない。
痛い、痛い、痛い…ボロボロと目から涙が溢れる、頭に当てた手にぬるりと生暖かいものが触れる。
その事にまた涙が溢れる。


「朝になったらヤードに行くだ子供を探すだうるさい子供だ、孤児は孤児らしく惨めたらしく死んでいればいいものを…」

“まぁ、アイツから俺を助けたのはよくやったがない”
なんて聞こえてくる言葉に胸が苦しくなる、殴られた頭も、あの時の恐怖も無駄だったとわかり悲しくなる。

悪魔から引き離したのは間違いだった、コイツは自分が助かればいい人間だったんだ…っ!!

ドクドクと脈を打つように痛む頭の片隅でふと疑問がよぎるがすぐ腹に来た衝撃の痛みでかき消される。
路上に捨てられた空き缶みたいに蹴られ、体が吹っ飛ばされ派手な音を立て崩れる詰まれたドラム缶の下敷きになる。


「13人も犠牲になった?13人も害虫が消えて清々したの間違いだろう汚らわしい」
「汚物のくせに」「他の子供を助けるだなんて正義感を滾らせて綺麗なものになったつもりか?」「ゴミのように死んで行くくせに」

投げ付けられる言葉に心も体も打ちのめされ頬を伝う涙も、血も止まらない。

どうして、こんなやつ信用したんだ。
知ってたのに、大人は酷いやつだって…
私はバカだ、誰も助けられないくせに、弱いくせに誰かを助けようとして、誰も助けられずに死ぬんだ…
せめて、あの女の子だけでも…助かって…

ドラム缶の下に埋もれ暗くなっていく視界と思考で泣きじゃくっていた女の子の無事を願う。
あの霧の悪魔に見つからないように…この悪夢みたいな男に見つからないように。


誰か、助けて……おかあさん…


「やっと見つけた、こんなところに居たんだね?」

ごめんね、みんな…私…

ドラム缶の隙間から藍色の光が見えた時、私の意識は真っ暗になった。




頬に冷たいものがぽたりと当たる感覚がして目を開く、目を開けられたという事実に驚いて勢いよく体を起こす、がちんっ!と鈍い音をさせ起き上がった勢いそのままに何か硬いものにおでこをぶつけ痛みに悲鳴をあげる。

殴られ切ったらしい場所がひどく痛み手を当てると布が手に触れる、誰か手当をしてくれたんだと痛みでチカチカする目で何かがぶつかったところを見ると顎に手を当て蹲る霧の悪魔。

「いやぁあああっ!!!!」

助かったと思ったのに居る霧の悪魔に叫び出来る限り後退ると壁が背中にあたりこれ以上逃げられないと体が震える。

「いたた…」
「な、なんで霧の悪魔がっ!!」

「大丈夫かなって心配したんだけれど、そんなに叫べるなら大丈夫そうだねぇ」

飄々とした声で話す霧の悪魔は相変わらず顎を撫でて居てもしかして霧の悪魔も痛かったのかもしれないと思うも、すぐ悪魔なんだものそんな訳ないと考え直す。

「あ、あの男はどうしたの!」
「んー?ダレ?」

「あの、鷲鼻の男だよ!まさか…」
「うん、死んじゃったよ。」

悪魔の言葉にゾッとし恐怖で体が震える、まさか…コイツが…っ!!

「殺したの!?」
「ううん、ボクじゃないよ。ボクから逃げられないとわかったのか自分で自分の頭を銃でね」

バーンッ!なんて指で指し示す動作にどうなったかを知る。

「あと、ボクは霧の悪魔じゃなくて霧の仙術使い」
「せんじゅつ…?」
「知らない?」

聞き慣れない言葉に聞き返され頷くとそっか、と頷く男の動作を見つめたまま動けずに居ると座っていた悪魔は立ち上がり近づいてきて私の顔を覗き込む。

「ピクリとも動かなかったから死んじゃったと思ったけど何とかなるもんだねぇ、久々に薬草とか煎じたけど忘れないものだねぇ」

知らない言葉を呟きながら手で私の顔の角度を変えながら何かを確認する悪魔に私は固まるしか情けないけれどできなかった。

「あ、そうだ。なんでボクが悪魔だと思ったの?」
「……だって、見たことも無い霧みたいな光とか…服とか…」
「あー…確かにこの国だと少し珍しいかもしれないね?」
「なんか変だったし…」
「ヘンかぁ…」

心なしかしょんぼりとしたような悪魔に少しだけ恐怖が薄まるがすぐ薄く開かれた目を見てしまい、少しだけ話すのに勇気がいる。

「何で、子供を攫うの…?」
「キミの中でボクは悪魔で決定なんだね?」
「答えて!」
「えー…」

困ったように首を傾げる悪魔にいよいよ恐怖よりも疑問が出てくる、何で手当をしたのか、なぜあそこに居たのか。
何で、あの時私達を見逃したのか。

「逆に聞くけれど、何が理由で子供を攫うと思ったの?」
「……花嫁探し…?」

つい思いついたまま答えた私に答えたのは悪魔の大きな笑い声。
そのまま暫く笑い続け息も絶え絶えな悪魔が自分の頬を抑えながら大きなため息を一つ吐いて滲んだ涙を拭うのを眺めるしかできなかった。

「はー、面白かった。で?もうボクに子供を攫わせないって言ってたけれどどうするの?」
「えっ…?」
「ボクが違うって言ってもキミの中ではボクは霧の悪魔なんだろう?」
「えっ、でも…」
「で、子供を攫う理由は“花嫁探し”だっけ?」

にんまりと笑う悪魔に怒らせてしまったと震えながら自分の服を握りしめる。

「ボクの花嫁探しを手伝う?それとも…ーー」

黄色い目を光らせこちらを見る悪魔に震える口を開く、それに私は…





「おはよー、ボクの可愛い聖女ちゃん」

額に当たる少しカサついているものの柔らかい感触にうっすらと目を開くと柔らかな猫っ毛が頬を撫でる。

んん…と唸り声を上げながら目を開くと大好きな人の顔が私の目に映り込み飛び起きる。

飛び起きた私を慣れたように避け、身を起こした私を抱きしめる彼の首に両腕を回し目がさめる前のお返しとキスをする。

「イム!帰ってきてたのね!」
「たまたまね、キミがボクのことを夢で見たってわかったから会いにきたんだ♪」

喜びに声がつい大きくなる私に機嫌よく答える彼の耳障りのいい声にさらに嬉しくなりギュッと身を寄せる。


「ほら、ボクは霧の悪魔だから寂しくなってしまうとすぐ花嫁探しに子供を攫ってしまうような男だからね」

クスクスと笑いながら言われる言葉に頬が熱くなり目をそらしモゴモゴとしてしまう私にイムはさらに笑って耳元に口を寄せ小声で囁く。

「ほら、キミはボクを止めるためにどうすんだっけ?」

「もう!イムの意地悪!」
「ふふっ!言ってくれなきゃもっと意地悪しちゃうかもね?」

悪戯っ子のように笑う年上の彼に顔が熱くなり首に回した手を離してパタパタと頬を仰ぐ。

そして一息、深呼吸をしてあの時私が言った言葉をつぶやく。

「なら、私が花嫁になって子供はもう二度と攫わせないわ」

本当、あの時の私は今思うと無茶で無謀で、ちょっとおバカさんだったわ。

でも、一個だけあの時の自分に凄いと言いたのは。
その一言で一番愛する事になる人に誓いの首輪をつけられた事かしら……?




部屋に柔らかく降り注ぐ朝日に反射し二人の小指に嵌められた指輪がキラリと輝いた。



たると