これからどうしよう、ぼんやりと雨の中ベンチに座り込んでそんな事を考えた。勢いだけで飛び出してから早くも1時間が経過したようで、時間を自覚すればぎゅる、と腹の虫が鳴った。傘すらなくてポケットに手を突っ込めば数百円だけで傘を買うか、もしくはご飯を買うか…どちらも、とは出来そうにない。天気予報はどうだっただろうか。少なくとも雨を凌ぐ場所さえあればご飯を調達すれば良い。顔を上げると目の前に見知らぬ女の人が居た。その人は傘をさしたまま、こちらをじっと見据える。紫の瞳に吸い込まれそうなくらい、その眼は綺麗でつい見惚れてしまいそうになるけれどはっとして目線を逸らした。そして、視線を下に向けた事でその人が履いているスカートは自分が着用している物と同じだと言うことに気が付いた。というか、今のって…再度恐る恐る顔をあげれば校内に知らない人はいない位、とても有名な人がそこに居た。


柊菜津未。うちの高校の三年生で悪い意味でとても有名なヤンキー…実家は、ヤクザ。気に入らない人間は社会的に死ぬとか、そんな噂を耳にしたのはそんなに古い記憶ではない。立ち去りたくても膝が笑ってしまってどうにも動けずに震える喉で必死に言葉を紡ぐ事しか出来なかった。

「ひ、らぎ…せんぱ、…」
「あら、私の事知ってたの。」


意外と声高いんだなとか、背はそんなに高くないんだなとか、そんな事を考えていると真っ白で小さな手が伸ばされた。目の前の手が雨粒に濡れて冷たそうで。ぼんやりとそれを眺めているとコツン、とローファーの先でベンチを蹴られた。え、え、と慌てていると「手。」とだけ言われて半分怯えながらその小さな手に手を重ねると細腕からは到底考えられないくらいの力で引き上げられてあっという間に立ち上がらせる。何処にこんな力があるんだろうとか思ってたらそのまま手を引かれて歩き出す。さり気なく傘に入れて貰えていて頭上から雨粒が布に当たって弾かれる音が響く。柊先輩のが背が低いから傘と頭がぶつかりそうになりながら必死に縺れそうな脚を動かす。


辿り着いた先は…大きな門。門が開くと大きな平屋と傘も持たずに大男たちが一斉に頭を下げて低い声で何かを叫んで居たけれど混乱しすぎてもはや何が起きてるか分からない。男たちに怯えていると柊先輩が一睨みして黙らせて居てやっぱり着いてきちゃダメだったんじゃ…と後悔し始めているといつの間にやら一つの部屋の前に来て居た。柊先輩が近くの女の人に何かを言ってそのまま手を離して立ち去って行くのを見送った後でこれからどうするかを必死に考える。だが、そんな暇もなくあれよあれよと言う間に風呂に入らされ、(洗われることはなんとか拒否した。)髪を乾かされた。雨で冷えた身体が温まり突然の自体に忘れて来た空腹が戻ってお腹すいたなあ、なんて考えながら女の人に言われるままついて行く。通された部屋は物がない、シンプルな部屋だった。思わず辺りを見回してしまう。大きなベッドとドレッサー、姿見、ローテーブルとクッション…それから制服。それ以外は特に見当たらない。


「何人の部屋で挙動不審になってるの?」
「すいません!!」

反射的に飛び出た謝罪と一緒に振り返れば柊先輩がそこには居た。私服なのか緩めのTシャツと上下揃いのルームウェアに身を包んでいた。細い脚だな、なんて思っていると柊先輩はローテーブルにお盆を一つ置いた。お盆には少し不恰好な大きな二つのおにぎりと綺麗に巻かれた卵焼き、少し角が蕩けたじゃが芋がたくさん入った肉じゃがに具沢山の豚汁。鼻腔を擽る匂いに堪らずお腹が鳴った。柊先輩は少し目を丸くした後、くしゃりと眉間に皺を寄せるようにして笑った。お握りみたいに不恰好なのになんだかその笑顔は可愛らしくてどきりとしてしまった。

「お腹、空いてるかと思って。残り物と簡単な物ばかりだけど。」
「食べて、いいんですか?」
「あんたの為に持って来たんだから当たり前でしょ。ほら、冷めないうちにどうぞ。」


湯のみにお茶を注いで、差し出してくれる先輩の前で正座をして恐る恐るお握りのひとつ手を伸ばしてひとくち口にした。丁度良い塩加減のお握りは不恰好だけど温かくて…じわじわと涙が溢れでて来た。

「おいし、です…。」
「…ゆっくり食べな。」

ぼろぼろと流れる涙で目の前が滲んで見えない。きっとただの塩お握りだけどこんなに美味しいご飯なんてあったんだって思うくらい美味しくて、温かなご飯はお風呂で温めきれなかった心の深くを温めてくれるみたいだ。きっと、この味を超える食べ物は無いし、この味を忘れる事はないんだって思った。



「可愛かったのになあ、前の優希。」
「えー?」

ぐったりとした菜津未ちゃんは気怠げに前髪を掻き上げる。散々無茶させてしまった自覚はあるけど菜津未ちゃんだって乗り気だったのに…なんて考えながら冷えたミネラルウォーターを煽る。口の端を伝って冷たいけれど火照った体には心地よい。

「私、あの頃はもっと菜津未ちゃんってカッコ良いのかなって思ってたんだよね。」
「なにそれ。」
「事情も聞かずに私のこと助けてくれたし…なんかカモク?で。」
「寡黙ね。…今は格好良くないわけ?」

私の手を引いてミネラルウォーターを強請る菜津未ちゃんにふと悪戯心が湧いて自分の口に水を含み口移しで水を含みその唇に流し込んでやった。菜津未ちゃんは呆れたみたいな顔したけど大人しく飲み込んでくれる。端から漏れた水を舐め取って頬を擦り寄せると菜津未ちゃんが私の髪を掬う。

「今は可愛いかな。」
「喧嘩なら買うわよ。」
「え、まだ勝てない気がする…。」

くすくす笑いながらベッドで素足を絡ませる。命の恩人、憧れの先輩、それから…愛しい恋人を腕の中に納めて明日の朝ごはんはあの塩お握りがいいなって考えた。


/ きなこ