五葉の温もり
「そうですか。あなたがフトゥーのご友人の……」
グレープアカデミーと呼ばれる学校の校長だというクラベルさんは、眼鏡を指先で触りながら感慨深そうに呟いた。ペパーくんに言われるがままやってきた場所で───本人はすぐに立ち去ってしまったけれど───、初対面の方と二人きりになるだなんて。
しかしそれでも、別世界に生きる親子と夢の中で交流を深めたり、こうして世界を飛び越えた経験に比べたら、全て些細なことに思える。
クラベルさんは柔和に微笑みながら、温かな声音で語りかけてくれた。
「私も最近彼には会っていないんです。フトゥーは元気にやっているでしょうか?」
「え。……あ、そうですね。はい、相変わらずご自分の研究に没頭されているご様子で」
フトゥーさんが亡くなっていることを知らない。私以上に付き合いの長いクラベルさんにさえ伏せている事実ならば、わざわざ口を割るのは悪手だろう。
まずは情報を集めつつ、私がフトゥーさんから与えられた役割を見極めなければならない。そのためにはなりふり構っていられないか、と内心腹を括る。
「あの、クラベルさん。不躾なお願いだとは承知なのですが」
「いえいえ。あなたのことはフトゥーからも託されていましたからね。もしナマエという名の女性が訪ねてきたら手厚く対応してやってくれ、と」
まったく、本人の知らないところで優しさを見せる不器用なところは何とかならないものか。と改めて頭を抱えた。
「……そうですか。では、住み込みで働ける場所を探したいんです。何か良い方法があればアドバイスを頂けないかと」
「おや、そうでした。ナマエさんは確かポケモンバトルもご経験がないとか」
「は、はい。お恥ずかしながら一般常識もあまり持ち合わせておらず」
「ならナマエさん。もし宜しければ、グレープアカデミーに入学してみませんか?」
さも当然かのような笑顔で提案を受けて、つい面食らってしまう。確かに校長室にやってくるまで、成人された方々が生徒として学んでいる様子は窺えた。年齢を問わず広く門戸を開いている学び舎は素敵で、そんな学校でペパーくんが学べているのは喜ばしいと感じていたけれど。
「大変有難いお話なのですが……私、お金を持ち合わせていなくてですね」
「ああ。それならご心配には及びませんよ。あなたのことはフトゥーから託された、と言ったでしょう?」
用意周到に手を回されていたことを知り、私は諦めて項垂れるしか無かった。アカデミーの学生になることで、何かペパーくんの役に立てるのだろうか。ならば少しでもフトゥーさんの期待に応えなくては。
私が目覚めた後のペパーくんは、かつての夢の中に比べてかなり素っ気ない態度だった。やはり長年放っておかれたと感じたら苦手にも嫌いにもなるだろうから、悲しくても精一杯笑いながら話しかけた。どうやらそれも気に障ってしまったようで、しばらく距離を置くのが正解なのかなと思うしかなかったけれど。
「……では、よろしくお願い致します。クラベル校長」
元の世界で誰にも必要とされなかった私が、唯一託された役目がペパーくんを見守ることなのだとすれば。どんなに相手から避けられたとしても自分に出来ることをこなすだけだ。深々と頭を下げながら、私は心臓を握り潰すように決意を固めた。
アカデミーの総合コースへの入学が決まり、学生としての日々が始まった。文系コースのペパーくんとはクラスが分かれてしまったけれど、向こうが距離を置きたいならばちょうど良かったかもしれない。
最初はポケモンに慣れるところから、と担任のジニア先生の協力を得ながら日々彼らと触れ合うことから始めていた。
「どうです、ナマエさん? みんな可愛いでしょう?」
「はい、とっても!」
カマキリに似たくさタイプのポケモン───ラランテスが、甘い花の香りを纏いながら手のひらに擦り寄ってくれる。桜を思わせる柔らかな色と日本舞踊を思わせる優雅な動きに心が和んだ。頭を撫でれば嬉しそうにくるくると回ってくれる、優しくて人懐こい子だった。
そう、ポケモンたちはみんな可愛い。かつてペパーくんもたくさん語ってくれたように。だからこそ、ポケモンのいない世界で産まれた身として思うところもあった。
「ナマエさん、何か暗い顔をしていますねえ」
「あ。……いえ、その」
「考えていることは何でも言っていいんですよお。ここは学校なんですから。生徒さんの疑問や不安を聞いてあげるのが、ぼくたち先生の役目です」
つい俯いてしまう。今まで、ここまで生徒の目線に立って考えてくれる先生に出会ったことなんて無かったから。
けれど、この方ならば常識に反するような内容でもきっと耳を傾けてくれるだろう。入学してから数日の立場でも痛感できた。
「……私、ポケモンバトルが怖いんです。こんなに可愛い子たちを戦わせて、その勝敗を娯楽にするなんて」
「……そうだったんですね」
「もちろん、この世界の常識としてポケモンは戦わせるものだって分かってはいるんです。……でも、たとえこの子達が心からバトルを望んでいたとしても、その度に体力を消耗して傷付いてしまう事実があると思っていて」
「うんうん」
「彼らを愛しく思えば思うほど、バトルが怖くなります。このパルデア地方では、バトルが特に盛んだと聞きまして。アカデミーでもバトル学の授業がありますし……私、ただでさえ非常識な人間なのに。ここでやっていけるんでしょうか」
しゃがみ込んで俯く私の顔を、ラランテスがそっと覗き込んでくれる。こんな話を聞かせてごめんね、という気持ちを込めて頭を撫でる。
その直後、私の頭を柔らかな熱が包んでいくのが分かった。ビックリして顔を上げると、同じく膝を折ったジニア先生が私を何度も撫でてくれている。
「ナマエさんは優しいんですねえ。よしよし」
「そ、そんなことは……。単に臆病なだけかと」
「誰かの痛みを慮れるナマエさんは、きっとそれだけたくさん傷付きながらも頑張ってきたんですよね。事情を知らないぼくが踏み込むのは、あまり良くないことかもしれませんが」
「いえ、いえ! 本当に……ありがとうございます、ジニア先生」
いくら元の世界に未練が無いとはいえ、フトゥーさんの死を一人きりで抱えて、いつの間にか世界を飛び越えていて、かつて慈しんでいたペパーくんからは嫌われてしまっていて。思っていたよりも、心身ともに疲弊していたのかもしれない。
からからに乾いてひび割れた土に水が注がれるように、精神的な傷をそっと包んでもらったような気がした。
「ナマエさん。ポケモンバトルは無理にする必要もないんですよ。ただこの世界では、外を歩くと野生のポケモンと遭遇して怪我をする可能性がありますから。お互いを守りながら共に生きていくパートナーとして、誰かを選ぶという道はあるかもしれません」
「……はい。戦わせるだけが共存の道ではないんですよね。もし今後自分のポケモンを持ったら、また考えが変わるかもしれませんし」
「うんうん、柔軟な思考を持ててえらいです。また何か悩み事があったら、いつでもぼくに相談してくださいね」
「……はい、心が凄く楽になりました。こんな拙い話を聞いてくださって、ありがとうございます」
「ふふ、いいんですよお。ナマエさんのお人柄が知れて良かったです。……おや?」
「どうしましたか?」
ジニア先生の視線が、不思議そうに私の背後に注がれていた。振り返ってその先を辿れば、ペパーくんの後ろ姿が勢いよく遠ざかっていくのが見えた。私がいたから立ち去ってしまったのだろうか。だとしたら正直悲しいけれど、仕方がないことだと理解していた。胸がボロボロに乾いていくようだった。
「あ、ええと。……どうやら私、彼から嫌われちゃっているみたいで」
「ううん……それはないと思いますけどねえ」
「え?」
「あれはどちらかと言うと、ぼくに怒っていたんだと思いますよ」
「ジニア先生に……?」
「そうですねえ。これ以上ヒントを出してしまうのは、恐らく野暮なので。ぜひお二人でゆっくり話してみてください」
はい、と深く俯いた私の頭をジニア先生は何度も撫でてくれていた。自分の居場所は世界を越えても相変わらず不安定なままだったけれど、この温もりは私の心に確かに優しく降り積もっていく。
グレープアカデミーと呼ばれる学校の校長だというクラベルさんは、眼鏡を指先で触りながら感慨深そうに呟いた。ペパーくんに言われるがままやってきた場所で───本人はすぐに立ち去ってしまったけれど───、初対面の方と二人きりになるだなんて。
しかしそれでも、別世界に生きる親子と夢の中で交流を深めたり、こうして世界を飛び越えた経験に比べたら、全て些細なことに思える。
クラベルさんは柔和に微笑みながら、温かな声音で語りかけてくれた。
「私も最近彼には会っていないんです。フトゥーは元気にやっているでしょうか?」
「え。……あ、そうですね。はい、相変わらずご自分の研究に没頭されているご様子で」
フトゥーさんが亡くなっていることを知らない。私以上に付き合いの長いクラベルさんにさえ伏せている事実ならば、わざわざ口を割るのは悪手だろう。
まずは情報を集めつつ、私がフトゥーさんから与えられた役割を見極めなければならない。そのためにはなりふり構っていられないか、と内心腹を括る。
「あの、クラベルさん。不躾なお願いだとは承知なのですが」
「いえいえ。あなたのことはフトゥーからも託されていましたからね。もしナマエという名の女性が訪ねてきたら手厚く対応してやってくれ、と」
まったく、本人の知らないところで優しさを見せる不器用なところは何とかならないものか。と改めて頭を抱えた。
「……そうですか。では、住み込みで働ける場所を探したいんです。何か良い方法があればアドバイスを頂けないかと」
「おや、そうでした。ナマエさんは確かポケモンバトルもご経験がないとか」
「は、はい。お恥ずかしながら一般常識もあまり持ち合わせておらず」
「ならナマエさん。もし宜しければ、グレープアカデミーに入学してみませんか?」
さも当然かのような笑顔で提案を受けて、つい面食らってしまう。確かに校長室にやってくるまで、成人された方々が生徒として学んでいる様子は窺えた。年齢を問わず広く門戸を開いている学び舎は素敵で、そんな学校でペパーくんが学べているのは喜ばしいと感じていたけれど。
「大変有難いお話なのですが……私、お金を持ち合わせていなくてですね」
「ああ。それならご心配には及びませんよ。あなたのことはフトゥーから託された、と言ったでしょう?」
用意周到に手を回されていたことを知り、私は諦めて項垂れるしか無かった。アカデミーの学生になることで、何かペパーくんの役に立てるのだろうか。ならば少しでもフトゥーさんの期待に応えなくては。
私が目覚めた後のペパーくんは、かつての夢の中に比べてかなり素っ気ない態度だった。やはり長年放っておかれたと感じたら苦手にも嫌いにもなるだろうから、悲しくても精一杯笑いながら話しかけた。どうやらそれも気に障ってしまったようで、しばらく距離を置くのが正解なのかなと思うしかなかったけれど。
「……では、よろしくお願い致します。クラベル校長」
元の世界で誰にも必要とされなかった私が、唯一託された役目がペパーくんを見守ることなのだとすれば。どんなに相手から避けられたとしても自分に出来ることをこなすだけだ。深々と頭を下げながら、私は心臓を握り潰すように決意を固めた。
アカデミーの総合コースへの入学が決まり、学生としての日々が始まった。文系コースのペパーくんとはクラスが分かれてしまったけれど、向こうが距離を置きたいならばちょうど良かったかもしれない。
最初はポケモンに慣れるところから、と担任のジニア先生の協力を得ながら日々彼らと触れ合うことから始めていた。
「どうです、ナマエさん? みんな可愛いでしょう?」
「はい、とっても!」
カマキリに似たくさタイプのポケモン───ラランテスが、甘い花の香りを纏いながら手のひらに擦り寄ってくれる。桜を思わせる柔らかな色と日本舞踊を思わせる優雅な動きに心が和んだ。頭を撫でれば嬉しそうにくるくると回ってくれる、優しくて人懐こい子だった。
そう、ポケモンたちはみんな可愛い。かつてペパーくんもたくさん語ってくれたように。だからこそ、ポケモンのいない世界で産まれた身として思うところもあった。
「ナマエさん、何か暗い顔をしていますねえ」
「あ。……いえ、その」
「考えていることは何でも言っていいんですよお。ここは学校なんですから。生徒さんの疑問や不安を聞いてあげるのが、ぼくたち先生の役目です」
つい俯いてしまう。今まで、ここまで生徒の目線に立って考えてくれる先生に出会ったことなんて無かったから。
けれど、この方ならば常識に反するような内容でもきっと耳を傾けてくれるだろう。入学してから数日の立場でも痛感できた。
「……私、ポケモンバトルが怖いんです。こんなに可愛い子たちを戦わせて、その勝敗を娯楽にするなんて」
「……そうだったんですね」
「もちろん、この世界の常識としてポケモンは戦わせるものだって分かってはいるんです。……でも、たとえこの子達が心からバトルを望んでいたとしても、その度に体力を消耗して傷付いてしまう事実があると思っていて」
「うんうん」
「彼らを愛しく思えば思うほど、バトルが怖くなります。このパルデア地方では、バトルが特に盛んだと聞きまして。アカデミーでもバトル学の授業がありますし……私、ただでさえ非常識な人間なのに。ここでやっていけるんでしょうか」
しゃがみ込んで俯く私の顔を、ラランテスがそっと覗き込んでくれる。こんな話を聞かせてごめんね、という気持ちを込めて頭を撫でる。
その直後、私の頭を柔らかな熱が包んでいくのが分かった。ビックリして顔を上げると、同じく膝を折ったジニア先生が私を何度も撫でてくれている。
「ナマエさんは優しいんですねえ。よしよし」
「そ、そんなことは……。単に臆病なだけかと」
「誰かの痛みを慮れるナマエさんは、きっとそれだけたくさん傷付きながらも頑張ってきたんですよね。事情を知らないぼくが踏み込むのは、あまり良くないことかもしれませんが」
「いえ、いえ! 本当に……ありがとうございます、ジニア先生」
いくら元の世界に未練が無いとはいえ、フトゥーさんの死を一人きりで抱えて、いつの間にか世界を飛び越えていて、かつて慈しんでいたペパーくんからは嫌われてしまっていて。思っていたよりも、心身ともに疲弊していたのかもしれない。
からからに乾いてひび割れた土に水が注がれるように、精神的な傷をそっと包んでもらったような気がした。
「ナマエさん。ポケモンバトルは無理にする必要もないんですよ。ただこの世界では、外を歩くと野生のポケモンと遭遇して怪我をする可能性がありますから。お互いを守りながら共に生きていくパートナーとして、誰かを選ぶという道はあるかもしれません」
「……はい。戦わせるだけが共存の道ではないんですよね。もし今後自分のポケモンを持ったら、また考えが変わるかもしれませんし」
「うんうん、柔軟な思考を持ててえらいです。また何か悩み事があったら、いつでもぼくに相談してくださいね」
「……はい、心が凄く楽になりました。こんな拙い話を聞いてくださって、ありがとうございます」
「ふふ、いいんですよお。ナマエさんのお人柄が知れて良かったです。……おや?」
「どうしましたか?」
ジニア先生の視線が、不思議そうに私の背後に注がれていた。振り返ってその先を辿れば、ペパーくんの後ろ姿が勢いよく遠ざかっていくのが見えた。私がいたから立ち去ってしまったのだろうか。だとしたら正直悲しいけれど、仕方がないことだと理解していた。胸がボロボロに乾いていくようだった。
「あ、ええと。……どうやら私、彼から嫌われちゃっているみたいで」
「ううん……それはないと思いますけどねえ」
「え?」
「あれはどちらかと言うと、ぼくに怒っていたんだと思いますよ」
「ジニア先生に……?」
「そうですねえ。これ以上ヒントを出してしまうのは、恐らく野暮なので。ぜひお二人でゆっくり話してみてください」
はい、と深く俯いた私の頭をジニア先生は何度も撫でてくれていた。自分の居場所は世界を越えても相変わらず不安定なままだったけれど、この温もりは私の心に確かに優しく降り積もっていく。