ふたりの翼
※本編のネタバレを若干含んでおります
最初にふたりで紡いだ記憶は、涙ながらに上空から見下ろした里の景色だった。
許嫁だの結婚だの突然言われて混乱して家を飛び出した私を、初対面の男の子が時間をかけて見つけてくれて。帰りたくないと駄々をこねてぐずる私を宥めて、相棒のポケモンであるカイリューの背中に乗せてくれて。私が好きな物を積極的に聞き出して、私が喜ぶような話を頑張って探そうとしてくれた。
紛れもない初恋だった。今でもその思いが揺らぐことはなく、許嫁であるとか里の掟だとか関係なく、一人の人間として彼のことを慕っているというのに。
───小生のことは忘れて、幸せになってください。
見慣れた手書きの文字で綴られた手紙を前に、私は頭を殴られるような衝撃と共に、激情が全身に満ち満ちていくのが分かった。
内容を要約するとこうだ。自分は夢を追い掛けるために里を出る。そんな自分の我儘に、里を大切にしながら生きる私を付き合わせるのは申し訳ないから。自分のことなど忘れて別の男と幸せになれと。
確かに私は生まれ育ったこの土地を愛しているし、自分なりに大切にしていきたいとも思っている。しかし、里の長の後継を残すことを定められた自らの運命に対し、諦めに似た気持ちを抱いていたのも事実だ。正直なところ、いくらでも私の代わりなんているのだから。
それでも、愛した男のために生きられるならば耐えられた。むしろ喜ばしく感じられただろう。それなのに、私の意思を確かめもせずに置いていってしまうだなんてあんまりだ。
目の前の手紙をぐしゃぐしゃに丸めてしまいたい気持ちを堪えて、丁重に畳んでから胸ポケットに仕舞い込んでいく。何であろうと慕う男性からの贈り物を乱暴に扱うだなんて許せるわけも無かった。
深く大きく息を吐き出した後、私は相棒のカイリューと共に自室を勢いよく飛び出していく。家族や里への連絡は後でいくらでも出来る。しかし愛する男を探し出すのは、今この瞬間にしか実行できないと本能的に理解していた。
「突然申し訳ありません。ジムリーダーのコルサさんはいらっしゃいますか?」
最初にボウルタウンにやって来たのは、彼の知り合いとして唯一知っている有名人だったからだ。芸術について語り合える友なのです、と随分嬉しそうに語ってくれたから印象的だった。
アポ無しの訪問で相見えるとは期待していなかったけれど、藁をも掴む思いでジムの受付に向かった。
「ジムへの挑戦者の方でしょうか?」
「いえ。コルサさんに個人的にお会いしたいのですが、やはり難しいでしょうか」
「そうですか。でしたら、」
「ご婦人! ワタシに御用とは何であろうか!」
まさかの御本人登場に驚きつつ、許可を得てからその場で事情を話していく。表情や身振り手振りが多彩に変化していく様は彼とよく似ていて、切羽詰まった状況ながら微笑ましくも感じた。
「……なるほど。それでハッさんの行方を知りたいと」
「はい。一言会話できるだけで良いんです。私が彼を諦めるに足る言葉と理由が欲しいので」
「事情を伺う限り、それなりの危険を犯してここまで来たのだろう? 何故そうまでしてハッさんにこだわるのだ?」
「そんなもの決まっています。私がハッサクさんを愛しているからです」
カッと目を見開いて一瞬硬直したかと思えば、コルサさんは高らかに叫んでいた。
「アヴァンギャルド!」
身近によく似たひとがいたため、特に戸惑うことなく素直にその言葉を受け止める。
「褒めて頂けたんですかね。ありがとうございます。それで、ハッサクさんの居場所を教えて頂く件は……?」
「もちろん協力するとも! しかしワタシが案内するまでもない。ハッさんは、パルデア地方の中心にあるアカデミーにいるのだから!」
「アカデミーに……? つまり、教師として勤めていらっしゃると?」
「さすがハッさんのパートナーは洞察力も素晴らしい! その通りだ! エントランスの受付に事情を説明すれば済む筈だ。念のためワタシからも一報を入れておこう」
「何から何までお世話になりまして……! この御恩はいずれ必ずお返しいたします!」
「気にならさずとも良い! ハッさんの大切な方はワタシにとっても大切な方だからな!」
感情が昂った様子で彫刻作りに戻っていく背中に改めて深々と頭を下げた後、心配するように擦り寄ってくれた相棒のカイリューを優しく撫ぜる。あのひとに出会った後に頑張って捕まえたミニリュウも、今ではこんなに優しく強い子に育ってくれた。
もしかしたらコルサさんは感動的な再会を望んでくれていたのかもしれない。しかし申し訳ないことにそれは期待外れだと言える。一方的な別れを告げられた女が殊勝な態度で全てを受け入れると思ったら大間違いだ。
自らの心を宥めるように相棒とハグをしてから、私たちはアカデミーへと飛び立っていく。竜の意志を継ぐ女が放つ息吹がどれ程に苛烈なものか、一度くらいは思い知ってもらわないと気が済まなかった。
「ナマエさんですね。コルサさんからお話は伺っております。少しお待ち頂くことになってしまうのですが……」
「お気遣いありがとうございます。もし可能でしたら、少しだけ伺いたい場所があるのですけれど」
用事を済ませた後に案内された美術室の前で、授業が終わるのを一人でひっそりと待っていた。チャイムが鳴った後、生徒の皆さんから不思議そうに見つめられる度に笑顔と礼を返しつつ、最後に重々しく扉を開けた男性に向かって歩み寄る。
「ハッサクさん」
「……ナマエさん」
既にコルサさんから連絡を受けていたのだろう。落ち着いた様子で待ち構えてくれていた。
「私に貴方を忘れろだなんて、随分と酷いことを仰いますね?」
「……申し訳ありません。ですが小生は、貴女にだけは幸せになってほしかった」
「いくらハッサクさんと言えども、私の幸福を勝手に決めないで頂きたいというのが本音です。だから最後まで責任をもって、私に貴方を諦めさせてくださいませ」
「ナマエさんは、小生の言葉だけでは納得できないと」
「……私との結婚が嫌だったなら素直にそう仰れば良い。二度と目の前に現れるなと厳しく諌めてくだされば良かったのに。確かにあの手紙には貴方の夢が記されていた。けれどそれは、貴方自身の婚約に対する意思や私の意志を度外視した内容だったでしょう? ですからあれを、この一件に対するハッサクさんの言葉だとは考えておりません」
さすがに学校の廊下でするような話ではないと理解しつつも、マグマのように煮え滾る身体が止まることは無かった。
「ハッサクさん。私は貴方に決闘を申し込みます」
「……決闘!?」
「お手を煩わせるのも申し訳ないので、一対一のシングルバトルに致しましょう。テーブルシティの中央にあるバトルコートを使用して良い旨は、既にクラベル校長から許可を頂いておりますので。今お時間が空いていましたら是非」
「ナマエさん、何故そうまでして小生にこだわるのですか……?」
ポケモン勝負で敵う訳がないことくらい分かっていた。それでも今の私には、自身を納得させるための圧倒的な敗北と拒絶が必要だったから。
「貴方を愛しているからです。ハッサクさん、初恋をいつまでも抱える女の執念を舐めない方が宜しいですよ」
ことりと首を横に傾けて、烈しい感情をひた隠すためにゆったりと笑みを浮かべる。呆然とした様子で目を見開く顔に向けて深々と礼をしてから、踵を返してバトルコートへと向かっていく。
本日彼が受け持つ授業はこれで終わりという事実も校長先生から伺っていた。ランチからまだ然程時間も経過していない時間帯のためコンディション的にも問題はないだろう。ハッサクさんが趣味も仕事も体調管理も万全になさる方だということは、私が一番よく知っていたから。
珍しく慌てた様子で、しっかりした足音が私の背中を追いかけてくる。内輪もめであることは重々承知していたため、なるべく授業中で学生さんが少ない頃に済ませてしまいたかった。
私がハッサクさんに付き従うことは故郷でよくあったけれど、今は彼が私を追いかけている。あの手紙を読む前の自分だったら何てことだと目を覆うような状況だったが、とても酷い顔をしているだろうから丁度良かった。
不謹慎にも、私は楽しみだった。ハッサクさんとバトルできることが。今まで抑え込んできた己の本気を、何より恋い慕う男にぶつけられる未来が。どちらにせよ私は貞淑な妻になんてなれなかったし、彼には相応しくなかったのかもしれないと自嘲するばかりだった。
終始無言のまま、ふたりでコートに到着した。先程許可を出してくださった校長先生が微笑みながら待っていてくださったので、改めて御礼を伝える。
そして、背後で凛とした気配を纏い始めた貴方に向き合った。どんな結末になろうとも私の思いを汲み取ってくれようとするその誠実さに惹かれたのだと、真剣な瞳で見つめてくれる顔に対して微笑む。
「ハッサクさん。この勝負は、貴方から見て無謀に思えるのかもしれません。別れを告げて切り捨てた筈の女が、愚かにも我儘を言っているようにしか見えないでしょう」
「……そんなことはありませんよ。ナマエさん、貴女は昔からずっと真っ直ぐで芯のある女性でした。故郷にも家族にも深い愛を抱く貴女だからこそ、小生の我儘に付き合わせるのは申し訳ないと。そう考えていたんです」
「恐らく貴方が優しさだと考えているその思考が、何よりも私に傷を与えたことが分かりますか?」
ハッと息を呑んだ彼が、強く拳を握り締める。勝負は既に始まっているのだから遠慮も手加減もする気はなかった。
「ハッサクさん。───これから、竜の意志を継がんとする女の本気をお見せ致します」
モンスターボールを取り出して、彼の胸の前に掲げる。きっと今の私は溢れる激情を抑えられず、兇悪な顔で笑っているのだろう。ボールの中で励ますように相棒が動いたのが分かったから、何も気後れせずに背筋を伸ばすことが出来た。
「哀れだから手加減をしよう等とは考えないでくださいな。貴方の全力をもって私を叩き潰してください。そして、私が貴方を諦めるための理由をください」
「……ナマエさん」
「これ以上の言葉は不要です。互いにバトルで示しましょう」
「分かりました。……話はまた勝負の後に」
「ええ」
互いに踵を返し、コートの端へ向かっていく。故郷を共にした幼馴染としてではなく、仮初の許嫁としてではなく、私は今ただ一人の女としてハッサクさんと戦うことが出来る。ならばどれだけ無様になろうとも全力を出し尽くすだけだ。
有難くも審判を申し出てくれた校長先生の合図により、互いにポケモンを繰り出す。予想通りふたりして同じカイリューだ。私の手持ちはこの子だけだから他のポケモンを選んで撹乱させても良い筈なのに、平等な条件で勝負をしようとしてくれるのが彼らしい。
初手は互いに先制攻撃を狙ったしんそくを選択。やはり能力値が高いハッサクさんのカイリューに軍配が上がる。ドラゴンタイプの弱点はドラゴンであるなど分かりきっているから、いつどこで決めるかが駆け引きの鍵になるだろう。
「カイリュー!」
私の呼びかけに答えるように咆哮した相棒が、りゅうのまいで攻撃と素早さを上げた。その間にもストーンエッジを連発されて急所を突かれたため、はねやすめして体力を回復する。
HPだけで見ればイーブンに戻ったが、やはり能力値が劣るぶん決め手に欠ける。いよいよバトルも終盤に差し掛かっていることを察し、勝負をかけた。
「カイリュー! げきりん!」
「良い選択です。それではこちらも全力を尽くすのみ。カイリュー先輩、ドラゴンダイブ!」
こちらのカードは、高火力で命中率は安定しているものの数ターン後に自ら混乱状態を招くげきりん。一方でハッサクさんの手は、命中率がやや不安なものの安定した火力を出せるドラゴンダイブだ。
後者は低確率で相手をひるませる効果もあるが、私のカイリューは特性的にひるむ心配はないため今回は気にしなくて良いだろう。
相手の体力を一発で削りきれずに歯噛みしたところで、ハッサクさんのカイリューが放つドラゴンダイブが再び急所に突き刺さった。
苦しむような声で大きく鳴いた相棒の声を聞き、勝敗の行方を自然と悟る。……負けてしまった。
傷だらけで地面に這いつくばりながらも必死に立ち上がろうとする背中に駆け寄った。私の覚悟に応えようとしてくれた大事なパートナーが、心底申し訳なさそうに見上げてくる。
「ありがとう、カイリュー。もういいの。あなたは立派に戦ってくれた。私の誇りよ」
キズぐすりを使った後、カイリューにはモンスターボールに戻ってもらう。悔しさも確かにあったけれど、心は不思議と晴れやかだった。
愛するひとに全力でぶつかって負けたのだ。これで何の後悔もなく里に帰ることが出来る。素早く駆け寄ってくれたハッサクさんを見上げてから、いつも通り私は微笑んだ。
「……ナマエさん」
「ハッサクさん、私たちの負けです。完敗でした」
「いえ、最後まで勝敗が読めないバトルでした。小生もこんなに手に汗握る勝負は久しぶりでしたよ」
「何よりのお言葉です。……敗者は何も語らず去るべきですね」
「ナマエさん、待ってください!」
ゆっくりと立ち上がった私の手が、ハッサクさんの両掌に包まれた。里にいた頃はスキンシップなど全くと言っていい程なかったから驚いてしまう。彼が私に特別な感情を抱くような素振りもなかったから、これ以上迷惑にならないように負けたらすぐ立ち去ろうと思っていたのに。
「ナマエさん。先程の言葉は本当ですか」
「先程、と仰いますと?」
「……小生のことを愛していると言ってくださった言葉です」
何を今更と考えたものの、はしたない女になるのが嫌で明確な言葉にしたことは無かったかもしれない。だとしたら見捨てられても仕方がないかと苦笑しつつ、深く頷いた。
「ええ。初めてお会いした時からずっと、私の心は貴方のものです」
「……そう、ですか」
何故だか一瞬俯いた後に、ハッサクさんはやけに真剣な瞳で私を射抜いた。何ものにも誠実に向き合うその目を慕っていたのだと改めて実感してしまう。
「今更遅いと怒られても仕方がないかもしれません。小生は、もう既に愛想を尽かされていて当然の立場です。しかし! もしまだ間に合うならば。もう一度だけ、この手を取って頂けませんか」
「……え?」
「ナマエさん、愛しています。ずっと昔から。許嫁であることや里の掟なんて関係ありません。他でもない貴女というひとを小生がこの手で大切にしたいと、諦めたくないと、……欲張りにも改めて考えてしまいました」
全身が燃えるように熱くなって、胸の奥が甘く痛み出す。目頭も自然と熱くなった。
「ハッサクさん、それは本当ですか……?」
「勿論です。愛する女性にここまでの覚悟を示して頂いたのに、本心を隠すなど愚の骨頂です」
「今回はこんな我儘を言ってバトルに付き合って頂いて……私の方こそ、愛想を尽かされたのではないかと」
「貴女は今まで我儘なんて口にしたことがありませんでしたから。可愛らしかったですよ。……ナマエさん」
「……はい」
「里からの追手も含めて、これから貴女に降りかかるであろう苦難は全て薙ぎ払ってみせます。必ず貴女を守ります。───ナマエさん。小生と結婚してくださいませんか」
胸がぐっと詰まり、つい涙ぐんでしまう。けれどいつまでも無様な姿は晒せないから、出来る限りの笑顔を作って彼の誠実さに応えた。
「勿論です、ハッサクさん。ですが守られてばかりの女でいるのは嫌です。私も貴方を守ります」
「頼もしい限りです。……ナマエさんは、本当に強く綺麗になりましたね」
気付いた時には、コートの周囲にいた観客たちが大きな歓声を上げていた。決して数は多くはないが熱の篭った祝福と応援の言葉を受けて、ふたりして驚きながら見回してお辞儀を繰り返す。正直なところ羞恥心で燃え上がりそうだった。
「ナマエさん、ハッサクさん。この度はおめでとうございます」
「クラベル先生! この度は大変お手数をお掛けいたしまして」
「いえいえ。とても良い勝負とプロポーズを見せて頂けて感謝していますよ。それでナマエさん、一つご相談と言いますか、ご提案があるのですが」
「はい?」
「アカデミーの教師職に興味はありませんか?」
つい呆気に取られて情けない顔を晒した私の横で、ハッサクさんがキラキラとした期待の目で見つめてくれたのが分かった。これは大好きな芸術について語る時の瞳と同じで大好きなのだけれど、と考えつつも情報を整理していく。
「そう、ですね。はい、興味はあります」
「ナマエさんは子ども達にもポケモン達にも優しくて、里の皆から頼られていたのです! 特に地理や地質学に関する知識は専門家も顔負けでして」
「……何故ハッサクさんの方が張り切っていらっしゃるんでしょうか。ええと、個人的に知識のある学問分野は確かにそのあたりですね。ですが素人に毛の生えた程度ですし、お役に立てるかどうか」
「実はこのアカデミーも体制変更をしたばかりで、人手が足りていないんです。もしナマエさんが宜しければ前向きにご検討いただけないかと」
それでは後日詳しい相談をするということで、と結論を出した後に、校長先生は颯爽とアカデミーへ戻ってしまった。お忙しいところ無理を言ってしまい申し訳ないと考えながらも、心は目映い程の期待に満ち溢れていた。
急に降り掛かってきた明るい未来を思いつつ隣に目を向けると、ハッサクさんが再び私の手を取った。こうして触れ合うのは今日が初めてに等しいため、どうしても緊張するし我に返った今は特に戸惑ってしまう。
「ナマエさん!」
「は、はい。何でしょう?」
「小生は、貴女が隣にいてくださるだけで幸せになれます。だからこれからも、ふたりで幸せになりましょう」
ようやく貴方が私を真っ直ぐに見つめてくれた。かつてふたりで、里の景色を上空から見下ろした時のように。感動に打ち震えながら、私もまた真っ直ぐに貴方の瞳を見つめ返した。
「はい、ハッサクさん。……私の心は、これからも貴方と共に」
最初にふたりで紡いだ記憶は、涙ながらに上空から見下ろした里の景色だった。
許嫁だの結婚だの突然言われて混乱して家を飛び出した私を、初対面の男の子が時間をかけて見つけてくれて。帰りたくないと駄々をこねてぐずる私を宥めて、相棒のポケモンであるカイリューの背中に乗せてくれて。私が好きな物を積極的に聞き出して、私が喜ぶような話を頑張って探そうとしてくれた。
紛れもない初恋だった。今でもその思いが揺らぐことはなく、許嫁であるとか里の掟だとか関係なく、一人の人間として彼のことを慕っているというのに。
───小生のことは忘れて、幸せになってください。
見慣れた手書きの文字で綴られた手紙を前に、私は頭を殴られるような衝撃と共に、激情が全身に満ち満ちていくのが分かった。
内容を要約するとこうだ。自分は夢を追い掛けるために里を出る。そんな自分の我儘に、里を大切にしながら生きる私を付き合わせるのは申し訳ないから。自分のことなど忘れて別の男と幸せになれと。
確かに私は生まれ育ったこの土地を愛しているし、自分なりに大切にしていきたいとも思っている。しかし、里の長の後継を残すことを定められた自らの運命に対し、諦めに似た気持ちを抱いていたのも事実だ。正直なところ、いくらでも私の代わりなんているのだから。
それでも、愛した男のために生きられるならば耐えられた。むしろ喜ばしく感じられただろう。それなのに、私の意思を確かめもせずに置いていってしまうだなんてあんまりだ。
目の前の手紙をぐしゃぐしゃに丸めてしまいたい気持ちを堪えて、丁重に畳んでから胸ポケットに仕舞い込んでいく。何であろうと慕う男性からの贈り物を乱暴に扱うだなんて許せるわけも無かった。
深く大きく息を吐き出した後、私は相棒のカイリューと共に自室を勢いよく飛び出していく。家族や里への連絡は後でいくらでも出来る。しかし愛する男を探し出すのは、今この瞬間にしか実行できないと本能的に理解していた。
「突然申し訳ありません。ジムリーダーのコルサさんはいらっしゃいますか?」
最初にボウルタウンにやって来たのは、彼の知り合いとして唯一知っている有名人だったからだ。芸術について語り合える友なのです、と随分嬉しそうに語ってくれたから印象的だった。
アポ無しの訪問で相見えるとは期待していなかったけれど、藁をも掴む思いでジムの受付に向かった。
「ジムへの挑戦者の方でしょうか?」
「いえ。コルサさんに個人的にお会いしたいのですが、やはり難しいでしょうか」
「そうですか。でしたら、」
「ご婦人! ワタシに御用とは何であろうか!」
まさかの御本人登場に驚きつつ、許可を得てからその場で事情を話していく。表情や身振り手振りが多彩に変化していく様は彼とよく似ていて、切羽詰まった状況ながら微笑ましくも感じた。
「……なるほど。それでハッさんの行方を知りたいと」
「はい。一言会話できるだけで良いんです。私が彼を諦めるに足る言葉と理由が欲しいので」
「事情を伺う限り、それなりの危険を犯してここまで来たのだろう? 何故そうまでしてハッさんにこだわるのだ?」
「そんなもの決まっています。私がハッサクさんを愛しているからです」
カッと目を見開いて一瞬硬直したかと思えば、コルサさんは高らかに叫んでいた。
「アヴァンギャルド!」
身近によく似たひとがいたため、特に戸惑うことなく素直にその言葉を受け止める。
「褒めて頂けたんですかね。ありがとうございます。それで、ハッサクさんの居場所を教えて頂く件は……?」
「もちろん協力するとも! しかしワタシが案内するまでもない。ハッさんは、パルデア地方の中心にあるアカデミーにいるのだから!」
「アカデミーに……? つまり、教師として勤めていらっしゃると?」
「さすがハッさんのパートナーは洞察力も素晴らしい! その通りだ! エントランスの受付に事情を説明すれば済む筈だ。念のためワタシからも一報を入れておこう」
「何から何までお世話になりまして……! この御恩はいずれ必ずお返しいたします!」
「気にならさずとも良い! ハッさんの大切な方はワタシにとっても大切な方だからな!」
感情が昂った様子で彫刻作りに戻っていく背中に改めて深々と頭を下げた後、心配するように擦り寄ってくれた相棒のカイリューを優しく撫ぜる。あのひとに出会った後に頑張って捕まえたミニリュウも、今ではこんなに優しく強い子に育ってくれた。
もしかしたらコルサさんは感動的な再会を望んでくれていたのかもしれない。しかし申し訳ないことにそれは期待外れだと言える。一方的な別れを告げられた女が殊勝な態度で全てを受け入れると思ったら大間違いだ。
自らの心を宥めるように相棒とハグをしてから、私たちはアカデミーへと飛び立っていく。竜の意志を継ぐ女が放つ息吹がどれ程に苛烈なものか、一度くらいは思い知ってもらわないと気が済まなかった。
「ナマエさんですね。コルサさんからお話は伺っております。少しお待ち頂くことになってしまうのですが……」
「お気遣いありがとうございます。もし可能でしたら、少しだけ伺いたい場所があるのですけれど」
用事を済ませた後に案内された美術室の前で、授業が終わるのを一人でひっそりと待っていた。チャイムが鳴った後、生徒の皆さんから不思議そうに見つめられる度に笑顔と礼を返しつつ、最後に重々しく扉を開けた男性に向かって歩み寄る。
「ハッサクさん」
「……ナマエさん」
既にコルサさんから連絡を受けていたのだろう。落ち着いた様子で待ち構えてくれていた。
「私に貴方を忘れろだなんて、随分と酷いことを仰いますね?」
「……申し訳ありません。ですが小生は、貴女にだけは幸せになってほしかった」
「いくらハッサクさんと言えども、私の幸福を勝手に決めないで頂きたいというのが本音です。だから最後まで責任をもって、私に貴方を諦めさせてくださいませ」
「ナマエさんは、小生の言葉だけでは納得できないと」
「……私との結婚が嫌だったなら素直にそう仰れば良い。二度と目の前に現れるなと厳しく諌めてくだされば良かったのに。確かにあの手紙には貴方の夢が記されていた。けれどそれは、貴方自身の婚約に対する意思や私の意志を度外視した内容だったでしょう? ですからあれを、この一件に対するハッサクさんの言葉だとは考えておりません」
さすがに学校の廊下でするような話ではないと理解しつつも、マグマのように煮え滾る身体が止まることは無かった。
「ハッサクさん。私は貴方に決闘を申し込みます」
「……決闘!?」
「お手を煩わせるのも申し訳ないので、一対一のシングルバトルに致しましょう。テーブルシティの中央にあるバトルコートを使用して良い旨は、既にクラベル校長から許可を頂いておりますので。今お時間が空いていましたら是非」
「ナマエさん、何故そうまでして小生にこだわるのですか……?」
ポケモン勝負で敵う訳がないことくらい分かっていた。それでも今の私には、自身を納得させるための圧倒的な敗北と拒絶が必要だったから。
「貴方を愛しているからです。ハッサクさん、初恋をいつまでも抱える女の執念を舐めない方が宜しいですよ」
ことりと首を横に傾けて、烈しい感情をひた隠すためにゆったりと笑みを浮かべる。呆然とした様子で目を見開く顔に向けて深々と礼をしてから、踵を返してバトルコートへと向かっていく。
本日彼が受け持つ授業はこれで終わりという事実も校長先生から伺っていた。ランチからまだ然程時間も経過していない時間帯のためコンディション的にも問題はないだろう。ハッサクさんが趣味も仕事も体調管理も万全になさる方だということは、私が一番よく知っていたから。
珍しく慌てた様子で、しっかりした足音が私の背中を追いかけてくる。内輪もめであることは重々承知していたため、なるべく授業中で学生さんが少ない頃に済ませてしまいたかった。
私がハッサクさんに付き従うことは故郷でよくあったけれど、今は彼が私を追いかけている。あの手紙を読む前の自分だったら何てことだと目を覆うような状況だったが、とても酷い顔をしているだろうから丁度良かった。
不謹慎にも、私は楽しみだった。ハッサクさんとバトルできることが。今まで抑え込んできた己の本気を、何より恋い慕う男にぶつけられる未来が。どちらにせよ私は貞淑な妻になんてなれなかったし、彼には相応しくなかったのかもしれないと自嘲するばかりだった。
終始無言のまま、ふたりでコートに到着した。先程許可を出してくださった校長先生が微笑みながら待っていてくださったので、改めて御礼を伝える。
そして、背後で凛とした気配を纏い始めた貴方に向き合った。どんな結末になろうとも私の思いを汲み取ってくれようとするその誠実さに惹かれたのだと、真剣な瞳で見つめてくれる顔に対して微笑む。
「ハッサクさん。この勝負は、貴方から見て無謀に思えるのかもしれません。別れを告げて切り捨てた筈の女が、愚かにも我儘を言っているようにしか見えないでしょう」
「……そんなことはありませんよ。ナマエさん、貴女は昔からずっと真っ直ぐで芯のある女性でした。故郷にも家族にも深い愛を抱く貴女だからこそ、小生の我儘に付き合わせるのは申し訳ないと。そう考えていたんです」
「恐らく貴方が優しさだと考えているその思考が、何よりも私に傷を与えたことが分かりますか?」
ハッと息を呑んだ彼が、強く拳を握り締める。勝負は既に始まっているのだから遠慮も手加減もする気はなかった。
「ハッサクさん。───これから、竜の意志を継がんとする女の本気をお見せ致します」
モンスターボールを取り出して、彼の胸の前に掲げる。きっと今の私は溢れる激情を抑えられず、兇悪な顔で笑っているのだろう。ボールの中で励ますように相棒が動いたのが分かったから、何も気後れせずに背筋を伸ばすことが出来た。
「哀れだから手加減をしよう等とは考えないでくださいな。貴方の全力をもって私を叩き潰してください。そして、私が貴方を諦めるための理由をください」
「……ナマエさん」
「これ以上の言葉は不要です。互いにバトルで示しましょう」
「分かりました。……話はまた勝負の後に」
「ええ」
互いに踵を返し、コートの端へ向かっていく。故郷を共にした幼馴染としてではなく、仮初の許嫁としてではなく、私は今ただ一人の女としてハッサクさんと戦うことが出来る。ならばどれだけ無様になろうとも全力を出し尽くすだけだ。
有難くも審判を申し出てくれた校長先生の合図により、互いにポケモンを繰り出す。予想通りふたりして同じカイリューだ。私の手持ちはこの子だけだから他のポケモンを選んで撹乱させても良い筈なのに、平等な条件で勝負をしようとしてくれるのが彼らしい。
初手は互いに先制攻撃を狙ったしんそくを選択。やはり能力値が高いハッサクさんのカイリューに軍配が上がる。ドラゴンタイプの弱点はドラゴンであるなど分かりきっているから、いつどこで決めるかが駆け引きの鍵になるだろう。
「カイリュー!」
私の呼びかけに答えるように咆哮した相棒が、りゅうのまいで攻撃と素早さを上げた。その間にもストーンエッジを連発されて急所を突かれたため、はねやすめして体力を回復する。
HPだけで見ればイーブンに戻ったが、やはり能力値が劣るぶん決め手に欠ける。いよいよバトルも終盤に差し掛かっていることを察し、勝負をかけた。
「カイリュー! げきりん!」
「良い選択です。それではこちらも全力を尽くすのみ。カイリュー先輩、ドラゴンダイブ!」
こちらのカードは、高火力で命中率は安定しているものの数ターン後に自ら混乱状態を招くげきりん。一方でハッサクさんの手は、命中率がやや不安なものの安定した火力を出せるドラゴンダイブだ。
後者は低確率で相手をひるませる効果もあるが、私のカイリューは特性的にひるむ心配はないため今回は気にしなくて良いだろう。
相手の体力を一発で削りきれずに歯噛みしたところで、ハッサクさんのカイリューが放つドラゴンダイブが再び急所に突き刺さった。
苦しむような声で大きく鳴いた相棒の声を聞き、勝敗の行方を自然と悟る。……負けてしまった。
傷だらけで地面に這いつくばりながらも必死に立ち上がろうとする背中に駆け寄った。私の覚悟に応えようとしてくれた大事なパートナーが、心底申し訳なさそうに見上げてくる。
「ありがとう、カイリュー。もういいの。あなたは立派に戦ってくれた。私の誇りよ」
キズぐすりを使った後、カイリューにはモンスターボールに戻ってもらう。悔しさも確かにあったけれど、心は不思議と晴れやかだった。
愛するひとに全力でぶつかって負けたのだ。これで何の後悔もなく里に帰ることが出来る。素早く駆け寄ってくれたハッサクさんを見上げてから、いつも通り私は微笑んだ。
「……ナマエさん」
「ハッサクさん、私たちの負けです。完敗でした」
「いえ、最後まで勝敗が読めないバトルでした。小生もこんなに手に汗握る勝負は久しぶりでしたよ」
「何よりのお言葉です。……敗者は何も語らず去るべきですね」
「ナマエさん、待ってください!」
ゆっくりと立ち上がった私の手が、ハッサクさんの両掌に包まれた。里にいた頃はスキンシップなど全くと言っていい程なかったから驚いてしまう。彼が私に特別な感情を抱くような素振りもなかったから、これ以上迷惑にならないように負けたらすぐ立ち去ろうと思っていたのに。
「ナマエさん。先程の言葉は本当ですか」
「先程、と仰いますと?」
「……小生のことを愛していると言ってくださった言葉です」
何を今更と考えたものの、はしたない女になるのが嫌で明確な言葉にしたことは無かったかもしれない。だとしたら見捨てられても仕方がないかと苦笑しつつ、深く頷いた。
「ええ。初めてお会いした時からずっと、私の心は貴方のものです」
「……そう、ですか」
何故だか一瞬俯いた後に、ハッサクさんはやけに真剣な瞳で私を射抜いた。何ものにも誠実に向き合うその目を慕っていたのだと改めて実感してしまう。
「今更遅いと怒られても仕方がないかもしれません。小生は、もう既に愛想を尽かされていて当然の立場です。しかし! もしまだ間に合うならば。もう一度だけ、この手を取って頂けませんか」
「……え?」
「ナマエさん、愛しています。ずっと昔から。許嫁であることや里の掟なんて関係ありません。他でもない貴女というひとを小生がこの手で大切にしたいと、諦めたくないと、……欲張りにも改めて考えてしまいました」
全身が燃えるように熱くなって、胸の奥が甘く痛み出す。目頭も自然と熱くなった。
「ハッサクさん、それは本当ですか……?」
「勿論です。愛する女性にここまでの覚悟を示して頂いたのに、本心を隠すなど愚の骨頂です」
「今回はこんな我儘を言ってバトルに付き合って頂いて……私の方こそ、愛想を尽かされたのではないかと」
「貴女は今まで我儘なんて口にしたことがありませんでしたから。可愛らしかったですよ。……ナマエさん」
「……はい」
「里からの追手も含めて、これから貴女に降りかかるであろう苦難は全て薙ぎ払ってみせます。必ず貴女を守ります。───ナマエさん。小生と結婚してくださいませんか」
胸がぐっと詰まり、つい涙ぐんでしまう。けれどいつまでも無様な姿は晒せないから、出来る限りの笑顔を作って彼の誠実さに応えた。
「勿論です、ハッサクさん。ですが守られてばかりの女でいるのは嫌です。私も貴方を守ります」
「頼もしい限りです。……ナマエさんは、本当に強く綺麗になりましたね」
気付いた時には、コートの周囲にいた観客たちが大きな歓声を上げていた。決して数は多くはないが熱の篭った祝福と応援の言葉を受けて、ふたりして驚きながら見回してお辞儀を繰り返す。正直なところ羞恥心で燃え上がりそうだった。
「ナマエさん、ハッサクさん。この度はおめでとうございます」
「クラベル先生! この度は大変お手数をお掛けいたしまして」
「いえいえ。とても良い勝負とプロポーズを見せて頂けて感謝していますよ。それでナマエさん、一つご相談と言いますか、ご提案があるのですが」
「はい?」
「アカデミーの教師職に興味はありませんか?」
つい呆気に取られて情けない顔を晒した私の横で、ハッサクさんがキラキラとした期待の目で見つめてくれたのが分かった。これは大好きな芸術について語る時の瞳と同じで大好きなのだけれど、と考えつつも情報を整理していく。
「そう、ですね。はい、興味はあります」
「ナマエさんは子ども達にもポケモン達にも優しくて、里の皆から頼られていたのです! 特に地理や地質学に関する知識は専門家も顔負けでして」
「……何故ハッサクさんの方が張り切っていらっしゃるんでしょうか。ええと、個人的に知識のある学問分野は確かにそのあたりですね。ですが素人に毛の生えた程度ですし、お役に立てるかどうか」
「実はこのアカデミーも体制変更をしたばかりで、人手が足りていないんです。もしナマエさんが宜しければ前向きにご検討いただけないかと」
それでは後日詳しい相談をするということで、と結論を出した後に、校長先生は颯爽とアカデミーへ戻ってしまった。お忙しいところ無理を言ってしまい申し訳ないと考えながらも、心は目映い程の期待に満ち溢れていた。
急に降り掛かってきた明るい未来を思いつつ隣に目を向けると、ハッサクさんが再び私の手を取った。こうして触れ合うのは今日が初めてに等しいため、どうしても緊張するし我に返った今は特に戸惑ってしまう。
「ナマエさん!」
「は、はい。何でしょう?」
「小生は、貴女が隣にいてくださるだけで幸せになれます。だからこれからも、ふたりで幸せになりましょう」
ようやく貴方が私を真っ直ぐに見つめてくれた。かつてふたりで、里の景色を上空から見下ろした時のように。感動に打ち震えながら、私もまた真っ直ぐに貴方の瞳を見つめ返した。
「はい、ハッサクさん。……私の心は、これからも貴方と共に」