「ミライドン、ご飯できたよー!」

エリアゼロの最深部で呼べば、左右の全く別の方向から二匹が素早く飛んでくる気配がした。鋭く勢いのある右側の子と、颯爽とはしゃいでいるような左側の子。
基本的に閉じこもりである友の分やおかわりも用意しているとはいえ、ここまで楽しみにしてもらえるとは作り手冥利に尽きるというものだ。
両手を使って彼らを同時に撫でてから、食卓に導くためにラボへと戻っていく。何やら複雑な機械に向き合う後ろ姿はすっかり見慣れたもので、これから始まる攻防を思うとお互いに頑固だなとひっそり笑った。

「フトゥー、休憩の時間だよ! ご飯だよ!」
「だからボクは別に食事は必要ないと言っているだろう」
「さて問題です。エネルギー補給食と私の作ったサンドウィッチ、どっちの方が栄養バランスが優れているでしょうか?」

一瞬で分析を終えたのだろう。仰々しく眉を上げてから肩をすくめた。

「……何でキミはこうも毎回、サプリメントよりも効率的な食事を作るんだ」
「最高の褒め言葉をありがとう。私はこのままアカデミーに戻るね」

同じスピードと仕草でサンドウィッチにかぶりつくミライドン達を見守ってから、かつてより小言が増えた友人へ向けて手を上げた。

「あ、そうそう。未来から来たパラドックスポケモンと現代ポケモンの接触についてだけど」
「ああ、何か気付いたことでも?」

相棒のラウドボーンと共に、日々自室で触れ合う私のポケモンパラドックスポケモン達の様子を思い浮かべる。
人目に触れさせてはいけないから外は歩けないものの、日々一緒にご飯を食べたり身体を洗ってあげたりオモチャで遊んだりする中で、段々と仲良くなっている姿がとても微笑ましかった。

「時が経つにつれて、お互いにコミュニケーションを取れるようになってきているみたい。最初は、言語や文化そのものが違うからぎこちない感じだったけど……」
「能力値の変化も想定以上だったが、やはりそうか。また何かあれば報告を頼む」
「うん。フトゥー、ちゃんとご飯食べてから休んでね」
「仕方がないな。善処しよう。だがそれよりも、……いや。何でもない」
「そう? 何かあったら言うんだよ」

ぽんぽんと彼の頭を撫でれば、鬱陶しげに振り払われた。これもいつものことだった。
フトゥーさんはきっと、ミライドン達もフトゥーのことも子どものように可愛がっていたのだろう。明確な答えが提示されなくても薄らと理解していた。私だって、ほんの少しの間であっても彼の友達だったのだから。

ラボ内のワープ機能を使い入口近くまで戻ってから、そらとぶタクシーでアカデミーへと向かう。
午後の授業の準備をするためにエントランスを横切っていた時、───何故か突然視界がチカチカと点滅していく。頭が急激に締め付けられるように痛んで、咄嗟に膝をついた。

何が起きたのか分からなかった。けれど、無遅刻無欠席の称号が無くなってしまうことだけは予想できた。背筋が薄らと凍えていく。
私はもっと、大切な人の役に立つために勉強しなければならないことがたくさんあるのに。一時でも無駄にすることは出来ないのに。

「ナマエさん、調子が悪いの!?」
「あ、……タイムせんせ、」

口から音を発する度に痛みが強くなっていく。いつも優しく母のように生徒を見守ってくれる、タイム先生の顔さえもまともに見られない自分が情けなかった。
そういえば最近休みを取らずに各地を歩き回っていたなとか、睡眠時間を削って研究を手伝っていたなとか。闇に引きずり込まれていく意識が、この事態を齎した原因を悟って警鐘を鳴らしているのが分かった。

だから言っただろう、なんてフトゥーが呆れた顔をするのが一瞬だけ見えた気がしたのは……気の所為だったのかな。



「ナマエちゃん! 目が覚めたか!?」
「ペパーくん……?」

声を発すると側頭部がズキリと痛む。それが素直に顔に出てしまったのだろう。悲痛な表情で私を見下ろすペパーくんが、頭をゆっくり優しく撫でてくれる。

「……ミモザせんせは、過労だろうって言ってた」
「ん、そっかあ」
「なあ。ナマエちゃんは、オレが学校に来やすくするためにずっと気を遣ってくれてるよな。あ、辛いだろうから返事は無くていいんだけどさ」
「…………」

そんなことないよ、と否定してしまうのは簡単だったけれど。ペパーくんが学校で素敵な出会いに巡り会えるようにと、敢えて一緒に授業に向かうように誘導していた節はあった。

「父ちゃんに言われたからオレのために動いてる、なんてもう思ってはねえよ。ナマエちゃんがオレを大事に想ってくれてることは……分かってるつもりだし、その、オレも同じ気持ちだし」
「……ん」
「だからさ、オレも今度こそは守られるだけじゃなくて役に立ちたいって……そう思うんだよ」
「……それは」
「単刀直入に言う。ナマエちゃんは最近ずっと、パルデアの大穴に行ってるよな?」

いつもならばどうとでも誤魔化せる筈なのに、全身が疲労に満ちている今は素直に驚愕の表情を表してしまったのだろう。ペパーくんはそっと、全てを理解したように、何かを諦めたように微笑んだ。

「父ちゃんに、会ってるんだよな」

確信を持った声だった。何かを決意したような力強いブルーの瞳が、ひどく何かを懐かしむように細まっていく。

「……ナマエちゃんが何も言わなかったのは、たぶんオレのためだって分かってる。だから悪い。オレも、今からあの場所に行って真意を確かめてくる」
「ペパーくん、まっ……!」

待って、と言いかけた唇をペパーくんの人差し指が押さえた。
かつて、「フトゥーさんには秘密ね」なんて言いながら一緒に料理を作っていた頃に私がよくやっていた仕草だった。頭も胸もしくしくと傷んでいく。

自分では決して、目の前の男の子を止められないのだと悟ってしまったから。もしかしたら、私を通じてペパーくんに会うことこそが、フトゥーの真の望みなのではないかと考えてしまったから。

「……ごめんな」

みっともなく横たわる私を、ペパーくんが柔らかく慈しむように抱き締める。いつの間にこんなに優しい抱擁が出来る男の子に育っていたのかと、切なさに打ちひしがれてしまいそうになった。

「オレのことも父ちゃんのことも、一人で全部背負わせちまってごめん。辛い時に一番に駆けつけられなくてごめん。オレが寂しい時いつも傍にいてくれたのに、何も返せなくてごめん。……オレの方が謝るべきだったのに、ずっと意地張ってた。ごめんな」

ふるふると首を横に振ろうとしても、ペパーくんの腕の力が強くて出来そうに無かった。視界が次第にぼやけて、頬や耳が何かで熱く濡れていく。

「……オレ、ナマエちゃんのこと泣かせてばっかだよな。情けねえ」
「そん、なこと……ないよ……」
「でもさ、オレは今きっと父ちゃんの居場所パルデアの大穴に行かなきゃいけねえ。そんな気がするんだ」
「……うん、私は止めないよ。でも約束しよう?」
「やくそく?」
「必ず無事に帰ってきて。ペパーくんをまた抱き締めさせて?」
「ん。……分かった、約束する」

いつの間にか、ペパーくんまで一緒に痛みを分かち合うように泣いてくれていた。子どもの頃のように泣きじゃくっておらず、はらはらと目尻に雫を伝わせるだけの泣き方になっているのを見て、この子が背負ってきた哀しみの重さを自然と実感する。
大きな掌が私の両頬を包み、互いの額が重なって、ふたりの涙が混じり溶け合っていった。


一人きりになった医務室の中でも、私はずっと、友人達の砂漠のような寂寞に水を与えるかのように、さめざめと涕泣ていきゅうし続けていた。