ぼくらに手向ける三重奏
※16話のエピソードに関連したSSです
「ホームズ、酷い顔をしてますよ」
「悪いがこれは生まれつきだ」
背中を丸めて座る友人は、吐き捨てるように言い放ちながらも彼女の寝顔を見つめ続けていた。夕焼けの海に真っ白な顔で横たわる姿はかつての出会いを彷彿とさせて、御琴羽もまた自然と眉を寄せてしまう。
命に別状は無い。医者として冷静な判断は下せるが、友人として彼女を想う心が疼くのも事実だった。
ホームズは、彼女を襲った犯人についてそれはもう見事な捜査と推理を披露してみせた。皮肉にもその実績が警察や司法界からの信頼を高めた事実を、きっと苦々しく思っていることだろう。傍から見れば極めて論理的に仕事をこなしたように見えた探偵だが、相棒たる御琴羽にはその横顔に別の心情が浮かんでいるのが自ずと理解できた。
大切な女性を喪うかもしれない時の気持ちは誰より理解できるつもりだったが、だからこそ言葉が見つからない。
「……何かあればいつでも呼んでくださいね」
己の精神が深い闇に沈んでいた夜は、彼女の言葉に掬いあげてもらったのに。やはり留学して医師としての経験をどれだけ積んでも、身近で大切な人達が次々と手のひらから零れ落ちていくような無力感に苛まれる。
きっと目の前の友人も、御琴羽に対して多少なりとも失望の念を抱いていることだろう。普段は考えても仕方がないと切り捨てる思考が自然と頭を過ぎって苦笑する。
やはりいつまで経っても、御琴羽悠仁は臆病な男のままだった。
彼女が退院してからしばらく経つと、いつの間にかホームズの誕生日が近付いてきた。
苗字名前という女性は、誰の誕生日も等しく全力で祝福する人間だ。産まれてきてくれてありがとう、と。ホームズにも御琴羽にも、他の誰であったとしても、心底嬉しそうに微笑んでは温かな言葉と心の籠ったプレゼントを贈ってくれる。
彼女自身が自らの生に執着するタイプではないからこそ他者の誕生を大切にし、全力で祝福の気持ちを注いでいるように見えた。……かつての妻を想起させる姿は、一瞬だけ御琴羽の胸を掻き乱すことはあったけれど。
今回は特に二人が想いを通わせてから初めて迎える誕生日なのだし、自分は邪魔にならないように引っ込んでいようと遠慮していた御琴羽の配慮を引っくり返したのは、他ならぬ名前だった。
「御琴羽くん! 今年は日付が変わる時に三人で一緒に過ごさない?」
「え。……明らかに私が邪魔では?」
「邪魔な訳ないよ。もしも御琴羽くんが迷惑なら、遠慮なく断ってくれて良いんだけどね」
「それこそ迷惑なわけないじゃないですか」
「ありがとう! あのね、実は一つ考えていることがあって」
現在は自室に引き篭っている探偵だが、よく気配を消して耳をそばだてていることもあるからか、彼女は御琴羽の耳元で内緒話をするように話しかける。この光景を見られた方が面倒そうだと一瞬考えつつも、その後に提案された内容に目を見張る。
「……私もご一緒して、本当に良いんですか?」
「もちろん。わたしにとってもホームズくんにとっても、御琴羽くんは大切なひとだから」
彼女を単なる友人と呼ぶにしては、あまりにも懐の奥深くまで招き入れてしまったことを自覚する。血の繋がりはないけれど、互いの生き方も立場も何もかも違うけれど、いつか自信を持って彼女たちを家族と呼べる日がくることを、御琴羽はいつの間にか夢見てしまっていた。
「ホームズくん、お誕生日おめでとう!」
「おめでとうございます。ホームズ」
当日はあっという間にやって来た。英国に来て初めての友人が、眉を上げつつも柔らかく微笑む姿は最近すっかり見慣れたものとなっていた。以前名前のお陰だと本人に伝えた際、彼女は照れくさそうに御琴羽のお陰だと自信満々に言うものだから、正直返答に困ってしまったが。
「はい、ホームズくん! これ」
「……バイオリン?」
「うん。わたしがアコーディオン、御琴羽くんはタップダンス。皆で演奏しながら迎えるお誕生日も楽しくて素敵かなと思って」
名前を行きつけのパブに誘ってみれば、柔和な人柄と人当たりの良さから瞬く間に周囲に気に入られて、常連客からアコーディオンを譲り受けるまでに発展していたのも最早懐かしい。
相手が男性客だったこともありホームズは素直に拗ねていた。しかし彼女が持ち前の器用さからすぐ楽しそうに演奏を始めた姿を見て、静かに酒を煽っていたものだった。
「選曲は?」
「ホームズくんの好きな曲なら何でも! わたしと御琴羽くんが合わせるから、拙くても文句は禁止ね」
「キミたちの腕はこれでも信頼しているんだ。文句はないが……なら、演奏前に一言だけ」
「うん」
ホームズは、名前と御琴羽の瞳を順番にじっくりと見詰めた後、愉快そうにバイオリンを構えた。
「ボクからも、キミ達との出会いに対する祝福を込めて。……名前、ミコトバ。ありがとう」
心臓に刺さっていた棘がそっと柔く溶けていくような心地がして、御琴羽は咄嗟に目頭を押さえた。
すると目の前の二人が心底嬉しそうに目配せし合ったものだから、この演奏会も彼らの計画の内だったことを知る。やはり敵わないなと微笑みながら、御琴羽もまた大事な家族と共に紡ぐ音楽へと思いを馳せていった。
三人で共に朝まで奏でた、無茶苦茶で温かくて優しくて激しい演奏の前では、どんな高度な技術を持った演奏家も裸足で逃げ出すだろうと。悪戯を覚えたばかりの子どものような気持ちで、御琴羽はただ笑うばかりだった。
「ホームズ、酷い顔をしてますよ」
「悪いがこれは生まれつきだ」
背中を丸めて座る友人は、吐き捨てるように言い放ちながらも彼女の寝顔を見つめ続けていた。夕焼けの海に真っ白な顔で横たわる姿はかつての出会いを彷彿とさせて、御琴羽もまた自然と眉を寄せてしまう。
命に別状は無い。医者として冷静な判断は下せるが、友人として彼女を想う心が疼くのも事実だった。
ホームズは、彼女を襲った犯人についてそれはもう見事な捜査と推理を披露してみせた。皮肉にもその実績が警察や司法界からの信頼を高めた事実を、きっと苦々しく思っていることだろう。傍から見れば極めて論理的に仕事をこなしたように見えた探偵だが、相棒たる御琴羽にはその横顔に別の心情が浮かんでいるのが自ずと理解できた。
大切な女性を喪うかもしれない時の気持ちは誰より理解できるつもりだったが、だからこそ言葉が見つからない。
「……何かあればいつでも呼んでくださいね」
己の精神が深い闇に沈んでいた夜は、彼女の言葉に掬いあげてもらったのに。やはり留学して医師としての経験をどれだけ積んでも、身近で大切な人達が次々と手のひらから零れ落ちていくような無力感に苛まれる。
きっと目の前の友人も、御琴羽に対して多少なりとも失望の念を抱いていることだろう。普段は考えても仕方がないと切り捨てる思考が自然と頭を過ぎって苦笑する。
やはりいつまで経っても、御琴羽悠仁は臆病な男のままだった。
彼女が退院してからしばらく経つと、いつの間にかホームズの誕生日が近付いてきた。
苗字名前という女性は、誰の誕生日も等しく全力で祝福する人間だ。産まれてきてくれてありがとう、と。ホームズにも御琴羽にも、他の誰であったとしても、心底嬉しそうに微笑んでは温かな言葉と心の籠ったプレゼントを贈ってくれる。
彼女自身が自らの生に執着するタイプではないからこそ他者の誕生を大切にし、全力で祝福の気持ちを注いでいるように見えた。……かつての妻を想起させる姿は、一瞬だけ御琴羽の胸を掻き乱すことはあったけれど。
今回は特に二人が想いを通わせてから初めて迎える誕生日なのだし、自分は邪魔にならないように引っ込んでいようと遠慮していた御琴羽の配慮を引っくり返したのは、他ならぬ名前だった。
「御琴羽くん! 今年は日付が変わる時に三人で一緒に過ごさない?」
「え。……明らかに私が邪魔では?」
「邪魔な訳ないよ。もしも御琴羽くんが迷惑なら、遠慮なく断ってくれて良いんだけどね」
「それこそ迷惑なわけないじゃないですか」
「ありがとう! あのね、実は一つ考えていることがあって」
現在は自室に引き篭っている探偵だが、よく気配を消して耳をそばだてていることもあるからか、彼女は御琴羽の耳元で内緒話をするように話しかける。この光景を見られた方が面倒そうだと一瞬考えつつも、その後に提案された内容に目を見張る。
「……私もご一緒して、本当に良いんですか?」
「もちろん。わたしにとってもホームズくんにとっても、御琴羽くんは大切なひとだから」
彼女を単なる友人と呼ぶにしては、あまりにも懐の奥深くまで招き入れてしまったことを自覚する。血の繋がりはないけれど、互いの生き方も立場も何もかも違うけれど、いつか自信を持って彼女たちを家族と呼べる日がくることを、御琴羽はいつの間にか夢見てしまっていた。
「ホームズくん、お誕生日おめでとう!」
「おめでとうございます。ホームズ」
当日はあっという間にやって来た。英国に来て初めての友人が、眉を上げつつも柔らかく微笑む姿は最近すっかり見慣れたものとなっていた。以前名前のお陰だと本人に伝えた際、彼女は照れくさそうに御琴羽のお陰だと自信満々に言うものだから、正直返答に困ってしまったが。
「はい、ホームズくん! これ」
「……バイオリン?」
「うん。わたしがアコーディオン、御琴羽くんはタップダンス。皆で演奏しながら迎えるお誕生日も楽しくて素敵かなと思って」
名前を行きつけのパブに誘ってみれば、柔和な人柄と人当たりの良さから瞬く間に周囲に気に入られて、常連客からアコーディオンを譲り受けるまでに発展していたのも最早懐かしい。
相手が男性客だったこともありホームズは素直に拗ねていた。しかし彼女が持ち前の器用さからすぐ楽しそうに演奏を始めた姿を見て、静かに酒を煽っていたものだった。
「選曲は?」
「ホームズくんの好きな曲なら何でも! わたしと御琴羽くんが合わせるから、拙くても文句は禁止ね」
「キミたちの腕はこれでも信頼しているんだ。文句はないが……なら、演奏前に一言だけ」
「うん」
ホームズは、名前と御琴羽の瞳を順番にじっくりと見詰めた後、愉快そうにバイオリンを構えた。
「ボクからも、キミ達との出会いに対する祝福を込めて。……名前、ミコトバ。ありがとう」
心臓に刺さっていた棘がそっと柔く溶けていくような心地がして、御琴羽は咄嗟に目頭を押さえた。
すると目の前の二人が心底嬉しそうに目配せし合ったものだから、この演奏会も彼らの計画の内だったことを知る。やはり敵わないなと微笑みながら、御琴羽もまた大事な家族と共に紡ぐ音楽へと思いを馳せていった。
三人で共に朝まで奏でた、無茶苦茶で温かくて優しくて激しい演奏の前では、どんな高度な技術を持った演奏家も裸足で逃げ出すだろうと。悪戯を覚えたばかりの子どものような気持ちで、御琴羽はただ笑うばかりだった。