一問一答
日暮れが迫り、薄暗くなった教室に並ぶ勉強机。そこに向かい合わせに座って暗くなるまでの勉強会するのが私と七沙のテスト前の恒例行事。
これは小学生からやってる二人の誰にも言わない内緒。
私は兎に角七沙はいつも“勉強なんてしてません”なスタンスだから余計知られたくないのかもね。
「七沙ぁ…どうしようわかんない…」
「…」
「無視しないでよ…」
古典のよく分からない問題に頭を悩ませて七沙に言っても七沙は知らんぷり、七沙は古典得意なんだし苦手教科無いしちょっとくらい教えてくれても…なんて考えて少ししょんぼりする。
七沙は一つため息を吐いて私のノートを自分の方に持って行って分からない問題を見る。
「…やがては今じゃ“そのうち、じきに”って意味だけど古典じゃ“すぐに”の意味なんだよ。今で言う“まもなく”で覚えろ。」
「成る程…」
「古典は方言と同じだよ、お前は小難しく考えすぎなんだよ。」
口頭で分からないところを教えてくれると共にノートを私に返してくれる七沙にお礼を言うと私の赤ペンでノートに“やがて=まもなく”と書いてくれる七沙に嬉しくなる。
素直じゃ無いくせにちゃんと聞いたら憎まれ口を叩きながらも教えてくれる。
七沙は優しいって言っても誰も信じてくれないし騙されてるっていつも言われる、けどそれに重ねて優しいよって言わない私も悪いんだろうなぁ。
だって七沙が本当は優しいって私だけが知ってたらいいななんて思っちゃう、悪い女だなぁ…私って。
「……手、止まってる。勉強しないなら帰るぞ。」
「あ、ごめん。ちゃんとやるよ。」
じとりとこっちを見るな七沙に一つ謝ってノートに向き合う。
すぐに七沙は自分の教科書に視線を戻す。
書いて覚えるタイプの私と違って七沙は勉強にほとんどノートは使わない、たまにメモをとるみたいに数学の公式は書いたりもするけどほとんど見てるだけで終わっちゃう勉強は私には理解できないし、本当に七沙は頭がいいんだなぁって思う。
「……“あきのたの、ほむきのよれるかたよりに、きみによりななこちたくありとも”」
「え…??」
急に日本語かも分からないことを言い出した七沙に聞き返すとまたはぁ…とため息を吐く
「“あきのたの、ほむきのよれるかたよりに、きみによりななこちたくありとも。意味は。」
たまに抜き打ちみたいに七沙が出してくる問題だったらしい、びっくりした…
三度目の口頭での出題と一緒に近くに置かれたメモに書かれる“秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りなに言痛くありとも”と言う文字。
「ちょっとまってね…?」
「次の範囲にある、覚えとけ。」
渡されるメモに向き合い、辞書を引きながら意味を読み解いていく。
数分辞書を引きながら書かれていく単語が揃った頃に辞書を引く私を見ていた七沙が口を開く。
「秋の田の穂が片方に傾くように、あなたに寄り添っていたい、たとえ人がなんと噂しようとも。但馬皇女と一緒に覚えとけ。」
「へぇ…恋の歌なんだね。」
七沙の低い声で聞かされる解説を聞きながらノートに書く、人がなんて言ったって構わない、あなたの寄り添って居たいだなんて本当に愛した人なんだなぁ…そんな風に私も七沙となれたらなんて少し考えてしまう。
古典を勉強してると恋の歌がよく出てくる、それに自分と七沙が重なったり、そんな風になれたらなぁなんて考えちゃうから古典の勉強ははかどらなくてテストの点も他の教科に比べると少し低くて苦手。
ちらりと七沙を見ると七沙はつまらなそうに数学の教科書を眺めてる、七沙は多分そんな事考えてないから得意なんだろうなぁ…。
私と七沙の少しの温度差にちょっとだけしんみりする。
「七沙って和歌で何が好き…?」
「…急になんだよ」
「いや、なんとなくなんだけど…」
「言ってわかるのか…?」
「わかんないかもしれないけど少し知りたくて…」
何気なく聞いただけなのに七沙の腹の虫はあまり良くない方に行っちゃったみたいだ…寄せられる七沙の眉を見て私の眉も下がる、こんな事なら聞かなきゃよかった…
「なんとなくだし嫌だったら良いよ…?」
「……」
言わなくて大丈夫だよと言うと余計ぎゅっと寄る眉にどうしたら良かったのかわからない、こうなったらもう暫く私と口を聞いてくれないし、時間がたたないと機嫌が治らないや。
あちゃー…と頬を少し書くと教室の扉がガラッと音を立てて開く。
「近藤、芹沢。残ってたのか?そろそろ下校時刻だから早く帰れよー」
「あ、はい。七沙そろそろ帰ろう?」
「…」
持ってた教科書を無言で鞄に入れて立ち上がり扉に歩いていく、本格的に御機嫌斜めみたいだ…
それをみた先生が“お前も大変だな”と私の肩を軽く叩いてから廊下を歩いていく。
私も広げて居た勉強道具を鞄に入れて七沙の後を追う。
「七沙は今日の晩御飯何が良い?」
「…」
「リクエストないなら今日はシチューになるけど大丈夫?」
晩御飯の材料を近くのスーパーで買ってる間も七沙は返事をくれない、でも材料が入って重くなる買い物カゴとかレジ袋を私に持たせずに不機嫌そうに持つ七沙に本当によくわからないなぁ…と眺める。
「少し遅くなっちゃったね、帰ったらすぐご飯作るね。芹沢さんは今日帰ってくるの?」
「…」
ふる…と首を振り七沙のお父さんの芹澤さんが帰ってこない事を教えてくれた、これはちょっとだけ機嫌は治ったのかな。
でも口を聞いてくれないって事はもうちょっと時間かかりそうだけど明日にはまた話してくれそうだなぁ。
「晩御飯シチューだけど七沙はご飯が良い?パン?」
ちょっと意地悪な質問をしてみよう、七沙はいっつもシチューの時はバターライスで食べるのが好きだけど選択肢に無い、これはもう話すしか無いんじゃ無いかな?
さて、七沙はどうくるんだろう。
「どっちが良い?」
「…」
返事をちょっと待ってみても七沙は無言、まさか答えてくれないなんて…これはもう機嫌悪すぎてご飯なんてどうでも良い感じなのかな?
ちょっとした質問でここまで機嫌が悪くなっちゃうなんて、これで普通に夕御飯をパンにシチューとかにしちゃうとちょっとかわいそうだ…今日はいつもみたいにバターライスで作ってあげよう。
私の家に着いて冷蔵庫に買ったものを入れるのは七沙の仕事、私はその間に制服から着替えてエプロンをつけて夕飯を作る準備をする。
今日つけるエプロンは中学生の時に七沙が家庭科の授業で作った薄い水色の前掛けに白い紐がついた物だ。
エプロンを作ったものの絶対に使わないからって授業が終わって持ち帰る時に投げ渡された物を私がありがたく使ってる。
「じゃあ作ろっか、お父さんも今日は遅いらしいから先に食べてようね」
無言の七沙に話しかけ続けるのは一人言みたいで虚しくなんないのかって前にクラスメイトに言われたけど、七沙は話しかけたら返事はくれなくても絶対にこっちを見てくれるから寂しくは無いし虚しくも無い。
言葉で返事はくれなくても、どんなに機嫌が悪くても私が後ろを向いて話かけてても七沙は私を見る。
トントンと包丁で物を切る音がお勝手に響く、七沙は椅子に座ってそれを見ている。
私が料理をしている時の定位置、お父さんが居る時は違うけど基本的にお勝手に置かれたダイニングテーブルの椅子に腰掛けて私を眺めてる、私がちょっとしたお願いした時とかは手伝ってくれる。
この前もカボチャの煮物を作るからってカボチャを一玉買ってきた時は硬すぎて私には切れなかった時も危ないからって私から包丁を取り上げて代わりに切ってくれた。
「……焦げ臭い。」
「え?あぁっ!!」
ぼんやりこの間の事を思い出しながらジャガイモを切ってたらぼーっとしすぎてたみたいで先にバターで炒めてた玉ねぎが香ばしいをちょっと通り過ぎた匂いをさせていた。
見かねた七沙が教えてくれたけどちょっと遅かった…シチューにすると多分焦げ臭さが目立っちゃう。
「七沙…今日カレーでいいかな…?」
焦げちゃったと続けて七沙に苦笑してみると七沙は小さくため息を着いて頷き、椅子から立ち上がり私の横に立つ。
「…手伝う」
「ありがと、じゃあお鍋見てて?」
「…ん」
少し焦げた玉ねぎの入った鍋に鶏肉を入れ、炒めてくれる七沙にありがたく鍋を任せて人参を手早く皮を剥き切る。
普段は手伝ってくれないのにもう機嫌は治ったみたい。
そうして少し失敗しつつ最初の予定とはちょっと違うカレーができて、二人で向き合って夕御飯を食べる。
その間に今日学校で友達と話した内容や授業で分かりにくかった所を話す、食べ終わる頃には七沙もぽつりぽつりと返事をくれるようになってきた。
「古典のテストっていつだったっけ?」
「明後日」
「そっかぁ…明日は真剣に古典の勉強しなきゃだなぁ…」
「ん」
明日はちゃんと家に帰ってから七沙に教えてもらおう、また古典だけ少し点が低いのは嫌だしなぁ。
「…ももとせにおいしたいでてよよむとも、われはいとはじ、こひはますとも。」
「え?」
「宿題、明日までに調べとけ。」
「まって、もっかい言って!メモ取るから!」
突然の七沙からの出題に慌てて鞄からノートとペンを持ってきて七沙の言葉を待つ。
「ごめん、ちゃんとノートとるからもう一回お願い」
「…“百年に 老舌出でて よよむとも 我れはいとはじ 恋ひは増すとも”」
七沙の言葉を聞いて、漢字がどういうものかわからずひらがなで言った言葉を書き込む、書き終わって七沙にお礼を言うと七沙は一つ頷く。
「…帰る前にお前が聞いた奴。」
「帰る前?」
七沙が言った言葉に首を傾げる。少し考えて思いつく、七沙の機嫌が悪くなる原因の好きな和歌だ。
教えてくれたことに嬉しくなり、笑みがこぼれる。
明日までじゃなくて今日七沙が家に帰ってお風呂に入ったらすぐに調べよう。
せっかく七沙が教えてくれた七沙の好きな和歌だもん。
「…ちゃんと覚えとけよ。」
「勿論。」
口角を上げて他の人に言わせると悪どい、七沙にとっては機嫌のいい時にする笑みを浮かべて言う七沙にしっかりと頷く。
夕飯を食べ終えて暫く寛いでから帰った七沙を見送り、お風呂に入った後に机に向かう。
片手には古典の時点、夕食後七沙に出された問題を解くためだ。
一つ一つ辞書で調べる、携帯で検索なんて無粋な事はしない。
せっかく七沙が出してくれた問題は自分の力で解きたい。
「“百年に 老舌出でて よよむとも 我れはいとはじ 恋ひは増すとも”…」
あなたが100歳になって、歯が抜けて口元がおぼつかなくなっても、足が悪くなり歩けなくなっても、私は嫌になんてならない。一層愛おしくなる事はあったとしても。
七沙が好きと言うには少し意外な意味だった。
もし…もしこれが私に当てはめて言ってくれたとしたら…いつかちゃんと七沙に聞いてみよう。
七沙は私の質問にはちゃんと答えてくれる、私も七沙に聞かれたことはしっかり答える。
七沙の答えはわかりにくくてちゃんと答えてくれるかもわからないけどこれが私たちの一問一答。
たると