真っ白な空間が広がっていた。虹の結晶をかき集めたように、キラキラと光が乱反射した美しい場所だった。
その中心にたった独り、小さな男の子が蹲っているのを見る。

孤独と寂寞の狭間を行き交うように、何かを強く求めるように、ぽつんと這いつくばって丸まっていた。泣いているのか怒っているのか何かに打ちひしがれているのか、柔らかく細い腕に隠れて表情は見えない。けれどその幼い身体に何もかも背負い込むような強い哀しみだけは、傍から見ても強く感じられた。

一人の大人として、かつて似た悲しみを経験した身として、決して放っておくことが出来なかった。

私はその子に手を伸ばす。けれど距離が遠くて触れられる気配さえなくて、星を掴むような気持ちになった。ならば歩けば良いと長い道のりを歩いても、何故か一向に辿り着く気配がしない。雲のように真っ白な空間がどこまでも続いていくだけだった。
その間にも、男の子の背中はどんどん丸まっていき……ふと耳に何か声が届くのを感じる。

「……ふっ、うぅ、ぐっ」

あの男の子の泣き声なのだと、瞬時に本能的に理解する。あんなに小さな子が自分の感情を抑えるように声を震わせる様に、心臓に杭が刺さったような痛みを覚えた。
本当ならもっと大きな声で盛大に泣いて助けを呼べば良いのに。けれどそんなことをしても誰も来てくれないから、無駄だと分かっているから、きっと一人きりで自分の哀しみを必死に呑み込もうとしているのだろう。

私は強く駆け出した。今だけは自分の心臓がどうなっても構わなかった。あの子を一人にしてはいけないと思ったから、脚がどれだけ悲鳴を上げても走り続けた。
……やはり男の子のもとに辿り着くことは出来なかった。

けれど、それでも。先程あの子の泣き声を耳にしたように、私の声だけは届くかもしれない。一縷の望みを賭けながら、ちぎれそうな足を踏み出しながら、情けなくも息が上がった状態で大きく口を開けた。たとえこの一声で喉が枯れたとしても、叫ぶ以外の選択肢などなかった。

「あなたは、ひとりじゃない!」

男の子がパッと、茫然としたようにこちらを見つめた泣き顔を最後に、私の意識は靄がかかったように溶けて消えていった。
気付けば自室の天井を見上げていた私は、全身をびっしょりと汗で濡らしながら息を切らしていた。あれは眠りながら脳が生み出した光景だったのだと気付いても、単なる夢だと割り切ることは難しかった。何故だろう。

その疑問に対する答えが出るのは早かった。次の日に見た夢で、再びあの男の子と出会ったから。

「……だれ?」

ミルクティーに所々ブラックコーヒーを流し込んだような色のふわふわした髪、凛々しくて太めの眉、ぱっちりとしたスカイブルーの瞳。心底ビックリしたような顔で見上げてきたその顔が、またもや涙で濡れていることに気付いたから。
今日は触れられる距離にいることに安堵を覚えつつ、しゃがみ込んでから目線を合わせた。

「初めまして。私は……苗字名前っていうんだけど」
「ミョウジ、ナマエ……?」
「あ、長くて呼びにくいよね。ごめんね。私のことはナマエで大丈夫だよ」
「……ナマエは、もしかして、昨日のおねーちゃん?」

つい唖然として言葉が途切れてしまう。私の声が届いていたのだろうか、と思いつつも、これは自分にとって都合の良い妄想である可能性だって捨て切れない。
けれど今はまず目の前の問いかけに対して真摯に答えるべきだろうと気を取り直し、努めて笑顔を作った。

「昨日のお姉ちゃん、っていうのは何のことかな?」
「ひとりじゃない! って叫んでたおねーちゃん」
「あー……それなら私かも。聞こえてたんだね、恥ずかしいな」
「なんで? うれしかったよ」
「そう?」
「うん。ボクのことなんて、だれも気にかけてくれなかったもん」

胸が針に刺されたように痛む。そんなことない、と無責任に言える程に愚かではなかったし、その前に私は彼のことを何も知らなかった。
そっか、と返事をしてから目の前の小さな頭をふわふわと撫でれば、私を見上げる瞳から涙が一筋ぽろりと零れ落ちる。

「お名前を聞いても良いかな。改めて、お互いにちゃんと自己紹介をしたくて」
「ん、いいよ。……ボクはペパー」
「ペパーくんか。よろしくね、私はナマエ」
「……うん。ナマエ」

えらいねと褒める気持ちを込めてさらに頭を撫ぜていると、泣き疲れたのか青い瞳がとろんと眠たそうに瞬いた。

「ペパーくん、ねむい?」
「……ちょっとだけ」
「疲れちゃったよね。子どもは寝るのも仕事だからゆっくり休んで。ええと、枕やお布団はないのか……」

夢の中といえど都合良く何でも出てくる訳ではないらしく、真っ白な空間を見回しても無駄に硬い地面を踏みしめるだけだった。
嫌がられるかもしれないけれど、仕方が無い。地面に腰を下ろして脚を崩してから、ぽんぽんと自身の膝を叩く。

「ペパーくん、私の脚を枕にしていいよ」
「……え、でも。迷惑なんじゃ」
「だったらこんなこと言わないよ。ペパーくんから見たら私は怪しい女かもしれないし、もし嫌だったらそう言ってほしいけど」
「…………いやじゃない」
「そっかそっか。ならおいで」

小動物のように恐る恐る横たわる様を見つめながら、私は彼の背中を一定のリズムでぽんぽんと柔く叩き続ける。最初は落ち着かない様子でもぞもぞと動いていたけれど、徐々に寝息が響くのを聞いて微笑んだ。顔は見えないものの少しは落ち着いてくれたようで良かった。

「ふむ、成程。君という人間は、理性的な一面と感情的な側面を両立させているらしい」

突如脳内に響き渡った男性の声に、びくりと肩が震えた。ペパーくんを起こしやしないだろうかと見下ろすが、先程と変わらずに一定の動きで上下する肩を見て安心する。

「心配せずとも僕達の会話はペパーに聞こえていないし、今は君の身体が動かないようにプログラミングしている」

姿が見えない相手から脳内に直接語りかけられる感覚が慣れず、つい息を呑んだ。空間を見回そうにも確かに身体は動かず、私は相手の言葉を享受するしか術がなかった。

「そ、そうなんですか……?」
「ああ。手短に話そう。僕はこれからも君を定期的にこの世界に招く予定だ。その時にペパーと交流を深めてほしい」
「それは勿論大歓迎なんですけど……。この世界と仰るということは、此処は貴方が生み出した空間ということですか?」
「察しは悪くないようだな、正解だ」

どこか無機質な声が全身に響く様は、夢の中であってもひどく非現実的だった。こちらを品定めするような言動に思うところはあったものの、なるべく慎重な言葉選びをしようと唇を開く。

「なら、ペパーくんに寂しい思いをさせているのも……貴方なんですか?」
「……それを知るのは僕ではなくペパーだろう」

全身を覆う力がふっと緩み、いつの間にか再び自由に動かせるようになっていた。慌てて辺りを見回しても誰の気配も感じず、きっと声の主はどこか遠くにいるのだろうと知る。

「頼んだぞ」

その一言を最後に、私の意識もじわりと徐々に闇に溶けていく。ああ、ペパーくんをまた独りぼっちにさせてしまう。必死に手を伸ばした先でふわりと柔らかな熱に触れた。
この温もりに名前をつけるとしたら、きっとまだ哀しみの色を帯びてしまう。無力感に苛まれながら私はそっと目を閉じるしか道がなかった。