どたどたと夏風のように駆けていく、あなたの足音が好きだった。
身体の芯まで無遠慮に熱く焦がすような、その大きな歩幅に耳を傾けながら、私よりもほんの少し小さな手に引かれて、肺が潰れそうなくらい全力で走る時間が愛おしかった。

「ほら! 見てみろ、名前!」

春は桜の花で城を作り、夏は竹で虫籠を拵え、秋は落ち葉で焼き芋をたっぷり焼いて、冬はかまくらを仕立ててくれた。昔からやけに器用で面倒見が良くて、周りの人々が笑顔になるようにと動き回ってばかりいた。

「きれいだねえ、留」

心からそう言えば、からりと太陽のごとく笑ってくれた。たまたま近くの家に生まれた同い年の幼馴染は、単なる農家の娘である私にも優しかった。物語の中で語られる貴族のお姫様とは程遠い、ボサボサの髪もマメだらけの硬い手も何も臆せず触ってくれた。

ただただ、大好きだった。あなたの横顔を見つめる時間が何より幸せで、烏滸がましくもあなたの隣にい続けたいと願ってしまった。

けれど、誰のことも特別視せず平等に接するその懐の広さが憎らしくなってきたのは、一体いつ頃だっただろうか。彼が忍術学園に行くことを決めていた時期には、既に拗ねた顔ばかり見せて幼馴染を困らせていたような気がする。

「なあ名前、機嫌を直してくれよ」

学園に旅立つ前日の夜。朝早いだろうにわざわざ我が家を訪ねてきた彼は、眉を下げてこちらを見つめていた。私は正座をしながら自分の膝を見下ろして、その視線から逃れるように拳を握った。二人きりの部屋には不自然な程の沈黙が落ちていく。

「そもそも怒ってなんてないもの。直す機嫌なんて無いけど」
「ならせめて、最後にお前の笑顔を見せてくれないか?」
「……何でそこまで私にこだわるの? 留には他にも仲の良い女の子はたくさんいるでしょ」

驚いたような気配を感じたから不思議に思えば、きょとんと目を丸くする顔が視界に入る。そのままうろうろと視線を彷徨わせたかと思えば、がっくりと肩を落としていた。

「……悪い、名前。俺がわがまますぎた」

否定しないんだな、と冷えていく指先を握り込みながら冷静に思う。人気者の彼にとって私は単に付き合いが長いだけの幼馴染でしかないと理解していたから、特に何も感じないけど。

「分かったなら、これを持ってさっさと帰って」

背後にひっそりと隠していた包みを無理やり彼の手に握らせる。一瞬触れた指先は温かくて、かつてより大きくなったように感じた。ぽかんと開いた口が何かを言いかけては閉じていく。

「えっ、あ……これは?」
「餞別。いらないなら捨てていいけど」
「いや、いる! 一生大事にする!」
「……大げさすぎない?」

あまりにも必死な様子につい口元が緩んだ。もしかしたら今の様子が笑顔に見えたかもしれないなあと思いつつ、ふと目の前の留を視界に入れる。
夜の帳の中でもはっきり分かるくらい、顔が真っ赤に染まっていた。まるで茹で蛸のようだった。

「……留、もしかして具合でも悪いの?」
「い、……いや別に悪くねえよ!?」
「そう? なら良いけど」

ふぁ、と自然と漏れ出た欠伸を噛み殺す。ここしばらく目の前の幼馴染との別れを考えるあまり深く眠れなかったから、気が抜けてしまったのかもしれない。瞼を閉じて指先で涙を拭うと、私の手に何故か柔らかな熱が重なった。
ぱちりと目を開ける。留の指先が私の目元に触れていた。やけに顔が近くて唖然としていれば、気の抜けた温かな笑顔が降り注ぐ。

「ありがとう、名前。俺、行ってくる」
「……うん、いってらっしゃい。身体には気を付けて」

何の未練もないような顔でからりと笑う姿を見送ってしばらく、ぐしゃぐしゃになった胸の内を掻き毟るように両掌を握る。

「…………留のばか。やっぱり私ばかりでしょ」



物理的な距離が離れても、留は飽きもせず定期的に文を送り続けてきた。
同室の優しい友達がやけに不運なこと、実技はともかく座学は難解で頭を捻ってばかりなこと、持ち前の手先の器用さを活かして用具委員会に入ったということ。……私が餞別として贈った手ぬぐいを、いつも大切に使っているということ。
あっという間に消費されるような消え物にせず、けれど懸想を感じさせるような重たい物に出来なかった、臆病な女が作った手拭いだというのに。

けれど、留の大きくて角張った文字を眺めていると。あの太陽のような笑みを振りまきながら学園生活を送る光景が、瞼の裏に生き生きと浮かぶような心地がした。
実際に相見えるのは長期休暇の時だけだったが、そんなことを感じさせないくらいまめに文通をしていたのもあるのだろう。
私は相変わらず農業に勤しみ、時折親から持ちかけられる縁談話をそれとなく断っていた。行き遅れの寂しい女になりそう等と周囲から噂もされていたが構わなかった。さっさと美人で器量の良い女性と結婚してくれれば諦めもつくというのに、いくら問い詰めても女っ気が無いようで困ってしまう。引く手数多な留と異なり、いくつになっても夢見心地で哀れな女だと自覚はしていた。

そうして長かったようで短いような六年間が過ぎようとしていた、とある秋の日のことだった。

私は生まれ故郷より少し離れた町で野菜を売り、目標が達成できて安心していた。地味な柄の着物に髪を軽く結っただけの格好は、いくら暴漢対策とはいえ我ながら女らしさの欠片も無かったが。
すっかり軽くなった風呂敷を畳んで懐に仕舞い込んだ時、視界の端をさらりと艶やかな黒髪が舞った。御伽噺に登場する姫君のようだと感心しながら歩き出したところで、彼女の隣にいるのが見慣れた手拭いを身に付けた身近な男だと気付く。

「あっ……!?」

間抜けな声を上げたのは、紛れもなく留だった。いつもならばすぐ私の名前を呼んで駆け寄ってくるくせに、今日はやけに気まずそうな顔で驚いている。そんな留のことを不思議そうに見上げた女性は、顔立ちも麗しく立ち振る舞いも洗練されていて、同性の私でさえ見惚れてしまう程に美しい。

心も指先もすうっと冷えていくのが分かった。いつも以上に表情が削ぎ落ちていくのを自覚しつつ、何も気付かなかったふりをして歩き出す。少し遅れて夏風のような足音が追いかけてくることが分かっても、私が足を緩めることは無かった。人通りの多い通りを足早に進んでいく。

「……い、おい! 待てって、名前!」

後ろから、硬くて大きな指先に腕が捕らわれる。力の差もあるし抵抗するのは無駄かと悟りつつ立ち止まった。振り返らないまま口を開く。

「なに? 留」
「俺の顔を見てすぐ逃げんなって……! 傷付くだろ!」
「だって部外者が邪魔しちゃいけないでしょ。何か忍務か実習だったんじゃないの?」
「え」
「そんなことも分からないくらい馬鹿な女だと思った? もしくは私が彼女に嫉妬したとでも?」

ようやく踵を返して幼馴染に向き直る。顔を合わせたのは夏期休暇以来だからそこまで時間は経っていないのに、また少し背が伸びたような気がした。昔から変わらず、すぐ私の手の届かない場所に行こうとするんだな、と癇癪を起こした子どものような思考をしてしまい、つい目を細める。

「それとも逢瀬の最中だった? なら腐れ縁の幼馴染なんて無視すれば良かったのに」
「違え、あいつは同級生だよ。……潜入してる最中だったから、名前を巻き込みたくなかったんだ。すぐに声をかけられなかったのは謝る。悪かった」
「謝らなきゃいけないのは邪魔した私の方でしょ。それに……」

真っ直ぐな視線に耐えきれず、視線を横に逸らしてしまう。いっそのこと、ぐつぐつと熱く煮えたぎるこの無様な想いをぶちまけてしまおうかと唇を歪めた。もうすぐ道が分かたれるのならば、今の内にお互い逃げ道を作っておくべきだろう。

「中途半端に期待させるようなことして、こんなみっともない女に執着されて。自業自得よ、馬鹿」
「……俺は、名前に対して中途半端なことした覚えはないぞ。いつだって本気だった」
「家ぐるみの付き合いだから遠慮してるの? 馬鹿じゃないの」
「……あーッ、そうだよ! 俺は馬鹿だよ! 初恋をいつまでも引きずって足掻くみっともねえ男だよ!」
「はあ?」
「お前相手だと余裕もくそもねえんだよ! でも誰より幸せになってほしい女に、いつ死ぬか分からない男に着いて来いなんて言える訳ねえだろ!」
「……ばっかじゃないの!? 私は留と一緒にいられればそれで良いし、留になら何されてもいいのよばか!」
「は、はあ!?」

お互い全力で叫び合い、ぜいぜいと肩で息をしていた。周囲の視線をまるごと攫っていたことにようやく気付き、二人して羞恥で茹で蛸のようになってしまう。
そそくさと小さくなりながら退散しようとしたところで、いつの間にか駆け付けていた先程の美女───いや、留の同級生ならば眉目秀麗な青年か───に深々と溜め息を吐かれていた。

「初対面の女人に言うことでは無いが、二人とも大馬鹿だろう」
「め、面目次第もございません……」
「おい仙蔵、」
「此処では仙子さんと呼ばんか初恋拗らせ野郎」
「ぐっ……! 何も言い返せねえ……」
「まったく、私は学園に帰るぞ。あとは勝手にやってくれ」

さらりと濡れ羽色の髪を片手で払いながら去っていく背中を見送った後、私もまた深く溜め息を吐いた。頭も心もぐしゃぐしゃすぎて話題を逸らすことしか出来そうになかった。

「留。今の方……ええと、せんこさん? にお詫びのお菓子を買っていかないと」
「……そうだな。名前、手ぇ出せ」
「え?」

反射的に差し出した手を、留の硬く大きな指先に絡め取られる。まめや傷だらけの不格好な手なのに、先程の青年の方が余程美しい手をしていたというのに、一度繋がった体温が離れる気配は微塵もない。

「と、留……」
「俺にとってはさ」
「…………」
「初めて見た時からずっと、名前の笑顔が何より一等きれいに見えてたよ」

幼い頃、二人で紡いでいた思い出が甦る。春は桜の花で城を作り、夏は竹で虫籠を拵え、秋は落ち葉で焼き芋をたっぷり焼いて、冬はかまくらを仕立ててくれた。顔を突き合わせながら何をしようかと案を出し合って、国中のどんな高価な品物にも負けないくらい、それどころかこの世の何よりも鮮やかな宝物をたくさん作った。それらを自らの手で握り潰そうとした愚かな私の笑顔であっても、誰より大切なひとが綺麗だと言ってくれるのならば。

「……ありがと」

いつだって私のわがままを受け止めてくれる柔らかな体温を、そっと握り返す。いつも以上に柔く降ってきた太陽のような笑顔に向けて笑い返した。

「留」
「ん?」
「だいすき」

ぱきん、と耳元で音がする。あなたの赤い顔を見つめていると、私の心臓を覆い尽くしていた偏屈で分厚い心の壁が、ようやく溶け出していくような気がした。