陽だまりのフェアリーテイル
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12月24日、寒い日だった。雪の降る中産まれた子供は酷く心臓が弱く、産まれたばかりの赤ん坊は母の腕に抱かれる前に沢山の管に抱かれた。温もりを知らない間がどれくらいだったか、母に聞いた気もするけどもう覚えていない。幾度と無く生死を彷徨い、そうして今も僕は生きている。
病院で過ごした時間と、家で過ごした時間は比べる必要のないくらい偏っている。病室の窓から外を覗いても何の変化もない日々。左腕に繋がれた点滴と乱雑に積み上げられた読み飽きた絵本、親が置いて行った沢山の果物。病室に来るのは見慣れた看護師と医者、親くらいなものだ。兄は体が弱く余り外出が出来ないらしい。兄弟揃って親に迷惑を掛けるものだなと幼心に思った。
ふと、心臓を交換しなくてはならない、と親が言われていた事を思い出した。僕の心臓は脆く、ろくな運動も出来た試しがない。寧ろ外に出る事すら叶わず、心臓に比例して脚は細く力は出ず、碌に歩く事も出来ない。窓の外を走る同い年くらいの子を見る度に心が痛み、カーテンは閉めてしまった。どうせ景色は変わらないのだから傷付く必要はないと、自己防衛のように。
ある日の朝、見慣れない看護師が来た。新しく担当になったという若い女の人だ。名前を教えて貰った気がするけど思い出せない。ぼんやりと聞いていた所為だと思う。その人は僕を見て少し考える素振りを見せた後、締め切ったカーテンと窓を開けた。少し冷たい風が室内に吹き込みカーテンを揺らす。差し込んだ朝日が眩しくて思わず眉間に皺を寄せるとその人は豪快に笑ってみせた。
「少しは太陽を浴びないと身長が伸びなくなってしまいますよ。換気も必要ですしね。」
余計なお世話だと、そんな事を呟いた気がする。もう見たくなかったのだ。いつもの木陰に腰掛けていた筈の老婆はいつの間にか居なくなっていた。退院したのか、終わりを迎えたのか分からないけれど随分と具合が悪い事は見ていれば分かったし、いずれ自分もそうなるのかと思うと人と関わることも、他人を見る事すら怖くなっていた。結局、看護師はそのまま行ってしまって相変わらず風が部屋へと流れ込む。春先のせいか少し肌寒い。咳が出る前に窓だけでも締めなくてはならない、と起き上がると見知らぬ同い年くらいの女の子が部屋を覗き込んでいた。驚いて伸ばした手を止めるとその子は口を開く。
「ここ、ずっとカーテンがしまってるから、ひとがいないんだとおもってた。」
舌ったらずの割に随分と淡々と喋る子だ。幾分か達観してしまった所為かそんな事を思った。
「…いるけど、そとにはいけないからしめてるんだ。」
「そうなの?じゃあこれ、かしてあげる。」
女の子が渡して来たのは読んだことのない本だった。困惑したまま受け取れば女の子は満足そうに笑って、そしてベンチへと腰掛けた。受け取った本を見てから開いた。絵本というには文字が多く、だが平仮名を多く使うその本は面白く、つい読み耽ってしまった。気が付いた時には昼食が運ばれて来て居て慌てて返そうとしたけれどその子はもうベンチには居ない。本はまだ半分くらい残っている。栞代わりに折紙を挟んで用意された味気ない粥に手を伸ばした。
結局、本を読み終えたのは夕方でその頃には窓もカーテンも閉められて、何時もの部屋に戻った。夕食も食べ終えるとやる事もなくて絵本を読もうとも思ったけれどさっきの本の後じゃきっと何も面白くない。ふと女の子の存在を思い出して折紙を取り出した。綺麗な青い目だったな、と少し薄い青色の折紙を手に取り折り目をつけていく。少し前に読んだ本で大体の折紙のやり方は覚えていたから1時間もしないで青色のバラは完成した。次いつ会えるか分からないけれど女の子に会う時にお礼に渡そう、そう決めて本の上に折紙を乗せて電気を消し、布団へと寝転んだ。
目が覚めて、何時もの日常を過ごす。10時くらいに窓を開けてみたらベンチにあの子が座って居た。あ、と思わず声が漏れてそれに反応する様に女の子はこちらを振り向いた。嗚呼、やっぱり綺麗な目をしているな、なんて。女の子は読んでいた本を閉じて顔を覗かせた。
「ごほん、よみおわった?」
「よみおわった…あ、ありがと。」
首を傾げる子に1つ頷いてみせれば花が咲くように笑ってみせた。そして先程まで読んでいた本を差し出してくる。慌ててそれを受け取って昨日の本と青いバラを手渡せば大きな丸い目を更に丸くさせていた。お礼だと、そう伝えれば瞬きを数回した後、折紙を見てからまた笑った。ありがとう、と。眩しいくらいの笑顔に胸の辺りがとくん、とした。痛みはない。ただぽかぽかと暖かくなるような、そんな感じ。
それから僕とその子は晴れの日、窓越しに会っていた。女の子に借りた本を返す度に、青いバラを渡した。沢山あった筈の折紙は青色だけ無くなってしまって親に頼んだ。もしかしたら初めて僕から親に頼んだ物かもしれない。幾つのバラを作ったのかもう覚えて居ないけど、不思議と折紙をしている時間は胸の痛みの息苦しさも感じない。看護師からは最近楽しそうだね、と言われた。年の近い子と話す事は初めてだったけど、僕たちに余り会話はなかった。読み終わったかの確認とお礼、精々その程度の言葉数だったけれど僕はあの子に会うのが楽しみになっていた。変わらない淡々とした日々が色付いたような、生に楽しみを見出した頃。ドナーが見付かったと、医者に言われた。手術に控えて、病室を移動しなくてはならないらしい。女の子に伝えなきゃいけない、借りた本を返さなきゃ…そう思ったのに、僕の心臓は意地悪く痛みを訴えた。息苦しさと痛みに意識を飛ばすその直前、緑色の折紙のバラが視界に入った。ねえ、今日は僕の目の色なんだ、そう言って手渡す筈だったのに。
そこから何が起きたのか、当時の僕には分からなかった。手術をして、心臓が馴染むのを待った。暫くカーテンも窓も開けていない。もしかしたらあの子がいるかもしれないのに呼吸器に繋がれた体では何も出来なかった。どれくらいの時間が経ったか。やっと起き上がれた頃、急いでカーテンを開けてみたけどあの子は居ない。何日も何日も待ったけどあの子が来る事は無かった。借りた本と緑の折紙だけがそこにあって、悲しくて涙が溢れ出た。心臓はもう痛まない筈なのに胸がずきずきと痛んで、溢れた涙を拭い続けた。
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「………おわんない。」
「頑張れよ。」
「自分の事じゃないから書けないって、ほんと…。」
パチン、とキーボードを叩く水樹は唸りながらマグカップを傾けた。随分と懐かしい記憶だ。窓際のコラソンの続編とされるそれを打つ恋人にあの頃の事を問われたのは数日前の事だったか。良い思い出ばかりではないが、仕事に必要な事ならばと洗いざらい喋ったら水樹は少し意外そうな顔をしていた。何故一般的に女が好むピンクではなく青色だったのかずっと不思議だったと、そう漏らした水樹はなんだか照れているように見えた。
「いい加減あれ、捨てたらどうだ。もう色褪せてるだろう。」
「やだ。私の思い出だもん。」
彼女の作業部屋にはまだあの薔薇が飾られている。今見れば大して綺麗な訳でもないそれを彼女が大切にしているのを知ったのはいつだったか。高校時代、彼女の家に遊びに行った時だった気もする。初恋の男の子から貰ったんだよね、と言われた時に思わず叫んでしまった僕は悪くはない筈だ。…後から聞いた話だが、彼女はあの時外科手術の為に入院して居たらしい。僕が落ち着いた頃はもう退院したと。だが、最後まで彼女は僕の病室まで通って居たと知った時、何だか目の前の恋人があの頃の少女を彷彿させて思わず腕に閉じ込めた。驚いて居たけれど、彼女は拒否しなかった。恋人という関係になったのはその頃だったと思う。
「これひらぁ…。」
「何だ。」
甘える声にマグカップを卓上に置けば胸元へと飛び込んで来るから受け止める。指通りの良い髪に指を絡めるとじっと下から見上げられ、迷わず口付けた。かちゃ、と水樹の眼鏡が触れる。目線を合わせれば水樹は僕の脚を跨ぐ様にして膝を立て僕の首へと腕を回した。
「ねえ、また薔薇作ってよ。」
「冗談だろう?」
「本気。…次は緑が良いな。青いのと一緒に飾るの。きっと綺麗だよ。」
楽しげに笑う彼女の笑顔は昔と変わらない。さて、どうやら僕は薔薇の折り方を思い出さなくてはならないらしい。曖昧な記憶を辿るか調べるか、どちらが早いかを考えながら目の前の細い体を抱き寄せ服裾へと手を滑り込ませ柔らかい肌へと触れた。
/ きなこ