告白どうの、が終わった後。ギリギリ遅刻を免れた私は駿に預けた課題を受け取りそのまま授業を受けた。特に問題もなく、昼間にあの目立つ人が来ることもなく平和な一日を過ごすことが出来て、朝の出来事が嘘だったのではないかと思うくらい、平和な日だった。…放課後までは。放課後にと言ったのは私なので甘んじてクラスメイトの視線が痛い中、授業中に見た夢の話やら昼食時の話なんかを聞いていた。頬が引き攣ったのはもう仕方のない事だと思う。駿と空護はどうしたものかと慌てていたけれど、先に帰した。そうやって人が疎らになる教室で一時間程、五条先輩と話をした。人目は痛かったけれど、どこかを掴まれたりキスされたり、そういうのはなかったので良しとする。そのまま二人で話しながら帰って、駅で別れを告げた。
その日から五条先輩は朝と放課後は必ず教室に来た。移動教室ですれ違えば授業に支障のない程度に声を掛けたり、少し離れた位置から手を振ったりもしてくる。他に誰が居ようと気にする事もなく、本当に"五条悟が一年に猛烈な片想いをしている"図を周りに見せる。私から提示したとはいえ、もう少し色々な問題が出て来ると思っていたので拍子抜けではある。正直、二人きりでなくても頬にキスくらいはして来そうだと思っていたから。幼馴染たちは最初は警戒していたけれど、空護は無事懐柔されている。相変わらずの意思疎通が出来ればみんな友達!理論である。その内悪い女に騙されないか心配だが、まあ、悪い女すらもあの底抜けの明るさと裏表のなさで懐柔しそうなのもまた事実。駿は…人見知りも相まっているのかまだ警戒心が解けていない。こればっかりは仕方ないけれど。
「喜雨ちゃん、どったの?」
「いえ…今日も授業は出てたみたいで安心しました。」
「そりゃね、連絡先教えてくれるらしいし?」
「寝てばかりじゃなくてきちんと授業を受けて欲しい所ですけど。あ、約束なので連絡先は交換はしますけど授業に出なかったら返事はしませんからね。」
「はいはい、分かってるって。」
そう、今日は金曜日。約束の日である。明日は休日と言う事もあってか今日は誰も残っておらず、二人きり。今更気にならないけど。青いケースに収まった端末をポケットから出してLINEを開く。QRで良いか、と操作していれば程なくして目的が達成。追加された見慣れない文字とアイコンをぼんやりと眺めていたら五条先輩からふわふわの毛玉みたいな白猫のスタンプが送られて来た。ゆ、ゆるい…可愛いな、このスタンプ。ちゅっちゅっしてるけど、この猫。
「可愛いでしょ?」
「はい、とても。」
「初期スタンプ送ってくんなし。」
お返しにと初期から入っている茶色のクマのスタンプを送ったけど不服らしい。なんでだ、このクマ可愛いじゃん。
「コイン余ってるからあげる。」
「あっ!こら!」
大人しく端末を操作していると思ったらまた通知音が鳴って、プレゼントとしてスタンプが送られてくる。開いてみたら五条先輩が使ってるスタンプと全く同じ、毛玉みたいな猫だった。とりあえずそれ以上プレゼントをしてくるなの意で拒否を示すスタンプをタップして送る。五条先輩はそれに対して楽しそうに笑って、プレゼントボックスを渡してくる猫を送ってくるから頭を抱える。というか、目の前に居るのにこのやりとりに意味はないだろう。
「あ、五条先輩。」
「悟が良いって言ってるのにぃ。」
「はいはい。あの、夏油先輩のことなんですけど…。」
漸く端末を伏せた五条先輩に安堵の息を吐いてからずっと聞きたかった質問を投げ掛けようとしたら、不服そうな顔をされる。
「なんで僕は好きな子に親友の話を聞かれなきゃいけないのさ。」
「ええ…いや、夏油先輩に興味があるとかではなく…その、弟が、居ると思うんですけど。」
「傑に弟?……あー、なんか親が再婚して弟が出来たとか言ってた気がする。うちに入り浸ってるからまだ会ってないと思うけど。」
つまらなそうな顔をするけど、質問にはきちんと返事をくれる。こういうところがなんとなく憎めないんだろう。そして夏油先輩が五条先輩の家に入り浸っているということは、私の疑問は解決したと言っても過言ではないので噛み締めながら机へと伏せる。隣の席から椅子を持って来て正面に座った五条先輩が私の髪に触れて、撫で付けるようにして遊び始めたのも今は放っておく事にする。
「んで、なんで傑?」
「あー…駿が義兄に会えてないと、気にしてたので。」
「え、傑と兄弟になったのってあの子なの?」
「多分、…夏油なんて名字は他に聞いたことないですし。」
「ふうん。」
お互い自分の疑問が解決したのでこの話は何となく終わりになった。五条先輩が私の髪を三つ編みにし始めたので、これまたなんとなく球技大会の話を振る。高校に入って初めての学校行事、聞きたい事がいくつもあるわけではないが。毎日こうして一時間程会話を続けているのでネタ切れと言えばネタ切れなのである。
「来月球技大会がありますけど、五条先輩はどっちに出るんですか?」
「僕はバスケに出ると思うよ、見に来るでしょ?」
「あー…」
そう、球技大会は来月なのだ。半ばにやるので、このまま五条先輩が喧嘩などの問題を起こさず、授業に出席していれば形式上私たちは恋人になる。そういった契約とは言え、他者から見れば想い合う二人になるわけで、そんな相手が出る種目なら見に行くのがベターだろう。髪がぐちゃぐちゃになる前に五条先輩の手から逃れて起き上がると頬杖をついてこっちを見ていた。この話題を振ったことを少しだけ後悔したが、とりあえず頷いておく。
「喜雨ちゃんは?」
「女子はソフトボールかバレーなのでおそらくバレーですね。」
「んじゃどっちも体育館か、僕を見に来る人多いけどちゃんと一番前で見てね。」
「うわぁ…今更ですけど、五条先輩のファン達に刺されそうで嫌だな。」
「させないから安心して。なんなら当日は僕のジャージ着ておく?」
「それはちょっと。」
させない、ということは一定数そういった人間がいるという事だろう。問題児ではあるがこの人顔は綺麗だし、身長も高い。喧嘩している姿を見る限り運動神経も悪くはないだろうし、こういうちょっと悪い男みたいなのが好きな女性も一定数は居るだろう。私みたいなのがぽんと行ったら背後から刺されるどころか四方八方から刺されそうなものだけれど。今から憂鬱だ。
「後なんだっけ、スリッパの交換とか流行ってるらしいよ。やる?」
「いや、普通にサイズが合わなくて転びます。学年で色が違うんだから目立ちますし、…それに普段シューズなので履きませんよ。」
「じゃあネクタイ。」
「貴方普段からしてないでしょう。」
「カーディガン。」
「私には五条先輩のカーディガンは大きすぎるし、五条先輩が私のは小さくて着れないですよ。」
「なんなら良いのさ。」
「……いや、そもそも交換する必要あります?」
拗ねたみたいな声と顔、困った。確かに先輩達の間で明らかにサイズの合っていないスリッパを履いていたりカーディガンを着ている女生徒は居るが…一年にはハードルが高い。相手がこの人ともなると余計に。
「必要とかじゃなくて、僕は喜雨ちゃんとしたいの。」
「そうは言われても…現実的ではないですよ。」
「んんん……あれ?」
不意に五条先輩が言葉を切る。何事かと思っていたら五条先輩の手が私に伸びて、横髪を掬い耳に掛けるから驚いたけれど視線の先には心当たりがあるから動揺は少なかった。
「ピアスしてたんだ。」
「嗚呼…はい、入学前に駿と空護と三人で。」
「ピアス渡したら付けてくれる?」
「貢がない。」
「えー、そんな大した値段でもないじゃん。」
「ダメ。」
「ちぇっ。」
ぱさりと横髪が落ちてピアスが隠れる。まだ不服そうな五条先輩に苦く笑って返すと髪に触れていた指先が首に触れ、指の腹が伝うのが擽ったくて身を捩る。こうして毎日一回ずつ五条先輩は私の首元に触れるけど、まだ慣れない。
「消えちゃったしさぁ。」
「は?」
「やっぱ軽く付けたくらいじゃすぐ消えるね。」
待って、なにした。なにが消えた?なんとなくの予想は出来るけど認めたくない。頭の中がパンクしそうになっているとネクタイが緩む感覚がして、シャツが肌蹴た。何をする気なのか分からないけれど多分宜しくないやつだ、と逃げようとしたけど五条先輩が身を乗り出す方が早くて、二人の間にある机がガタガタと音を立てた。首筋に柔らかいものが触れ、小さな痛みが走る。肩を揺らした程度では止めてくれず、暫くの間があって軽いリップ音がすると解放された。
「よし。」
「何も良くないんですけど!?」
シャツが軽く肌蹴けたとしても髪に隠れる位置。何をしたのか、知識が薄い私でもなんとなくは分かる。でもこれは独占欲の証ではなかっただろうか。五条先輩が私の事を好きだと言っていたのはきちんと理解しているけれど、付き合ったら云々って言ってたのに。フライングじゃないか。いやもう手遅れだったらしいけれども。
「だって交換してくれないんだもん。これくらい許してよ。」
「いや、だから現実的な物にしてくれって話だったでしょう…付き合ってる人間も居ないのにこんなの付けてたら問題でしょうが。」
「僕が喜雨ちゃんを口説いてるのなんて一年には筒抜けにしてるんだから問題ないでしょ。此処ならよっぽど見てない限り見えない位置だし、仮に見えたとしてもまた噛み付かれたんだなーくらいにしか思わないって。」
「月曜日に体育あるのに…。」
さめざめとしている私を他所に五条先輩はそれはもう満足そうに笑っている。全人類というかこの世の女性が妬ましく思う程長い睫毛を伏せて、機嫌良く私の首元を撫でるから絆されそうだ。
「喜雨ちゃんは肌白いから目立つね。」
「…嫌味ですか?」
「僕は色素が薄いの、色々大変なんだよ?」
「もういいです、帰りましょう。」
下校時刻にはまだ時間はあるけれどこの時間に帰るのが常なので、立ち上がって帰ろうと意思表示をするが五条先輩は座ったまま唇を尖らせて不服を漏らす。
「土日会えないんだからもう少しいいじゃん。」
「姉が待ってるんですよ、義兄さんの帰りが遅くなるから早く帰らないと。」
「えー、まだ帰したくない。」
「我儘言わないでくださいよ。」
「あ、じゃあさ。」
ガタン、とまた机が揺れる。腕を引かれたから。でもそこに痛みはなくて、促されるままにしていると座らされる。何処に?五条先輩の膝の上に。
「っ、こら!」
「明日出掛けない?」
「は?」
「だーから、今日はもう帰らなきゃいけないし、交換はダメなんでしょ?」
「ダメというか…まあ、はい。」
「でも僕は折角いい子にしてたんだからご褒美が欲しい。」
「………つまり?」
「明日僕とデートして、お揃いの物買おう?」
拒否したら多分、下校時刻までこのままだろう。痛くはないけれど両腕がしっかりと腰に回されているせいで逃げられない。というか、向かい合うように座らされたから顔が近い。
「ほ、他にないんですか。」
「このまま僕んち連れて帰って抱き潰してもいいって事?傑居ても気にしないよ、僕。」
「明日出掛けましょう。帰りながら集合場所と時間を決めるでどうです?」
思わず即答してしまったが、背に腹はかえられない。貞操の危機もあるが、癒しコンビの家ならまだしもこの人の家に無断外泊なんてしたくない。義兄さんが倒れ、姉さんが単身乗り込みに来てしまう。あと夏油先輩は追い出してくれ、お互いなんの罰ゲームなんだってなるでしょうが。そんな事はしないけども。
「ん、じゃあデートしようね。」
「私が知ってるデートじゃない…。」
姉さんと義兄さんはそれはもう楽しそうに一週間の時間をかけて計画を立て、幸せそうな顔をしてるのに。私のコレはどう考えてもただの脅しだというのに。この数分でやつれた気分だが、五条先輩は楽しそう笑っている。嬉しい、と言わんばかりの顔だ。悔しくて頬を摘んだけどつるつるの肌を軽く揉むだけで終わった。私の手から逃れて胸元に鼻先を擦り付けてくる五条先輩は甘え上手な猫みたいで脱力する。セクハラだと頭を過ったけれど今更言うことでもないので溜息として吐き出した。
「……帰りますよ。」
「ん、明日の事決めながら帰ろっか。」
さりげなく指を絡めて手を繋いだ五条先輩に抵抗するのも面倒だと好きにさせてしまうのか、今日一日で随分触れ合ったから慣れてしまったのか。どのみち咎めない私も悪いのだろうけど。繋いだ手は少し冷たく感じる春の風を更に冷たく頑張る程、暖かかった。