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 月人くんの家は俺の学生マンションと同じようなごく普通の、なんならちょっとボロいワンルームだった。簡素なベッドに折りたたみ式のテーブル、きっと備え付けであろう小さいテレビ。壁中に貼り付けられたたくさんの写真たち。なんだか見覚えがあるような気がしたのは、その写真の中の男がバイト先の制服を着ているからだろう。

 月から来た彼にはきっと珍しいものに映ったに違いない。コンビニの店員の写真ばかりだ。もっといい被写体がいるだろうに。

 ……てか、俺じゃね?
 よく見たらこれ、俺じゃん。

 しかもバイト中の写真だけではない。俺がトイレに籠ってる写真までもがある。これは流石にばっちいからやめなさい。あ、風呂入ってる写真もあんじゃん。いつ撮ったんだよ、こんな写真。

 まじ? という意味を込めて月人くんを窺う。得意げに笑ってた。バカヤロウ、褒めてねえよ。

「地球って本当に滅びるんだ?」
「うん」
「なんでお前は地球に来たの?」
「御影を連れて帰ろうと思って」
「……それはなかなかイカしてるね」
「でしょ?」
「男を見る目、あるよ」

 もしかしたら月は地球のように人で溢れかえってはいないのかもしれない。だから、月の住人達は慌てて地球人を月に連れて帰ろうとしているのではないか? 絶滅危惧種の保護だ。彼らにしてみれば自然保護の一環なのかもしれない。いや、この場合は惑星保護か?

 だとしたら、俺以外にもあの地球滅亡のニュースを見ている人間はいっぱいいて、それぞれの下へ月人たちがやってきているという可能性もある。

 なあんだ。俺1人がおかしいわけではないのかも。

 あれ? でもそうなると、やっぱり明日には地球は滅んじゃうらしい。

「御影は寂しい? 地球が滅んだら友達にも、お母さんにもお父さんにも会えなくなっちゃう」
「そうは言ってもなあ、結局地球がなくなればみんないなくなっちゃうんだし……俺もいなくなっちゃうし」
「御影はいなくならないよ。御影は俺と月に行くから」
「あーそうだっけ?」

 なんか、そういう話、した気がする。

「それとも、みんなと一緒に地球で暮らしていたい?」
「そうだナァ」

 願わくば、そうなのだろう。でも、滅んじゃうんのなら仕方がない。どちらにせよ、もう無理な話なのだ。

 ぼおっと感慨にふけっていれば、月明かりを浴びた宇宙人が眉をひそめて俺を窺っている。真っ白な肌が青白く照らされ、真っ青な瞳は光っていた。心なしか寂しそうに見える。ちょっと眉毛が下がっていて、なんだか実家の犬みたいだ。

「そんな顔すんなよ。月ってどんなところ?」

 ぷっと吹き出して笑えば、歯を見せずに控えめに笑った彼がふわりと俺の手を握った。ひんやりとした大理石に触れたようで、人肌の温かみも柔らかさもない。

 クーラーもついてないのにこの部屋が涼しいのはこいつの影響なのかもしれない。肌に当たる温度が気持ちいいな、と思った。

 顔に影がかかり、冷気を感じる。奴が俺の顔をぐっと覗き込んできた。

「さむくて、すこし、さびしい」

 鼻先が触れそうな距離で、間近に動く唇から発せられる舌ったらずの日本語にきゅっと胸が詰まる。微かに頬にかかる息までもが冷たい。

「……そっか」
「御影がいたら、俺は嬉しい」

 青い瞳がゆるりと細くなった。

「それはよかった……地球がなくなったら、俺はやっぱりちょっと寂しいかもな」

 見慣れた道路や電柱、電線にとまるハトだったり、夏の暑さや太陽に肌を焦がされる感覚、缶チューハイを飲みながら石を蹴飛ばすバイトの帰り道なんかが恋しくなるのかも。

「大丈夫だよ」

 上品に笑った白皙の青年は、小さい子どもがあかんべぇ、とするように下まぶたを引っ張った。

「地球ならここにあるよ」

 真っ青に透き通った虹彩の中に、ヘーゼルの混じったグリーンがひまわりのように咲いている。

 ああ確かに。

「本当だ。地球だ」

 とっても綺麗な、俺の惑星。

「ね?」

 にっこりと白い瞼に飲み込まれていった青の惑星が、どんどん迫ってきて、やがてぱっくりと俺は飲み込まれた。
 
「おやすみ、御影」

 嗅いだことのない花の匂いがする。

「おやすみ、おやすみ」

 全身が冷気に包まれた。
 冷たい唇が押しつけられ、冷たい舌が俺の唇をこじ開ける。ドライアイスみたいに冷たい息が一気に入り込んで、体中が冷たくなった。寒さに震える手が目の前の体にしがみつくようにして服を握りしめていたけれど、やっぱりどこに触れても冷たかった。

 あれ……この部屋ってこんなに暗かったっけ。こんなに寒かったっけ。なんだか意識が朦朧とする。

 うふふ、と笑う奴の声がぼんやりと頭に響いていた。

 おやすみ、おはよう、おやすみ……


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