※16話時点の設定を前提としたSSです



シャーロック・ホームズは悩んでいた。他でもない名前・苗字への誕生日プレゼントに。今までの人生でまるで縁のなかった、いわゆる恋人という存在に対して初めての贈り物をするのだから、それなりに思案は重ねるべきだろう。
渡すならば起き抜けの自宅でも良いが、当日彼女はバンジークス家に招かれてヤードの面々と共にパーティを開くらしい。さすがに出発前は貴族の屋敷へ赴くとあって毎度気合いを入れているから邪魔をするのは避けたいし、何よりどうせなら彼らの前に鮮烈な印象を残しておきたかった。

「ホームズ、まだ悩んでいるんですか?」
「ミコトバ、機密事項を家で軽々しく話さないでくれ」
「これは失礼。今日は工房で作った試作品を亜双義に試してもらうと言っていたので、まだ帰るまでには時間がかかると思いますけど」
「……そんなことは知っている」
「彼は本当にそういう心配はないですから」
「それも分かってる」
「はいはい。大丈夫ですよ、名前は他の男になんて見向きもしないでしょう」

そういう問題じゃない、と抗議をしたくもあったが、この手の話題に関してはさすがに目の前の友人の方が上手だ。ミコトバは揶揄い混じりの言動を織り交ぜてくるから、素直に応援の気持ちを受け取るのも難しかったのだが。

「当日はお邪魔にならないように早く寝ますから」
「……それは助かるがね」

やけに温い微笑みを湛えつつ、相棒はそのまま自室に引き上げてしまった。
椅子に座って背中を丸めながら、シャーロック・ホームズは目下最大の問題について思索に耽っていくばかりだった。



苗字名前は浮かれていた。誕生日に特別拘りなんて無かったけれど、自分のために友人達がパーティを開いてくれるだなんて夢のようだった。御琴羽くんも夜の食事は豪勢なものにするため料理を手伝ってくれると言うし、街で知り合った皆からも事前に欲しい物を尋ねてもらうことが何度かあった。自分が恵まれていることを実感する度に、わたしを見つけて助けてくれたルームメイト達への感謝が積み重なっていった。
その内のひとりであるホームズくんからは特に言及はなかったけれど、全く気にしていなかった。人の誕生日に拘るような男の子でないことは既に知っていたし、今まで数え切れない程の手作り品や温かい気持ちを受け取ってきた。毎年お祝いの言葉はくれるから、それくらいは期待しても良いかなと仄かに考える。

しかし困ったことに眠気がこない。遠足前に寝れない子どものような気持ちになっているのだろうか。
このままベッドの上で寝転がっても解決しないことは十分知っていたため、何か温かい物でも飲もうかと扉の前に向かったその時だった。

コンコン、と耳に馴染んだノックの音がした。直後、扉の隙間から何かが差し入れられてコトンと床が鳴る。この音は硬質紙かポストカードの類だろうかと考えつつ拾い上げて広げれば、胸が燃えるように熱くなった。

───Happy Birthday. Sherlock Holmes

いつもよりずっとずっと丁寧に、一文字ずつ綴ってくれたことが自然と分かったから。

「名前、キミの時間を少し貰えないか」
「……うん、もちろん」

唯一無二のバースデーカードを大切に胸に抱えながらドアを開ける。

「ハッピーバースデー、名前」
「ありがとう、ホームズくん」

ようやく身体が馴染んできた我が家なのに、他でもないホームズくんから真っ直ぐに見つめられるのは未だに面映ゆく感じる。元々やさしいひとだけど、最近さらに柔らかく笑うようになった気がしていた。

「下に行きたいんだが構わないか?」
「それは有難いな。私もちょうどお茶を飲みに行こうと思ってたところだったから」
「名前が好きなハーブティーならもう淹れてる」
「え。そんなことまでしてくれたの?」
「……ボクだって、キミのためなら張り切るさ」

差し出された手に自分のそれを重ねて、ふたりでゆっくりと階段を降りていく。油断したら目頭が熱くなりそうなくらい、全身のあらゆる場所が喜びと幸せで満ち満ちていった。

見慣れた客間に辿り着いて最初に感じたのは、鼻を擽る芳醇な香りだった。視線を動かした先のソファーには真っ赤な薔薇の花束がある。わたしを花束の横に座らせたホームズくんは、自然な動作でそれを手に取ってから胸に抱えた。

「……名前。もし良ければ受け取ってほしい」

お花屋さんなんてプライベートで行ったことがないだろうに、今日のためにわざわざ足を運んでくれたのだろうか。深く何度も頷きながら、カードと共に腕の中に迎え入れる。

「……それは十二本あって、いわゆるダズンローズなんだが」
「薔薇って確か、本数によって花言葉が変わるよね。詳しくは覚えてないんだけど」
「ああ、赤い薔薇単体だとI love you。ダズンローズにはそれぞれ全てに意味があって、まとめて贈ることでパートナーに十二の意味を誓うことになる……そうだ」
「ホームズくんは、無理に全てを誓わなくても」
「まあ、人が他者のために永遠の誓いを立てるなんて非科学的で到底不可能だが。……誓いは束縛ではなく祈りになることを、ボクはキミに教えてもらったからね」
「え?」
「ちなみに花の品種名はフリーダム。キミの自由と幸福を、ボクはこれからも願っている」

左手を取られて、手の甲に唇を寄せられた。右腕に抱える鮮烈な赤と、真夜中に浮かぶ澄んだグリーンの瞳に射抜かれる。
静謐な夜の中で、わたしたちは笑いながら何度もキスをした。何色でもなかった透明な誕生日が、あなたの色に染まっていく幸せを噛み締めながら。