世界で一番素敵な姉

布ズレの音が静かな部屋に響いて、頭が可笑しくなりそうだ。目の前の男が何をしようとしてるのか本能で分かって、身を引こうとした瞬間、後ろから回された腕にあっさりと回収された。いや、誰!?怖い怖い怖い!

「病人相手に手を出すなと言っておいただろう、悟。」
「げ、傑…。」
「私は連絡したぞ、お前が見てないだけで。」

頭上から聞こえて来た声は耳慣れないものだったけど、誰だかが分かっただけでも酷く安心した。というか、この人が来てるなら…と、背後を振り返れば真っ青な顔をした駿となんだかよくわからないけれど複雑そうな顔をした空護を見つける。ほっと息を吐いたら夏油先輩が犬猫でも運ぶみたいに二人の所に預けられた。

「喜雨、何してたンだ?」
「わ、わかんない…?」
「とりあえず服着よう、ね?」

あっという間に二人に囲まれて、空護が来ていたブレザーを私の腰の辺りに巻き付けて縛る。後ろからは見えないだろうけど…いやでもこの場合夏油先輩に見られるのが一番不味い、のか?兎も角安否確認に来たであろう幼馴染の背中を軽く叩いてから無事であることを伝える。夏油先輩が止めなかったら割と不味い事になっていた気もするけど。

「ちょっと悟と二人で話したいからリビングに行くよ。三人はここで待っていてくれるかい?」
「は、はい…。」

にっこりと笑みを浮かべた夏油先輩がなんかちょっと、怖い。仲よくなりたい弟に粗末な物を見せたのは謝るからそんな顔はしないで欲しい。引き摺られるようにして連れて行かれた五条先輩を見送ってから、この格好は流石にはしたなすぎるので二人には背を向けてもらい、空護が間違えて持ってきたらしい体操服を借りた。泊まりになるなり何なりで必要になるかもしれないから、と態々持って帰って来てくれたのだろう。ありがとう、今度カツ丼奢る。


「そンで?何があったンだよ?」
「えっと、」

五条先輩の家に泊まる許可を得ようとしたこと、その際に姉さんと義兄さんと喧嘩…ではないけどすれ違いが起きたこと、帰るのが嫌だと言ったら五条先輩が泊まって行けば?と提案してくれたことを二人になるべく誤解のないように伝えていく。まあ、幼馴染が先輩に跨っていた時点で誤解も何もないのだけれど。そこについてはスキンシップがエスカレートして流されたとだけ伝えておく。勿論、私が抵抗という抵抗もしてなかったことも。


「ンー…姉ちゃんたちなァ……ただのすれ違いだと思うけど。」
「ボクもそう思う。ちゃんと話した方が良い…けど、喜雨が辛いなら今日じゃなくても良いんじゃないかな。ほら、ボクんち泊まりに来ても良いしさ。」
「おれンちでも良いぞ?」
「……や、やっぱ今日帰るよ。頭の中ぐちゃぐちゃですっぽ抜けてたけどこういうのは後回しにしたら拗れる。」
「着いてくか?」
「平気、ちゃんと自分で話すよ。…いい加減、腹括らないと。それにほら、仮に家出てけって言われたとしても根無草は避けられそうだし。」

二人の表情に心配だと書いてあって、とことん自立出来ていないなと思う。大丈夫だよ、とこの場で言ってもあんまり信憑性はないだろう。一見、開き直りにも見えるだろうし。それでも二人は私のこれが強がりでも開き直りでもない事に気が付いてくれて、喜雨が言うのならと納得してくれた。信じてくれる幼馴染たちの存在は、とても心強い。

「正直向き合うのは怖いけど…姉さんたちにいつまでも心配、掛けられないし。」


少しだけ、声が震えそうになった。でも、幼馴染たちの存在や逃げ場はくれると言った五条先輩。それに、こんな私の保護者になると言ってくれた二人の優しさは私が一番知っているから。だから、大丈夫。

「お待たせ、どうするか決まったかい?」
「すいません、やっぱり今日は帰ります。五条先輩、ご飯またで良いですか?」
「いつでもいいよ、そんなん。ていうか僕も行くし。」
「え、本気ですか?」
「僕んちに泊まるんだから、僕が挨拶に行くのが一番って言ったでしょ。それに、ちょっと見ておきたいから。」
「姉さんを?」
「そう、お姉さんとお兄さん。」
「………二人と喧嘩したら嫌いになりますからね。」
「大丈夫だって、僕のこと何だと思ってるの?」
「不良。」
「こんなに品行方正なのに。」


着替えるよ、と言われたので大人しく部屋を出る。夏油先輩もついて来たので二人の話は終わったんだろう。とりあえず借りたが置き去りにされたスウェットを持ってカゴに入れる。シャツとかその辺を回収して畳み、鞄の中に詰めて靴下はもう一度身に付けた。ジャージにハイソックス、なんとも言えない格好過ぎるが家に帰るまでなので諦める。

「悟がすまなかったね。」
「いえ、その…私も抵抗らしい抵抗はしてなかったと思いますし…はい。」
「アレに抵抗する方が難しいだろうから、そこは仕方がない。話はしておいたけれど本当に逃げたい時は思い切り鳩尾を攻撃して逃げるように。」
「あ、本気の抵抗ですね?」

「お待たせー。傑、変なこと言ってないだろうな。」
「悟が無理強いをして来たら蹴り上げるようにと伝えただけだ、変なことは言ってないよ。」
「やり過ぎたとは思ってるっつーの。」

ぐちぐちと文句を言う五条先輩は制服姿だった。あれ?と思うけれど、多分姉さんたちに会うからだろう。謝罪の意味を込めて頭を下げるけど、気にしないでと下げた頭を撫でられて終わる。幼馴染たちとは此処で別れ、いざ、帰宅。


「僕もお姉さんと話しをするけど、下手に合わせようとかしなくていいからね。」
「何を言うつもりですか…。」
「事実?」

ぷらぷらと家まで歩いて帰っていたら、そんなことを言われた。何を言う気なのかと落ち着かないけれど、五条先輩はそこから先はまた他愛のない話にすり替わる。下手に突っ込んで折角冷えた頭がまた熱をぶり返すのは避けたかったから、そのままなんでもない話をしながら歩いた。


「ただいま。」
「お邪魔します。」
「喜雨ちゃん?だあれ?」
「……話してた先輩。挨拶に、って。」
「あら、そうなの?お茶出して貰えるかしら?」
「うん、着替えたら出すよ。姉さんは座ってて。五条先輩、こっちどうぞ。」
「ありがとう。」

ソファに通し、なるべく急いで部屋に戻る。空護に借りたジャージを脱いで部屋着に着替え、足早にキッチンへと向かうと五条先輩は姉さんと雑談していた。学校での私の様子だったり、放課後の話だったり。お互いに敵意はないし、そんなに大事にはならない、と思う。

二人の前に紅茶を置いてから角砂糖を一つ、姉さんのカップに入れてから差し出すと姉さんはそのままひと口飲み込む。五条先輩がえげつない数の角砂糖を静かに紅茶に溶かしていたのは見ないフリをして、御茶請けのマドレーヌを出しておく。まさかの行きで五条先輩に渡されたやつだ。家にあったのだけど、と言われたけど多分コレ凄いいいやつ…後輩の実家に持参する物ではないよね。


「それで?」
「え、っと…。」
「挨拶なんて良かったのに。私たちは喜雨の保護者には当たるけど、本人が後悔しない選択ならば止めませんよ。」
「……まず誤解がないようお伝えしますが、私は結婚を前提に妹さんにお付き合いをしてくださいと口説いている最中です。」
「は?」
「まあ。」
「過去の自分は決して素行が良いとは言えません。ですが、喜雨さんに出逢ってからはそれも改めました。本当はお兄さんが居る時に話すべきでしょうが…またの機会を設けて頂ければ。」
「結婚を前提ならば、その内会う機会が来ると思います。夫も妹の幸せを願っていますから。」
「……ご家庭の事情を、少し喜雨さんに聞きました。少なくとも、今の私でも二人で十分な生活が出来ます。」

待て待て待て、本当に何を言っているんだ。私は姉さんたちとのすれ違いを解決しようと家に帰って来たというのに、その言い方では私が今すぐにでも家を出るみたいに聞こえるのでは。だって姉さん手が跳ねた、私は見たぞ。


「ですが、これは私が決める事ではありません。本人の意思、ご家族の同意がなければ叶う事はないでしょう。どんなに私が喜雨さんと結婚したいと願ったとしても、今すぐには叶いませんし…家族から無理に離す気もありません。」
「……それでは、何故挨拶に?」
「何も知らない男の家に大事な娘を預けると言って頂きました。それならば私も誠意を見せる必要がありますし…何より、私ならば安心だと思って貰えたら、と。」
「そう……、一つ質問を良いかしら?」
「聞かれて困る事はありません、気にせず聞いてください。」
「貴方にとって、喜雨はどんな人?」


私も聞かれたやつ、だ。私は随分と乱暴な答えを出してしまったけれど…ていうか、それ本人の前で聞くの?どうして着替えてる間に済ませてくれなかったの、姉さん。でも動揺しているのは私だけで、五条先輩はあっさりと答えた。こっちが恥ずかしくなるくらい、真っ直ぐに。

「世界中どこを探しても見つからない、生涯をかけて愛し、幸せにしたい女性です。」
「ちょ、あの、」
「喜雨ちゃん。」
「はい…。」

姉さんに嗜められ、大人しく口を噤む。目の前で、姉に対して自分の事を話しているのを聞いていなくてはならないのか。恥ずかしいし、居た堪れないし、正直逃げ出したい。部屋に戻って布団に包まって発狂したい。もしくは家を飛び出して幼馴染たちに会いたい。


「…花のような子、とでも言えばいいのか。陽に当て水をやり、手入れをすれば美しい花を咲かせるでしょう。ですが、手をかけ過ぎれば根が腐り蕾にもなれない。繊細で、踏み込まれ過ぎるのが嫌いで、そうして誰よりも美しく、立派な子だと思っています。」
「ふ、ふふ、…そうね、そうかもしれない。」
「個人的にはクチナシが合うかと。乾燥果実は生薬や漢方薬になります、人の為に動く彼女らしいと思いませんか?…それに、少し言葉足らずで抱え込んだ問題は中々人に吐き出せません。花言葉はいくつかありますが喜びを運ぶ、なんてものもあったかと。私に喜びを運んでくれますから。……なにより、彼女には白い花が良く似合う。」
「物知りなのねぇ。…そう、喜雨は白い花が似合うの。」
「とても。ウェディングドレスに身を包んだ彼女を見るのが今からでも待ち遠しい程に。」

「っあの!」
「どうしたの、喜雨ちゃん。」
「……恥ずかしいからその話を終わらせたかったのもあるけど、…あのね、姉さんがダメだと思ったら私にダメだって言ってもいいんだよ。」
「え?」
「義兄さんと姉さんのことは、知ってる。だから五条先輩の家に泊まるのを反対したくても、自分はしたのにって思っちゃうだろうなって、分かってる。でも、私の保護者は義兄さんと姉さんなんだから、そういう時は怒って欲しい。二人を傷付けてまで、通したい我儘なんてないよ。」
「……我儘を、言ってもいいのよ。喜雨ちゃんは、子供で居られた時間が短いもの。」
「それは姉さんだって一緒でしょ。」

姉さんは困ったように笑う。柔らかな白色が私を見ていて、どうしてだか無性に悲しくて寂しくて。

「それとも、あの日の事後悔してるから、」
「それは違うわ。確かなあの日の私達は正しかったとは言えない。けれど、貴方に向ける愛情に罪悪感も使命感も義務感もないのよ。」
「……それなら、なんで、」

言葉が詰まる。責めたいわけじゃないのに、どうやってこの感情を言葉にしたらいいのか分からなくて拳を握りこむと、大きな手に包まれる。

「五条先輩、」
「言葉足らずなんだよ、喜雨ちゃんは。」
「でも、」
「本当に伝えたい事は言えた?」

本当に伝えたい事なんて急に言われても、さっきからずっと話してるつもりなのに。訳が分からなくて唇を噛んだけれど、五条先輩は優しく笑うだけだ。深く息を吸い込んで姉さんと向き合う。

「私、姉さんたちの、邪魔、してる?」
「してないわ、そんなこと絶対に有り得ない。」
「五条先輩と、…不良の人と居るのは、悪いこと?」
「いいえ、お姉ちゃんは喜雨ちゃんを大切にして守ってくれる人ならどんなに素行が悪くても気にしないわ。私にとっては、貴方の事を愛し守ってくれる人なら他人からどう見られたっていいの。それに、喜雨ちゃんが選んだ人だもの。」
「大事なものが、増えても、いい?」
「勿論。大事なものも大切なものも、沢山あっていいのよ。」

じわじわと目の前が滲む。姉さんの前で泣くなんて心配をかけちゃうのにと思うのに、一度流したらもう堰を切ったみたいに止まらない。泣いてる私に気が付いた姉さんが手を伸ばして来るからその手を取って頬に触れさせると指先が涙を拭ってくれる。小さな子供を宥めるような優しい手付き、五条先輩も同じように触れてくれたなんて、思うのは少し違うのかな。

「ええと、」
「五条です、五条悟。名乗りもせず申し訳ありません。」
「悟くん、あなたにとって喜雨は、どんな子?」
「……つれないけれど、可愛い子です。とても。」
「ふふ、素直になれない子なの。これからもどうぞよろしくね。それと、これから先も付き合いがあるのならばもっと楽に話して頂戴。」
「はい、妻に迎える予定なので末長く宜しくお願いします。」
「敬語も使わなくていいのよ?」
「…はは、じゃあ遠慮なく。」

ずび、と鼻を啜る。いつの間にか仲良くなってる姉さんと五条先輩になんとも言えない気持ちになるんだけど。妻にってなに、いや確かに結婚前提とか言ってた。でも出逢って一週間ちょっとの相手にそんな事を考えるのだろうか。本当に、よく分からない人だ。

「そうだ、悟くん。今日泊まって行ったら?」
「え?」
「ゴールデンウィーク中、喜雨がお世話になるでしょう?うちにも泊まって行って欲しいわ。」


名案だ、とばかりに両手を合わせる姉さんにびっくりして涙が引っ込んだ。隣で固まってるであろう五条先輩の方を見たらニッコリとお手本のような笑顔を浮かべて、

「じゃあ泊まっちゃおうかな。」

なんて言い放った。数時間後に帰ってくる義兄さんの胃が無事で済みますようにと、今だけは神を信じて祈った。
タルト有馬す。