「おねーちゃん」

純白の夢の中で私をゆるりと見上げてくれた、透き通った青い瞳を見つめ返す。毎晩のように顔を合わせていればさすがに警戒心も解けてきたみたいだけれど、やはりまだ表情が硬いと感じた。

「どうしたの? ペパーくん」
「……ううん、なんでもない」
「そう?」

何か言いたいことがありそうなのに、俯いてしまった姿に首を傾げる。眠たくはなさそうでお腹が空いている訳でもなさそうだ。疲れていそうな気配もない。
なら人恋しいのかもしれないと当たりをつける。この子はまだ寂しさを上手く噛み砕けないみたいだから。悲しみに名前をつけることも、人に甘えることさえも誰にも教えてもらえなかったようだから。

「ペパーくん、私ね。実はちょっと疲れちゃったんだけど」
「えっ、そうなの……? ボクにできることある?」

床に座り込めば、とてとてと近付いて私と目線を合わせてくれた。優しい子だなあと改めて実感して頭を撫でれば、照れくさそうに瞳を細めてくれる。もっとワガママを言ってくれても良いのに、その術さえ知らない無垢さが切なかった。

「ペパーくんが抱き締めてくれたら元気になるかも」
「……ほんとに?」
「うん」
「そっか。なら……いいよ」

何やら覚悟を決めたように身体を硬くしている。その微笑ましい不器用さすらも包み込むように、私は柔らかな熱を掻き抱いた。
わっ、と小さく驚いたように上がった声が、ゆるりと空気に溶けていった。未だ幼い両掌は徐々に恐る恐る私の背中に伸びていく。

「…………ナマエ?」
「ん、どうかした?」
「ううん。……あったかい」
「そうだね。ぬくぬくするねえ」

ふふ、と笑い声を含んだ仄かな吐息が胸の中で弾けていく。その晩はずっと二人で抱き合いながら互いの熱と鼓動を分かち合っていた。夢の中で微睡む事態にもすっかり慣れてきたなあと、ペパーくんの柔らかさを包みながら意識を手放していく。



「……おねーちゃん」

羞恥心が自然と滲む呼びかけに、おやと内心首を傾げる。今日は何やらいつもより困ったような顔をしていた。見れば片手でお腹をさすっており、きゅるると小さく愛らしい音が耳に届く。

「もしかしてペパーくん、お腹空いた?」
「……うん」
「そっか。ここでもご飯って食べれるのかな」

首を傾げながら呟けば、突如音も立てずに目の前にキッチンが出現した。それは見慣れた我が家のもので、恐らく先日言葉を交わした男性の仕業だろうと推測する。違和感しかない光景だが、この夢見心地の空間に毎晩訪れていれば大人しく受け入れるしか無かった。
ペパーくんは、上手く状況が呑み込めてない様子で幾度も瞬きを繰り返している。安心させるように頭を撫でてからしゃがんで目線を合わせた。

「ペパーくん、何が食べたい?」
「え」
「難しいものは作れないけど、良かったらリクエストしてもらえると嬉しいな」
「でも……ボクが、ワガママなんて言っていいのかな」

献立をリクエストすることをワガママと感じる環境の中で、この子はどれ程の孤独を味わってきたのだろう。胸が切なく軋んだが、おくびにも出さずに微笑んでから首を傾ける。

「私もお腹空いちゃったんだけど、食べるものが決まらないの。お姉ちゃんのこと助けてもらえないかな」

戸惑うように私を見上げてから、ペパーくんはゆるりと眉を下げる。

「なら……サンドイッチ、がいいかな」
「それだけでいいの?」
「……うん」
「分かった。そうだな、私もお腹が空いちゃったからシチューも一緒に作っていい?」
「……ッ、うん!」

パッと嬉しそうに輝いた瞳を見て、私の胸にまで喜びが広がった。少しでもこの子の期待に応えることは出来ただろうか。
そのまま二人でキッチンへと向かう。ご両親が不在のため一人で料理にチャレンジすることもあるというペパーくんは、よくサンドウィッチも作っているのだとか。確かに歳の割に調理器具の扱いがしっかりしていて素直に感心してしまった。

「ペパーくん、いつも食べてるメニューで本当に良かったの?」
「うん。……いつも一人だから、だれかと一緒なんてはじめてだから」
「そっか。少しでも喜んでもらえるなら私も嬉しいな」

家族関係の傷は複雑で繊細だから無理に探ることはしたくない。俯いてしまった横顔に薄らと笑いかけてから、パンに挟むための食材を切っていく。
けれど私は自然と考えてしまっていた。先日のあの男性はペパーくんのお父様なのかもしれないと。離れて暮らしている息子が寂しくないように、私をこの場所に呼び寄せたのだろうかと。
だとすればこの子は、実の親から大切に想われている事実を知らないまま、孤独に喘いでいる可能性さえあるのかと。

推論でしかないため不用意に口に出すことはしたくなかったし、そもそもあの男性についてペパーくんへ話そうとすると、何故だか口が全く開かなくなってしまった。恐らく先日のようにプログラミングされているのだろう。特定の話題だけ制約があるとなれば逆に確信を深めるための材料となるが、物理的に話せなければ関係ない訳だし。

またもや突如出現したテーブルセットと食器に二人して驚きつつも、完成した料理をわいわいと盛り付けていく。目の前にいる誰かのために手料理を振る舞うなんて随分と久しぶりで、一瞬だけ胸の奥がしっとりと痛んだ。

もぐもぐとサンドウィッチとシチューを口にする仄かな笑顔を一瞬ちらりと見つめてから、私もまた共同作業の結晶を舌に乗せていく。美味しかった。いつになく優しくて温かい味がする気がした。

二人して視線がカチリと重なって、つい面映ゆくなってしまった。大人としてペパーくんの面倒を見るべき立場なのに、むしろ私の孤独をこの子に掬いとってもらっているような感覚さえしてしまった。



「おねーちゃん……!?」

ある日の夜のことだった。
いつもの夢の中で、ひどく心配したような顔をしてくれるペパーくんへ向けて、私は情けなくも力なく笑うことしか出来なかった。全身が汗でびっしょりと濡れる中、横たわりながら手をあげていく。
ペパーくんは焦ったように近寄ってから、しゃがんで私の顔を覗き込んでくれた。

「ごめんね、ペパーくん。少し疲れちゃって」
「……なにか、あったの?」
「うん、そうだね。……ちょっとだけ、悲しいことがあったの」

私を真っ直ぐに見つめながら、悲しげに眉をへにゃりと下げる。本当ならばミルクティー色の柔らかな頭を撫でてあげたいのに、今日はその元気さえも無かった。両手をだらんと真っ白な床に投げ出していく。

心配をかけまいとせめて笑顔くらいは保っておこうとした瞬間、私の頭を撫ぜる温もりがあることに気付いた。小さな掌で恐る恐る、けれど懸命にあやすように触れてくれる子なんて一人しかいない。

「ナマエ、おねーちゃん。……泣かないで?」
「……え、」

泣いてなんかないよ。咄嗟に否定しようとした口が、何故だか上手く開かない。腹の底から迫り上がる正体の分からない感情に胸が掻き乱されて、喉の奥が潰れるように苦しくなる。視界がぼやけて滲んで、ぼたぼたと両耳まで何かが伝って濡れていくのが分かった。

「…………あ、うぅッ」

私、涙を流してるんだ。自覚した途端に無様に嗚咽を漏らすことしか出来なかった。ぐしゃぐしゃの顔を両手で覆いながら自身の心の痛みを思い知る。似たような経験をしている男の子に慰めてもらうだなんて、自然と因果を感じざるを得なかった。
赤ん坊みたいに泣き続ける私の頭を、ペパーくんはずっとずっと、あやすように撫で続けてくれていた。

「……ごめんね、ペパーくん」

ようやく上半身だけ起こしてから、掠れた声でお礼を言う。ペパーくんがキッチンで淹れてくれた温かなお茶で、そっと喉を潤していった。

「ううん。……あの、ナマエちゃんは」

初めての呼び方についきょとんとしてしまう。驚いた私の様子を察したのか、ペパーくんはほっぺたを真っ赤に色づかせた。やはり大人と接することに未だ慣れていないのだろうか、と微笑ましくなりつつ問いかける。

「うん、ペパーくん。どうしたの?」
「あ、その……ボクはナマエちゃんのおかげで、ここでは寂しくないから」
「……うん」
「ナマエちゃんが寂しいときは、ボクがそばにいるから」

ぎゅっと喉の奥が締め付けられる。衝動のままにペパーくんを抱き寄せると、耳まで林檎のようになっていた。可愛くて愛しくて堪らなかった。
やけにリズムが早い小さな鼓動に耳を寄せる。まるで自分の心臓が二つもあるように感じてひどく安心した。涙が乾いた後の拙い頬も、ようやく心からの笑みを形づくっていく。