起きたら目の前に胸板、動揺して後ろに下がろうとするも腰の辺りで捕らえられているのか全く動けない。なに、誰?は?と若干パニックになりかけるもふわりと甘い匂いがして、一気に冷静さを取り戻す。五条先輩か、これ。見知らぬ男ではなくて良かったと息を吐き出すが別に五条先輩ならオッケーってわけでもないことに気が付く。でもなんか、落ち着くんだよなぁ。ちらりと上に視線を向けると想像通り五条先輩、相変わらず馬鹿みたいに睫毛長いな。ていうか寝てる?のか?数秒見つめてみるけど微動だにしない。…なんとなく、胸元に顔を埋めてみる。あったかい。香水の匂いがキツいのって好きじゃないし、なんなら甘い匂い自体そんなに得意じゃない筈なんだけど、この匂いは割と好きかもしれない。
いや、こんな事をしている場合じゃないんだった。明らかに寝過ぎだろう、私。学校を休む事は幼馴染たちの気遣いにより伝わっているらしいけど、だからといって夕方まで寝ていたなんて笑えない。まあ、よく寝たお陰で体調は大分良いけど。今何時だろう、遮光カーテンが有能過ぎて外が明るいかどうかすら分からない。携帯…は、多分鞄の中。部屋に時計があると良いんだけど。自分で潜った胸元から離れようとするも、いつの間にか引き寄せられていたらしく隙間なく体が触れ合ったまま動けない。どうしよう。五条先輩って寝てる間に毛布とか抱き締めるタイプなんだろうか。相手が寝てるならこういう場面になっても結構冷静で居られるなー、なんて思ってしまうのは危機感がないのかもしれない。とりあえず時間を確認したいから起こそう、離して貰えたらそれでいいわけだし。
「五条先輩、携帯取りたいので離してください。」
声を掛けてみるけど反応なし。どうしようかな。流石にもう一度寝るのは無理だし…正面から抱き合ってるせいで身動き一つ取るのも結構大変なんだよね。だが諦めるわけにもいかないのでこつん、と額をぶつけてみる。
「五条先輩、せーんぱい。……悟先輩、」
「なあに?」
「っ!起きてたんですか!」
ヤケクソで名前で呼んだ瞬間返事が来て、ビックリして顔を上げるとにんまりと笑った五条先輩と目が合った。起きてて揶揄ったな、この人。タチ悪い。ていうか起きたなら声掛けてくれてもいいのに。
「いつから起きてたんですか。」
「喜雨ちゃんが僕から離れようとした辺り?」
「最初から起きてやがった…ていうか、起きてたなら反応くらい…まあいいや、とりあえず時間確認したいので離してください。寝ても良いので。」
「喜雨ちゃんから抱き着きに来てくれたのにそんな勿体ないことするわけないじゃん。」
「……それに関しては忘れません?」
「やだ。」
ぎゅう、と回された腕に力が入る。これ以上くっつけないと思ったのに、まだ隙間があったのか。違う違う、そんな事はどうでも良い。離しなさい。
「時間、確認させてって、ば!」
「13時過ぎだよ、多分9分くらい。」
「体内時計が正確なんですか?」
「いや、さっき携帯見た。」
「……でしょうね。」
なんかもう抵抗するのもバカらしくて溜息を吐き出して体を弛緩させる。今更近いだなんだと騒いだところで聞いてくれるような人じゃないし、空護たちと引っ付いてる時と似たようなものだろう。
「喜雨ちゃん。」
「はい、なんですか?」
「着替え、僕の服でいい?」
「あ、はい。お借りして良いですか?」
「んー、了解。ちょっと待ってて。」
さっきまで頑なだったのにあっさりと離れた体にちょっとだけ驚く。なんの心変わり?いやでも着替えたかったので有り難く好意に甘えておく。ベッドから出た五条先輩がベッドヘッドに置かれたリモコンで部屋の電気を付ける。少し明るさを落としているのはきっと、目が痛くなるのを避ける為だろう。体を起こして布団から出て、自分の服装が随分ラフになっていることに気が付く。辺りを見渡すと鞄の上に畳まれた制服を発見。…脱がしてくれたのは駿と空護かな、そうであってくれ。
「はい、着替え。あとこれ、制服掛けときな。」
「ありがとうございます。」
「いいえー。そこのクローゼット勝手に開けて入れといていいからね。」
差し出されたスウェットとハンガーを受け取る。スカートは若干手遅れな気がしないでもないけれど、アイロンをかければ問題ないのでそこは気にしない。というか今更だけど五条先輩の着れるサイズなら私には大分大きい気がする。
「……あの、せめて背を向けるとか出来ませんかね。」
「あ、やっぱダメ?」
「服の中で着替える事も出来ますけど。」
「それは萎えるわ、リビング居るから着替えたらおいで。あとシャツとか洗いたいならこの扉出てすぐ左に脱衣所あるからそこのカゴに入れといてね。」
「はい。何から何までありがとうございます。」
「後でキスしてくれたらチャラね。」
「ちょっと何言ってるかわかりません。」
けらけらと笑いながら部屋を後にした五条先輩の背を見送ってからシャツに手を掛ける。ボタンを外してから軽く畳み、変な汗をかいたので中に着ていたキャミソールも脱ぐ。スウェットに腕を通してから頭を抜くと太腿辺りまですっぽり覆われる。自分の部屋で自分しか居なかったらこれだけで十分そう。ということは、だよ。ズボンを持ち上げて広げてみると予想通り長い。すごく、長い。一旦ベッドに置いてからスカートを脱いで脚を通すと完全に裾を引き摺る。ウエストは…中の紐を絞ればなんとかなりそう。裾は…諦めよう。そのまま制服をハンガーに掛けてクローゼットの中に入れさせてもらう。すごい、私の制服子供服かな?ってくらい小さく見える。あと動いてみて分かったけど長過ぎる袖も中々邪魔。
シャツとキャミソール、ハイソックスを持ってから部屋を出るとそのままキッチンが見えて、奥のソファに腰掛けてる五条先輩が視界に入る。声を掛けるか迷ったけど先に洗濯物をカゴに入れてしまおう。それにしても凄い良い家だな。一人暮らしには広過ぎる気がするけど。
「先輩、着替えありがとうございます。」
「いいえー。あ、やっぱ大きいね。」
「そりゃまあ、身長差もありますし…裾引き摺るのもアレなんで捲っちゃっても良いですか?」
「いいよ、なんなら脱いでてもいいし。」
「痴女じゃないですか。」
「喜雨ちゃんは楽、僕は眼福。問題ないでしょ。」
「何言ってるんですかね、本当に。」
ソファの隣を叩かれたので大人しく隣に収まる。私服はこの間見たけどこういう部屋着を見るのは初めてだな、…当たり前だけど。ていうかわざわざ隣に座らなくても一人掛けのソファに座れば良かった気がする。なんて考えてたら突然頬を包まれて肩を弾ませてしまったが、五条先輩は安堵したような顔をする。
「ん、顔色良くなったね。」
「…よく、寝たので。」
「寝顔可愛かったよ。」
「そういうの良いんで。」
「本当なのに。」
頬を包む手が離れたと思ったらぐ、と肩を抱かれて五条先輩の肩に凭れるような体勢になった。
「先輩、」
「今日泊まってく?」
「へ?」
「さっきも言ったけど落ち着くまでは此処に居ていいからさ。この部屋で落ち着かないってなら他の家、弟くんの家…は傑がいるからダメだな。空護の家に泊まるなら送ってあげる。もう家に帰りたくないってなら此処に住めばいいよ、僕も着いてくから荷物取りに行こうか。荷物持ちくらいはするし。」
「や、あの…、」
「それと、自分の気持ちとか相手に聞きたい事とか纏まってない内に会って話しても余計拗れるだけだからオススメはしない。」
「……えっと、その…今日は、帰りたくない、です。荷物は…空護に頼もうかなと。」
「ん、了解。」
迷惑ばかり掛けてるな、とは、思う。朝からずっと五条先輩に頼りきりだ。この余りある謝罪とお礼ってどうすればいいのか。普通に言葉にするだけじゃ足りない気がする。封筒買って来てお金を包むべきかな。
「あと、」
「はい?」
「身の安全は保証するけど僕の部屋で僕と寝る、死ぬ程ヤニくさい硝子の部屋で寝る、このソファで寝る。どれがいい?」
「…流石に家入先輩の部屋を勝手に使うのは申し訳ないのでそこはやめておきます。」
「僕の家なんだけどね?あー、あとソファだとプライバシーがなくなるよ。僕もうろつくし、もしかしたら傑が来るかもしれない。」
「……じゃあ、五条先輩の部屋で。」
「オッケー、でも寝てる間に触っちゃったらごめんね。そこは不可抗力だから許して。」
「先輩のセクハラは今に始まったことでは…というかさっきまで一緒に寝てたのにわざわざ聞きます?」
「一応聞いておこうかなって?」
現在進行形で人の肩を抱いてるのに何を今更、と思わなくもない。それに十分前まで同じベッドで寝ていて、がっつり人のことを抱き枕にしていたんだから余計に関係ない気もする。…まあ、添い寝が心地良かったから一緒に寝るのもいいなと思っていたんだけど。これはなんか誤解を招くか調子に乗るだけな気がするから伏せておく。あ、裾捲ってない。
「先輩、裾捲りたいんですけど。」
「引きずっときな。」
「全自動クイックルワイパー…。」
「邪魔なら脱いで良いって、僕もよく上裸だし。」
「いやちょっと流石に…空護に荷物届けてもらうし、それに夏油先輩が来るかもなんでしょう?」
「傑は玄関で追い返すし荷物は僕が受け取っておけば良くない?もしくはベッドの中で脚隠しておけばいいし。」
「わかりました、先輩脱がせたいんですね?」
「バレた?」
「そりゃバレるでしょう。」
「やー、だってさぁ、僕の服着てるのなんか新鮮で。脱がしたくなるというか。」
「何言って、…や、良いです。掘り下げないで。」
色々アホらしくなって来た。裾はもう良いや、洗濯して返せばいいだろう。空護に届けてもらう荷物の中にショーパンを入れっぱなしにしている筈だから、荷物が届いたら履き替えればいいし。
「フライングお泊りだね。」
「どちらかと言うとプチ家出ですけどね。」
「とりあえずベッド連れてって良い?」
「何がとりあえず?」
「僕は別にソファでも良いけど。」
流石にね、と声が聞こえたと同時に五条先輩の手が私の腕を引いてバランスを崩す。ふらついた体を難なく受け止め、なんのマジックかいつの間にか膝の上に乗せられていた。膝立ちのまま、間抜けな顔を晒してしまう。なにこれ、なんのイリュージョン?
「先輩、あの、お顔が近いです。」
「そう?まだ遠いくらいだけど。」
「普通に座らせてくださ、…あ!こら、どこ触ってるんですか!」
「腰。」
するすると背を撫でる手が擽ったくて身を捩るけど目の前には先輩の体があるし膝立ちだしで逃げ道がないから腰の辺りに触れる手から逃れられない。肩に手を置いて押してみるけど余り効果は得られそうになく、流石に焦る。
「ちょ、ッひ、み、身の安全は保証するって言った!」
「んー?まあ、僕も男だから好きな子が自分の部屋に居たら触りたくなっちゃうよね。それと、僕別に貞操とは言ってないし。」
「うそつき!詐欺だ!」
「最後まではしないって。」
「最後って何!?何する気なの!?」
「なんでしょう?」
する、と腰から手が滑って下腹部の辺りを撫でる。なになになに、本当に何する気なの?ていうか、最後まではしないって事は最後じゃない何かはする気なんじゃ?今度こそパニックになっているとウエストの辺りで縛っていた紐が解かれる。やばいと思うと同時にすとん、とズボンが落ちた。大き過ぎるスウェットだから下着は見えてないけど、だからと言って流石にそれはまずいのでは。
「せん、ぱ、」
「ねえ、喜雨ちゃん。さっき僕が言ったの覚えてる?」
「さっき、ですか?」
「うん。部屋出る時に言ったの。」
部屋出る時、何を言ってたっけ?パニックになった頭で必死に記憶を辿る。なんだっけ、えっと、
「"キスしてくれたらチャラ"…です、かね。」
「うん、それ。」
「キス…しろ、と?」
「それともこのまま上も脱ぐ?」
裾から掌を差し込まれて直接肌を伝う指先に体が跳ねる。やばい、これは楽観視出来ない。中途半端な位置で止まったズボンが邪魔をして全く動けないし、五条先輩の肩に手を置いてバランスを取るのに精一杯。
「まっ、ちょ、します、しますから!手抜いてください!」
「僕はどっちでもいいけど?」
「脱いだら痴女だわ!もう割と痴女だけども!」
「まあ、いいや。」
手を抜かれて、腰を抱かれる。鼻先が触れるくらい近くなった顔に思わず背けそうになったけれど歯を食いしばって耐える。視線を彷徨わせてしまうのはまあ、仕方ない事として…せめて目を瞑って欲しい。
「あの、目を…閉じてもらって、いいですか。」
「なんで?」
「なん、なんでと言われましても…緊張するので?」
「仕方ないなぁ。」
睫毛が伏せられて、綺麗な瞳が瞼に隠される。この至近距離で見ても整ってるってどういうことなの、本当に。女として色々自信をなくしそう。否、そうではなく。早く、と急かすように指が伝って、腰のぎりぎりをなぞる。やめて、その下はもう下着なの。緊張を逃すように息を細く吐いて顔を傾ける。唇の位置は見たから、多分平気。ていうかこの距離だったら数センチ詰めるだけだ。肩に置いたままの手を握り込んで、目を瞑り、身を乗り出す。
ちゅ、と小さく音が鳴った。
「ねえ、ちょっと。」
「……なんですか。」
「そこ口じゃないじゃん。」
「どこにキスする、なんて、聞いてないです。」
「いやいや、キスって言ったら口と口でしょ。なんで口の端?もう1cmじゃん。」
「キスはキスでしょう、唇が触れたんですから。」
屁理屈上等。唇同士を合わせるのがベターなキスだとしても、知るもんか。私はきちんとした。唇がくっ付いたら立派なキスだ。五条先輩は深々と溜息を吐き出して、腰を抱く手に力を込めた。
「じゃあ、僕からするね。」
「っ、ダメに決まってるでしょう。何言ってるんですか、バカなんですか。」
「いいじゃん、今からもっと凄い事するのに。」
「凄い事ってなんですか、何もしませんからね。」
「うん、喜雨ちゃんは寝てるだけで良いよ?」
「ばか!本当にばか!」
もう後ろに転がってもなんでも良いから逃げなくてはならない、と肩に置いた手に力を入れるけれどびくともしない。片手が腰を抱き、もう片手が逃げ道を奪うように後頭部に回る。唇同士が触れるまであと3cm。どうしようどうしようどうしよう!
「っ、さとる、さん!」
「なあに、喜雨ちゃん。」
「…は、じめての、キスが、これは、やだ、」
ぴたり、と動きが止まった。