別れる

惜しい所で取り逃がしたジョーカーを追い、危険と知りながらも奴の縄張りであるゴッサム有数の危険地帯へと侵入すれば、眼下で、ゴロツキが所々に小さく集う通りを現在追い掛けているピエロを彷彿させるような深い紫色のパーカーを羽織った小柄の女が、時折キョロキョロと辺りを見回しながら歩いていた。こんな真夜中に、しかも見るからに細いラインのシルエットが何故デンジャラスエリアを歩いているのか。精神がやられているのか、はたまた迷子か。こんな所で迷子か?と自分の考えを嘲笑して一蹴し、理由はどうあれ彼女が女である以上放置出来ない為マンションから飛び降りようと1歩を踏み出した所でその場の異様さに気付いた。
何故誰も彼女に手を出さない?
ここが危険地帯と言われているのは勿論、法律に触れるような事が日常茶飯事行われるからであって決して名ばかりではない事は誰もが承知だ。けれど可笑しな事にゴロツキは彼女の姿を捉えた瞬間直ぐに目を反らし何事もなかったかのように過ごすか、たちまち逃げていくかのどちらかだった。
只者じゃない。
今まで選択肢に上がらなかった、彼女が敵である可能性に眉を寄せる。が、その瞬間、道の脇にいた明らかに怪しい男が3人、彼女に近付いた。彼女を連れ去ろうとするならそれは止めなければいけないし、何より彼女が何者であるのかを知る為に暫くじっと様子を伺う事数分、今まで会話をしていた四人の内ゴロツキの3人が彼女を囲んで路地裏へ向かおうとしていた。抵抗も何もしない彼女に少し片眉を上げるもこのまま見過ごす訳にもいかず、今度こそ闇に紛れながら飛び降りた。


バサッ。


「!?誰だ!」
「お前は…っ」
「逃げろ!!」


彼女を置いて意図も簡単に去っていったゴロツキに力を使う手間が省けたと息を溢す。彼女は去っていった男達を追いかけるように軽く手を伸ばして「ぁ…」と、ただ一言呟いた。


「何をしている」
「!」


音をたてずに背後に移動して低く訊ねる。彼女は驚いたのか肩を跳ねさせたが、くるりと振り向いた彼女の顔を見て今度はこっちが驚いた。


「バットマン?」


異常な程に白く塗られた肌に目の周りを覆う黒。丁寧に塗られた真っ赤な口紅の端は彼女の意思に関係なく常につり上がっていた。

ジョーカーだ。


ガシッ!


「痛い痛い!」
「…何の真似だ」


顔の造りは東洋人のもので、彼女は捕まれた腕の痛みから逃げるように顔を顰めていた。ゴッサムにはジョーカーを神か何かと心酔している輩がいるが、彼女もその質なのだろうか。どちらにしろあんな犯罪者の真似をするような奴が普通な訳もなく、女だからといって容赦する事なく彼女の手首を掴む手に力を込めた。


「痛い、痛いっ!」


けれどあまりに彼女の抵抗する力が非力で、あまりに辛そうに涙を目に溜めていくものだから、いざという時は直ぐに行動が出来るよう彼女の一挙一動を見逃さないように瞬き1つする事なく見詰めながら、ゆっくりと彼女の手を放した。


「うー、」


まだ痛むのか掴まれていた箇所を擦り、時折痛みを逃がすようにぐにぐにと優しく押す彼女を見ていれば、何だかこんな女一人に警戒してる自分が馬鹿みたいに思えて少し体の力を抜いた。


「こんな所で何をしている」


同じ質問を繰り返して彼女を見下ろす。先程の痛みから自分に対して少なからず恐怖を抱いたのか、見上げられた瞳には少しの怯えが滲んでいた。


「人を探してるというか、道に迷ったというか…」
「…迷子か」
「…はい」


迷子と認めたくなかったのか彼女は暫しの沈黙の後、苦虫を噛み潰したような表情をしてから肯定した。


「その格好は何だ。今はハロウィーンじゃないぞ」
「分かってますよ。好きでやってるんです」
「…好きなのか?」


一体何を、誰をとは聞けなかったが、あまりにふざけた解答に少し信じられなくて確かめるように問い質すと、彼女はそれが嬉しかったのか途端に顔を輝かせて丸い目を光らせた。


「はい!好きなんです!」


ここらで見るよりも小さめな手が固く握られ、興奮のあまり胸の前で軽く揺れている。それを見下ろしながら次に口から最悪の人物の名前が紡がれる前に、今度は彼女の手を優しく掴んで少し引き寄せた。


「ゎ、」
「家はどこだ」
「家?」
「君を送り届ける」


何故だ?と謂わんばかりの顔で見上げられたが、それに知らん振りをしてもう一度催促する。すると彼女は少し諦めたように笑ってから「家はないです」と呟いた。


「家がないだと?」
「はい。最近はホテル暮らしです」


ニコニコと嬉しそうに笑う彼女は女性というより少女のようなあどけなさを持っていて、つい守りたくなるような欲に駆られた。


「そのホテルの名前は」


けれどたった一人の彼女だけを守るのは自分がバットマンである限り到底不可能な話で、だから尚更早く彼女を安全な場所まで送り届けたかった。
ただ、それだけだったんだが、


「Hold up」


嫌に聞き慣れた声と撃鉄のカチャリとした音が後頭部から聞こえて身を固くする。まさか今まで追っていた犯罪者が自ら登場してくれるとは。だが最悪にも今ここにいるのは自分と背後の男だけではなく、一般人の彼女もいる。部が悪いのは明らかこちらだった。
大人しく彼女の手首から手を放し、ゆっくりと手を挙げる。男はそれを確認すると楽しそうに笑って、後頭部に銃口をグリグリと押し付けてきた。


「バ〜ッツ、鬼ごっこに他人を巻き込むのは反則だろう?」
「それはお前が言える立場か」
「Haha!言えねェな。だがそいつはダメだダメ」


まるで子供に言い聞かすような調子の声色に酷く苛つく。それも今に始まった事ではないが。けれど市民の命を省みないこの男が奴と同じメイクをした彼女を卑下しない態度に引っ掛かりを覚えた。これは偶然だろうか、はたまた必然だったのか。あの凶悪犯を好きだと言う彼女の目の前に現れたピエロ。そしてどこか巻き込まんとする奴の言葉。


「…まさか」


目の前で自身の肩越しを見遣る彼女の姿に確信を得る。


「ジョーカー!」
「Hey,honey」


彼女はジョーカーが、唯一懐に入れた女だったという事か。


「お気付きの所非常に悪いがゲームは終わりだ、オワリ。チャンチャン!」
「お前の悪趣味なゲームとやらに巻き込まれる人間がいる限り、終わる事はないぞ」
「お堅ェなぁ相変わらず。もっと楽に生きろよ!その方が楽しいぜ?」
「生憎今の生活の方が充実している」
「俺達みたいな犯罪者相手に追いかけっこする事が?」


Haha!そりゃ楽しそうだ!

皮肉めいたジョーカーの言葉に片眉が上がる。するとジョーカーは唐突に話を切り上げて俺の首の後ろを思い切り殴りつけると隙をついて彼女の側に立ち回った。
少しフラフラする視界の中でふわふわとジョーカーと彼女が浮かぶ。


「また今度、遊んでくれよバッツ」


そう残して彼女の手を引いて闇に紛れようとするジョーカーに奥歯を噛み締める。思い切り殴られたせいか、思うように体が動かない。


「おいおい、ナナシ」


外した視線を再び彼女に戻すと、ナナシと呼ばれた彼女はジョーカーに手を引かれながらもこちらを振り返って少し申し訳なさそうに眉を垂らしてから「ありがとう」とお礼を述べた。
そしてジョーカーのように「Ta-ta」と手を振ってみせたのだった。


別れる
(きっと彼女とはもう二度と、会う事はないだろう)