「フォウ!」

再び肩に飛び乗ってきたフォウくんが、名前の頬に擦り寄るように顔を寄せた。記憶を失う前からこうして度々気にかけてくれた温もりに感謝を捧げつつ、名前は深く息を吸って、ぴんと背筋を伸ばす。

ゲーティアは怒りに震え、今すぐにでも第三宝具の装填に取り掛かりそうだった。 異なる愛が衝突すればどういった結末を迎えるのか、名前もロマニも痛い程に知っている。けれど、もう逃げるわけにはいかない。目を逸らすわけにはいかない。

「さて、名前。悪いけどボクは怒ってるんだよ」

隣に並び立ったロマニが、ソロモンの顔でつんと澄ました顔を取り繕った。まったく予想外の言葉に、名前は瞬きを繰り返すことしか出来ない。

「えっ」
「一人で勝手に先走ろうとしただろう? ボク達が一足先遅かったら、今頃どうなっていたことか」
「うっ、ごめんなさい……。反省してます」
「いいかい? キミはもう神様じゃない。誰かに祈りを捧げられる存在じゃない」
「……うん」
「ボクの、たった一人の大切な女の子なんだよ」

名前の冷えた指先が、気付いたら隅々まで絡め取られていた。胸の奥がきゅうと鳴るような切なさに襲われて、呼吸がまるごと攫われてしまったかと思った。

「うん、……ありがとう」
「よし。それじゃ行こうか」

ロマニの左手に嵌った二つの指輪を見て、名前はそっと目尻を緩めた。己が身に付けるそれと同じ、永遠を誓った証。───私というひとが、全力であなたを愛した軌跡だ。

己の左手に嵌めた指輪に触れていると、ソロモンの背後からひょっこりと顔を出したペルセポネーと目が合った。

「お母様、私も怒っているんですよ」
「えっ」
「そうしていつまでも下を向いてばかりでは、お母様の美しい顔が曇ってしまわれるでしょう」
「……ペルセポネー」
「あなたを赦していないのは、この世界で唯一あなただけです。それをお忘れなく」

腰に手を当てて鼻を鳴らした娘は、それきり一歩下がってしまう。ゼウス譲りの気の強さが、今はこれ以上ない程に心地好い。

「ペルセポネーさんの言う通りです。私たちは、あなたと共に在れて幸せだった。……それがたとえ苦痛を伴うものであったとしても、愛するひとを想いながら迎えられた終わりならば、決して絶望なんてしません」

苗字名前の紡いだ言葉は力強く、花のように綻んだ笑顔はあまりにも可愛らしくて堪らない。娘の成長は、親として何よりも喜ばしいものだった。

「強くなったのね、名前」
「ふふ。私は、お母さんの娘ですから」

最後に再び微笑みを向けてくれた彼女もまた、ペルセポネーと同様に一歩下がる。

そして、二人に背中を押された立香ちゃんとマシュが、僅かばかり眉を下げたまま名前の前に歩み出た。

「立香、マシュ。もう少しだけ、私のわがままに付き合ってもらってもいいかな」

彼女たちの手を取って、名前はゆったりと膝を折る。

───死の間際にありながらも、星の輝きを真っ直ぐに追い続けた彼女たちへ、私は最大限の愛と敬意を捧げよう。

二人の眩い瞳には、既に迷いなど微塵もなかった。堂々と胸を張りながら頷いてくれた頭をそっと撫ぜてから、名前は再びゲーティアへと対峙した。



藤丸立香にとって、苗字名前は年の離れた姉のような人だった。

しっかり者で、愛嬌があって、優しくて、どことなく陰を帯びた綺麗なひと。他人が抱える不安や恐怖を知らず知らずの内に絡め取り、すべて受け止めてくれる強い女性。

どんなサーヴァントであっても等しく愛情を注ぎ、館内のスタッフが抱えるありとあらゆる悩みに耳を傾けた名前さんは、ある日突然ぽっきり折れてしまいそうな危うさをも抱えていた。 なにせ、彼女はあまりにも全てを受け入れすぎていた。もしもドクターがいなければ、知らず知らずの内に根元から腐り落ちて、いつの間にか朽ち果ててしまいそうな気配さえしていたのだから。

ある時は友人のように、ある時は姉のように、またある時は母のように。いつも誰かを包み込んでくれた名前さんだったが、ドクターの前でだけは、普通の可愛らしい女性のようなあどけなさを見せていた。

照れくさそうにしながらも、けっして互いの手を離そうとしない二人の笑顔こそが、藤丸立香にとっての日常の象徴だったのだ。

だからこそ、自分は見届けなければならない。二人が選び取り、紡いでいく未来の軌跡を。



先程も向き合った第三宝具の光帯が、頭上で徐々に構成されていく。 名前の身体は既にボロボロで、正直立っているのもやっとの状態だ。けれどこれから先、己の膝が折れることは二度とないことを、他ならぬ己自身が知っていた。

隣から差し出された掌に己の左手を重ねて、二度と離さないように強く握り締める。

「ゲーティア。私からあなたへ、最後の祝福を授けましょう」
「祝福、だと? ───笑わせるな!」
「ええ、あなたならそう言うでしょう。私は、私自身を理解してもらうための努力を怠ってきたんだもの。……けれどね、ゲーティア。私は、私が望む未来の中にあなたがいたことを、ただ知ってほしかったの」

この一年間、名前は可能な限り睡眠時間を削って、自分の魔術回路を地球全土の霊脈へと繋ぎ合わせた。それは、針の穴に糸を通す作業をひたすら続けるようなものであり、かなり神経を使ったものの、マーリンの手助けもあって無事に終えることができた。

その甲斐もあり、現在名前の体内には巨大な魔力の貯蔵庫が存在する。今までかき集めた魔力を、無駄なく使役するための準備が整ったという訳だ。

名前は、杖から伝った魔力が迸ったのを受けて、全てを余すところなく自身の体内へと流し込む。巨大なダムの放流を一手に引き受けたような衝撃に一瞬目が眩むが、左手の熱が優しく力を与えてくれた。 見つめなくても分かる。ロマニは今、いつもの大好きな笑顔を浮かべてくれているのだろう。

そして、ついに魔力の奔流が脳天を突き上げた瞬間。名前は高らかに咆哮した。

「第二宝具、展開します!」

ペルセポネーと名前が己の背中に寄り添い、やがて光の粒子となって溶けていく。それは、三千年かけて編み上げた魔力の循環装置に、彼女たちの魔術回路が自然と組み込まれたことを意味した。

第一宝具で吸い上げた魔力が体内を駆け巡り、過去に己が作り上げた魔術道具───小麦で作った食事を摂取した人々から分け与えてもらった魔力が、結界内部に集約されていく。

走馬灯のごとく過去の記憶が頭を駆け巡る中、ふと心の片隅をつついたのは、ぶっきらぼうに視線を投げてきた海神の横顔だった。

───もう一度、私を殺してほしいの。

姉として弟を信頼していたからこそ、名前はこの一言を投げかけた。想像通り、すぐに意図を理解した様子のポセイドンは、腕を組みつつ鼻を鳴らしていた。

───ふん、……何かと思えば。主の宝具における『死の概念』は既にあれで事足りるだろう。
───私は最善を尽くしたいの。だから、ね。お願い、ポセイドン。
───主の心臓は鉄なのか。
───ふふ、私は臆病で傲慢な女神だもの。 この場に来てくれたあなたならば或いは、と思って。
───これ以上の問答は不要だ。……直ちに往ね。

娘二人を呼び寄せてくれたのは、この場においてオケアノスに最も縁が深い弟だったのだろう。 終ぞ彼と己の道が交わることは無かったが、それでも『デメテル』は、ポセイドンを想って唇を緩めた。



古代ギリシャのエレウシスでは、死後の幸福を得るためにとある儀式が行われていたという。 その場で信仰されていたのは、永遠の命の象徴とされていた二柱の女神。まず第一に、冥界から帰還し春の女神として大地に実りを齎したペルセポネー。第二に、人類に農耕を伝えた豊穣神デメテルだ。

後に、死と再生の概念を数多くの宗教へ伝えたこのエレウシスの秘儀こそが、名前が持つ最大の切り札であった。

それは、生きとし生けるもの全てに対して、死と再生の概念を付与する大魔術。多大なる代償を支払いさえすれば、どのような生命にも死を与えることが叶う秘術だった。

だがそもそも、『デメテル』は豊穣を司る女神であり、彼女自身が死を象徴する逸話を持つわけではない。 そこで名前は、オケアノスにおいてダビデに『デメテル』を殺すよう頼み、先程もポセイドンに同様のことを依頼しようとした。死の概念を己が身体に何重も付与すれば、ペルセポネーがいなくとも宝具として昇華できると考えたのだ。

けれど、こうしてペルセポネーが会いに来てくれたことで、名前の宝具は完全な形を成した。今まで触れてきた数多くの出逢いを、この世界の糧とするための舞台は整った。

愛に飢えた星の獣に、死の概念を。そして、未来を見つめる盾の乙女には、再生の概念を。

「さあ、死と再生の秘儀を御覧に入れましょう。───死を光とせよ、大地の乙女デーメーテール・テスモポロス!」

ゲーティアとマシュを中心として柔らかな純白の光が散らばり、黒々とした特異点の穹をささやかに彩っていく。それはまさに夜空のような光景だと、晴れやかな気持ちで名前は思った。 眼前で輝きを放つ白亜の玉座に目を細めつつ、かつてソロモンが守り抜いた王宮を想起する。

「名前さん……!」

人類最後のマスターが発した悲痛な声を耳にして、名前はようやく己の輪郭が歪んでいることを認識した。消滅の予兆として徐々に光の粒子が溢れていく様は、このグランドオーダー中、彼女が幾度となく遭遇した光景だっただろう。

大切な人を悲しませてしまう瞬間はいつまで経っても慣れないと、名前は心の片隅で考える。

「ごめんね、立香ちゃん。私が付き合えるのはここまでみたい」
「そん、な……」
「マシュの身体に関しては、もう何も心配しないで。これから、うんと長生きできるようになった筈だから」

己が所有する魔力を全て注いだ甲斐もあり、残り少なかったマシュの命も上手く繋ぐことができたようだ。名前の消えかかった足元にすり寄ってくれたフォウくんを見て、満足そうに笑む魔術師の顔が頭を過ぎる。

驚愕したように自分の身体を見下ろしたマシュは、やがて視線を僅かばかり足元へ落としながらも、名前へ真っ直ぐと向き合ってくれた。

「名前さんは、……遠くへ行ってしまわれるんですね」
「うん。でもね、マシュ。私の心はいつもカルデアと共に在る。いつだってあなたの傍にいるよ」
「…………! そう、ですよね」
「もちろん、立香ちゃんの傍にもね」
「はい!」
「ふふ、いい返事」

人が神と共に生きる時代は、とうに終焉を迎えていた。ならば今こそ、人を愛した神は未来ある人々に全てを託すべきであり、責務を放棄した獣達は亡びゆくべきだろう。

唖然としたように立ち尽くすゲーティアの姿を、名前は真っ直ぐに見据えた。

「ゲーティア。これで、あなたを待ち受けるのは死の運命のみとなりました」
「───ッ、何故だ! 何故、このような真似を……!」
「あら、言ったでしょう? あなたを叱るのは私の役目だと」
「そうではない! この時間神殿に死を与えれば、未来永劫、貴様の中からソロモンの記憶は消えるだろう!」

名前は微笑んだ。……その通りだ。ソロモンの身体に死の概念を付与するということは、名前が過去に古代イスラエルにおいて繋いだ縁を全て放棄することになる。カルデアで積み重ねた思い出はもちろん、人間の子を娘として愛した記憶さえも忘却してしまうことだろう。

「ええ。たとえ英霊の座に登録されたとしても、私は名前の名すら忘れてしまうでしょう」
「孤独な旅路の果てに、貴女はまたしても孤独を選ぶ気なのか……ッ!」

遥か彼方に慈しんだ陽だまりのような温かさを思い出して、名前は心からの笑顔を手向けた。

「私の人生は、決して孤独なものではなかった。確かに一人きりで過ごした時間はとても長かったけれど、その間もずっと、私の胸には愛が宿っていたもの。……ゲーティア、あなたを愛したことに後悔なんてないんだ」
「…………ッ」
「ほらね。ボク達が愛したひとは凄いだろう、ゲーティア」

ロマニが笑って、一歩前に進み出る。自分勝手な選択をした己のことさえも、温かく見守ってくれる。 だから名前はもう、何も怖くなんてなかった。たとえ自身の存在がこの世から段々と薄れ、死の感覚がどんなに間近に迫っていようとも。

───幸せも、苦しみも、哀しみも、全てを分かち合ってくれるあなたがいるから、私は一人で立っていられた。

名前は再び、ぎゅっと強くロマニと手を繋いだ。二人で交わした誓いを守るように、掌の熱を重ね合わせた。そして、息を深く深く吸って、震える唇を押し開く。

今まで出逢ったすべての人に、最上の感謝を捧げよう。

「生きとし生けるもの全てに、愛と恵みがあらんことを。───星の輝きが、いつもあなたと共に在りますように」

そう言い残した直後、たくさんの笑顔に見送られながら、名前は完全に時間神殿から消滅した。 唯一、ロマニ・アーキマンの手に一つの指輪を残しながらも、愛した世界を守り抜くために死を選び取った。

名前の生涯は、途方もない程の年月をかけて紡がれた。愛した人と過ごした時はとても短いものであり、常に苦難と向き合ってばかりいたが、その人生は最後の最後まで、多くの幸福に満ちていた。



「さて、ゲーティア。彼女の宝具は未だ衰えず、おまえを蝕み続けている。特異点に集った英霊達の力は増し、魔神柱の動きは停止し始めた。最後におまえは、一体何を選ぶんだい」
「……思えば昔から、私は貴女にだけは敵わなかった」

ゲーティアは、自分へ寄り添うように纏わり付く光の残滓を見つめる。そして、最後まで諦めることなく立ち続けたマスターとデミ・サーヴァントに目を遣り、かつて仕えた王の姿に身体を震わせた。

「誰もが望まぬ未来を目指した私であっても、最後まで貴女が望んでくれたというならば。───最早、この足を止めることはできない。たとえ敗北という結果に終わるのだとしても、私は、決して!」
「……そうか」

昔を懐古するかのように目尻を下げた後、ロマニは隣に並び立った二人の少女を視界に映した。今、何よりも守るべき明るい未来の象徴は、もう自分がいなくとも立派に歩いていけるまでに成長していた。

「立香ちゃん、マシュ。あとは任せたよ」
「ドクターは、それでいいんですか?」
「ああ、構わないとも。だから……どうか、彼を救ってあげてほしい」

その役目は、かつて恐怖と後悔で思考を凍りつかせ、足を止めてしまった自分には相応しくない。 だが、地球規模の大きな使命を背負いながらも、決して挫けることなく夢を見続けた二人であれば。

「これは他の誰でもない、キミ達にしか出来ないことだ」
「…………、はい!」

二人は吼えた。死に直面する恐怖を知りながらも、手を取り合って此処まで進み続けた。その光景はきっと、これからも変わることは無いのだろう。

嗚呼。彼女が育み守り抜いた世界は、こんなにも愛おしくて堪らない。



星が燃え尽きる瞬間とは、なんと儚く美しいのだろう。

憐憫と悔恨、憎悪と愛情を全力で体現した星の獣は、その人生の最後に大切な運命を見つけ、安らかな顔で消滅していった。

生命とは、愛がなければ憎むことすら出来ず、自ら愛を与えなければ愛されることも叶わない。 その事実に自ら気付くことの出来たゲーティアは、きっと幸福と呼ぶに足る感情を得ただろう。

そうであってほしいと、ロマニは切実に願っていた。

このグランドオーダーは、施設や人員への甚大な被害に加え、未帰還者が一名という結果に終わった。しかし、人類最後のマスターが築き上げた功績は、とてつもなく大きなものだ。

カルデアへの帰還直後。自らの手で取り戻した平和な世界を目にするため、マシュと二人で管制室を飛び出した少女の背中を見送ってから、───ロマニは、ゆったりと目を細めた。

管制室の中央で大きく両手を鳴らせば、瞬く間に全員の視線を奪うことができた。

「さて、ボク達は自分の仕事をしよう! ただし、夜になったら全員きちんと食堂でご飯を食べること」
「……ロマニ」
「今そんな顔をする必要はないだろう、レオナルド」

いつもとは立場が逆だと思いつつ、ロマニは天才の肩を叩いてから、自身の胸に手を当てて笑った。

「名前はここにいる。それでも寂しくなったら空を見上げればいい。だから、……悲しむのはまだ先でいいんだ」





*** ** *





その瞬間、ウェディングドレス姿の彼女は、泣きそうな顔で微笑んでいた。

───もし、本当に私と結婚したいって思ってくれるなら。一つだけ約束してほしいの。
───うん、何でも言って。
───ロマニ、神様になんてならないで。これからは自由に、あなただけの時を生きて。

彼女の声をなぞるように、ロマニは窓から覗く大きな青空を見上げた。胸が切なく軋むように痛んだものの、しっかりとした足取りで目的地へと進んでいく。

グランドオーダーが終了し、世界が通常の時間を取り戻してからというもの、予想以上の仕事の山が待ち受けていた。本来ならば許可を得ないと実行できないレイシフトを幾度も断行したのだから、組織として責任が問われるのは当然だろう。

しばらくは責任者としての激務が続いたが、ようやく僅かばかり個人的な時間が取れるようになった。 だがロマニはずっと、その雀の涙ほどの休憩時間を求めていたのだ。

───立香ちゃんを見送る時は、いつもあんなにあっさりと手を振っていたくせに、自分の番となるとこれだ。

首元にぶら下げた二つの指輪を強く握り締めながら、ロマニはようやく辿り着いた部屋へと足を踏み入れる。

そこは、聖杯探索中に数多の出逢いが育まれた場所。サーヴァントを召喚するための空間だった。

彼女と未来を共にする誓いを立ててから、何度も考えていたことがある。

彼女を喚ぶことは自分勝手な行為であって、安らかな眠りを妨げることになるのではないか。 世界のために死を選んだ彼女の幸せは、今の自分と共に在ることではないのかもしれない。

けれど、その度に彼女の声がロマニな胸を衝いた。名前を呼ばれただけで嬉しそうに微笑んでいた彼女の顔が、力強く心臓を鷲掴んだ。

だから、どんな未来が待ち受けていようとも、自分が彼女を幸せにしてみるのだと、再び固く誓いを立てたのだ。





召喚を実行したロマニの前に表れたのは、───麦の穂より何倍も美しい金の髪を持った女性だった。いつだって自分に愛を捧げ続けてくれた、たった一人の大切なひと。

たとえ記憶を失っていようとも、自分を好きになってくれなかったとしても、彼女が彼女であるだけで、ロマニは何よりも幸福だと思えた。

きょとんとした表情を浮かべた彼女は、ロマニを真っ直ぐに見つめながら首を傾げる。 恐らく、相当情けない顔をしているのだろう。大きく深呼吸をした後、精一杯の笑顔を作ってから名乗りを上げた。

「ボクはロマニ・アーキマン。キミのマスターだ。もし良かったら、名前を教えてもらってもいいかな」

彼女は、花のごとく可憐に微笑んだ。目の前で情けなく震える男を慈しむように、その唇をそっと開く。

「ええ。私の名前は──────」