※リアルイベント「朗読の会」を前提とした文章です
※20話更新直後に書いたお話です
※原作本編後の時間軸を想定しているため、今後の展開と矛盾する可能性がございます



2023年6月某日、シャーロック・ホームズの個室にて。

「名前! 朗読の会には当然キモノを着て行くだろう!?」
「え。いや、今回は行かないよ」
「え」

ホームズくんは唖然としたように、ぱちくりと何回も瞬きを繰り返す。真っ直ぐにピンと立った人差し指が、虚しく天を向いているように見えた。
日本での朗読会。それは、このベーカー街221Bにて共に時間を重ねた二人の留学生から誘われたものだった。彼らのことは大好きだから当然迷ったが、こちらだって譲れない事情がある。

「言ったでしょ。どうしても外せない仕事があるから、数ヶ月も離れられないって」
「……そうだったっけ?」

きょとんと純粋無垢な顔を装った様を受けて、遠慮なく深々とため息を着く。かつてより表情が豊かになり突飛な言動が増えたようにも見えるホームズくんは、けれど本質が何も変わっていなかった。

「はいはい。すっとぼければ前言撤回してくれるんじゃないかって顔してもダメ」
「……どうしても?」
「ダメなものはダメ!」
「キミだってボクと離れたくないのに?」

するりと両手が腰に回り、ぐっと距離が縮まる。すっかり慣れた彼の体温に身を預けながら首筋に落とされた唇を受け止めた。反射的にぞくりと身体の内側が熱くなっていくのが不本意で、僅かに顔を横に背ける。

「……ホームズくんと何ヶ月も離れるなんて、今更でしょう」
「キミをようやく日本に連れて行けると思ったんだがね」
「別にいいの。どちらにせよもう未練なんて無いし」

綺麗なグリーンの瞳と同じ高さで見つめ合う。探偵として真実を追い求めることを第一に生きる男の子の顔にはいつの間にか細かい皺がつき始め、わたしだって大英帝国に来たばかりの頃より随分と老けてしまった。それでもいつだって女の子として扱ってくれる優しさを享受しながら、ホームズくんのざらついた温かな左頬に指を滑らせる。

「シャーロック」
「ん」
「アイリスちゃんのこと、頼んだからね」
「モチロンだとも。名前は変な男についていかないように」
「変な男って……。こんなオバサンに声をかけてくるひとなんて、そんなにいないし」

そういえば少し前に貴族の男の子から手紙を貰ったっけ、と思い起こした。いちいち報告していなかったけれど、と考えた時点で己の失態に気付く。

「ほら! その言い方だと、確実に言っていないだけでいるじゃないか!」
「……、ホームズくんだって、若い女の子達にチヤホヤされてニヤニヤしてるでしょ!」

社交界のご婦人方や一般市民の女の子たちにも、ホームズくんがよくサインや握手を求められていることを知っていた。いくら今まで積み重ねてきた関係があるとはいえ、全く何も感じていない訳では無い。
年甲斐もなく嫉妬している事実をさらけ出す気なんて更々無かったのに、ホームズくんはゆるりと無邪気に頬を緩ませた。

「ボクは昔からキミ一筋だ」
「……わたしも同じく。この話はもう終わりね!」

昔よりは心身共に成長したと思っていたのに、ホームズくんにはいつだって生身のわたしを暴かれる。その感覚がひどく心地好くて甘えていることも自覚しつつ、今度はこちらから彼の筋肉質な身体に抱き着いた。

「名前」
「うん」
「愛してる」
「……知ってる」

頭の天辺から爪先まで、ひとつひとつ慈しむようにキスをされて擽ったかった。ホームズくんの香りに包まれたベッドに押し倒されて、じゃれ合うように唇を重ねる。

「シャーロック」
「ん?」
「愛してるよ」
「……ああ、知っているとも」

両掌をふわふわの頭に持っていく。勢いよくわしゃわしゃと撫ぜればグリーンの瞳が柔く細まっていった。
目には見えない大きくて温かくて清らかな愛情を、胸いっぱいに吸い込んだ。たとえ離れていても、こうして重なる心はいつだってホームズくんのことを求め続けていくだろう。

それがひどく幸せで、わたしの心臓は今日もあの朝焼けの色を宿していた。