怖がる君の手を抱き締めた、僕の下心を君は知らない
不思議な人間。
それが、初めて彼女を見た時の感想だった。まるでベールに包まれたかのように、周りに溶け込んでいるようで溶け込んでいない彼女は、視力の良い僕達吸血鬼、ヴァンパイアの興味を強く引いた。でも僕等を引き寄せた理由はそれだけじゃなく、あの甘美な匂いや能力の効かない体質に益々彼女へと嵌まっていく自分がいた。それが何だか、とても恐ろしかった。人の倍を生きてきた僕に今更恐怖だなんて、と鼻で笑える程の自尊心も、事務室ですれ違った瞬間には音をたてて崩れた。大勢の人間がいる中、何度彼女の喉元に歯をたててやろうかと考えた事か。
「本当に?あたし…ちょっと、いや、かなり怖いんですけど」
「大丈夫さ。おいで」
いつしかナナシを知りたいと思った。何故僕の能力が効かないのか。どうしてそんなにも甘美な匂いを纏わせているのか。だけどナナシに近付いても、その答えが導かれる事はなく、更に新たな謎が増えるばかりで。ラドルやヘンリー、彼等の正体を知っている身としては酷く驚いた。そして人間であるナナシと一緒にいる彼等にも。どうして、普通でいられるのか、と。
「僕が信じられない?」
「その聞き方はずるい」
決してナナシの謎が解ける事はないのに、ただ一方的に僕の正体は暴かれていく。でもそこに負の感情は無かった。逆にナナシが僕の事を知る度、喜びにも似たある種の感情がゆらゆらと胸を打った。そして全てが明らかになった時、僕はもうナナシを手放す事もできない程に彼女に溺れてしまっていた。
「怖い?」
「そりゃあ…」
一歩踏み間違えれば落下して即死だろう高さの木にナナシを立たせ、ほんの少し離れた所で腕を広げた状態で彼女を待つ。もしナナシが落ちたりしても死なせたりしない。カレン家で一番足の速い僕が、その落下速度より断然速く立ち回り受け止める。
ナナシは木にしがみついて離れない。そんな様子を僕は、それはそれは楽しそうに眺めていた。手助けするつもりは毛頭無い。これは危険なゲーム。決してナナシが吸血鬼になる事を望んでいる訳じゃないけど、それでも僕を求めるように自ら闇へと堕ちてきて欲しかった。もっと、もっと僕を求めれば良い。そうすれば、その何倍もの愛をもって君を抱き締めてあげる。そんな裏を描いたゲーム。だから、
「おいで、ナナシ」
甘く名前を囁けば眉を若干寄せたナナシは頬を少しだけ赤く染めた。ナナシがこうして呼ばれる事に馴れていなくて、これに弱いという事を僕が理解してやっている事に気付いているんだろう。視線をずらして唇を尖らせたナナシが「卑怯だ」と可愛らしく降参を認めたのを見て自然と頬が弛む。
「ほんと、受け止めてね」
「もちろん」
やはり怖いのか少し涙を浮かべたナナシは意を決して足を踏み出すと、その勢いのまま2、3歩よろめきながら飛び込んできた。そして落ちてしまうかもしれない恐怖からくる僕を抱き締めるいつもより強い力に、僕は更に笑みを溢す。
もっと。
もっと溺れて。
「こ、こわ、かった…」
「もう大丈夫」
ん。と小さく返事をして頭をグリグリ押し付けてくるナナシの頭にキスをする。まだ、足りない。
「ナナシ」
もっと。
「今度はもっと、高い所へ行こう」
僕を求めて。
お題:確かに恋だった さま