※クリア後シナリオのネタバレを含みます。



「ナマエさん。学会への参加、本当にお疲れ様でした」

校長先生から柔和な微笑みが向けられると、いつも不思議なくらい安心する。こうしてアカデミーの校長室にて優しく労わってもらえる回数は少なくないけれど、毎回じんわりと胸が温まった。クラベル先生は人間としても研究者としても尊敬できる方だ。

「とんでもないです。私のような若輩者を受け入れてくださる方が多くて有難い限りでした」
「発表も質問も大変的確で立派でしたよ。いくつか研究室にも勧誘されたとか?」
「はい、個人的に尊敬していた方からもお声がけ頂きまして。ただ急に選択肢が増えて迷っているのも本音と言いますか。嬉しい悲鳴なんですが」
「ナマエさんはもうすぐ卒業でしたね。これでも相談には乗れますから、いつでも声をかけてください」

正直誰よりも心強い相談相手だ。アカデミーの先生方はそれぞれの専門分野に対する造詣が深いものの、やはり幅広い学問の知識を最も蓄えているのが校長先生だったから。

「ありがとうございます。もしご迷惑でなければぜひ」
「ナマエさんとお話しすると私も勉強になりますから。近頃きちんと食事は取っていますか?」
「あー……、すみません。正直食事も睡眠もあまり。学会に向けた準備が楽しくて忘れていました」
「なら今晩はぐっすりと眠れそうですね?」
「……そうですね。努力はしたい、と思っています」

勉学に励むのは最早心の穴を埋める以上にルーティンと化していたから、大人しく休めるかどうかは分からなかった。下手に誤魔化して嘘を吐くような真似もしたくないから現状の期待値をありのまま口にすれば、クラベル先生は苦笑しつつも軽く頷いてくれる。

「正直でよろしい。……ペパーさんも心配していましたよ」

びくり、と肩がコイキング程に跳ね上がったのが自分でも分かった。
定期的に甲斐甲斐しく食事を届けに来てくれていた後輩と顔を合わせなくなったのは、一体いつ頃だっただろうか。確か、アカデミーで話題沸騰中の転入生がやってくる少し前のことだった。

数ヶ月前。マフィティフが怪我をしたのだと、彼自身も傷を負いながら私の部屋に駆け込んできたことがあった。けれど、自分の知識や経験を総動員しても彼のパートナーを元気にしてあげることが出来なかった。
弱々しく横たわる姿はかつての相棒を想起させたから、少しでも力になりたかったのに。私は相変わらず無力で、何も出来ない愚かな人間だと思い知らされた。
それ以来ぱたりとやって来なくなったから、てっきり呆れて見捨てられたとばかり思っていたのに。最近は転入生や生徒会長と何やら楽しそうに集まっている噂も耳にしていたから、彼が幸せならばそれで良いと自分なりに努力を重ねていたのだけれど。

勉強を避けて料理に没頭していた後輩が、クラベル先生と個人的に会話したということは。やはり優秀な研究者だったという彼の親御さんが関わっているのだろうか。下手に詮索はしたくないけれど、無駄に回る頭はいくつかの仮説を立ててしまう。
学会への参加が決まり、校長先生と打ち合わせるようになってから、高名な博士であるという彼の親御さんに関する話も自然と耳に入ってきたから。しかしそこは私が踏み込むべき話では無いと割り切り、現状問いかけるべき質問を唇に乗せていく。

「クラベル先生。ペパーくんは元気ですか?」
「ええ。友人たちにも恵まれて最近は特に楽しそうですね。けれど」

それは良かった、と返事しようとしたところで、釘を刺すような硬い声が私を制した。

「やはり少し寂しそうに見える瞬間があるんですよ。……その時にナマエさんの名前を聞いたので。お節介なのは重々承知しているんですが、やはりこれは伝えておくべきかと思いましてね」

今はもう関わりのない相手の心配までしてくれているのか、と相変わらずの優しさに胸が痛んだのも一瞬のことだった。
改めてクラベル先生にお礼を伝えて、深々と礼をしてから部屋を去る。今の私には時間も体力も何もかも足りていないから、そのぶん無理をしてでも出来ることを積み重ねていかなければならない。

そんな決意を固めた翌日のことだった。今まで音信不通だった後輩から呼び出されたのは。
授業後の教室前で仁王立ちしている姿を見た時は、衝撃のあまり二度見してしまった。偶然遭遇することはあっても、意図的に約束をして落ち合うなんて今までに全く経験がなかったというのに。

「ナマエ先輩、今時間あるか?」
「……あー、ごめんね。実はこれからジニア先生と約束があって。夜なら空いてるんだけど」
「なら夜でいい。いつも通りエントランスだよな」
「んー。いや、今日は自分の部屋で作業しようと思ってたんだ。でもペパーくんにわざわざ来てもらうのも悪いし」
「オレが行きたいんだ。迷惑じゃなければナマエ先輩の時間が欲しい」

随分と真っ直ぐな瞳をするようになった、と素直に驚く。太陽の光に満ちた青空のように、青い目は澄んだ美しい色を湛えていた。前は何処か自信の無さが常に覗いていたのに、こんなにも彼から強く射抜かれるように見詰められるのは初めてのことだった。
噂の転入生や生徒会長との関わりが彼を成長させたのだろうか。だとしたら先輩としてこれ以上に喜ばしいこともない。

「……ペパーくんがそこまで言うなら。具体的な空き時間が分かったらスマホロトムで連絡する、ってことで良いかな?」
「オレは問題ねえよ。……忙しいのに悪いな」
「ううん。ほら、私の場合は勝手に自分で忙しくしてるだけだから」
「相変わらず頑張ってんだろ? 校長先生からも聞いたぜ。有名な学会に学生ながら参加して、それはもうとんでもなく名前を轟かせたって」
「クラベル先生ってば大袈裟な……。今日部屋で作業するのも、学会での経験を踏まえて進路について考えたいからなんだけどね」
「そっか。……引き止めてごめんな。またあとで」
「ううん、私こそごめん。またね」

バクバクと密やかに鳴る心臓を落ち着かせるべく、焦りを悟られないようにいつも通りの歩調を意識しながら立ち去った。あのまま言葉を交わしていたら私の方が彼の圧に負けて要らぬことまで口にしてしまいそうだった。……寂しかった、会いたかった、だなんて。迷子の子どもみたいで恥ずかしいのに。

結局ジニア先生との話はネタがなかなか尽きなくて、彼に連絡を取ったのは夕飯の時間をとっくに過ぎた頃だった。
ごめんね、と必死に書き言葉で伝えると、「飯もってくな」と短い返事が返ってくる。さすが私の生態をよく分かっていた。

そういえばこうしてネットを介してコミュニケーションを取るのも随分と久しぶりだった。前はよく「飯食ってるか?」とか「ちゃんと寝てるか?」なんて送ってきてくれていたのに。彼の優しさに甘えていたくせに、自主的に送るのは照れくさくて控えていたことを思い出す。
これ以上、自分なぞがペパーくんを縛り付けてしまうことが怖かった。たから彼からの連絡が途絶えて安心していた側面もある。けれどさすがに覚悟を決めなければいけないか、と諦めにも似た気持ちで息を吐いた。
どんな話をされたとしても、先輩として真っ直ぐ受け止めなければ。迷いを振り切るように立ち上がってから、備え付けのキッチンでお茶の準備を始めた。



「……ナマエ先輩、こんばんは」

やけに神妙な顔で扉の前に立っていたものだから、むしろこちらの方が気が抜けてしまった。

「こんばんは。ペパーくん、何でそんなに緊張してるの? 私の部屋に来るのも初めてじゃないのに」

溢れ出る笑い声を掌で抑えながら、何故か全身の至る所がギクシャクした後輩を迎え入れる。今まで形式的な挨拶を使うことなんて一切なかったのに、と言えばむっつりと押し黙ってしまった。気を悪くさせてしまっただろうか。

「ごめんね、私もからかいすぎちゃった。お茶を淹れるからベッドに座ってて」
「いや、それは別に気にしてねえんだけど……」
「ポケモンも飲める配合にしたハーブティーなんだけど、マフィティフにもどうかな」
「あ。ならオレのマイボトルに詰めてもらってもいいか? 今日はオレ一人で来たからさ」
「もちろん、ちょっと待っててね。ポケモン達もみんなお留守番なんだ?」
「そりゃまあ。……ていうかさ」

キッチンで作業をした後、後輩のマイボトルと二人分のティーカップをトレイに乗せつつ歩み寄れば、じとりと恨めしげな瞳が待ち受けていた。

「何でナマエ先輩はそんなにいつもと変わらないんだよ」
「……え。そうかな?」
「しばらく何の連絡もなかったくせに強引に呼び出してきた後輩に対して、何で怒りもせずにそんな優しく接してくれるんだよ」

戸惑ったような表情をした後輩の言葉を、出来る限り誠実に受け止める。何となくお互いの前提からして噛み合っていないのを感じたから、率直な思いを口にすることに決めた。

「だって私、ペパーくんに呆れられて避けられたんだと思ってたから。こうして会ってくれるだけで嬉しいよ」
「…………へ?」
「そっちこそ、マフィティフに何もしてあげられなかった先輩のためにご飯を作るなんて、嫌じゃなかった?」
「イヤな訳ねえだろ!」
「なら良かった」

椅子に座り熱めのお茶で唇を湿らせながら、何やら考え込むように俯いた彼の姿を真正面から観察する。
やはり以前より堂々とした気配を纏い、自分の意見や思考を明瞭に述べられるようになっていた。私の目の届かない場所で、きっと彼は大きな試練を乗り越えて強く成長したのだろう。こちらも負けていられないな、と改めて考え始めた瞬間のことだった。

険しい顔をしていた彼が、何かを悟ったように穏やかな顔で微笑んでいた。

「……先輩のことを嫌いになんて、なれる訳がないんだよな」
「え?」
「あの時のオレは、いつまでもナマエ先輩に頼りっぱなしの自分が情けなくなって距離を置いたんだよ。先輩が全力でオレ達を助けようとしてくれたのに、オレには先輩に何かを返せるだけの力がない。……そう思ったら、顔を合わせるのが急に恥ずかしくなった」
「……ペパーくんが届けてくれる料理や言葉に、私はたくさん力を貰っていたけどな」
「先輩は優しいからそう言ってくれるって分かってた! でもオレは、オレ自身が誇れる何かが欲しかったんだ。曖昧な趣味や感情だけじゃなくて、自分が確固たるプライドを持てる何かを。ナマエ先輩が夢を叶えるために勉強に本気で取り組んでいるみたいに」

元々、彼はとても強くて優しい子だった。相棒への深い愛を元に育成やバトルを頑張っているのも知っていたし、料理へ向き合う真摯な姿勢を尊敬もしていた。私自身が何度も助けられてきたからこそ、自信を持って彼の美点を言語化できるのだ。
けれど今は、そういった一個人からの客観的な評価を求めている訳ではないのだろう。チャンピオンという地位を得て、パルデア地方全体に影響を与える生徒会長や転入生のようにとまではいかずとも、社会的な名声を獲得できるかもしれない、いわば夢と呼べる何かが欲しいと。

その気持ちは分かるかもしれない、と素直に共感する。
私は最初、勉強を楽しいだなんて考えてもいなかった。ただ自分の心の傷を埋める手段がそれしか思い付かなかったから、寝食も忘れて必死に机に齧り付いていただけだった。
けれど知識を頭にひたすら詰め込む内に、この経験を未来の技術発展に活かしたいという夢が生まれた。アカデミーの先生方や、私に教えを乞おうと質問してくれる後輩達、そして何よりも目の前の男の子との交流を経て、人との繋がりの大切さを学んだ。
周りに支えられながら無我夢中で夢を追いかける内に、なんとか学会でそれなりの評価を得られるレベルに至ることが出来たのが現状だ。

私が勉学に取り組むキッカケは、いわば精神的な痛みを忘れるための逃避行動でしかなかった。しかし彼は今、強く煌めく唯一無二の意志をもって夢を追いかけようとしているのだろう。自然と伝わってきたそれが眩しくて、つい目を細めながら微笑んでしまう。

「……今日はさ、ナマエ先輩に聞いてほしいことがあって来たんだ」
「ん。ペパーくんの話なら何でも聞くよ」
「先輩ならそう言ってくれると思ってた。───ナマエ先輩。オレは、プロの料理人を目指す。しかもただの料理人じゃねえ。料理界にあっと名前を轟かせるような、ポケモンも人もあっという間に元気にしてあげられる料理を作れるような、そんな凄え男になってみせる」

ぐっと拳を握りながら、明るく強く雄々しい声で高らかに宣言してくれる。カッコイイなあと泣きそうなくらい感じてしまって、胸の奥底がきゅうっと痛んだ。

「応援してるよ。───私にとってペパーくんは、ずっと前から世界一の料理人だったから。きっとこれからは、ペパーくんの料理で救われる人がたくさん増えていくんだね。私も嬉しい」

先程とは打って変わって、ぽかんと呆気に取られたような顔をした。全身に満ちる幸せな気持ちのままニコニコと笑っていると、彼の顔が耳から首筋に至るまで真っ赤に色付いていく。まるでカジッチュのようで可愛いなと癒されていれば、こちらの視線に耐え切れなくなったのか急に叫び始めた。

「ナマエ先輩ってほんとにさ! ナチュラルに毎回殺し文句ばっか言うのが卑怯すぎるんだよな!」
「殺し文句?」
「…………憧れの先輩から世界一だなんて言われたらさ、舞い上がらない訳ないだろ」
「私だってペパーくんのこと尊敬してるよ?」
「……うん。ありがとな」

何故か脱力したように項垂れた様を見て、羞恥心と歓喜が入り交じった笑い声が自然と零れ落ちていく。

「いつか、私がポケモンも人も元気に出来るお薬やお茶をたくさん開発して。医術も修めることが出来たとして」
「うん?」
「ペパーくんと一緒にお店を出して、料理やお茶で皆をたくさん元気に出来たら素敵だなって。ちょっと考えちゃった」
「……それ、最高じゃねえ!?」

やはり将来の夢の話を具体的にしている間、人は何よりもキラキラと輝いている。彼の大きな両手が私の手を包み込んで、互いの熱がぎゅっと溶け合っていった。

「オレ、いつか絶対ナマエ先輩に相応しい男になる」
「……へ?」
「だから、もし良かったらなんだけどさ。……それまで待っててくれたら嬉しい。いつか先輩に追い付いてみせるから」
「そんなの待つ必要なんてないよ。だって私たちはもう自分の夢を追いかける仲間、でしょ?」
「……オレ、もう仲間じゃ満足できないんだ。欲張りになっちまった」

アイスブルーの瞳が、宝物でも見つけたように柔く穏やかに緩んでいく。目が離せない。きっともうずっと前から、私はこの男の子が宿す熱の心地好さに心臓を掴まれていた。

「ナマエ先輩のことが好きだから。先輩のこと、これからも傍で支えていきたいから」

衝動のままに、私は彼を強く抱き締めた。うわっと驚いた声を耳元で浴びながら、燃え上がる熱を伝えるように、大切に優しく目の前の男の子の身体を全身で包んでいく。

「ペパーくん、だいすき」
「……あー、もう! そうやっていつもオレを振り回す!」

互いの夢を応援する同士として。相手の弱さも強さもありのまま受け止めるパートナーとして。これから私たちは、光り輝く未来に向かって歩んでいける。
たとえ大切な何かを喪ったとしても。大きな試練を前に挫折して深く傷付いたとしても。私たちはもう一人じゃないから。傍にいなくとも温かく見守ってくれる存在がいることを知ったから。

一晩中、お互いの夢や目標について語り合ったその夜こそが。私の無二の宝物だと誇れることが、今は何よりも幸せで堪らなかった。