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結城さんに促され、ボクとしては初めて人の絵に意見や評価、アドバイスをした日から早くも一月経って。
ボク達油画専攻生全員の自由画題の油彩画が芸祭の会場から学校へ帰ってきたGW明け、油画専攻の全員がそれぞれの描いた絵を持ち、いつも絵を描いているのとは別の講堂へと運び出していた。

廊下をゾロゾロと大きなキャンバスを抱えて廊下を歩くのはある意味では油彩画専攻生の特有で、同じ美術学部絵画科でも日本画専攻の生徒は同じ絵を扱うにしてもそれほど大きなものを運んだりはしない…らしい。

普段使っている教室よりもずっと大きいイーゼル以外何もない講堂の中にキャンバスをぶつけないように気をつけながら入り、各々が割り振りされているイーゼルに絵を飾る。油絵専攻生34名の絵が並ぶとそれだけで壮観であり、自由課題でそれぞれの個性とセンスが光る絵ばかりでボクの目を楽しませる。

「全員イーゼルに絵は置けたな?。そうしたらそれぞれお互いの絵を見て評価していくから」

教授がそう声を上げると小声でお互い話し合っていた声がピタリと止み、シンと空気が張り詰める。一月に行われた進級テストがまだ記憶に新しいからだ、進級テストで合格できずその瞬間に留年が決まり涙を流す同級生達をボク達は見ている。
進級ができたとしても、芸大に合格したその瞬間からボク達は永遠に絵を評価され続ける。筆を置いたり、折る瞬間が来るその時までか、それこそ死んだ後でさえも。
それでもやはり自分の絵が見られ、評価される瞬間はとてつも無く緊張する。講堂を見回すと結城さんは強張った顔をしているし、あの清水くんでさえ少し引き攣った笑顔を浮かべている。
ボクだって緊張しているし、許されるならば自分絵を抱えて何処かに走り去ってしまいたい気分だ。


二年になってから初めての批評会は思っていたよりもずっと厳かにはじまる。
イーゼルの隣に立ち、教授が助教授と共にバインダーを持ち絵の前に立って絵をじっくりと眺めた後にクラスメイトに何かを聞いた後、また絵を見て手に持つバインダーに何かを書き込んだ後また次のイーゼルに行くのを震える手を握りしめてひたすら見つめる。
教授から評価を下された同級生の顔がホッとした様に緩んだのを見て、良かったと安心したり更に顔を強張らせ俯く姿を見てしまいそっと視線を逸らしたりしているうちにボクの番が来る。

「次は夏油か」
「はい、お願いします。」

バインダーを見ながら確認する教授に一つ頷き、より一層強く手を握りしめ教授の顔を伺う。
神秘さや高貴さを表すように、赤みの強い紫色を背景にして黒の直裰には意志の強さや威厳を込めて差し色には色味や色の意味を考えながら一色一色選んで使った。笑う兄さんの口にはより鮮やかな赤を使ったし、五条袈裟には包容力や上品さ、けど何があっても揺らがない堅実さを感じさせる茶色に少しのユーモアさや好奇心を感じさせるよう黄色を少し足した。

ボクを何時でも守ってくれて、自信をボクに持たせてくれる何物にも揺らがない自信を持っている力強くて頼りになる。ボクに夢を抱かせてその夢に向かって歩くよう背を押してくれた、この世で一番尊敬し、信頼してるって言っても過言ではない兄さんの姿が一人でも多くの人に伝わるように、偉大な人なんだと。そう思いを込めて全力で精一杯描いた、やれることはみんなやって描いた。

教授は何も言わずにボクの描いた絵をじっくりと見た後ボクの方を見ずにバインダーに視線を落とし口を開く。

「今回の絵でここまで黒が多い絵は夏油の絵だけだが、何か意味があるのか?」
「はい、黒は光を反射する事なく吸収し遮断します。だから人の悩みを聞き受け入れ、悩みを
人々から遮断すると言う意味を込めてより一層黒が目立つように、色を置きました」
「そうか、特徴的な指の組み方をしているがこれは?」
「フィンガークロスで…幸運や成功を祈る仕草です。悩みを断ち切るような剣印に少し似せて描きました」
「そうか、わかった。」

一度もボクを見ずに行われた評価に不安になり震える手を握りしめたまま少し俯く。バインダーに何かを書き込む音が聞こえ、このまま教授が次の人の評価に行ってしまったらどうしよう、何も言う事のない程の絵だと言う事だろうかと不安がどんどん増していく。

「いい絵だ。力強さを感じる上に描写力もある、このまま技術をより磨きなさい。」
「…はい!ありがとうございます!」

聞こえる声に俯いた顔を上げ教授を見ると、初めて教授がボクの顔を見ていた。それに返事をすると教授は一つ頷いた後に次の絵へと歩いて行く。
良かった…兄さんの絵が認められた。
ボクの兄さんへ抱いている憧れや尊敬、兄さんの持つ威厳や優しさ、力強さが認められた気がしてホッと身体に入っていた力が抜けるのがわかった、手は相変わらず震えているが心持ちは全然違う。

絵を描くのは好きだけど、どうしてもコンクールは好きになれなかった、正解の無い絵は自己表現や見たものを描かれる事が多い。それに優劣をつけるコンクールはボクにとっては絵だけの評価だけでなくて絵を描いた人の自己評価やものの見え方にすらも優劣をつけてしまうようで苦手だった。
今も苦手だし、避けて通れるならば避けてしまいたい、一年生の時の進級テストの絵の評価をされる時なんて描いている最中から想像しては恐怖や不安で吐きそうになって何度兄さんに泣きついたかすらわからない。

風景、動物、人物、それぞれの画題で描いてそれを評価されてきたけど、自分が描きたいと心から思って描いた自由課題を認められた事はボクにとって、とても大きい影響をもたらすだろうなって力の抜けた体で倒れ込まないように足に力を込めながら考えていた。


そうこうしているうちに一限が終わり、二限目か始まる。
二限目は教授や助教授が見終わった絵を生徒がそれぞれ見て感想や技術を渡されたプリントに書き込み、昼食を取り終えた後発表するという誉め殺し大会になるか酷評の飛び交う殺伐とした空間が広がるかの究極の二択で、本当に苦手な時間だ。今からでも逃げたい、本当に今すぐ帰りたい…兄さんのいるあの優しい、ぬるま湯のような部屋に戻って珈琲でも飲みたい…普段はブラックで飲むけれど今日ばかりはミルクを多めに入れたものを飲みたい…

うんざりとした気分のまま、渡されたプリントをバインダーに挟み、書きやすくて気に入ってるシャーペンと一緒に持ってイーゼルに飾られている絵を眺めながら感想をプリントに書いていく。
風景、静物、肖像、博物、宗教、歴史、風俗、抽象、今まで習った事がそれぞれキャンバスに描かれていて見るだけでも勉強になる。
時たま興味が惹かれる絵があり描いた人の欄を見ると、素描の時から確かな技術を持って書いてる人だった。

一頻り絵を見終わり、プリントの空欄が埋まる頃に自分の絵の所に戻ると清水くんがボクの絵の前で立っている、いつもの賑やかな雰囲気が消え去って、ただひたすら森の中にある泉のように静かで凪いだ目をしてプリントに字を書き込むでもなくただ僕の絵をひたすら目に焼き付けるように見ていた。

その姿を声をかけるのも憚られ、少し離れたところで待っていると視線に気づいたらしくボクを見た後にパッと電気がついたみたいな笑顔を浮かべてボクに手招きをする。
それに従ってボクは清水くんの近くに足を進める。

「これ夏油が描いたんやろ?」

にっかりと笑う清水くんに頷く、清水くんはそれを見てまたボクの絵に視線を向けて口を開く。

「なんや、感想書かんといけんっちゅーのはわかっとるんやけど…上手いこと書けんわ」
「え?どういう…?」
「オレな、絵ぇ見て感想とか書いたり言ったりするん得意やってん。けどなんやろ…この絵は浮かんで来んのよ」

そう言いながら清水くんはボクに清水くんが書いた感想を書き込むプリントを見せてくる。確かに他の人の欄はめいいっぱい字が詰め込まれているのに対してボクの絵の欄は何度か字を書いて消した後があるだけで空白のままだった。
ボクとしては良く描けたと思っていたけれど、感想も出ないくらいの絵だったのだろうか…

「なんて言えばええんやろなぁ…圧倒されてしもうて言葉が全然出てこん」
「圧倒される…って?」
「初めて夏油の絵を見たような気ぃするわ。それだけで胸いっぱいなるんに、こんなごっついのが夏油の本当の絵なんて感動して言葉すっ飛んでしもうたわ」
「へ?」


落ち込みかけてたボクに向けて投げられた清水くんの意外な言葉にキョトンとしているボクに清水くんはワナワナと震えながらガシリとボクの両肩を掴む、掴まれたボクはびくりと肩を振るわせるが清水くんはお構いなしにボクに顔を近づけてさらに言葉を続ける。

「夏油今までホンマに教科書か!みたいなお行儀のええ絵ばっか描いとったやん!中間色マシマシのバリバリ印象派やったやん!?それがなんやねん!突然絵ぇ描き直したと思ったらこんな御不動さんみたいな偉い強い絵描いとるし!中間色ばっかやったやん使うとる色!黒て!使いにくい色やってんにようここまで使いこなせるわ!」
「え…?え、あ、ありがとう…?」

驚きすぎて清水くんの言葉の八割型が入ってこなかった、どうしよう。

「しかもなんやの〜!全体的に彩度低めの暗い色使いなんになんで辛気臭くならんの?!もうひとっつもわからん!なんで書いたらええのかもわからん!」
「安吾クンうるさいですよー」

ヒートアップしてどんどん声が大きくなる清水くんに怯えるボクの後ろから間延びした声がする。この声は久万山くまやまくんだ、博物画に含まれる動物や植物の絵が得意な桃色の髪を斜めにエッジを効かせた髪型をしている不思議な人で課題がどんなものでも限りなくギリギリのラインを攻めてクマを必ずキャンバスに入れるという珍しい人。
そんな不思議な人がヒートアップする清水くんをボクから引き離してボクを背中に庇ってくれた…ボクよりも身長が低くて、細身なのにボクよりも力があるらしい…

「愛晴!何すんねん!いきなり引っ張ったら驚くやろが」
「いきなりおっきい声出したら驚くデショ?なんで一人で大騒ぎしてるんです?あんまり大騒ぎしてると教授きちゃいますよ〜?」
「そや!愛晴は夏油の絵ぇ見たか?まだやろ?まだやったら見ぃ!ごっつえらい絵ぇ描いとるから!」
「え、あの…やめ…」

清水くんは冷たい目線の久万山くんにめげずに話しかけてる…本当に強い。けどあまりボクの絵にプレッシャーをかけないで欲しい


「へぇ〜安吾クンがそんなに言う絵なんて気になりますね〜」
「ごっつすごいんよ!前までの夏油の絵見とったやろ?ガラッとちゃうぞ!」
「前まではあの印象派系の柔らかすぎてもはや印象に残らない派の絵ですよね〜?」
「印象に…のこらない…」
「ええから見ろや」
「やめてください、痛いです」


久万山くんの言葉が胸に刺さり心が折れそうになる、清水くんは久万山くんの言葉にイラッと来たような顔をして久万山くんの肩を掴みボクの絵の方に体を向けさせる。

「……随分と印象が変わりましたね派になりましたね〜夏油クン。」
「せやろ!」
「清水クンには言ってないデス」
「えっと、ありがとう…?」
「え?あぁ…さっきの僕の言葉気にしてるんですか?気にしないで良いですよ?僕の勝手な印象デスし、夏油クンの絵はつまらないだけで実力はクラスでは一番デショ」
「つまらない…」

久万山くんの言葉がグサグサ刺さる、本人的には褒めてるつもりなんだろうか…本当に褒めてくれてる…?

「だって夏油クン描きたくないモノばっか書いてたじゃないデスか、描きたくないけど言われたから描いてる感凄かったですもん」
「そんな事は無いと思うけど…」
「言い過ぎやぞ愛晴」
「言い過ぎじゃないです、だって夏油クン見たままにしか描いてないですもん」
「愛晴ええ加減にせぇ」

どうしよう、久万山くんの言葉にどんどん清水くんが怒ってるのが声音でわかる。確かに久万山くんの言葉は痛いけど、清水くんが怒って久万山くんのことを殴りそうな方が怖い

「一回生の時は素描や描写力の授業でしたから夏油クン合格してましたけど、二回生になって自己表現やアイデンティティの確立の授業であの絵を出してたら確実に夏油クン落ちてますもん」
「おい!」
「僕だって夏油クン心配してたんデスよ?折角クラスメイトになれたのに、上手なのにつまらない絵ばっか楽しくなさそうに描くんですもん」
「は?おい愛晴、今までの言葉で心配したってそりゃ無茶あるやろ。自分の言葉考えてみぃや」

清水くんありがとう、でも本当に大丈夫だからこれ以上怒らないで欲しい。ボクはもう久万山くんの酷評よりも清水くんの怒気を帯びた声音が怖い

「見たまま描くだけならカメラで良いです、夏油クンも僕も清水クンも自分の描きたいものを描いて、それを見てもらって気に入ってもらえたら買って貰ってそのお金でご飯を食べる画家になる為にこの学校通ってますよね?違います?」
「そうやけど…何も喧嘩売るような事言わんでええやろ」
「最初から僕は喧嘩売ってないって言ってマスし、勝手に売ってない喧嘩買おうとしてるのは清水クンの方デショ」
「1言も2言も多いんよお前は!」
「ふ、2人ともやめよう!ボクは全然平気だから!ね!」


言い合いのようなものが始まってしまった2人の間に押し入り声を上げる、この学校に入学して初めてこんなに大きい声出したかもしれない…

「けど、その印象って今までの絵はって事デス」

ポツリと久万山くんの声に清水くんもボクも久万山くんの顔を見る、久万山くんはボクも清水くんも視界には入れておらず、久万山くんの目に写るのはボクの描いた兄さんの絵だった。

「凄いです、夏油クンのこの絵。」
「ありがとう…久万山くん…」
「お前ホンマによぅわからんわ」
「これ神様みたいですね、和服着てるのにギリシャ神話の神様みたいに力強い、それに笑顔がとても怖いです。容赦なく敵を排除してその死体の山の上で笑っているみたいデス、中間色の紫を使ってここまで危険性を表すのは僕には出来ません。強くて怖い、冷たいのに熱いようにボクには見えます」
「はぁ?そんなおっかないか?オレにはどうしょうもないヤツを仏さんがしゃーないなぁって笑った後にこっちやでーって道案内してくれるみたいやなって思ったんやけど…」
「ええ〜?」
「やけど、言われてみれば…って思わんでもないな。御不動さんもおっかないところはおっかないしな」
「…まぁ、仏様って言われても納得出来る絵デスね…和服ですし」


二人のボクの絵を見て抱いた感想を話し合うのを聞いて凄く驚いた、この2人は確かにタイプの違う人間だけれどボクの描いた絵を見てここまで感想が違うとは思わなかったし、力強さや悩みを消し飛ばしてくれるって意味は込めたけどそこまで過激な印象を与えているとは思ってもいなかった。

どんな風に思いを込めて描くかも、初めてやった。今まではこんなふうな構図にしようとは決めてきたけれど、確かにこんな想いを込めてって描いたことはなかったし描きたいって思って描いては居なかったかもしれない。描きたいには描きたいけれどそれはモノや構図で、気持ちやイメージみたいに形の無いものは描いてない。
それを久万山くんはつまらないと言ったんだと思う。兄さんの絵を描きたいと思って描いた今ならわかるけど、きっとこの絵を描き終わる前に久万山くんの言葉を聞いていたら筆を折ってもう絵が描け無くなってた気がする…
それに、清水くんや久万山くんの抱いた感想と込めた思いの違いにこれからのボクの課題が見えた。
次に描く絵はもう少し込めた思いが伝わるように描こう、それぞれ意思や思想が違うから感想が一致する事は無いんだろうけど。少しでもボクが兄さんに抱く尊敬や感謝を伝わるように描こう

そう決めてスピーカーから流れる終鈴に耳を傾けた。






タルト有馬す。